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第八章 カラスとモナリザと老木は少女の未来を憂う
第七十三話 『人助け』のはじまりとカラスの覚悟
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老木が切り倒されてから5日が過ぎた。
飽きるほど泣いたのに、時々悲しくて仕方がない夜もあった。しかし徐々にいつも通りの生活を取り戻し始めていた。
ふと寂しくなり老木がいた空き地に向かうと、先客の影があった。
『来てたのか、楓』
カラス兄は内心ヒヤヒヤしながらも、声をかけた。
動物たちが楓を見つかれば報復が再開される可能性があったからだ。そんな胸中を見透かすように、楓は自嘲気味に笑った。
「さっき豚や犬に会ったよ。でも、何事も無かったかのように話しかけられた。思い切って那覇市賭けてみたら、あんなのを気にしてるのはどうかしてる、って言われた」
カラス兄は何も言えず、腹の中で煮えたぎるものを抑え込んだ。
「怖かったのに。つらいのに……」
小さな呟きには、絶望も諦めも悲しさも、全部混ざりこんでいた。
楓の目の前には、切り株がある。老木だったモノ。今は『ぼくはきりかぶだよ』と幼い声で自己紹介をしている。チョメチョメが無慈悲にも伝えてくるのだ。もうこれは老木ではないのだ、と。
そんな切り株を、楓は凝視しながら口を開く。
「ねえ、老木は最期にわたしに言っていたよね。『人助けをして生きていきなさい』って」
その後に『君は——』と続いていた。しかし老木は伝えきる前に死んでしまった。
『老木が君に託した思いだ』
「そうだよね。そうだよね……」
バチン バチン バチン
突然、楓は自分の頬を叩き始めた。何度も、強く、苛烈に、激しく。赤くなっても叩き続けた。
終わったかと思うと、深呼吸を繰り返して「よし!」と気合を入れていた。
「わたし『人助け』をしないとね」
一見明るく見えるが、空元気なのは明らかだった。
「老木が言っていたもんね」
カラス兄は嫌な予感がした。目の前の少女の顔は、吹っ切れた人のそれではなかった。過去を見つめ続ける、眼窩の窪んだ顔だった。
突然、ゴム毬が跳ね返るように走り出した。カラス兄は驚きながらもついていく。
楓が立ち止まったのは、人通りの多い駅前だった。老若男女がそれぞれの歩幅でどこかへと向かう中、楓は木のように立ち止まって、何かを探していた。
そして一人の老人に手を差し出した。
「大丈夫ですか。手伝いますよ」
彼女が持っていた大きな荷物を持って、家まで見送った。
それだけではなかった。
泣いている子供に寄り添い、親を一緒にみつけた。
木登りして風船を取り、子供の頭を撫でた。
助けられたみんなが笑顔で礼を告げていた。しかし楓の顔はどこか暗かった。時間が経つにつれて。焦燥感が際立っていき、目は血走っていた。
見かねたカラス兄は、人間の目も気にせず、楓の前に降り立った。
『何をしてるんだ』
「何って、『人助け』だよ」
楓は当然だといわんばかりに胸を張った。
『……今は休んでおけよ』
カラス兄から見れば、楓はまだ絶好調には程遠く見えなかった。
「だって、老木が言ったんだよ。『人助け』をしなさいって」
『確かに言っていたが……』
「わたし、今まで何をして生きていけば……ううん、何をすれば生きていけるのか、わからなかった。でも、老木に言われて気付いた。『人助け』しなくちゃね。だって、だってね――」
楓はギュッと何かを握りしめた。
「母も老木も、わたしが殺したようなものなんだから」
その顔は、まるで死の間際に天使を目の当たりにした人間のようだった。
『それは、違うだろ』
「なんで?」
カラス兄は答えられなかった。だから否定する道しかない。
『そんなことしなくていいだろ』
「そんなこと……?」
失言したことに気付いた時には、もう遅かった。
「そんなこと、って言った?」
楓は怒るのに疲れたような、切ない顔をしていた。あどけない瞳から、なけなしの光が消え去った。カラス兄はその姿を見て、息を呑んだ。
『……もう老木さんはいないんだぞ』
楓は下唇を噛んで、まるで別れを告げるように言い放つ。
「結局、カラスなんだね」
立ち去る少女の背中を眺めながら、カラス兄は唖然とするしかなかった。
楓が去った後も「結局、カラスなんだね」と何度も耳の中で木霊し続け、心の奥底に刻まれていった。
次の日。楓に会いに行くと、彼女は何もなかったかのようにふるまっていた。カラス兄もそれに合わせて、忘れることにした。しかし大きな溝は残り続けているのを、二人とも理解していた。
それでも、縋るしかなかった。一人と一匹にはお互いしか残されていなかったから。
(どうすればいいんだ?)
カラス兄はふと考えることがあった。
溝のできた状態を問題視しているのだが、今まで誰とも交友関係を結んでこなかったカラス兄には、仲直りの仕方がわからなかった。
(いや、このままでいいのか)
カラスはカラス、人間は人間。肩を並べて生きることはない。生態も思考も価値観も異なる。今まで家族のように付き合えていたのが奇跡だった、ともいえる。
(老木さんも、こんな気持ちだったのか?)
今まで信じていた関係が、偽物だと気づいた時の絶望。
自分の向けていた感情が、相手と同じでなかったと知った無力感。
それらを知っても、まだ信じたいと願ってしまう自分がみじめで、消えてしまいたくなる。
(お前まで、いなくならないでくれよ)
カラス兄の脳内には、たった半年ほどの、楓との日々が流れた。もう彼女のいない生活を考えられなかった。
(ああ、やっぱりダメだ。もうダメなんだ)
目を閉じても笑顔が浮かび、瞼を開けても自然と探し、目に入れても痛くない。そう臆面もなく言えてしまうほどの感情を抱いていた。
(何があっても——それこそオレが死んでも、妹を失いたくないんだ)
そうか。これが——。
雛の時の記憶がフラッシュバックした。自分をかばい、鷹に立ち向かう母の姿。
カラス兄にとって、母親はその記憶にしか存在しない。しかしそれで十分だと割り切っていた。それ以上の愛はないのだと、老木から教えられていたから。
(今度はオレの番か)
老木さんの死を笑い飛ばせる時が来るまで、守り抜こう。
覚悟を決めた瞬間、自分の中に一本の芯が立つ感覚があった。
飽きるほど泣いたのに、時々悲しくて仕方がない夜もあった。しかし徐々にいつも通りの生活を取り戻し始めていた。
ふと寂しくなり老木がいた空き地に向かうと、先客の影があった。
『来てたのか、楓』
カラス兄は内心ヒヤヒヤしながらも、声をかけた。
動物たちが楓を見つかれば報復が再開される可能性があったからだ。そんな胸中を見透かすように、楓は自嘲気味に笑った。
「さっき豚や犬に会ったよ。でも、何事も無かったかのように話しかけられた。思い切って那覇市賭けてみたら、あんなのを気にしてるのはどうかしてる、って言われた」
カラス兄は何も言えず、腹の中で煮えたぎるものを抑え込んだ。
「怖かったのに。つらいのに……」
小さな呟きには、絶望も諦めも悲しさも、全部混ざりこんでいた。
楓の目の前には、切り株がある。老木だったモノ。今は『ぼくはきりかぶだよ』と幼い声で自己紹介をしている。チョメチョメが無慈悲にも伝えてくるのだ。もうこれは老木ではないのだ、と。
そんな切り株を、楓は凝視しながら口を開く。
「ねえ、老木は最期にわたしに言っていたよね。『人助けをして生きていきなさい』って」
その後に『君は——』と続いていた。しかし老木は伝えきる前に死んでしまった。
『老木が君に託した思いだ』
「そうだよね。そうだよね……」
バチン バチン バチン
突然、楓は自分の頬を叩き始めた。何度も、強く、苛烈に、激しく。赤くなっても叩き続けた。
終わったかと思うと、深呼吸を繰り返して「よし!」と気合を入れていた。
「わたし『人助け』をしないとね」
一見明るく見えるが、空元気なのは明らかだった。
「老木が言っていたもんね」
カラス兄は嫌な予感がした。目の前の少女の顔は、吹っ切れた人のそれではなかった。過去を見つめ続ける、眼窩の窪んだ顔だった。
突然、ゴム毬が跳ね返るように走り出した。カラス兄は驚きながらもついていく。
楓が立ち止まったのは、人通りの多い駅前だった。老若男女がそれぞれの歩幅でどこかへと向かう中、楓は木のように立ち止まって、何かを探していた。
そして一人の老人に手を差し出した。
「大丈夫ですか。手伝いますよ」
彼女が持っていた大きな荷物を持って、家まで見送った。
それだけではなかった。
泣いている子供に寄り添い、親を一緒にみつけた。
木登りして風船を取り、子供の頭を撫でた。
助けられたみんなが笑顔で礼を告げていた。しかし楓の顔はどこか暗かった。時間が経つにつれて。焦燥感が際立っていき、目は血走っていた。
見かねたカラス兄は、人間の目も気にせず、楓の前に降り立った。
『何をしてるんだ』
「何って、『人助け』だよ」
楓は当然だといわんばかりに胸を張った。
『……今は休んでおけよ』
カラス兄から見れば、楓はまだ絶好調には程遠く見えなかった。
「だって、老木が言ったんだよ。『人助け』をしなさいって」
『確かに言っていたが……』
「わたし、今まで何をして生きていけば……ううん、何をすれば生きていけるのか、わからなかった。でも、老木に言われて気付いた。『人助け』しなくちゃね。だって、だってね――」
楓はギュッと何かを握りしめた。
「母も老木も、わたしが殺したようなものなんだから」
その顔は、まるで死の間際に天使を目の当たりにした人間のようだった。
『それは、違うだろ』
「なんで?」
カラス兄は答えられなかった。だから否定する道しかない。
『そんなことしなくていいだろ』
「そんなこと……?」
失言したことに気付いた時には、もう遅かった。
「そんなこと、って言った?」
楓は怒るのに疲れたような、切ない顔をしていた。あどけない瞳から、なけなしの光が消え去った。カラス兄はその姿を見て、息を呑んだ。
『……もう老木さんはいないんだぞ』
楓は下唇を噛んで、まるで別れを告げるように言い放つ。
「結局、カラスなんだね」
立ち去る少女の背中を眺めながら、カラス兄は唖然とするしかなかった。
楓が去った後も「結局、カラスなんだね」と何度も耳の中で木霊し続け、心の奥底に刻まれていった。
次の日。楓に会いに行くと、彼女は何もなかったかのようにふるまっていた。カラス兄もそれに合わせて、忘れることにした。しかし大きな溝は残り続けているのを、二人とも理解していた。
それでも、縋るしかなかった。一人と一匹にはお互いしか残されていなかったから。
(どうすればいいんだ?)
カラス兄はふと考えることがあった。
溝のできた状態を問題視しているのだが、今まで誰とも交友関係を結んでこなかったカラス兄には、仲直りの仕方がわからなかった。
(いや、このままでいいのか)
カラスはカラス、人間は人間。肩を並べて生きることはない。生態も思考も価値観も異なる。今まで家族のように付き合えていたのが奇跡だった、ともいえる。
(老木さんも、こんな気持ちだったのか?)
今まで信じていた関係が、偽物だと気づいた時の絶望。
自分の向けていた感情が、相手と同じでなかったと知った無力感。
それらを知っても、まだ信じたいと願ってしまう自分がみじめで、消えてしまいたくなる。
(お前まで、いなくならないでくれよ)
カラス兄の脳内には、たった半年ほどの、楓との日々が流れた。もう彼女のいない生活を考えられなかった。
(ああ、やっぱりダメだ。もうダメなんだ)
目を閉じても笑顔が浮かび、瞼を開けても自然と探し、目に入れても痛くない。そう臆面もなく言えてしまうほどの感情を抱いていた。
(何があっても——それこそオレが死んでも、妹を失いたくないんだ)
そうか。これが——。
雛の時の記憶がフラッシュバックした。自分をかばい、鷹に立ち向かう母の姿。
カラス兄にとって、母親はその記憶にしか存在しない。しかしそれで十分だと割り切っていた。それ以上の愛はないのだと、老木から教えられていたから。
(今度はオレの番か)
老木さんの死を笑い飛ばせる時が来るまで、守り抜こう。
覚悟を決めた瞬間、自分の中に一本の芯が立つ感覚があった。
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