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第八章 カラスとモナリザと老木は少女の未来を憂う
第六十九話 恋人の家でカラスとあーんを
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「それじゃ、開けますね」
ガチャリ、と音流が扉を開けると、陸は我先にと入っていった。余程緊張していたのか、何度も深呼吸を繰り返した。
「同志。ちゃっちゃか行ってください。すぐに用意しないといけないので」
「ちょ、ちょっと待って!」
後ろから急かされて、覚悟する暇もなく靴を脱いだ。とっさに音流を睨みつけると、
「なんだか楽しそうじゃない?」
「同志が家に来てくれたからですよ」
「そんな場合じゃないでしょ」
「大丈夫ですよ。家には他に誰もいませんから」
「それはそれでダメだろ!?」
(やっぱり同志はコロコロ表情がかわっておもしろい)
陸の背中を押しながらリビングに入り、灯りを付けた。その瞬間に、否応なしにリビングの光景が目に入る。
「少し殺風景だ」
陸がふいに漏らした言葉に、音流は切ない顔をした。
(パパももうちょっと気を使ってくれればいいのに)
カーペットについているタンスの跡が目について、寂しい気持ちになった。
今のリビングは歯抜け状態だ。所々に不自然なスペースが空いており、何かがあった跡だけが残っている。パパが引っ越す際に持っていったのだが、模様替えをする気分にはなれない。さらには所々ホコリをかぶっているし、時計は電池が切れたまま放置されて、カレンダーも先月からめくられていない。
生活感はかすかにあるのだが、どこか退廃的な雰囲気だ。
もうリビングを――家族みんなでいるべき場所を、キレイに保とうとする人間はいない。
しかし今は感慨にふけっている場合じゃない、と気合を入れなおして指示を飛ばし始める。
「同志はカラス兄さんの寝床を作ってください。タオルは洗面所にあります」
『そこまでしなくていい』
「カラス兄さんは黙っててください。ウチの家に来た以上、ウチがルールです」
音流は鍋に水を入れて火にかけた。そして右手には包丁が握り、カラス兄に作り笑顔を向けた。
「苦手なものはありますか?」
『……なんでもいける』
カラス兄のガクガクと震えていて怯えていた。陸からはそれがあまりにも可哀そうに見えて、手を合わせた。
それから音流に言われたように、タオルを使って簡易的な巣を作って、そこにカラス兄を寝かした。
ほぼ同タイミングで、音流が。
『人間からの施しなんて――』
音流は嫌がるカラス兄の口にレンゲを押し入れて、無理やり嚥下させた。おかゆがおいしかったのか、大人しく食べるようになった。
お腹がいっぱいになったカラス兄は、二人に見守られながら眠った。
カラス兄をリビングに寝かせた後、音流は陸を私室に連れ込んでいた。
「ちょっ、入る必要ある!?」
拒否しようとする陸の腕を引っ張り、後ろ手で鍵を閉めた。
異性の部屋に初めて入った陸はキョロキョロと視線を動かして、居心地が悪そうにしている。
(ウチの部屋、おかしいところないよね)
音流の部屋は黄色を基調にしているが、一見するとゴチャついて見える。化粧品や雑誌が並ぶ鳴るテーブル。大量のカラーボックスと、そこの上に置かれたレコードプレイヤーや真空管アンプ。世の横にはミドルサイズのスピーカーまである。
勉強机の上にはバタフライナイフや、ドラゴンのネックレスのような女子っぽくないものまである。
(パパからもらったものが多いけど、あまり使ってない。というか、さすがに女子中学生の部屋に置くのはおかしいよね)
一瞬「それはおかしいだろ!」と怒るパパの姿が想像できて、音流はこっそり舌を出した。
「あれ、あの人ってじいじ?」
陸が何ともなしに訊いた。
指差した先にあったのは、音流とじいじのツーショット写真だった。ばあばに盗撮されたもので、ビニールシートの上で一緒に日向ぼっこしているシーンだ。気持ちよく熟睡していて、すごくだらしない顔をしている。
「……そうですけど、じいじって言わないでください。恥ずかしいので」
不満で口を尖らせながら、写真立てをそっと倒した。ついでに出しっぱなしだった下着を隠すのも忘れない。
(これからやることは、さすがにじいじには見せられないし)
そんな音流の思惑も露知らず、陸は相変わらず視線を右往左往させていた。
「僕はもう帰るよ」
「ダメですよ、同志」
音流は凄みのこもった笑みを向けた。丸呑みする瞬間の蛇のようだった。
そんな顔を向けられては、小動物めいた陸は青ざめるしかなかった。
内心では、そんなに怖がらなくても、と少し不満に思いながら「半裸で抱き合った仲じゃないですか」と続けた。逃げられないことを悟ったのか、陸は石像のようにカチコチに固まった。
音流は用意していたおかゆをレンゲですくい、陸に握らせた。陸はレンゲと音流の顔を交互に見た。
「ウチは食べさせたのに、お預けくらったので」
「今……?」
「今じゃないとダメです」
音流はもう我慢ができない、と言わんばかりに大きく口を開けた。
陸の息を呑む音が響く。
案外すんなりとレンゲが口に運ばれていく。
口の中に入ったレンゲから、白濁してとろみのあるお粥《かゆ》を食《は》んだ。
(我ながら程よい塩加減)
存分に咀嚼して飲み込んだ音流は、勿体なさそうに舌なめずりをした。陸は真っ赤な顔でその様子を見つめていた。
「満足そうだね」
「そりゃ満足ですよ。でも満腹には程遠いのでもっとお願いします」
陸は「え、あんなに食べ……」と言いかけたのを呑み込み、表現を変えた。
「それ以上満足する気?」
「そうですね。満足のあまり、満ち満ちすぎて足が増えるかもしれません。そうすれば走るのが速くなるかも」
なんだよそれ、と言いながら陸は次のお粥を掬った。さっきよりもスムーズに運ばれてくるレンゲを、音流は口で受け取った。
一口、二口、三口……
徐々に音流が食べるペースをつかんできて、陸の表情が緩んでいく。
「猫に食べさせているみたい」
「じゃあ今度は猫耳つけてやりますか」
「……そのうち、お願いします」
陸は熱のこもった目をしていた。首に着けたチョーカーを見ていた時と同じ目だ。
(そういう趣味でもあるのかな)
絶対に猫耳を用意しよう、と固く誓って、最後の一口を飲み込んだ。
空になったお椀を挟んで、二人はしばらく無言になった。
(なんか、妙に恥ずかしくなってきた)
興奮が冷めた後に残ったのは、幸福感と気恥ずかしさだけだった。楓は目を瞑って考え事をしている。陸がモジモジしているのは描写するまでもないだろう。
(せっかく、部屋に連れ込んだんだから、あとちょっとだけ)
実は音流にはある目標があった。
(ここはさらに押して行け、ウチ!)
心の中で頬を叩いて気合を入れた。意を決して、乾いた唇を動かす。
「同志はなんでウチと付き合ってくれるんですか?」
「なに、藪から棒に」
「ウチのことが好き、だから、です、か?」
音流の声は尻つぼみに消えていった。自分から言うのは予想以上に恥ずかしすぎたのだ。
(うわ、すごい顔)
しかし自分以上に動揺する陸の姿を見て、音流は余裕を取り戻した。
「なんでそんなにはっきり言えるの。恥ずかしくないの?」
陸は顔を手で覆い隠しながら訊いた。
「恥ずかしいですよ。でも、大事なことはすぐに言わないといけない。そう思ってるだけです」
音流は陸をまっすぐ見ていた。真っ赤になった顔も耳も、隠すことはしない。
(パパもママも、もっと早く話しあっていれば……)
不満も不服も、小さいうちに打ち明けていれば、憎しみにまで成長しなかったかもしれない。音流はそう思わずにはいられなかった。
同時に、そんな"もしも"を考えるよりも、今に活かすべきとも考えていた。
だからこそ、音流は明け透けに好意を口にするし、不満や
後悔した分だけ、学んだ分だけ、未来の自分は良くなるんだと信じている。
「……言わないとダメ?」
陸は顔を隠すように伏せた。これは無理そうだ、と音流は見切りをつけた。
「今すぐ愛をささやいて、なんて言いませんよ。でも、ウチの告白は聞いてもらいます」
陸は何も答えなかったが、耳を塞いでいないところを見るに聞く気はあるのだろう。
深呼吸してから、口を開く。
「同志の足音と心臓の音と、匂いが好きです」
「そこ!?」
陸は驚愕のあまり大声をあげた。
「もっと他にないの……?」
「あ、声も結構好きですね。年取ればいい声になりそうです」
「案外音フェチだね!?」
陸は恥ずかしそうに目線を横に滑らせつつ、モゴモゴと反論する。
「ほら、"あの日"の行動とか、自分で言うのもなんだけど、結構悪くなかったと思うんだけど」
”あの日"とは台風の目で抱き合った日のことだ。音流の精神が限界を迎えた結果、台風の目で日向ぼっこを強行して、豪雨のせいでバス停から出られなくなり、暖をとるために半裸で抱き合っていた。
"あの日"を境に、陸と音流の関係は大きく変わった。
(でも、あんなことにならなくても、きっと――)
音流は陸に向き直った。
「きっとあんなことが無くてもウチは同志のことが好きになっていたと思いますよ。ウチ、『ストックホルム症候群』とか『吊り橋効果』とかは信じて無いんですよ。それよりも遺伝子的な話の方が好きです。
知ってますか? 遺伝子的に相性がいいと、相手の体臭をよい匂いと感じるそうですよ」
音流の持論を聞いて、陸は頬を膨らませた。
「なんかロマンチックじゃない」
「そうですか? この地球には80億以上の人類がいて、遺伝子の相性が良い相手が隣にいる確率ってすごく低そうじゃないですか。それも同じ中学校の同学年。これはもう運命としか言いようがありません」
音流は『運命』という言葉に気恥ずかしさを感じながらも、言い切った。
「大体、好きでもない男子に抱き着かれても、気持ち悪いだけじゃないですか。きっと同志以外の人があの場に来ても、好きになっていませんよ」
「イケメンだったら嬉しいんじゃない?」
卑屈な笑みを浮かべながら、陸が言った。
「うーん、イケメンは声や音に深みが無いんですよね。ウチの偏見ですけど」
「顔は見て無いんだ」と陸は意外そうに呟いた。
「見てないわけじゃないですよ。一定以上の条件を満たせばいいかなぁ、ぐらいの感じです。見つめていて不快じゃなければ、整った顔は求めていません」
「……微妙な気分だよ」
陸にとっては、自分の容姿を『不快にならない程度』と言われたも同然であり、ひどく落ち込んだ。
「そんなことは言ってないじゃないですか。親しみが持てていいですよ」
「一応ありがとう」
納得いっていないのか、陸の機嫌は直りきっていない。その姿を見て、音流の瞳はさらに熱を持っていた。
(凹んでるってことは、そういうことでいいのかな?)
バクバクと心臓の高鳴りが聞こえて、音流のスイッチが入る。
(聞きたい。同志の口から聞きたい)
音流は無言で陸ににじり寄っていく。
「な、なに!?」
あえて陸の言葉に反応しない。ただただ顔を近づけ続けるだけだ。言葉ではなく、瞳で伝え続ける。
(同志が言わないんですから、ウチも口には出しませんよ)
陸はすごい勢いで退いたのだが、すぐに壁に当たって逃げ場を失った。そんなのはお構いなしに音流は猪突猛進する。
鼻先がくっつきそうな程近づいた。その瞬間だった。
『相変わらず、人間は万年発情期だな』
カラス兄の声が聞こえて、音流は動きを止めた。
『それぐらいにしてやれ、さすがに可哀そうだ』
ケガ人(それともケガ鳥だろうか)が体を押しての忠告に耳を貸さないわけにもいかなかった。楓は口惜しく思いながらも体を引いた。
「同志。カラス兄さんに免じて、また今度にしましょう」
「……カンベンして」
陸は顔を真っ赤にしながら懇願した。しかしそれは音流の耳には届いていなかった。
(……好き、って言ってもらえなかった)
結局は目標を達成できず、音流はひそかに不満を溜めていた。
ガチャリ、と音流が扉を開けると、陸は我先にと入っていった。余程緊張していたのか、何度も深呼吸を繰り返した。
「同志。ちゃっちゃか行ってください。すぐに用意しないといけないので」
「ちょ、ちょっと待って!」
後ろから急かされて、覚悟する暇もなく靴を脱いだ。とっさに音流を睨みつけると、
「なんだか楽しそうじゃない?」
「同志が家に来てくれたからですよ」
「そんな場合じゃないでしょ」
「大丈夫ですよ。家には他に誰もいませんから」
「それはそれでダメだろ!?」
(やっぱり同志はコロコロ表情がかわっておもしろい)
陸の背中を押しながらリビングに入り、灯りを付けた。その瞬間に、否応なしにリビングの光景が目に入る。
「少し殺風景だ」
陸がふいに漏らした言葉に、音流は切ない顔をした。
(パパももうちょっと気を使ってくれればいいのに)
カーペットについているタンスの跡が目について、寂しい気持ちになった。
今のリビングは歯抜け状態だ。所々に不自然なスペースが空いており、何かがあった跡だけが残っている。パパが引っ越す際に持っていったのだが、模様替えをする気分にはなれない。さらには所々ホコリをかぶっているし、時計は電池が切れたまま放置されて、カレンダーも先月からめくられていない。
生活感はかすかにあるのだが、どこか退廃的な雰囲気だ。
もうリビングを――家族みんなでいるべき場所を、キレイに保とうとする人間はいない。
しかし今は感慨にふけっている場合じゃない、と気合を入れなおして指示を飛ばし始める。
「同志はカラス兄さんの寝床を作ってください。タオルは洗面所にあります」
『そこまでしなくていい』
「カラス兄さんは黙っててください。ウチの家に来た以上、ウチがルールです」
音流は鍋に水を入れて火にかけた。そして右手には包丁が握り、カラス兄に作り笑顔を向けた。
「苦手なものはありますか?」
『……なんでもいける』
カラス兄のガクガクと震えていて怯えていた。陸からはそれがあまりにも可哀そうに見えて、手を合わせた。
それから音流に言われたように、タオルを使って簡易的な巣を作って、そこにカラス兄を寝かした。
ほぼ同タイミングで、音流が。
『人間からの施しなんて――』
音流は嫌がるカラス兄の口にレンゲを押し入れて、無理やり嚥下させた。おかゆがおいしかったのか、大人しく食べるようになった。
お腹がいっぱいになったカラス兄は、二人に見守られながら眠った。
カラス兄をリビングに寝かせた後、音流は陸を私室に連れ込んでいた。
「ちょっ、入る必要ある!?」
拒否しようとする陸の腕を引っ張り、後ろ手で鍵を閉めた。
異性の部屋に初めて入った陸はキョロキョロと視線を動かして、居心地が悪そうにしている。
(ウチの部屋、おかしいところないよね)
音流の部屋は黄色を基調にしているが、一見するとゴチャついて見える。化粧品や雑誌が並ぶ鳴るテーブル。大量のカラーボックスと、そこの上に置かれたレコードプレイヤーや真空管アンプ。世の横にはミドルサイズのスピーカーまである。
勉強机の上にはバタフライナイフや、ドラゴンのネックレスのような女子っぽくないものまである。
(パパからもらったものが多いけど、あまり使ってない。というか、さすがに女子中学生の部屋に置くのはおかしいよね)
一瞬「それはおかしいだろ!」と怒るパパの姿が想像できて、音流はこっそり舌を出した。
「あれ、あの人ってじいじ?」
陸が何ともなしに訊いた。
指差した先にあったのは、音流とじいじのツーショット写真だった。ばあばに盗撮されたもので、ビニールシートの上で一緒に日向ぼっこしているシーンだ。気持ちよく熟睡していて、すごくだらしない顔をしている。
「……そうですけど、じいじって言わないでください。恥ずかしいので」
不満で口を尖らせながら、写真立てをそっと倒した。ついでに出しっぱなしだった下着を隠すのも忘れない。
(これからやることは、さすがにじいじには見せられないし)
そんな音流の思惑も露知らず、陸は相変わらず視線を右往左往させていた。
「僕はもう帰るよ」
「ダメですよ、同志」
音流は凄みのこもった笑みを向けた。丸呑みする瞬間の蛇のようだった。
そんな顔を向けられては、小動物めいた陸は青ざめるしかなかった。
内心では、そんなに怖がらなくても、と少し不満に思いながら「半裸で抱き合った仲じゃないですか」と続けた。逃げられないことを悟ったのか、陸は石像のようにカチコチに固まった。
音流は用意していたおかゆをレンゲですくい、陸に握らせた。陸はレンゲと音流の顔を交互に見た。
「ウチは食べさせたのに、お預けくらったので」
「今……?」
「今じゃないとダメです」
音流はもう我慢ができない、と言わんばかりに大きく口を開けた。
陸の息を呑む音が響く。
案外すんなりとレンゲが口に運ばれていく。
口の中に入ったレンゲから、白濁してとろみのあるお粥《かゆ》を食《は》んだ。
(我ながら程よい塩加減)
存分に咀嚼して飲み込んだ音流は、勿体なさそうに舌なめずりをした。陸は真っ赤な顔でその様子を見つめていた。
「満足そうだね」
「そりゃ満足ですよ。でも満腹には程遠いのでもっとお願いします」
陸は「え、あんなに食べ……」と言いかけたのを呑み込み、表現を変えた。
「それ以上満足する気?」
「そうですね。満足のあまり、満ち満ちすぎて足が増えるかもしれません。そうすれば走るのが速くなるかも」
なんだよそれ、と言いながら陸は次のお粥を掬った。さっきよりもスムーズに運ばれてくるレンゲを、音流は口で受け取った。
一口、二口、三口……
徐々に音流が食べるペースをつかんできて、陸の表情が緩んでいく。
「猫に食べさせているみたい」
「じゃあ今度は猫耳つけてやりますか」
「……そのうち、お願いします」
陸は熱のこもった目をしていた。首に着けたチョーカーを見ていた時と同じ目だ。
(そういう趣味でもあるのかな)
絶対に猫耳を用意しよう、と固く誓って、最後の一口を飲み込んだ。
空になったお椀を挟んで、二人はしばらく無言になった。
(なんか、妙に恥ずかしくなってきた)
興奮が冷めた後に残ったのは、幸福感と気恥ずかしさだけだった。楓は目を瞑って考え事をしている。陸がモジモジしているのは描写するまでもないだろう。
(せっかく、部屋に連れ込んだんだから、あとちょっとだけ)
実は音流にはある目標があった。
(ここはさらに押して行け、ウチ!)
心の中で頬を叩いて気合を入れた。意を決して、乾いた唇を動かす。
「同志はなんでウチと付き合ってくれるんですか?」
「なに、藪から棒に」
「ウチのことが好き、だから、です、か?」
音流の声は尻つぼみに消えていった。自分から言うのは予想以上に恥ずかしすぎたのだ。
(うわ、すごい顔)
しかし自分以上に動揺する陸の姿を見て、音流は余裕を取り戻した。
「なんでそんなにはっきり言えるの。恥ずかしくないの?」
陸は顔を手で覆い隠しながら訊いた。
「恥ずかしいですよ。でも、大事なことはすぐに言わないといけない。そう思ってるだけです」
音流は陸をまっすぐ見ていた。真っ赤になった顔も耳も、隠すことはしない。
(パパもママも、もっと早く話しあっていれば……)
不満も不服も、小さいうちに打ち明けていれば、憎しみにまで成長しなかったかもしれない。音流はそう思わずにはいられなかった。
同時に、そんな"もしも"を考えるよりも、今に活かすべきとも考えていた。
だからこそ、音流は明け透けに好意を口にするし、不満や
後悔した分だけ、学んだ分だけ、未来の自分は良くなるんだと信じている。
「……言わないとダメ?」
陸は顔を隠すように伏せた。これは無理そうだ、と音流は見切りをつけた。
「今すぐ愛をささやいて、なんて言いませんよ。でも、ウチの告白は聞いてもらいます」
陸は何も答えなかったが、耳を塞いでいないところを見るに聞く気はあるのだろう。
深呼吸してから、口を開く。
「同志の足音と心臓の音と、匂いが好きです」
「そこ!?」
陸は驚愕のあまり大声をあげた。
「もっと他にないの……?」
「あ、声も結構好きですね。年取ればいい声になりそうです」
「案外音フェチだね!?」
陸は恥ずかしそうに目線を横に滑らせつつ、モゴモゴと反論する。
「ほら、"あの日"の行動とか、自分で言うのもなんだけど、結構悪くなかったと思うんだけど」
”あの日"とは台風の目で抱き合った日のことだ。音流の精神が限界を迎えた結果、台風の目で日向ぼっこを強行して、豪雨のせいでバス停から出られなくなり、暖をとるために半裸で抱き合っていた。
"あの日"を境に、陸と音流の関係は大きく変わった。
(でも、あんなことにならなくても、きっと――)
音流は陸に向き直った。
「きっとあんなことが無くてもウチは同志のことが好きになっていたと思いますよ。ウチ、『ストックホルム症候群』とか『吊り橋効果』とかは信じて無いんですよ。それよりも遺伝子的な話の方が好きです。
知ってますか? 遺伝子的に相性がいいと、相手の体臭をよい匂いと感じるそうですよ」
音流の持論を聞いて、陸は頬を膨らませた。
「なんかロマンチックじゃない」
「そうですか? この地球には80億以上の人類がいて、遺伝子の相性が良い相手が隣にいる確率ってすごく低そうじゃないですか。それも同じ中学校の同学年。これはもう運命としか言いようがありません」
音流は『運命』という言葉に気恥ずかしさを感じながらも、言い切った。
「大体、好きでもない男子に抱き着かれても、気持ち悪いだけじゃないですか。きっと同志以外の人があの場に来ても、好きになっていませんよ」
「イケメンだったら嬉しいんじゃない?」
卑屈な笑みを浮かべながら、陸が言った。
「うーん、イケメンは声や音に深みが無いんですよね。ウチの偏見ですけど」
「顔は見て無いんだ」と陸は意外そうに呟いた。
「見てないわけじゃないですよ。一定以上の条件を満たせばいいかなぁ、ぐらいの感じです。見つめていて不快じゃなければ、整った顔は求めていません」
「……微妙な気分だよ」
陸にとっては、自分の容姿を『不快にならない程度』と言われたも同然であり、ひどく落ち込んだ。
「そんなことは言ってないじゃないですか。親しみが持てていいですよ」
「一応ありがとう」
納得いっていないのか、陸の機嫌は直りきっていない。その姿を見て、音流の瞳はさらに熱を持っていた。
(凹んでるってことは、そういうことでいいのかな?)
バクバクと心臓の高鳴りが聞こえて、音流のスイッチが入る。
(聞きたい。同志の口から聞きたい)
音流は無言で陸ににじり寄っていく。
「な、なに!?」
あえて陸の言葉に反応しない。ただただ顔を近づけ続けるだけだ。言葉ではなく、瞳で伝え続ける。
(同志が言わないんですから、ウチも口には出しませんよ)
陸はすごい勢いで退いたのだが、すぐに壁に当たって逃げ場を失った。そんなのはお構いなしに音流は猪突猛進する。
鼻先がくっつきそうな程近づいた。その瞬間だった。
『相変わらず、人間は万年発情期だな』
カラス兄の声が聞こえて、音流は動きを止めた。
『それぐらいにしてやれ、さすがに可哀そうだ』
ケガ人(それともケガ鳥だろうか)が体を押しての忠告に耳を貸さないわけにもいかなかった。楓は口惜しく思いながらも体を引いた。
「同志。カラス兄さんに免じて、また今度にしましょう」
「……カンベンして」
陸は顔を真っ赤にしながら懇願した。しかしそれは音流の耳には届いていなかった。
(……好き、って言ってもらえなかった)
結局は目標を達成できず、音流はひそかに不満を溜めていた。
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