69 / 93
第八章 カラスとモナリザと老木は少女の未来を憂う
第六十七話 あーんをしてもらうまで
しおりを挟む
君乃の後姿が見えなくなると、緊張していた空気が一気に緩んだ。
「はあ、なんだか疲れました。もう今日は宿題はいいですね」
「最初からやる気なかったでしょ」
「今年は最終日に追い込んでやるつもりなんですよ」
「今年は、って去年は違かったの?」
「最初の五日ぐらいで終わらせて、後は日向ぼっこしてました」
「今年もそうすればよかったじゃん」
「それじゃあ、青春っぽくないじゃないですか」
音流の言っていることが理解できず、陸は肩をすくめた。
「何考えてるの?」
「ドラマの影響ってヤツです」
コト、と
二人が雑談していると、君乃がケーキを持ってきていた。
「お詫びでございます。どうぞお受け取りください」
「君乃さんも悪い人ですねぇ」
「いえいえ、日向ちゃんほどでは」
そんな軽い"お代官ごっこ"をした後、君乃は戻っていった。
ケーキを前に目を輝かせている音流を見て、陸は呆れていた。
(さっきもサンドイッチを食べたはずなのに、よく食えるな)
「僕のも食べていいよ」
「いいんですか!?」
言い終わるよりも手が早かった。ヒョイッ、と陸の前に置かれていたケーキを持っていった。
「ん? どうしたの?」
さっきまでの勢いは突然どこかへと行き、皿に乗っていたフォークをじっと見つめていた。陸が不審に思っていると、音流は眉を動かさずに口を開いた。
「ねえ、同志。ウチは今日すごく大変だったんですよ」
「あ、うん、そうだね。一緒にいたから知ってるけど」
「君乃さんにお話ししたのもそうですけど、やっぱり同志の貧乏ゆすりは本当に恥ずかしかったんですよ」
「あ、はい、ごめんなさい」
「言葉だけでなくて、行動で謝罪してほしいです。あえて厳しく言うなら、罰ゲームを執行します」
音流はさっき奪ったケーキを陸の前に戻し、フォークをツンツンと叩いた。
「アーン、です」
「あ、あーん……」
陸は思考が追い付かず、思わず反芻した。
「してください♪」
「ここじゃなくても……今度でも……」と陸がゴニョゴニョと抵抗しても
「ウチが先に恥ずかしかったんですよ?」と返されるだけだった。
音流の笑みには、凄みがあった。陸は逃げ道がないのだと悟った。
しかし覚悟がすぐに決まるかとは別問題だ。陸が踏ん切りがつかずに悶々している内に、業を煮やした音流がフォークをケーキに突き刺した。
「まずはウチからにしましょう」
「え?」
チョコレートケーキの欠片を取り、陸の唇の前へと運んでいく。
「……肉食すぎない?」とせめてもの抵抗で皮肉を言うと
「バス停で突然脱いだ人が言いますか?」
皮肉を返されて何も言えなくなった。
陸はとっさに周囲を見渡した。お客さんは数人。彼らは陸達を見ていない。問題は店の人達だった。興味津々に様子を伺っている。
(うわ、初恋の人に見られながらか)
今度は音流の顔を見る。
(見せつけたいんだろうなぁ)
陸は短い交際期間で、音流の嫉妬深い一面を知っていた。しかしそこに嫌気が差しているわけではない。むしろ逆だ。
(そこがかわいい、と思える時点でもうダメダメなんだろう)
素直に受け入れて、口を開ける。
スーッとフォークが口の中に入ってくる。ケーキを舐めとると同時に、違和感を覚えた。
(あれ、いつもどうやって食べてるんだっけ?)
口に入れて、咀嚼して、飲み込む。そのプロセスの最初を異性に補助されるだけで、全く別の行動のように錯覚してしまう。
えずきそうになりながら、なんとか飲み込んだ。
「おいしいですか?」
「……レアチーズケーキよりはおいしくない」
「それは上々ですね」
上機嫌な音流に対して、陸は顔を背けた。
「さて、これでもう後戻りはできませんよ」
今度は皿にのったショートケーキを陸の前へ置き、具体的なことを何も言わずに、大口を開けた。
(これでやらなかったら後々大変だろうなぁ)
陸は観念してフォークを手に取った。
(うわあ、無防備だ)
陸の目は、自然と口の中に吸い込まれていった。そこには、
(うわぁ、のどちんこまで見える。歯並びもいいなぁ)
口内に見惚れていると、
「同志。流石に口の中をそんなに見つめられたら恥ずかしんですけど」
「……ごめん」
「なんか同志って、変なフェチがありますよね」
「変なフェチ……」
音流としてはただ感想を述べただけだったのだが、純粋な陸の心にはグサリと刺さった。
「あんまり見ないようにしてくださいね」と言いながら、音流は再び口を開けた。
(そうは言われても……)
口の中から意識を逸らそうとするほど、他の情報が入り込んでくる。周囲の喧騒や光景を意識してしまう度に、羞恥心と緊張が湧き上がってくる。
それでも、陸の目線は最終的に少女の口の中へと吸い込まれていく。それほどに、陸にとっては魅力的だった。自然とフォークを持った手が伸びていく。
いざ、口に入る瞬間だった。
パァン、と。
外から馴染みのない音が聞こえた。その後、何かの落下音と女性の高笑いが続いた。
「なんでっ!」
突然、音流は顔を真っ青にして、店を飛び出していった。
陸は徐々に情けない顔になりながら、行き場を失ったフォークを見つめていた。
「なんなんだよ」
状況を咀嚼した瞬間、全身の力が抜けて、フォークがカランと落ちた。
乾いた唇を潤そうと、無造作にカップを手に取って、飲み干した。
(あれ? もうなかったはずだけど……)
手元を見ると、さっきまで音流が口をつけていたカップを握っていた。
耳まで真っ赤にした陸は、テーブルをトンと叩いたのだった。
「はあ、なんだか疲れました。もう今日は宿題はいいですね」
「最初からやる気なかったでしょ」
「今年は最終日に追い込んでやるつもりなんですよ」
「今年は、って去年は違かったの?」
「最初の五日ぐらいで終わらせて、後は日向ぼっこしてました」
「今年もそうすればよかったじゃん」
「それじゃあ、青春っぽくないじゃないですか」
音流の言っていることが理解できず、陸は肩をすくめた。
「何考えてるの?」
「ドラマの影響ってヤツです」
コト、と
二人が雑談していると、君乃がケーキを持ってきていた。
「お詫びでございます。どうぞお受け取りください」
「君乃さんも悪い人ですねぇ」
「いえいえ、日向ちゃんほどでは」
そんな軽い"お代官ごっこ"をした後、君乃は戻っていった。
ケーキを前に目を輝かせている音流を見て、陸は呆れていた。
(さっきもサンドイッチを食べたはずなのに、よく食えるな)
「僕のも食べていいよ」
「いいんですか!?」
言い終わるよりも手が早かった。ヒョイッ、と陸の前に置かれていたケーキを持っていった。
「ん? どうしたの?」
さっきまでの勢いは突然どこかへと行き、皿に乗っていたフォークをじっと見つめていた。陸が不審に思っていると、音流は眉を動かさずに口を開いた。
「ねえ、同志。ウチは今日すごく大変だったんですよ」
「あ、うん、そうだね。一緒にいたから知ってるけど」
「君乃さんにお話ししたのもそうですけど、やっぱり同志の貧乏ゆすりは本当に恥ずかしかったんですよ」
「あ、はい、ごめんなさい」
「言葉だけでなくて、行動で謝罪してほしいです。あえて厳しく言うなら、罰ゲームを執行します」
音流はさっき奪ったケーキを陸の前に戻し、フォークをツンツンと叩いた。
「アーン、です」
「あ、あーん……」
陸は思考が追い付かず、思わず反芻した。
「してください♪」
「ここじゃなくても……今度でも……」と陸がゴニョゴニョと抵抗しても
「ウチが先に恥ずかしかったんですよ?」と返されるだけだった。
音流の笑みには、凄みがあった。陸は逃げ道がないのだと悟った。
しかし覚悟がすぐに決まるかとは別問題だ。陸が踏ん切りがつかずに悶々している内に、業を煮やした音流がフォークをケーキに突き刺した。
「まずはウチからにしましょう」
「え?」
チョコレートケーキの欠片を取り、陸の唇の前へと運んでいく。
「……肉食すぎない?」とせめてもの抵抗で皮肉を言うと
「バス停で突然脱いだ人が言いますか?」
皮肉を返されて何も言えなくなった。
陸はとっさに周囲を見渡した。お客さんは数人。彼らは陸達を見ていない。問題は店の人達だった。興味津々に様子を伺っている。
(うわ、初恋の人に見られながらか)
今度は音流の顔を見る。
(見せつけたいんだろうなぁ)
陸は短い交際期間で、音流の嫉妬深い一面を知っていた。しかしそこに嫌気が差しているわけではない。むしろ逆だ。
(そこがかわいい、と思える時点でもうダメダメなんだろう)
素直に受け入れて、口を開ける。
スーッとフォークが口の中に入ってくる。ケーキを舐めとると同時に、違和感を覚えた。
(あれ、いつもどうやって食べてるんだっけ?)
口に入れて、咀嚼して、飲み込む。そのプロセスの最初を異性に補助されるだけで、全く別の行動のように錯覚してしまう。
えずきそうになりながら、なんとか飲み込んだ。
「おいしいですか?」
「……レアチーズケーキよりはおいしくない」
「それは上々ですね」
上機嫌な音流に対して、陸は顔を背けた。
「さて、これでもう後戻りはできませんよ」
今度は皿にのったショートケーキを陸の前へ置き、具体的なことを何も言わずに、大口を開けた。
(これでやらなかったら後々大変だろうなぁ)
陸は観念してフォークを手に取った。
(うわあ、無防備だ)
陸の目は、自然と口の中に吸い込まれていった。そこには、
(うわぁ、のどちんこまで見える。歯並びもいいなぁ)
口内に見惚れていると、
「同志。流石に口の中をそんなに見つめられたら恥ずかしんですけど」
「……ごめん」
「なんか同志って、変なフェチがありますよね」
「変なフェチ……」
音流としてはただ感想を述べただけだったのだが、純粋な陸の心にはグサリと刺さった。
「あんまり見ないようにしてくださいね」と言いながら、音流は再び口を開けた。
(そうは言われても……)
口の中から意識を逸らそうとするほど、他の情報が入り込んでくる。周囲の喧騒や光景を意識してしまう度に、羞恥心と緊張が湧き上がってくる。
それでも、陸の目線は最終的に少女の口の中へと吸い込まれていく。それほどに、陸にとっては魅力的だった。自然とフォークを持った手が伸びていく。
いざ、口に入る瞬間だった。
パァン、と。
外から馴染みのない音が聞こえた。その後、何かの落下音と女性の高笑いが続いた。
「なんでっ!」
突然、音流は顔を真っ青にして、店を飛び出していった。
陸は徐々に情けない顔になりながら、行き場を失ったフォークを見つめていた。
「なんなんだよ」
状況を咀嚼した瞬間、全身の力が抜けて、フォークがカランと落ちた。
乾いた唇を潤そうと、無造作にカップを手に取って、飲み干した。
(あれ? もうなかったはずだけど……)
手元を見ると、さっきまで音流が口をつけていたカップを握っていた。
耳まで真っ赤にした陸は、テーブルをトンと叩いたのだった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

隣の優等生は、デブ活に命を捧げたいっ
椎名 富比路
青春
女子高生の尾村いすゞは、実家が大衆食堂をやっている。
クラスの隣の席の優等生細江《ほそえ》 桃亜《ももあ》が、「デブ活がしたい」と言ってきた。
桃亜は学生の身でありながら、アプリ制作会社で就職前提のバイトをしている。
だが、連日の学業と激務によって、常に腹を減らしていた。
料理の腕を磨くため、いすゞは桃亜に協力をする。
やくびょう神とおせっかい天使
倉希あさし
青春
一希児雄(はじめきじお)名義で執筆。疫病神と呼ばれた少女・神崎りこは、誰も不幸に見舞われないよう独り寂しく過ごしていた。ある日、同じクラスの少女・明星アイリがりこに話しかけてきた。アイリに不幸が訪れないよう避け続けるりこだったが…。
無敵のイエスマン
春海
青春
主人公の赤崎智也は、イエスマンを貫いて人間関係を完璧に築き上げ、他生徒の誰からも敵視されることなく高校生活を送っていた。敵がいない、敵無し、つまり無敵のイエスマンだ。赤崎は小学生の頃に、いじめられていた初恋の女の子をかばったことで、代わりに自分がいじめられ、二度とあんな目に遭いたくないと思い、無敵のイエスマンという人格を作り上げた。しかし、赤崎は自分がかばった女の子と再会し、彼女は赤崎の人格を変えようとする。そして、赤崎と彼女の勝負が始まる。赤崎が無敵のイエスマンを続けられるか、彼女が無敵のイエスマンである赤崎を変えられるか。これは、無敵のイエスマンの悲哀と恋と救いの物語。


隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
青天のヘキレキ
ましら佳
青春
⌘ 青天のヘキレキ
高校の保健養護教諭である金沢環《かなざわたまき》。
上司にも同僚にも生徒からも精神的にどつき回される生活。
思わぬ事故に巻き込まれ、修学旅行の引率先の沼に落ちて神将・毘沙門天の手違いで、問題児である生徒と入れ替わってしまう。
可愛い女子とイケメン男子ではなく、オバちゃんと問題児の中身の取り違えで、ギャップの大きい生活に戸惑い、落としどころを探って行く。
お互いの抱えている問題に、否応なく向き合って行くが・・・・。
出会いは化学変化。
いわゆる“入れ替わり”系のお話を一度書いてみたくて考えたものです。
お楽しみいただけますように。
他コンテンツにも掲載中です。
燦歌を乗せて
河島アドミ
青春
「燦歌彩月第六作――」その先の言葉は夜に消える。
久慈家の名家である天才画家・久慈色助は大学にも通わず怠惰な毎日をダラダラと過ごす。ある日、久慈家を勘当されホームレス生活がスタートすると、心を奪われる被写体・田中ゆかりに出会う。
第六作を描く。そう心に誓った色助は、己の未熟とホームレス生活を満喫しながら作品へ向き合っていく。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる