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第八章 カラスとモナリザと老木は少女の未来を憂う
第六十六話 衝撃の真実
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「同志、あの、もうやめて、ください」
音流のか細い懇願が聞こえていないのか、陸が動きを止めることはない。
「激し、すぎます、から……!」
音流は何かを我慢するように言った。
ギシギシと木材が軋む音が響き渡り、少女の顔は真っ赤な上にひどく歪んでいる。
「周りに聞こえていますから!」
周囲の人々から様々な視線が突き刺さっている。奇異な目。鬱陶しそうな目。憐みの目などなど……。それらにさらされて、思春期の少女が耐えられるわけがない。
「貧乏ゆすりをやめてくださいっ!!」
音流の一喝に、ようやく陸が反応した。
「あ、うん、ごめん……」
ようやく貧乏ゆすりをやめたのを見て、音流は深いため息をついた。
二人は『Brugge喫茶』に来ていた。
最初は一緒に夏休みの宿題を消化していたのだが、今は休憩がてらにティータイムをしている。しかしながら、陸にとっての一大事が起きていたのだ。
「レアチーズケーキが無いからって、そこまでイラつかないでください」
「イライラしてるわけじゃないよ。ただちょっと落ち着かなくて、手足の震えがとまらないだけで」
「禁断症状が出てるじゃないですか。たかがケーキですよ? 同志の体はどうなってるんですか」
楓の諦め半分の言葉に対して、陸は肩をすくめた。
「日向ぼっこが出来なくて、熱を出した人には言われたくないよ」
「日向ぼっこは生きるのには必須なんですよ。ビタミンDの生成や自律神経を整える効能がありますから。日向ぼっこ出来なければ体調が崩れるのは、自明の理です」
「たった三日だけだったんだけど」
「ウチにとっては死活問題でした。」
「どういう体なんだよ!」
陸としてはやり返したつもりで、鬼の首をとった気分だった。自信満々なしたり顔を見せつけているのだが、音流の方が一枚上手なのだ。
「やっぱりウチと同志は似た者同士のお似合いカップルですね」
「……なんでそういう結論になる」
予想外の返しをされて、陸は照れ隠しにコーヒーカップを傾けた。その様子を見て、音流は満足げにサンドイッチを頬張った。
「そういえば、今日は楓さんが居ませんね。そろそろ夏祭りなので、色々と話し合いたかったんですけど」
音流がなんともなしに言うと、耳ざとく聞きつけた君乃が歩み寄ってきた。
「ごめんね。今日は具合が悪いみたいで。レアチーズケーキも楓しか作れないから」
「えっ!?」と店内中に大声が響き渡った。
「同志、もっと静かにしてください」
「だ、だって、レアチーズケーキ、青木がっ、って!」
陸にとっては驚天動地の出来事で、まともにしゃべることすらできていない。
「そんな不思議なことじゃないじゃないですか。楓さんは毎日手伝っていると言ってましたし」
「そう、かも、だけど……」
楓の前でレアチーズケーキを褒めちぎったことを思い出して、陸は身もだえていた。それをスルーして、音流は話を続ける。
「それにしても、楓さんは大丈夫なんですか?」
「ちょっと具合が悪いみたいで。熱はないんだけどね」
「昨日はあんなことがあったので、仕方ないかもしれませんが……」
「やっぱり何かあったの?」
君乃が目を丸くしたのを見て、音流は「やってしまった」ととっさに口を塞いだ。楓から口止めされていたのに、つい言ってしまったのだ。
「えっと、その……些細なことですよ」
「些細なことでも教えて」
君乃はいつになく真剣な目をしていた。
その後ろで、清水がこっそり逃げ出そうとしていたのだが「なっちゃんは後でゆっくり話そうね」と圧をかけられて、頬を引きつらせた。
「あの、楓さんは心配させたくないから、と」
「それでも言ってほしいの」
この場に、静かに怒る君乃に逆らえる人間は一人もいなかった。
音流は粛々と語り始めた。昨日『Brugge《ブルージュ》喫茶』に楓の祖母が突然来店して、大喧嘩が勃発したこと。祖母が帰った直後、楓が崩れ落ちたこと。
「……そっか」
話を聞き終わると、君乃は考え込みながら
「私のせいだ」と落胆の息を吐いた。
「そんなことはないと思います」
音流が控えめにフォローしても、君乃の顔は全く晴れない。
重い沈黙が始まった、しかしそれは、たった3秒だけのことで、突然「ああああああああ!」と君乃が叫び出した。
「なっちゃん、とびっきり濃いヤツ!」
「もう用意してある」
よくあることなのだろう。清水はまるで百年来の付き人のような所作で、巨大なマグカップを運んできた。
ゴトン、と置かれた、顔よりも大きなマグカップを前に、君乃は深呼吸をした。
なみなみと注がれたコーヒーをグビグビと一息で飲み干していく。口の端からコーヒーが零れてシャツが汚れてもお構いなしだ。
「ぷは――――」
オッサン臭く大口を開けながら、空になったマグカップを置いた。
一気に飲み過ぎただめだろうか、君乃の息には芳しいコーヒーの香りがついていた。しかし次に叫んだのはコーヒーの香りに似合わない言葉だった。
「あんなヤツのせいで落ち込んでいられるか! 血が繋がっているからってなんでもしていいと思うなよ!」
まだ感情をぶつけたりないのか、テーブルをバンと叩きながら立ち上がる。
「今度来たらメチャクチャに潰して骨煎餅にしてやるからな! 覚悟しておけ!」
君乃は相手が目の前にいないのに、激しい啖呵を切った。
「落ち着いたか?」
「なっちゃん、ありがとう。でも黙っていたのとは別問題だからね」
君乃に圧を掛けられても、清水は素知らぬ顔でマグカップを回収していった。しかし頬がヒクヒクと痙攣しているのは隠せていなかった。
すっきりした雰囲気の君乃はゆっくりと座り直して、妹の友人二人に向き直った。
「二人もごめんね。巻き込んじゃって」と君乃が頭を下げると
「全然大丈夫ですよ。楓さんのためなら何のそのです。ウチの貴重な友人ですから」と音流は笑い飛ばし
「僕はただレアチーズケーキが食べたいだけですよ」と陸はぶっきらぼうに言った。
「同志がもっと素直になれば、楓さんと仲良くなれると思うんですけどね」
「別にそんなじゃないし……」
恋人と初恋の相手から生暖かい視線を向けられて、陸は空っぽのコーヒーカップをかじった。
「これからもお店と妹をよろしくね」
そう締めくくると、君乃は晴れ晴れとした様子でカウンターの奥へと消えていった。
音流のか細い懇願が聞こえていないのか、陸が動きを止めることはない。
「激し、すぎます、から……!」
音流は何かを我慢するように言った。
ギシギシと木材が軋む音が響き渡り、少女の顔は真っ赤な上にひどく歪んでいる。
「周りに聞こえていますから!」
周囲の人々から様々な視線が突き刺さっている。奇異な目。鬱陶しそうな目。憐みの目などなど……。それらにさらされて、思春期の少女が耐えられるわけがない。
「貧乏ゆすりをやめてくださいっ!!」
音流の一喝に、ようやく陸が反応した。
「あ、うん、ごめん……」
ようやく貧乏ゆすりをやめたのを見て、音流は深いため息をついた。
二人は『Brugge喫茶』に来ていた。
最初は一緒に夏休みの宿題を消化していたのだが、今は休憩がてらにティータイムをしている。しかしながら、陸にとっての一大事が起きていたのだ。
「レアチーズケーキが無いからって、そこまでイラつかないでください」
「イライラしてるわけじゃないよ。ただちょっと落ち着かなくて、手足の震えがとまらないだけで」
「禁断症状が出てるじゃないですか。たかがケーキですよ? 同志の体はどうなってるんですか」
楓の諦め半分の言葉に対して、陸は肩をすくめた。
「日向ぼっこが出来なくて、熱を出した人には言われたくないよ」
「日向ぼっこは生きるのには必須なんですよ。ビタミンDの生成や自律神経を整える効能がありますから。日向ぼっこ出来なければ体調が崩れるのは、自明の理です」
「たった三日だけだったんだけど」
「ウチにとっては死活問題でした。」
「どういう体なんだよ!」
陸としてはやり返したつもりで、鬼の首をとった気分だった。自信満々なしたり顔を見せつけているのだが、音流の方が一枚上手なのだ。
「やっぱりウチと同志は似た者同士のお似合いカップルですね」
「……なんでそういう結論になる」
予想外の返しをされて、陸は照れ隠しにコーヒーカップを傾けた。その様子を見て、音流は満足げにサンドイッチを頬張った。
「そういえば、今日は楓さんが居ませんね。そろそろ夏祭りなので、色々と話し合いたかったんですけど」
音流がなんともなしに言うと、耳ざとく聞きつけた君乃が歩み寄ってきた。
「ごめんね。今日は具合が悪いみたいで。レアチーズケーキも楓しか作れないから」
「えっ!?」と店内中に大声が響き渡った。
「同志、もっと静かにしてください」
「だ、だって、レアチーズケーキ、青木がっ、って!」
陸にとっては驚天動地の出来事で、まともにしゃべることすらできていない。
「そんな不思議なことじゃないじゃないですか。楓さんは毎日手伝っていると言ってましたし」
「そう、かも、だけど……」
楓の前でレアチーズケーキを褒めちぎったことを思い出して、陸は身もだえていた。それをスルーして、音流は話を続ける。
「それにしても、楓さんは大丈夫なんですか?」
「ちょっと具合が悪いみたいで。熱はないんだけどね」
「昨日はあんなことがあったので、仕方ないかもしれませんが……」
「やっぱり何かあったの?」
君乃が目を丸くしたのを見て、音流は「やってしまった」ととっさに口を塞いだ。楓から口止めされていたのに、つい言ってしまったのだ。
「えっと、その……些細なことですよ」
「些細なことでも教えて」
君乃はいつになく真剣な目をしていた。
その後ろで、清水がこっそり逃げ出そうとしていたのだが「なっちゃんは後でゆっくり話そうね」と圧をかけられて、頬を引きつらせた。
「あの、楓さんは心配させたくないから、と」
「それでも言ってほしいの」
この場に、静かに怒る君乃に逆らえる人間は一人もいなかった。
音流は粛々と語り始めた。昨日『Brugge《ブルージュ》喫茶』に楓の祖母が突然来店して、大喧嘩が勃発したこと。祖母が帰った直後、楓が崩れ落ちたこと。
「……そっか」
話を聞き終わると、君乃は考え込みながら
「私のせいだ」と落胆の息を吐いた。
「そんなことはないと思います」
音流が控えめにフォローしても、君乃の顔は全く晴れない。
重い沈黙が始まった、しかしそれは、たった3秒だけのことで、突然「ああああああああ!」と君乃が叫び出した。
「なっちゃん、とびっきり濃いヤツ!」
「もう用意してある」
よくあることなのだろう。清水はまるで百年来の付き人のような所作で、巨大なマグカップを運んできた。
ゴトン、と置かれた、顔よりも大きなマグカップを前に、君乃は深呼吸をした。
なみなみと注がれたコーヒーをグビグビと一息で飲み干していく。口の端からコーヒーが零れてシャツが汚れてもお構いなしだ。
「ぷは――――」
オッサン臭く大口を開けながら、空になったマグカップを置いた。
一気に飲み過ぎただめだろうか、君乃の息には芳しいコーヒーの香りがついていた。しかし次に叫んだのはコーヒーの香りに似合わない言葉だった。
「あんなヤツのせいで落ち込んでいられるか! 血が繋がっているからってなんでもしていいと思うなよ!」
まだ感情をぶつけたりないのか、テーブルをバンと叩きながら立ち上がる。
「今度来たらメチャクチャに潰して骨煎餅にしてやるからな! 覚悟しておけ!」
君乃は相手が目の前にいないのに、激しい啖呵を切った。
「落ち着いたか?」
「なっちゃん、ありがとう。でも黙っていたのとは別問題だからね」
君乃に圧を掛けられても、清水は素知らぬ顔でマグカップを回収していった。しかし頬がヒクヒクと痙攣しているのは隠せていなかった。
すっきりした雰囲気の君乃はゆっくりと座り直して、妹の友人二人に向き直った。
「二人もごめんね。巻き込んじゃって」と君乃が頭を下げると
「全然大丈夫ですよ。楓さんのためなら何のそのです。ウチの貴重な友人ですから」と音流は笑い飛ばし
「僕はただレアチーズケーキが食べたいだけですよ」と陸はぶっきらぼうに言った。
「同志がもっと素直になれば、楓さんと仲良くなれると思うんですけどね」
「別にそんなじゃないし……」
恋人と初恋の相手から生暖かい視線を向けられて、陸は空っぽのコーヒーカップをかじった。
「これからもお店と妹をよろしくね」
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