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第六章 チョメチョメを持つ不思議ちゃんの日常
第五十四話 魚屋さんは輝いている
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「いつもわるいねぇ」
「そんなことないですよ」
老人の訛り口調を難なく聞き取りながら、楓は愛想笑いを浮かべている。
商店街にて、お店の手伝いやら雑用をこなしている最中だ。
商店街は、老人ばかりで不便の多い場所だ。だからこそ『人助け』にあふれている。『人助け』に飢えている少女にとっては、格好の狩場だ。
「ほら、待ってたんだよ」
楓は呼ばれるままに駆けずり回る。
電気屋さんの肩を揉み、八百屋さんの腰を揉み、駄菓子屋の手伝いをした。
店を出る度にお菓子やジュースを抱えて出てくる。そんな様子を、カラス兄は遠目で見ていた。
(本当はいらないんだけど)
楓はもらったお菓子を自分で食べないようにしていた。余程お腹の減ったときは手を出すものだが、基本的には小学生達に配っている。
「それにしても、楓ちゃんも素直になったね」
魚屋のおばさんに言われて、楓は目を丸くした。
魚屋のおばさんは四十台前後であるが、商店街の中では若手だ。そのせいか楓と交わす言葉数は一番多く、気心の知れた関係だ。
「わたし、そんなに素直じゃなかったですか?」
「だって、最初はお菓子を渡そうとしても、断ろうとしてたじゃない。今は受け取ってくれてうれしいわ」
「『人助け』ですから」
「あら、人助けだからって、お礼をもらってはいけない、なんてないわよ。"ありがとう"の気持ちはね、鮮度が大事なの。すぐに渡さないと魚の眼みたいに濁っちゃう」
「お菓子じゃないですか」
そう言いながら、もらったお菓子を持ち上げる。
「みんなお菓子に込めてるの。旬のサンマみたいにキラキラな”ありがとう”を」
「魚屋さんっぽい表現ですね」
魚屋さんは腕まくりをして、力こぶを作ったかと思うと、高らかに宣言する。
「そりゃそうよ。わたしは魚屋をするために生まれてきたんだから」
歯を見せる無邪気な笑顔が、輝いて見えた。海中に降り注ぐ太陽光のように力強くて暖かい。
チクリ、と魚の小骨がつっかえたような痛みを感じた。同時に、魚屋さんの笑顔に魅了されて、目を離せなくなっていた。海中から太陽を見上げる小魚のような気分だ。
あまりにも眩しくて、尊いもののように思えた。
だからこそ、楓はあることを訊きたくなった。
「もし——もし、魚屋が続けられなくなったら、どうするんですか?」
楓の突然の質問に対して、魚屋さんは迷いも惑いもなく返す。
「マグロってね、呼吸するために泳ぎ続けないといけないんだよ。知ってる?
普通の魚はエラ——呼吸専用の口をパクパク動かして呼吸しているけど、マグロはそれを動かせないの。
泳いで口から海水を取り込んで、エラで酸素を取って呼吸をしてる。人間で例えるなら、口だけでは呼吸が苦しいから、走り回って肺に空気を入れてる感じかな」
「それは大変そうですね」
楓は突然始まったウンチクに眉をひそめた。
「私にとっての酸素はお魚。ううん、お魚が"好き"って気持ち。
これがないと生きていけないし、お魚を求めるためにずっと走り続ける。だって、新鮮なお魚ってキラキラ輝いていて、切って刺身にしても宝石みたいに透き通っていて、食べて笑顔になれる。ついでに頭もよくなっちゃう。完璧な食べものでしょ。
そんなの無いと生きていけないじゃない」
楓は店に並べられた魚の数々を見渡した。もう息もしていないはずなのに、キラキラ輝いていて生命力がみなぎっているように見えた。
きっとそれは魚だけの力ではない。魚屋さんの熱意がそう見せているのだろう。
「どうしてそんなに魚が好きになれるんですか?」
「魚が魅力的すぎるのがわるいんだよ」
「でも、ほかにも魅力的なのはいっぱいありますよ」
楓は理解できなかった。いや、理解しようとしている。
なぜ魚屋さんがそれほど魚に夢中になれるのか。なぜ夢中になっている姿が眩しくみえるのか。なぜその姿に魅了されてしまうのか。
知ることで、自分が抱えている漠然とした不安が晴れる気がした。
「私にはお魚を好きになるように生まれてきた、ってだけのことかな。
お魚がキレイに見える目があって、おいしく感じる舌がついてる。器用にさばける手先もあるし、魚の匂いをかぐわしいと感じる鼻もある。
私は魚を好きになれる才能を持って生まれてきた、と思ってる」
「好きになれる才能……」
楓は静かに反芻した。魚屋さんは優し気な顔で、楓の頭を撫でた。
「もし、魚屋が続けられなくなったとしても、お魚を嫌いになっても、後悔はしない。好きだった経験は無駄にならないから。次に活かせばいい」
「次、ですか……。好きに次があるんですか? 好きってそんなものなんですか?」
楓の質問に、魚屋さんは穏やかに答えていく。
「私はね。”好き”は遺伝子に刻まれていると信じてる。だって、心なんてあやふやなものに収めるには、”好き”は大きすぎるでしょ。
”好き”はね、きっと、生まれるものでも消えるものでもない。
見つけて信じるもの」
無意識に自分の胸に手を当てる。なんだか温かくなっている気がした。
「きっと楓ちゃんにも、好きなものがあるはずだよ。気づいていないだけ」
「……そうなんですかね? でも、好きだったものが、嫌いになることだってありますよね。もし、本当に"好き"が生まれつきだったら、嫌いになったらどうすればいいんですか?」
フラッシュバックする。楓は好きだったものが嫌いになる絶望を味わったことがある。話の出来る動物達に囲まれた穏やかな日々が、一つの間違いで牙を剥くことだってある。
「それはね、"好き"が"嫌い"になったんじゃないの。本当の”好き”じゃなかったってことだよ。"嫌い"を"好き"だと勘違いしていただけ。
そうなったら、また本当の"好き"をまた探しに行けばいい」
楓は困惑しながら
「好きと嫌いを間違えないですよ」と言った。
「あら? そんなことないわよ。"好き"の反対は"無関心"だって言うし、人はよく間違える生き物だから。
例えば、サケは白身魚だし、ブリやアジは赤身魚なのよ」
「え? そうなんですか?」
楓は驚きのあまり目を丸くした。店頭に並んでいるサケの身は見るからに赤く、ブリやアジの身はどちらかと言えば白い。
「赤身と白身の違いって、魚の身に含まれるミオグロビンとかヘモグロビンっていう成分の量によって決まるの。少なければ白身魚。多ければ赤身魚。ブリは脂がのってたり火を通せば白くなるし、サケはエビやカニを食べてるから赤くなるの」
「え? 食べる物で身の色が変わるんですか?」
「そうなの。よく考えてみて。スーパーの塩鮭は真っ赤なのに、お寿司で出てくるサーモンってキレイなオレンジ色でしょ? あれは養殖で与えるエサで色を調整しているの」
楓はあ、そうか、と声を出した。サーモンは鮭の英語名だが、どこか別物だと思っていた。
「意外なことばっかりで、頭が混乱してきました……」
困惑顔の少女を見て、魚屋はしたり顔を浮かべた。
「そう。この世界は意外なことばっかり。だから、"嫌い"を"好き"と間違えてもおかしくないと思わない? それに、そう考えるとちょっと楽しくなるでしょ?」
「楽しい、ですか?」
「そう。人生をかけた"好き"の間違い探し。目に映るすべてが本当の"好き"かもしれないんだよ。私の"好き"はあれなのかな、これなのかな。ワクワクしながら探して、私は魚を"好き"って気づいた。
もし嫌いになっても、次の"好き"を見つければいいだけ」
「それって、とてつもなく大変じゃないですか?」
楓は荒野を想像していた。とてつもなく広くて、見ているだけで嫌気がさしてしまいそうな砂漠。その中から小さなオアシスを探すようなものだ、と考えていた。
「ごめんごめん。私の言い方がちょっとわるかったかも。若者の人生って広いものね。もっと気楽にいこうよ。
縁日で食べ歩きするのと一緒。あの露店の食べ物がおいしそうと思って買ったら実際はおいしくなかったり、食わず嫌いしていたものを試しに食べてみたら、すごくおいしかったり。
そんな風に味を確かめるのも楽しいでしょ。
本当の"好き"探しもそんな感じに楽しめると思うんだ」
ふと幼い頃、初めて行った夏祭りを思い出した。
はじめて見る屋台や食べ物ばかりで、興奮したことを今でも覚えている。
見て回るだけでも楽しくて、予想以上に塩辛いイカ焼きに泣いたり、大きなリンゴ飴を恐る恐る舐めたりしていた。
毎年足を運ぶにつれて、チョコバナナを絶対に買うようになっていた。
(そっか。そんなことでいいんだ)
チョコバナナは最近は甘すぎて食べていない。三年前ぐらいから、お気に入りがイチゴ飴に変わっている。
そんな程度のことなのかもしれない。
見方や解釈によっては、荒野を彷徨う行為が、屋台巡りに変わった。
興奮して、楓の鼻息が自然と荒くなる。
「魚屋さんはすごいですね。ありがとうございます」
「ほら、できているじゃない」
「え?」
何のことを言われたのか分からずに、頭を傾げた。
「言ってくれたでしょ、"ありがとう"って。ピチピチで活きのいい"ありがとう"だったよ。私すごくうれしい。どう? 楓ちゃんは"ありがとう"を受け取ってもらえて、どんな気持ち?」
自分の口角が上がっていることに気づいて、少し恥ずかしい気持ちになった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
魚屋さんは楓に向き直って、包容力のある笑顔を見せた。
「じゃあ私からも。いつもありがとうね」と言いながら魚屋さんはマグロの中落が詰まったパックを楓に手渡す。
「……どういたしまして」
たどたどしい動きで受け取る。
中落ちは鮮やかな赤色で、太陽光が当たるとルビーのように輝いて見えた。
「今年の夏祭りに、マグロの解体ショーをやる予定なの。絶対に見に来て。さすがにそんなに大きいものじゃないけど」
楓はとっさに受け取ったマグロの中落ちを見た。
(あれ、これは練習の副産物なのかな?)
深く考えないことにして、持ち帰ることにした。
夕食で食べた中落ちは身悶えする程おいしかった。
「そんなことないですよ」
老人の訛り口調を難なく聞き取りながら、楓は愛想笑いを浮かべている。
商店街にて、お店の手伝いやら雑用をこなしている最中だ。
商店街は、老人ばかりで不便の多い場所だ。だからこそ『人助け』にあふれている。『人助け』に飢えている少女にとっては、格好の狩場だ。
「ほら、待ってたんだよ」
楓は呼ばれるままに駆けずり回る。
電気屋さんの肩を揉み、八百屋さんの腰を揉み、駄菓子屋の手伝いをした。
店を出る度にお菓子やジュースを抱えて出てくる。そんな様子を、カラス兄は遠目で見ていた。
(本当はいらないんだけど)
楓はもらったお菓子を自分で食べないようにしていた。余程お腹の減ったときは手を出すものだが、基本的には小学生達に配っている。
「それにしても、楓ちゃんも素直になったね」
魚屋のおばさんに言われて、楓は目を丸くした。
魚屋のおばさんは四十台前後であるが、商店街の中では若手だ。そのせいか楓と交わす言葉数は一番多く、気心の知れた関係だ。
「わたし、そんなに素直じゃなかったですか?」
「だって、最初はお菓子を渡そうとしても、断ろうとしてたじゃない。今は受け取ってくれてうれしいわ」
「『人助け』ですから」
「あら、人助けだからって、お礼をもらってはいけない、なんてないわよ。"ありがとう"の気持ちはね、鮮度が大事なの。すぐに渡さないと魚の眼みたいに濁っちゃう」
「お菓子じゃないですか」
そう言いながら、もらったお菓子を持ち上げる。
「みんなお菓子に込めてるの。旬のサンマみたいにキラキラな”ありがとう”を」
「魚屋さんっぽい表現ですね」
魚屋さんは腕まくりをして、力こぶを作ったかと思うと、高らかに宣言する。
「そりゃそうよ。わたしは魚屋をするために生まれてきたんだから」
歯を見せる無邪気な笑顔が、輝いて見えた。海中に降り注ぐ太陽光のように力強くて暖かい。
チクリ、と魚の小骨がつっかえたような痛みを感じた。同時に、魚屋さんの笑顔に魅了されて、目を離せなくなっていた。海中から太陽を見上げる小魚のような気分だ。
あまりにも眩しくて、尊いもののように思えた。
だからこそ、楓はあることを訊きたくなった。
「もし——もし、魚屋が続けられなくなったら、どうするんですか?」
楓の突然の質問に対して、魚屋さんは迷いも惑いもなく返す。
「マグロってね、呼吸するために泳ぎ続けないといけないんだよ。知ってる?
普通の魚はエラ——呼吸専用の口をパクパク動かして呼吸しているけど、マグロはそれを動かせないの。
泳いで口から海水を取り込んで、エラで酸素を取って呼吸をしてる。人間で例えるなら、口だけでは呼吸が苦しいから、走り回って肺に空気を入れてる感じかな」
「それは大変そうですね」
楓は突然始まったウンチクに眉をひそめた。
「私にとっての酸素はお魚。ううん、お魚が"好き"って気持ち。
これがないと生きていけないし、お魚を求めるためにずっと走り続ける。だって、新鮮なお魚ってキラキラ輝いていて、切って刺身にしても宝石みたいに透き通っていて、食べて笑顔になれる。ついでに頭もよくなっちゃう。完璧な食べものでしょ。
そんなの無いと生きていけないじゃない」
楓は店に並べられた魚の数々を見渡した。もう息もしていないはずなのに、キラキラ輝いていて生命力がみなぎっているように見えた。
きっとそれは魚だけの力ではない。魚屋さんの熱意がそう見せているのだろう。
「どうしてそんなに魚が好きになれるんですか?」
「魚が魅力的すぎるのがわるいんだよ」
「でも、ほかにも魅力的なのはいっぱいありますよ」
楓は理解できなかった。いや、理解しようとしている。
なぜ魚屋さんがそれほど魚に夢中になれるのか。なぜ夢中になっている姿が眩しくみえるのか。なぜその姿に魅了されてしまうのか。
知ることで、自分が抱えている漠然とした不安が晴れる気がした。
「私にはお魚を好きになるように生まれてきた、ってだけのことかな。
お魚がキレイに見える目があって、おいしく感じる舌がついてる。器用にさばける手先もあるし、魚の匂いをかぐわしいと感じる鼻もある。
私は魚を好きになれる才能を持って生まれてきた、と思ってる」
「好きになれる才能……」
楓は静かに反芻した。魚屋さんは優し気な顔で、楓の頭を撫でた。
「もし、魚屋が続けられなくなったとしても、お魚を嫌いになっても、後悔はしない。好きだった経験は無駄にならないから。次に活かせばいい」
「次、ですか……。好きに次があるんですか? 好きってそんなものなんですか?」
楓の質問に、魚屋さんは穏やかに答えていく。
「私はね。”好き”は遺伝子に刻まれていると信じてる。だって、心なんてあやふやなものに収めるには、”好き”は大きすぎるでしょ。
”好き”はね、きっと、生まれるものでも消えるものでもない。
見つけて信じるもの」
無意識に自分の胸に手を当てる。なんだか温かくなっている気がした。
「きっと楓ちゃんにも、好きなものがあるはずだよ。気づいていないだけ」
「……そうなんですかね? でも、好きだったものが、嫌いになることだってありますよね。もし、本当に"好き"が生まれつきだったら、嫌いになったらどうすればいいんですか?」
フラッシュバックする。楓は好きだったものが嫌いになる絶望を味わったことがある。話の出来る動物達に囲まれた穏やかな日々が、一つの間違いで牙を剥くことだってある。
「それはね、"好き"が"嫌い"になったんじゃないの。本当の”好き”じゃなかったってことだよ。"嫌い"を"好き"だと勘違いしていただけ。
そうなったら、また本当の"好き"をまた探しに行けばいい」
楓は困惑しながら
「好きと嫌いを間違えないですよ」と言った。
「あら? そんなことないわよ。"好き"の反対は"無関心"だって言うし、人はよく間違える生き物だから。
例えば、サケは白身魚だし、ブリやアジは赤身魚なのよ」
「え? そうなんですか?」
楓は驚きのあまり目を丸くした。店頭に並んでいるサケの身は見るからに赤く、ブリやアジの身はどちらかと言えば白い。
「赤身と白身の違いって、魚の身に含まれるミオグロビンとかヘモグロビンっていう成分の量によって決まるの。少なければ白身魚。多ければ赤身魚。ブリは脂がのってたり火を通せば白くなるし、サケはエビやカニを食べてるから赤くなるの」
「え? 食べる物で身の色が変わるんですか?」
「そうなの。よく考えてみて。スーパーの塩鮭は真っ赤なのに、お寿司で出てくるサーモンってキレイなオレンジ色でしょ? あれは養殖で与えるエサで色を調整しているの」
楓はあ、そうか、と声を出した。サーモンは鮭の英語名だが、どこか別物だと思っていた。
「意外なことばっかりで、頭が混乱してきました……」
困惑顔の少女を見て、魚屋はしたり顔を浮かべた。
「そう。この世界は意外なことばっかり。だから、"嫌い"を"好き"と間違えてもおかしくないと思わない? それに、そう考えるとちょっと楽しくなるでしょ?」
「楽しい、ですか?」
「そう。人生をかけた"好き"の間違い探し。目に映るすべてが本当の"好き"かもしれないんだよ。私の"好き"はあれなのかな、これなのかな。ワクワクしながら探して、私は魚を"好き"って気づいた。
もし嫌いになっても、次の"好き"を見つければいいだけ」
「それって、とてつもなく大変じゃないですか?」
楓は荒野を想像していた。とてつもなく広くて、見ているだけで嫌気がさしてしまいそうな砂漠。その中から小さなオアシスを探すようなものだ、と考えていた。
「ごめんごめん。私の言い方がちょっとわるかったかも。若者の人生って広いものね。もっと気楽にいこうよ。
縁日で食べ歩きするのと一緒。あの露店の食べ物がおいしそうと思って買ったら実際はおいしくなかったり、食わず嫌いしていたものを試しに食べてみたら、すごくおいしかったり。
そんな風に味を確かめるのも楽しいでしょ。
本当の"好き"探しもそんな感じに楽しめると思うんだ」
ふと幼い頃、初めて行った夏祭りを思い出した。
はじめて見る屋台や食べ物ばかりで、興奮したことを今でも覚えている。
見て回るだけでも楽しくて、予想以上に塩辛いイカ焼きに泣いたり、大きなリンゴ飴を恐る恐る舐めたりしていた。
毎年足を運ぶにつれて、チョコバナナを絶対に買うようになっていた。
(そっか。そんなことでいいんだ)
チョコバナナは最近は甘すぎて食べていない。三年前ぐらいから、お気に入りがイチゴ飴に変わっている。
そんな程度のことなのかもしれない。
見方や解釈によっては、荒野を彷徨う行為が、屋台巡りに変わった。
興奮して、楓の鼻息が自然と荒くなる。
「魚屋さんはすごいですね。ありがとうございます」
「ほら、できているじゃない」
「え?」
何のことを言われたのか分からずに、頭を傾げた。
「言ってくれたでしょ、"ありがとう"って。ピチピチで活きのいい"ありがとう"だったよ。私すごくうれしい。どう? 楓ちゃんは"ありがとう"を受け取ってもらえて、どんな気持ち?」
自分の口角が上がっていることに気づいて、少し恥ずかしい気持ちになった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
魚屋さんは楓に向き直って、包容力のある笑顔を見せた。
「じゃあ私からも。いつもありがとうね」と言いながら魚屋さんはマグロの中落が詰まったパックを楓に手渡す。
「……どういたしまして」
たどたどしい動きで受け取る。
中落ちは鮮やかな赤色で、太陽光が当たるとルビーのように輝いて見えた。
「今年の夏祭りに、マグロの解体ショーをやる予定なの。絶対に見に来て。さすがにそんなに大きいものじゃないけど」
楓はとっさに受け取ったマグロの中落ちを見た。
(あれ、これは練習の副産物なのかな?)
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