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第六章 チョメチョメを持つ不思議ちゃんの日常
第五十二話 『人助け』は断れない
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夏休みに入り、中学校の校庭はさらに活気づいていた。大会に向けて集中しているのか、真夏の日照りにも負けない熱量を放っている。
そんな青春から少し離れた体育館の裏。日陰で楓と少女は向かい合っている。
「ねえ、一生のお願い」
少女は手を擦りながら頭を下げた。
少女は女子バレー部の部長だ。薄ピンクのジャージを着ていても目立つ色白な肌が印象的で、深層の令嬢を思わせる佇まいだ。しかし高飛車というわけではなく、おっとりした雰囲気があり、親しみやすい気品が漂っている。
音流は黒髪のポニーテールから漂う高級シャンプーの匂いに鼻腔をくすぐられながら、くだらないことを考えていた。
(部長の一生のお願いって、何度聞いたかな)
それが何回だったとしても、取る行動は決まっている。
「うん。わかった」
楓は迷いなく快諾した。頼まれれば断るという選択肢はない。『人助け』だから。
そうして音流は選手の代役を請け負った。
種目はバレーボール。楓の得意な球技だった。背は決して高くないのだが、楓には運動部顔負けの運動神経がある。
(これで何度目だっけ)
楓は数えきれないほど、バレーボールの代役に指名されていた。部外者から見れば部員の一人にしか見えないだろう。
(なにやってるんだろう、わたし)
部長から渡された入部届を思い出した。今も机の引き出しにしまっている。
(入部したら『人助け』にならなくなるから)
部員になれば、『人助け』から部活動になる。日々『人助け』のノルマに追われている楓にとって、それは許容できないことだった。
【人助けをして生きていきなさい。君は――】
老木の遺言の幻聴が聞こえて、「わかってる」と誰にも聞こえないように小さく呟いた。
「じゃあ、よろしくね」
「あ、うん。任せて」
話は一旦区切りがついた。
(ん? あれ、部長まだいる)
しかし部長はまだ去ろうとはしなかった。いつもなら部長は慌ただしく部活動に戻っているはずなのに、だ。
楓が不思議そうな顔をしていると、部長は意を決して口を開く。
「ねえ、楓ちゃん。今度、お店に行っていい?」
"お店"とは楓の家でもある『Brugge喫茶』のことだろう。
「うん。いいよ。いつでも来て。サービスするよ」
「レアチーズケーキが評判だから、楽しみ」
一瞬、脳裏に鈴木陸の顔がチラついた。レアチーズケーキが話題になっているのは、陸の影響が大きい。あまりにもおいしそうに食べるものだから、他のお客さんが感化されたのだ。それからは評判が評判を呼び、今やレアチーズケーキ目当てのお客さんも少なくはない。
その火付け役の鈴木陸なのだ。
陸の"おいしい"を伝える力は一種の才能と言えるだろう。いっそのこと食レポで生きていけばいいのに、と楓は無責任に考えている。
「ありがとう」
部長は丁寧にお辞儀をして去っていった。
(これでひとつ)
楓は人差し指を伸ばして数えた。
(ありがとう、は『人助け』をした証だ)
どうすれば『人助け』になるのか。明確な答えを求めて、導き出した結論だった。楓は一日に5回以上ありがとうと言われることを目標にしている。
目標の5回のありがとうをもらって、楓は校門をくぐった。
すると、偶然、校門の前で話していた帰りがけの女子バレー部と鉢合わせになった。
「あ……」
気づいた部長から手を振られて、楓は小さく手を振り返した。その様子に気付いた他の部員たちに「またね」「ありがとうね」「ばいばーい」と声を掛けられて、胸がいっぱいになった。
しかしずっとそこにいるのに、なぜか恐怖を感じて、足早に走り去ってしまった。バレー部員たちの姿が見えなくなって、つい振り向く。もちろん、そこには誰の姿もない。
(悪いことしたかな)
ふとあることに気付いて、自分の手のひらをじっと見つめる。
(そういえば、いつもなら握手してくれるのに……)
普段なら、部長は楓の手を握ってお礼を言う。しかし今日は特になかった。ただ『Brugge喫茶』に行っていいか訊く緊張で忘れていただけかもしれない。そうわかっていても、モヤッとした気持ちが残っている。
振り切るように、夕日を背に楓は走り出す。
『Brugge喫茶』の前につくと、楓は頬を叩いて気分を入れ替えた。
今から家に帰ってカフェのお手伝いだ。
「ぼおおおおおおおおおおおのおおおぉぉぉぉぉ!!!」
カフェに入ると、レアチーズケーキを片手に奇声をあげる陸の姿があった。
そんな青春から少し離れた体育館の裏。日陰で楓と少女は向かい合っている。
「ねえ、一生のお願い」
少女は手を擦りながら頭を下げた。
少女は女子バレー部の部長だ。薄ピンクのジャージを着ていても目立つ色白な肌が印象的で、深層の令嬢を思わせる佇まいだ。しかし高飛車というわけではなく、おっとりした雰囲気があり、親しみやすい気品が漂っている。
音流は黒髪のポニーテールから漂う高級シャンプーの匂いに鼻腔をくすぐられながら、くだらないことを考えていた。
(部長の一生のお願いって、何度聞いたかな)
それが何回だったとしても、取る行動は決まっている。
「うん。わかった」
楓は迷いなく快諾した。頼まれれば断るという選択肢はない。『人助け』だから。
そうして音流は選手の代役を請け負った。
種目はバレーボール。楓の得意な球技だった。背は決して高くないのだが、楓には運動部顔負けの運動神経がある。
(これで何度目だっけ)
楓は数えきれないほど、バレーボールの代役に指名されていた。部外者から見れば部員の一人にしか見えないだろう。
(なにやってるんだろう、わたし)
部長から渡された入部届を思い出した。今も机の引き出しにしまっている。
(入部したら『人助け』にならなくなるから)
部員になれば、『人助け』から部活動になる。日々『人助け』のノルマに追われている楓にとって、それは許容できないことだった。
【人助けをして生きていきなさい。君は――】
老木の遺言の幻聴が聞こえて、「わかってる」と誰にも聞こえないように小さく呟いた。
「じゃあ、よろしくね」
「あ、うん。任せて」
話は一旦区切りがついた。
(ん? あれ、部長まだいる)
しかし部長はまだ去ろうとはしなかった。いつもなら部長は慌ただしく部活動に戻っているはずなのに、だ。
楓が不思議そうな顔をしていると、部長は意を決して口を開く。
「ねえ、楓ちゃん。今度、お店に行っていい?」
"お店"とは楓の家でもある『Brugge喫茶』のことだろう。
「うん。いいよ。いつでも来て。サービスするよ」
「レアチーズケーキが評判だから、楽しみ」
一瞬、脳裏に鈴木陸の顔がチラついた。レアチーズケーキが話題になっているのは、陸の影響が大きい。あまりにもおいしそうに食べるものだから、他のお客さんが感化されたのだ。それからは評判が評判を呼び、今やレアチーズケーキ目当てのお客さんも少なくはない。
その火付け役の鈴木陸なのだ。
陸の"おいしい"を伝える力は一種の才能と言えるだろう。いっそのこと食レポで生きていけばいいのに、と楓は無責任に考えている。
「ありがとう」
部長は丁寧にお辞儀をして去っていった。
(これでひとつ)
楓は人差し指を伸ばして数えた。
(ありがとう、は『人助け』をした証だ)
どうすれば『人助け』になるのか。明確な答えを求めて、導き出した結論だった。楓は一日に5回以上ありがとうと言われることを目標にしている。
目標の5回のありがとうをもらって、楓は校門をくぐった。
すると、偶然、校門の前で話していた帰りがけの女子バレー部と鉢合わせになった。
「あ……」
気づいた部長から手を振られて、楓は小さく手を振り返した。その様子に気付いた他の部員たちに「またね」「ありがとうね」「ばいばーい」と声を掛けられて、胸がいっぱいになった。
しかしずっとそこにいるのに、なぜか恐怖を感じて、足早に走り去ってしまった。バレー部員たちの姿が見えなくなって、つい振り向く。もちろん、そこには誰の姿もない。
(悪いことしたかな)
ふとあることに気付いて、自分の手のひらをじっと見つめる。
(そういえば、いつもなら握手してくれるのに……)
普段なら、部長は楓の手を握ってお礼を言う。しかし今日は特になかった。ただ『Brugge喫茶』に行っていいか訊く緊張で忘れていただけかもしれない。そうわかっていても、モヤッとした気持ちが残っている。
振り切るように、夕日を背に楓は走り出す。
『Brugge喫茶』の前につくと、楓は頬を叩いて気分を入れ替えた。
今から家に帰ってカフェのお手伝いだ。
「ぼおおおおおおおおおおおのおおおぉぉぉぉぉ!!!」
カフェに入ると、レアチーズケーキを片手に奇声をあげる陸の姿があった。
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