47 / 93
第五章 日向ぼっこ好きは台風の目の夢を見る
第四十五話 尊いだけの三文字
しおりを挟む
(こんなことを誰かに言いたくなかったのに)
特に目の前の少年には言いたくなかった。それほどまでに、音流にとって陸は離れがたい存在になっていた。
(ウチは日向ぼっこが好きな女の子。それだけで十分なのに)
それでも音流の口は全てを語ってしまう。一度決壊したダムは止めることはできず、すべてを吐き出すしかない。
「それからずっと、日向ぼっこで死ぬことばかりを考えていました。そうすれば、心が晴れると思っていました」
じいじの畑でのびのびと足を延ばして、風に運ばれてきた野菜の青々しい匂いを嗅ぐ。その時間がどれほど幸福だったのか。失ってから実感した。
「結果がどっちでもいいんです。ただ、知りたいだけなんです」
知りたいだけ――。
知らなければ、あの世でじいじに会えない気がした。
だから答えを求めるのをやめられない。
「ねえ、ウチ、同志のこと好きなんです。恋かなんてわからない。でも、じいじと同じぐらい、好きなんです。なんでも知りたいし、一緒にいたいんです。こうやって触れていたいんです」
音流は勢いのままにすごいことを口走っていた。もう自分でも何を言っているのかわかっていない。
「日向ぼっこはウチを殺してくれません。もう、好きなものなんて他にないんです」
涙で視界が滲んで、目の前の顔すらまともに見れない。
どんな顔をしているのか、どう思われているのか、考えるだけで怖い。だから、涙で何も見えないうちに――心臓の鼓動で何も聞こえないうちに――全部打ち明けて、終わりにしよう。
【だから、ウチを殺してください】
遺すつもりで、言葉にした。
頭の中が真っ白になった。
髪を伝う雨水に、すべての思考を流されたようだった。
陸の腕はさび付き、脚は凍り付いていた。かろうじて息はできるものの、目玉すら自由に動かせない。
しかし鼓膜は音流からの告白の一言一句を漏れずに聞き取り、網膜は泣きじゃくる音流を精細に映し出している。
精神も情緒もぐちゃぐちゃになっていて、脳や胸も熱くなりすぎてドロドロに溶けている。その癖、体の芯は冷え切っていた。
陸はうまく言葉を紡げなかった。
音流は陸の顔をまっすぐ見続けている。悲壮に懇願しながら。
細めた瞳からあふれ出た涙は頬を伝い、陸の太股に落ちた。その涙は、まるで体温のすべてを垂れ流しているような熱さだった。
「殺して、ください」
嗚咽まじりに、残酷な言葉が再び発せられた。
陸の頭の中では色んな否定の言葉が渦巻いていた。
拒否する事は簡単だ。理論的に説き伏せるまでもない。たった一つの拒絶の言葉で済むだろう。
(なんで……!)
しかし、陸は音流を押し倒していた。
陸の脳内を支配していたのは、後悔だった。
昨夜お願いを聞かなかった後悔。音流の状況に全く気付いていなかった後悔。自分がもっとしっかりしていれば、音流がこんなに追い込まれなかったかもしれない。そんな暗い思い達が陸の未熟な心を蝕んでいる。
だからこそ、このお願いからは逃げられない。
気づいたころには、か細い喉に手を掛けていた。
生暖かくて、やわらかくて、ドクンドクンと脈打つ管を締め上げ始める。
(僕は何している……?)
陸は冷静に自分を俯瞰する一方で、今の状況が夢のように感じられて、止めることが出来い。
音流は苦しげにしながらも、目をかすかに開いた。その瞳には歪んだ少年の顔が映っていた。
陸の瞳には理性は残っておらず、ただ一点を見つめている。そこには青白い音流の顔が映っている。
抵抗は徐々に弱くなり始め、瞼が閉じていく。肌は青白さを通り越し、灰のように真っ白になっていく。苦しげな表情が徐々に穏やかなものに変わっていき、大事なものが抜けていく。
その表情が、死んだお祖父ちゃんに重なった。
ハッと我に返った陸は手を離し、飛び退いた。
解放された音流はゲホゲホと何度もせき込みながら、荒い呼吸を繰り返した。
陸は震える自分の手のひらを、見つめ続けていた。まるで信じられないものを目撃したかのように。
同志、なんで……。
そんな声が聞こえた気がした。
音流に視線を移す。徐々に落ち着いてきているが、まだ喉が痛むようでしきりに咳こんでいる。まだ言葉を発せられる状態には見えない。
陸は無意識に音流に手を伸ばそうとしている自分に気付いて、とっさに引っ込めた。一瞬、自分の肩から伸びている腕が、酷く汚れているように見えたからだ。
目の前の少女を気にかけて触れようとした少年の腕は、彼女の首を絞め上げたものなのだ。
その事実に気づいた瞬間、陸は全身の感覚を失った。
固まっていると、ようやく呼吸を整えた音流が振り向いて、視線が合う。音流はまだ思考がはっきりしていないのか、ぼんやりとしていて状況を認識できているかも怪しい様子だ。
彷徨う幽霊のようだ。
その姿を見て、陸は途轍もなく不安に襲われて、無意識に前のめりになる。
イヤッ
たったそれだけの行動に、音流は過敏に反応して小さな悲鳴を上げた。
まるで牙を剥く猛獣を見たリスのように怯えきった姿に、陸の心はグズグズにかき乱された。
「……やってって言ったのはそっちだろ」
陸は思わず、冷たく呟いた。
距離を取ろうとして後ずさると、脱ぎ捨てた服に足を取られてしまい、不運なことに音流の上に覆いかぶさってしまう。
陸はすぐに立ち上がろうとしたのだが、思うように腕に力が入らない。
「……おもい」
音流は心ここにあらずといった様子で、うわ言のように呟いた。
いつの間にか雨音は聞こえなくなっていた。
雲の切れ目から晴天が顔を出して始めている。
音流は陸を見ていなかった。その先。ずっとずっと遠くに目をやっていた。
青天井に手を伸ばし、何かを握り締める。
「じいじ」
さめざめとした唇から、愛おし気に漏らした。
「またね」
それは別れではなかった。
再会を祝福して、誓う。
尊いだけの3文字。
特に目の前の少年には言いたくなかった。それほどまでに、音流にとって陸は離れがたい存在になっていた。
(ウチは日向ぼっこが好きな女の子。それだけで十分なのに)
それでも音流の口は全てを語ってしまう。一度決壊したダムは止めることはできず、すべてを吐き出すしかない。
「それからずっと、日向ぼっこで死ぬことばかりを考えていました。そうすれば、心が晴れると思っていました」
じいじの畑でのびのびと足を延ばして、風に運ばれてきた野菜の青々しい匂いを嗅ぐ。その時間がどれほど幸福だったのか。失ってから実感した。
「結果がどっちでもいいんです。ただ、知りたいだけなんです」
知りたいだけ――。
知らなければ、あの世でじいじに会えない気がした。
だから答えを求めるのをやめられない。
「ねえ、ウチ、同志のこと好きなんです。恋かなんてわからない。でも、じいじと同じぐらい、好きなんです。なんでも知りたいし、一緒にいたいんです。こうやって触れていたいんです」
音流は勢いのままにすごいことを口走っていた。もう自分でも何を言っているのかわかっていない。
「日向ぼっこはウチを殺してくれません。もう、好きなものなんて他にないんです」
涙で視界が滲んで、目の前の顔すらまともに見れない。
どんな顔をしているのか、どう思われているのか、考えるだけで怖い。だから、涙で何も見えないうちに――心臓の鼓動で何も聞こえないうちに――全部打ち明けて、終わりにしよう。
【だから、ウチを殺してください】
遺すつもりで、言葉にした。
頭の中が真っ白になった。
髪を伝う雨水に、すべての思考を流されたようだった。
陸の腕はさび付き、脚は凍り付いていた。かろうじて息はできるものの、目玉すら自由に動かせない。
しかし鼓膜は音流からの告白の一言一句を漏れずに聞き取り、網膜は泣きじゃくる音流を精細に映し出している。
精神も情緒もぐちゃぐちゃになっていて、脳や胸も熱くなりすぎてドロドロに溶けている。その癖、体の芯は冷え切っていた。
陸はうまく言葉を紡げなかった。
音流は陸の顔をまっすぐ見続けている。悲壮に懇願しながら。
細めた瞳からあふれ出た涙は頬を伝い、陸の太股に落ちた。その涙は、まるで体温のすべてを垂れ流しているような熱さだった。
「殺して、ください」
嗚咽まじりに、残酷な言葉が再び発せられた。
陸の頭の中では色んな否定の言葉が渦巻いていた。
拒否する事は簡単だ。理論的に説き伏せるまでもない。たった一つの拒絶の言葉で済むだろう。
(なんで……!)
しかし、陸は音流を押し倒していた。
陸の脳内を支配していたのは、後悔だった。
昨夜お願いを聞かなかった後悔。音流の状況に全く気付いていなかった後悔。自分がもっとしっかりしていれば、音流がこんなに追い込まれなかったかもしれない。そんな暗い思い達が陸の未熟な心を蝕んでいる。
だからこそ、このお願いからは逃げられない。
気づいたころには、か細い喉に手を掛けていた。
生暖かくて、やわらかくて、ドクンドクンと脈打つ管を締め上げ始める。
(僕は何している……?)
陸は冷静に自分を俯瞰する一方で、今の状況が夢のように感じられて、止めることが出来い。
音流は苦しげにしながらも、目をかすかに開いた。その瞳には歪んだ少年の顔が映っていた。
陸の瞳には理性は残っておらず、ただ一点を見つめている。そこには青白い音流の顔が映っている。
抵抗は徐々に弱くなり始め、瞼が閉じていく。肌は青白さを通り越し、灰のように真っ白になっていく。苦しげな表情が徐々に穏やかなものに変わっていき、大事なものが抜けていく。
その表情が、死んだお祖父ちゃんに重なった。
ハッと我に返った陸は手を離し、飛び退いた。
解放された音流はゲホゲホと何度もせき込みながら、荒い呼吸を繰り返した。
陸は震える自分の手のひらを、見つめ続けていた。まるで信じられないものを目撃したかのように。
同志、なんで……。
そんな声が聞こえた気がした。
音流に視線を移す。徐々に落ち着いてきているが、まだ喉が痛むようでしきりに咳こんでいる。まだ言葉を発せられる状態には見えない。
陸は無意識に音流に手を伸ばそうとしている自分に気付いて、とっさに引っ込めた。一瞬、自分の肩から伸びている腕が、酷く汚れているように見えたからだ。
目の前の少女を気にかけて触れようとした少年の腕は、彼女の首を絞め上げたものなのだ。
その事実に気づいた瞬間、陸は全身の感覚を失った。
固まっていると、ようやく呼吸を整えた音流が振り向いて、視線が合う。音流はまだ思考がはっきりしていないのか、ぼんやりとしていて状況を認識できているかも怪しい様子だ。
彷徨う幽霊のようだ。
その姿を見て、陸は途轍もなく不安に襲われて、無意識に前のめりになる。
イヤッ
たったそれだけの行動に、音流は過敏に反応して小さな悲鳴を上げた。
まるで牙を剥く猛獣を見たリスのように怯えきった姿に、陸の心はグズグズにかき乱された。
「……やってって言ったのはそっちだろ」
陸は思わず、冷たく呟いた。
距離を取ろうとして後ずさると、脱ぎ捨てた服に足を取られてしまい、不運なことに音流の上に覆いかぶさってしまう。
陸はすぐに立ち上がろうとしたのだが、思うように腕に力が入らない。
「……おもい」
音流は心ここにあらずといった様子で、うわ言のように呟いた。
いつの間にか雨音は聞こえなくなっていた。
雲の切れ目から晴天が顔を出して始めている。
音流は陸を見ていなかった。その先。ずっとずっと遠くに目をやっていた。
青天井に手を伸ばし、何かを握り締める。
「じいじ」
さめざめとした唇から、愛おし気に漏らした。
「またね」
それは別れではなかった。
再会を祝福して、誓う。
尊いだけの3文字。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
「南風の頃に」~ノダケンとその仲間達~
kitamitio
青春
合格するはずのなかった札幌の超難関高に入学してしまった野球少年の野田賢治は、野球部員たちの執拗な勧誘を逃れ陸上部に入部する。北海道の海沿いの田舎町で育った彼は仲間たちの優秀さに引け目を感じる生活を送っていたが、長年続けて来た野球との違いに戸惑いながらも陸上競技にのめりこんでいく。「自主自律」を校訓とする私服の学校に敢えて詰襟の学生服を着ていくことで自分自身の存在を主張しようとしていた野田賢治。それでも新しい仲間が広がっていく中で少しずつ変わっていくものがあった。そして、隠していた野田賢治自身の過去について少しずつ知らされていく……。

隣の優等生は、デブ活に命を捧げたいっ
椎名 富比路
青春
女子高生の尾村いすゞは、実家が大衆食堂をやっている。
クラスの隣の席の優等生細江《ほそえ》 桃亜《ももあ》が、「デブ活がしたい」と言ってきた。
桃亜は学生の身でありながら、アプリ制作会社で就職前提のバイトをしている。
だが、連日の学業と激務によって、常に腹を減らしていた。
料理の腕を磨くため、いすゞは桃亜に協力をする。
やくびょう神とおせっかい天使
倉希あさし
青春
一希児雄(はじめきじお)名義で執筆。疫病神と呼ばれた少女・神崎りこは、誰も不幸に見舞われないよう独り寂しく過ごしていた。ある日、同じクラスの少女・明星アイリがりこに話しかけてきた。アイリに不幸が訪れないよう避け続けるりこだったが…。
無敵のイエスマン
春海
青春
主人公の赤崎智也は、イエスマンを貫いて人間関係を完璧に築き上げ、他生徒の誰からも敵視されることなく高校生活を送っていた。敵がいない、敵無し、つまり無敵のイエスマンだ。赤崎は小学生の頃に、いじめられていた初恋の女の子をかばったことで、代わりに自分がいじめられ、二度とあんな目に遭いたくないと思い、無敵のイエスマンという人格を作り上げた。しかし、赤崎は自分がかばった女の子と再会し、彼女は赤崎の人格を変えようとする。そして、赤崎と彼女の勝負が始まる。赤崎が無敵のイエスマンを続けられるか、彼女が無敵のイエスマンである赤崎を変えられるか。これは、無敵のイエスマンの悲哀と恋と救いの物語。


隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
燦歌を乗せて
河島アドミ
青春
「燦歌彩月第六作――」その先の言葉は夜に消える。
久慈家の名家である天才画家・久慈色助は大学にも通わず怠惰な毎日をダラダラと過ごす。ある日、久慈家を勘当されホームレス生活がスタートすると、心を奪われる被写体・田中ゆかりに出会う。
第六作を描く。そう心に誓った色助は、己の未熟とホームレス生活を満喫しながら作品へ向き合っていく。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる