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第五章 日向ぼっこ好きは台風の目の夢を見る
第四十四話 太陽の下で死にたかった
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音流は人が死ぬ瞬間に立ち会ったのは初めてだった。しかし直感が、本能が、周囲が、教えてくれた。
ママが叫んだ。
パパが抱き上げた。
ばあばは呆然としていた。
悲劇の舞台の上で、音流だけが冷静になっていた。
皆、そんなことよりも、もっとやるべきことがあるでしょ。救急車を呼ばなくちゃ。いや、ウチが呼べばいいのか。そう考えが至るまで、一息もかからなかった。
おぼつかない手つきで、スマホを取り出して、電話を掛けようとした。しかし何度もロ億解除に失敗して、手間取っていた。緊急通報のボタンの存在は頭から抜けている程、混乱していたのだ。
ようやく119番を押せた。しかしオペレーターの声が聞こえた瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。「あ、ぁ、ア」と言葉と感情が渋滞して、何も情報を伝えられなかった。その様子に気づいたパパが代わって救急車を呼んでくれた。
そんな努力もむなしく、じいじの死亡が確認された。
悲しむ暇もなく、通夜も葬儀も進んでいった。音流はそれらの意味がわからず、ただただ両親の後ろをついて回るだけだった。
「きっと、畑で死ねて幸せだったでしょうね」
精進落としの席で、親戚のさりげない一言が妙に突き刺さった。
「畑が大好きな人だったから」
その親戚はまるで美談かのような口ぶりで語っていた。その人はじいじの入院を知っているにも関わらず、一度も顔を出さないような人だった。そんな人がじいじの想いを語っているのが――いや、自分が同じ考えだったのが嫌だった。
花束を参列者に渡しながら、ずっと考えていた。
――好きなところで死ぬことが幸せなのだろうか。
――好きなことのために死ぬことが幸せなのだろうか。
「おれのはたけ」と繰り返し叫んでいたじいじは、悲痛な顔を浮かべていた。死んだあとも、開きっぱなしの瞳が畑の土で汚れていた。
そんな死に方は、本当に幸せなのだろうか。
【何で俺は生きた】
体を動かせなくなって、ベッドの上ににいるだけの生活。自分で何もできず、定期的に来る看護師や家族に世話をされるだけの日々。ひどい言い方をすれば、じいじは言葉を話せるだけの野菜になっていた。
じいじにとっては、苦痛だったのかもしれない。
でもね、ウチは楽しかったんだよ。
じいじとたくさんお話ができたし、ご飯を食べさせてお礼を言われるのが好きだった。でも、じいじは辛かったの? 死にたい程に。
それなのに、家族のために必死に我慢してくれてたの?
皴だらけの顔の裏では、なにを考えていたのだろうか。
もう訊くことはできない。
遺された人は死人について夢を見ることしかできない。
自分の気持ちが安らぐように勝手に解釈して、穏やかな死後を祈るのが関の山だ。
……本当にそれでいいのだろうか。
ウチは知りたかった。
【なんで俺は生きた】
満足できる答えが知りたかった。
満足するまで、求め続けたかった。
大好きなじいじに、じいじの考えに、半歩だけでも近づきたかった。
【太陽の下で死にたかった】
その時、音流の脳内に光明が差した。
――そうだ。好きなもので死んでみればいいんだ!
ウチの好きなものってなんだろうか。考えるまでもなく、答えはすぐに出た。
日向ぼっこだ。
――日向ぼっこで死んでみればいいんだ!
小学校の卒業式の日の夜、そんな答えに行きついた。
すぐにバカバカしくなり、その時はまだ実行に移す気にはなれなかった。
しかし中学校に進学し、家庭が崩壊し始めたことで、考えが変わった。
じいじの遺産とばあばの老人ホームの問題で、両親の関係は険悪になっていった。
初めて両親が激しい喧嘩をした時、音流は仲裁に入ろうとした。
そうすれば事態が好転すると期待していた。いつもの二人に戻って抱きしめてくれると思っていた。
しかし音流が目の当たりにしたのは家族の温かい愛情ではなく、冷たくて固い酒瓶だった。
予想外の衝撃に耐えられず、転倒してテーブルに頭を打ち付けた。
酒瓶は癇癪を起したママが投げ飛ばしたものだった。
お酒の匂いが漂う中、ママは泣きながら「ごめん、ごめんね……」と謝っていた。
パパは最初「お前のせいだ!」とママに詰め寄ってたのだけど、いつの間にか姿を消していた。
音流の決死の行動は、事態を好転させるどころか火に油を注ぐ結果となった。
頬にできた痣は冷やしても消えなかった。結局、ママから借りたファンデーションで隠して、次の日登校した。中学校の友達には、何もなかったかのようにふるまった。そうでもしないと精神がもちそうになった。
しかし我慢しているだけでは事態は好転するどころか、悪循環に陥るばかりだった。
学校生活は最初うまくいっていたのだが、すんなりと壊れてしまった。
きっかけは、クラスの男子に「何か悩み事があるの?」と訊かれたことだった。その時は適当にはぐらかしたのだが、次の日から女子全員から無視されるようになっていた。
音流は後から知ったのだが、音流に声を掛けた男子と女子グループの中心人物が付き合っていたのだ。嫉妬か敵対心か、その女子は音流を追い出そうとした。
音流は理不尽だと思いながらも耐え続けたのだが、家庭にも学校にも居場所がない状況だ。精神はすり減る一方だった。
いつしか「もういいや」と諦めるようになった。家族も、学校も、楽しむことも、生きることも……。
少し高いところに登ると、ここから落ちたら死ねるのかな、と考えてしまうようになっていた。
そんな時、昔の自分の考えを思い出した。
――日向ぼっこで死んでみればいいんだ!
じいじの想いを知るためにこの命を使えるなら、それでいい。
ベッドの中で涙を流しながら、音流は日向ぼっこで死ぬことを決めた。
――じいじを、逃げる理由にしてしまった。
ママが叫んだ。
パパが抱き上げた。
ばあばは呆然としていた。
悲劇の舞台の上で、音流だけが冷静になっていた。
皆、そんなことよりも、もっとやるべきことがあるでしょ。救急車を呼ばなくちゃ。いや、ウチが呼べばいいのか。そう考えが至るまで、一息もかからなかった。
おぼつかない手つきで、スマホを取り出して、電話を掛けようとした。しかし何度もロ億解除に失敗して、手間取っていた。緊急通報のボタンの存在は頭から抜けている程、混乱していたのだ。
ようやく119番を押せた。しかしオペレーターの声が聞こえた瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。「あ、ぁ、ア」と言葉と感情が渋滞して、何も情報を伝えられなかった。その様子に気づいたパパが代わって救急車を呼んでくれた。
そんな努力もむなしく、じいじの死亡が確認された。
悲しむ暇もなく、通夜も葬儀も進んでいった。音流はそれらの意味がわからず、ただただ両親の後ろをついて回るだけだった。
「きっと、畑で死ねて幸せだったでしょうね」
精進落としの席で、親戚のさりげない一言が妙に突き刺さった。
「畑が大好きな人だったから」
その親戚はまるで美談かのような口ぶりで語っていた。その人はじいじの入院を知っているにも関わらず、一度も顔を出さないような人だった。そんな人がじいじの想いを語っているのが――いや、自分が同じ考えだったのが嫌だった。
花束を参列者に渡しながら、ずっと考えていた。
――好きなところで死ぬことが幸せなのだろうか。
――好きなことのために死ぬことが幸せなのだろうか。
「おれのはたけ」と繰り返し叫んでいたじいじは、悲痛な顔を浮かべていた。死んだあとも、開きっぱなしの瞳が畑の土で汚れていた。
そんな死に方は、本当に幸せなのだろうか。
【何で俺は生きた】
体を動かせなくなって、ベッドの上ににいるだけの生活。自分で何もできず、定期的に来る看護師や家族に世話をされるだけの日々。ひどい言い方をすれば、じいじは言葉を話せるだけの野菜になっていた。
じいじにとっては、苦痛だったのかもしれない。
でもね、ウチは楽しかったんだよ。
じいじとたくさんお話ができたし、ご飯を食べさせてお礼を言われるのが好きだった。でも、じいじは辛かったの? 死にたい程に。
それなのに、家族のために必死に我慢してくれてたの?
皴だらけの顔の裏では、なにを考えていたのだろうか。
もう訊くことはできない。
遺された人は死人について夢を見ることしかできない。
自分の気持ちが安らぐように勝手に解釈して、穏やかな死後を祈るのが関の山だ。
……本当にそれでいいのだろうか。
ウチは知りたかった。
【なんで俺は生きた】
満足できる答えが知りたかった。
満足するまで、求め続けたかった。
大好きなじいじに、じいじの考えに、半歩だけでも近づきたかった。
【太陽の下で死にたかった】
その時、音流の脳内に光明が差した。
――そうだ。好きなもので死んでみればいいんだ!
ウチの好きなものってなんだろうか。考えるまでもなく、答えはすぐに出た。
日向ぼっこだ。
――日向ぼっこで死んでみればいいんだ!
小学校の卒業式の日の夜、そんな答えに行きついた。
すぐにバカバカしくなり、その時はまだ実行に移す気にはなれなかった。
しかし中学校に進学し、家庭が崩壊し始めたことで、考えが変わった。
じいじの遺産とばあばの老人ホームの問題で、両親の関係は険悪になっていった。
初めて両親が激しい喧嘩をした時、音流は仲裁に入ろうとした。
そうすれば事態が好転すると期待していた。いつもの二人に戻って抱きしめてくれると思っていた。
しかし音流が目の当たりにしたのは家族の温かい愛情ではなく、冷たくて固い酒瓶だった。
予想外の衝撃に耐えられず、転倒してテーブルに頭を打ち付けた。
酒瓶は癇癪を起したママが投げ飛ばしたものだった。
お酒の匂いが漂う中、ママは泣きながら「ごめん、ごめんね……」と謝っていた。
パパは最初「お前のせいだ!」とママに詰め寄ってたのだけど、いつの間にか姿を消していた。
音流の決死の行動は、事態を好転させるどころか火に油を注ぐ結果となった。
頬にできた痣は冷やしても消えなかった。結局、ママから借りたファンデーションで隠して、次の日登校した。中学校の友達には、何もなかったかのようにふるまった。そうでもしないと精神がもちそうになった。
しかし我慢しているだけでは事態は好転するどころか、悪循環に陥るばかりだった。
学校生活は最初うまくいっていたのだが、すんなりと壊れてしまった。
きっかけは、クラスの男子に「何か悩み事があるの?」と訊かれたことだった。その時は適当にはぐらかしたのだが、次の日から女子全員から無視されるようになっていた。
音流は後から知ったのだが、音流に声を掛けた男子と女子グループの中心人物が付き合っていたのだ。嫉妬か敵対心か、その女子は音流を追い出そうとした。
音流は理不尽だと思いながらも耐え続けたのだが、家庭にも学校にも居場所がない状況だ。精神はすり減る一方だった。
いつしか「もういいや」と諦めるようになった。家族も、学校も、楽しむことも、生きることも……。
少し高いところに登ると、ここから落ちたら死ねるのかな、と考えてしまうようになっていた。
そんな時、昔の自分の考えを思い出した。
――日向ぼっこで死んでみればいいんだ!
じいじの想いを知るためにこの命を使えるなら、それでいい。
ベッドの中で涙を流しながら、音流は日向ぼっこで死ぬことを決めた。
――じいじを、逃げる理由にしてしまった。
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