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第五章 日向ぼっこ好きは台風の目の夢を見る
第三十七話 影はいつも陸に落ちる
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SNSでのやり取りから一時間後。
音流は申し訳なさそうな顔をぶら下げて、コンビニの前に現れた。
陸は遅くなった理由を聞く気はなかった。それよりも無事に会えた安堵から、長い息を吐いた。しかし音流は溜め息だと思ったのだろう。
「ママに計画がバレました。すみません」と頭を下げた。
開口一番が謝罪だったことに、陸は苛立ちを感じたが顔には出さなかった。
「ノートに計画をまとめていたんですが、机の上で開いたままにして学校に行ってしまいまして……。帰ったら台風より一足早い雷が落ちました」
わざとらしく舌を出してそう言った。空元気なのは、火を見るよりも明らかだ。
「なので台風の目で日向ぼっこできそうにありません。すみません」とまた頭を下げた。
陸はただ謝る音流に対して、苛立ちを感じていた。
「そんなのを聞きに来たんじゃないんだけど」
ぶっきらぼうに言うと、音流は困り眉をさらに下げた。
「えっと、すみません」
もう三度目のすみませんだ、と陸は指折り数えた。そろそろ我慢の限界だった。
「僕が言えた義理は無いけど」
そう前置きしつつ真剣な顔を向ける。
「台風の目で日向ぼっこするなんて危ないよ。最初はワクワクしたけど、台風が近づくにつれて、怖くなってきちゃった。危ないし、下手したら大けがするかもしれない。それに――」
陸はここから失敗に対するフォローにつなげるつもりだった。計画は失敗したけど結果的に良かった、と着地させようとしていた。陸として『台風の目で日向ぼっこ大作戦』の成否よりも、音流の体の方が心配だった。
しかし楓にとっては、それらの言葉は地雷だった。
眼前の少女の顔を見て、二の句を継げなくなった。まるで太陽が消失した瞬間を目撃したような、諦めに満ちた顔をしていた。
「ママと同じことを言いますね」
感情のこもっていない声に、背筋を凍る。
少女の体から生気が抜けていくのを、陸ははっきりと感じ取った。瞳は皆既日食のように虚ろになり、見ているだけで不安が掻き立てられる。
「風邪をひいたっていいじゃないですか。死ぬわけじゃないですよ」
自分自身の命を吐き捨てるように、言い切った。
「ケガしたっていいじゃないですか。死ぬわけじゃない」
徐々に声が大きく、早口になっていく。
「死んだっていいでしょ、どうせつらいことばかりなんだから!!」
少女の慟哭一つで、少年の全身が震えた。
「いつもウチのことなんて見てない癖に。手料理なんて碌に作らないし、帰ってくるのは遅いし、喧嘩ばかりして。いつもお金だけ置いて家にいない人が。なんでこんな時ばっかり!」
普段の彼女からは想像できない程の激しい金切り声が響く。
「もうサイアク。嫌いきらいキライ!」
音流は耳を手で塞いで、イヤイヤと何度も頭を振った。髪は激しく乱れて、冷や汗で濡れた額に貼り付いている。
陸は目の前の光景が信じられずに、思考が追い付いつかなかった。しかしやるべきことは心の奥で理解していた。
(なんとか落ち着かせないと)
ふと思い出したのは妹をなだめる母の姿だった。
恐る恐る腕を持ち上げて、音流の頭に手を乗せる。そっと腕を動かし、撫で始める。ぎこちなくて少し荒っぽいが、目いっぱいの優しさがこもっていた。
効果があったのか、音流の様子が落ち着きはじめる。
「じいじ」
音流はポツリと呟いた。すぐに「あ、えっと、同志……」と慌てたように訂正した。
「すみません。じいじを思い出して、その……」としどろもどろになりながら「ありがとうございます」とお礼を言った。
陸は照れくさくなって手を放して、一歩距離を置いた。
それからしばらく、距離を測るような沈黙が続いた。
ゴロロロロロロ
遠くが一瞬光ったかと思うと、三秒ほど空けて激しい雷の轟音が響き渡った。まだ大分遠いが、台風がにじり寄ってきている。
先に口を開いたのは音流だった。
「えっと、その、一つお願いがあるんです」
青白い唇が、不安から小刻みに震えている。
「今日は帰りたくないんです。明日まで匿ってくれませんか?」
陸は一瞬戸惑った。しかし答えはスルリと出る。
「……さすがに無理だよ」
「……そうですよね。すみません。忘れてください」
音流は泣きはらした目を伏せて、拳を強く握りしめた。その姿はあまりにも儚く見えて、陸の口が自然と動く。
「でも、電話ぐらいならいつでも出るから。何時間だって、何日だって、話を聞くから」
それが陸のできる精いっぱいだった。
陸の言葉を受けて、音流は目を丸くした後、ゆっくりと握りこぶしを胸の前に持ってきた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいますね」
その後二人は別れて、それぞれ帰宅した。
陸ははやる気持ちを抑えられず、早足で道路を突っ切り、玄関を抜け、階段を登って自室に戻った。
ベッドに潜って、布団を頭までかぶって、悶々としていた。手に残る頭を撫でた時の感触がまだ鮮明に残っていた。手を閉じては開いてを何度も繰り返して、その感触を握りしめ続ける。
興奮と不安と期待から到底寝ることもできず、じっとスマホの画面を凝視して、待ち続けた。
なのだが――
結局その夜、スマホが鳴ることは無かった。
音流は申し訳なさそうな顔をぶら下げて、コンビニの前に現れた。
陸は遅くなった理由を聞く気はなかった。それよりも無事に会えた安堵から、長い息を吐いた。しかし音流は溜め息だと思ったのだろう。
「ママに計画がバレました。すみません」と頭を下げた。
開口一番が謝罪だったことに、陸は苛立ちを感じたが顔には出さなかった。
「ノートに計画をまとめていたんですが、机の上で開いたままにして学校に行ってしまいまして……。帰ったら台風より一足早い雷が落ちました」
わざとらしく舌を出してそう言った。空元気なのは、火を見るよりも明らかだ。
「なので台風の目で日向ぼっこできそうにありません。すみません」とまた頭を下げた。
陸はただ謝る音流に対して、苛立ちを感じていた。
「そんなのを聞きに来たんじゃないんだけど」
ぶっきらぼうに言うと、音流は困り眉をさらに下げた。
「えっと、すみません」
もう三度目のすみませんだ、と陸は指折り数えた。そろそろ我慢の限界だった。
「僕が言えた義理は無いけど」
そう前置きしつつ真剣な顔を向ける。
「台風の目で日向ぼっこするなんて危ないよ。最初はワクワクしたけど、台風が近づくにつれて、怖くなってきちゃった。危ないし、下手したら大けがするかもしれない。それに――」
陸はここから失敗に対するフォローにつなげるつもりだった。計画は失敗したけど結果的に良かった、と着地させようとしていた。陸として『台風の目で日向ぼっこ大作戦』の成否よりも、音流の体の方が心配だった。
しかし楓にとっては、それらの言葉は地雷だった。
眼前の少女の顔を見て、二の句を継げなくなった。まるで太陽が消失した瞬間を目撃したような、諦めに満ちた顔をしていた。
「ママと同じことを言いますね」
感情のこもっていない声に、背筋を凍る。
少女の体から生気が抜けていくのを、陸ははっきりと感じ取った。瞳は皆既日食のように虚ろになり、見ているだけで不安が掻き立てられる。
「風邪をひいたっていいじゃないですか。死ぬわけじゃないですよ」
自分自身の命を吐き捨てるように、言い切った。
「ケガしたっていいじゃないですか。死ぬわけじゃない」
徐々に声が大きく、早口になっていく。
「死んだっていいでしょ、どうせつらいことばかりなんだから!!」
少女の慟哭一つで、少年の全身が震えた。
「いつもウチのことなんて見てない癖に。手料理なんて碌に作らないし、帰ってくるのは遅いし、喧嘩ばかりして。いつもお金だけ置いて家にいない人が。なんでこんな時ばっかり!」
普段の彼女からは想像できない程の激しい金切り声が響く。
「もうサイアク。嫌いきらいキライ!」
音流は耳を手で塞いで、イヤイヤと何度も頭を振った。髪は激しく乱れて、冷や汗で濡れた額に貼り付いている。
陸は目の前の光景が信じられずに、思考が追い付いつかなかった。しかしやるべきことは心の奥で理解していた。
(なんとか落ち着かせないと)
ふと思い出したのは妹をなだめる母の姿だった。
恐る恐る腕を持ち上げて、音流の頭に手を乗せる。そっと腕を動かし、撫で始める。ぎこちなくて少し荒っぽいが、目いっぱいの優しさがこもっていた。
効果があったのか、音流の様子が落ち着きはじめる。
「じいじ」
音流はポツリと呟いた。すぐに「あ、えっと、同志……」と慌てたように訂正した。
「すみません。じいじを思い出して、その……」としどろもどろになりながら「ありがとうございます」とお礼を言った。
陸は照れくさくなって手を放して、一歩距離を置いた。
それからしばらく、距離を測るような沈黙が続いた。
ゴロロロロロロ
遠くが一瞬光ったかと思うと、三秒ほど空けて激しい雷の轟音が響き渡った。まだ大分遠いが、台風がにじり寄ってきている。
先に口を開いたのは音流だった。
「えっと、その、一つお願いがあるんです」
青白い唇が、不安から小刻みに震えている。
「今日は帰りたくないんです。明日まで匿ってくれませんか?」
陸は一瞬戸惑った。しかし答えはスルリと出る。
「……さすがに無理だよ」
「……そうですよね。すみません。忘れてください」
音流は泣きはらした目を伏せて、拳を強く握りしめた。その姿はあまりにも儚く見えて、陸の口が自然と動く。
「でも、電話ぐらいならいつでも出るから。何時間だって、何日だって、話を聞くから」
それが陸のできる精いっぱいだった。
陸の言葉を受けて、音流は目を丸くした後、ゆっくりと握りこぶしを胸の前に持ってきた。
「ありがとうございます。お言葉に甘えさせてもらいますね」
その後二人は別れて、それぞれ帰宅した。
陸ははやる気持ちを抑えられず、早足で道路を突っ切り、玄関を抜け、階段を登って自室に戻った。
ベッドに潜って、布団を頭までかぶって、悶々としていた。手に残る頭を撫でた時の感触がまだ鮮明に残っていた。手を閉じては開いてを何度も繰り返して、その感触を握りしめ続ける。
興奮と不安と期待から到底寝ることもできず、じっとスマホの画面を凝視して、待ち続けた。
なのだが――
結局その夜、スマホが鳴ることは無かった。
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