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第五章 日向ぼっこ好きは台風の目の夢を見る
第三十五話 台風の目で日向ぼっこ大作戦
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「最近、雨が多いです。サイアクです」
音流の沈んだ声を聞いた後、陸はどんよりとした空模様を見ながら呟く。
「しばらくは続きそうだな」
その横で音流は不満そうに頬を膨らませながら、傘をクルクル回している。傘や長靴には猫のマスコットキャラクターが印刷されているが、どちらもサイズが小さくて歩きづらそうにしている。
春は息を潜め、夏が近づく中、梅雨を迎えていた。
ニュースを見る度に台風何号と耳にする季節。今年は特別に台風の数が多く、傘や長靴が手放せない日が多い。
放課後、教室で独りでいた音流に声を掛けたことで、一緒に帰路についている。
「ずっと日向ぼっこが出来ていません。このままでは日向ぼっこ欠乏症で死んでしまいます」
音流が深刻な顔で、珍妙なことを言い始めた。
「え? 日向ぼっこをしないと死ぬの?」
「そりゃもう、死んじゃいますよ。全身の皮がシワシワのダルダルになった上に、歯が抜け落ちて、目がぼやけて耳が遠くなり、挙句の果てには腰が曲がって死んじゃいます」
その姿を想像してしまい、恐ろしい、と陸は身を震わせた。しかしすぐに自分の間違いに気づく。
「それって年を取っただけじゃないの?」
「バレましたか」
音流はわざとらしく舌を出して、茶目っ気のある笑顔を見せた後「冗談はさておき」と閑話休題した。
「せめて、青空を一目ぐらい見たいです」
音流は空を見上げて、陸もつられるように目線を上げる。厚く暗い雲に覆われた空が広がるばかりで、切れ目すら見えない。
陸は今朝見たテレビの天気予報を思い出した。曇りのち台風。台風のち曇り。台風一過になることなく、晴れの日は一日もなかった。しばらくは日向ぼっこはできないだろう。
「あー、このままじゃもちませんよ」
口調は軽かったのだが、ふと顔を見ると何かに耐えてているような表情をしていた。陸はしばらく考えた後、軽い気持ちで口を開く。
「いっそのこと台風の目にいくしかないね」
陸としては冗談のつもりだった。しかし音流の口角がつり上がってくのを見て、口に出したことが失敗だったと気づいた。
「いいじゃないですか!」
音流はギラギラと目を輝かせながら、陸に顔を近づけた。陸を夜の校舎探検に誘った時と同等か、それ以上の輝きを放っている。興奮のあまりに陸の手を握りしめ、振り回している。
「想像するだけで興奮します。台風の目で日向ぼっこ!」
音流は興奮のあまり叫んだ上に、水たまりの上を跳ね回り始めた。
「正気!?」と陸は甲高い声で反対したのだが、もはや音流の耳に届くことはなかった。
それどころか
「ロマンがありますよね。周囲では雨が横殴りになっている最中、ど真ん中の晴天の下で眠れるんですよ。考えただけで涎が出てきます」とさらに想像を膨らませていった。
「冷や汗を出してほしいよ。ゆっくり寝ていると豪雨にさらされるよ」
「その刹那の時間を味わいたいのです。風邪を引いても、それは必要経費ってやつです」
音流は零れんばかりの笑みを浮かべて、舞い上がっていた。
そうして日向ぼっこに飢えた少女は『台風の目で日向ぼっこ大作戦』の計画を練り始めた。
手始めにスマホを操作して直近の台風情報を確認すると、都合がいい情報ばかりが並んでいた。
台風の通り道に住んでいる町があった。
それは休日の昼間だった。
これ以上の好条件はないだろう。
音流の日向ぼっこに対する執念が台風を呼び寄せたのか、『台風の目で日向ぼっこ大作戦』に現実味が帯びてきた。
次の日曜日――四日後に決行となった。
「今更言うのもなんですけど、同志も付き合わなくてもいいんですよ?」と音流が心配気に言うと
「僕もロマンを感じてるから」と陸ははにかんだ。
心配半分、好奇心半分で付き添うことを決めていた。
「それではいっそのこと、楓さんも誘いましょう」
音流としては善意で口にしたのだろうが、、陸の顔が露骨に歪んだ。
「まだ仲直りできてないんですか?」
陸は言葉で答えず、顔を背けた。
君乃の依頼でストーキングをした日以来、陸と楓は一言も話していない。最初は陸から話しかけようとしていたのだが、明らかに無視する態度にイラついて、ムキになってしまった。そうしているうちに関係はどんどん険悪になり、今や顔を合わせるのも気まずい状態だ。
「何があったのかは知りませんし、訊きませんけど、ウチとしてはちょっぴり寂しいです。まあ、カラオケとかで楓さんとちょくちょく会ってはいるんですけど」
「……ごめん」
「その一言を楓さんにも言えればいいんですけどね」
鋭い指摘を受けて、陸は情けなくて下を向いた。
(わかってはいるんだけどなぁ)
陸としても早く仲直りした方がいいのが分かっている。『Brugge喫茶』に行けば否が応にも会うため、レアチーズケーキを十全に楽しめずに困っていた。
(でも、いまいち納得できない)
喧嘩の発端が"切り株に座ろうとした"からなのである。あの切り株が楓にとって大事なものなのは陸も理解している。しかし時間が経てば経つほど"切り株に座ろうとした"からで突き飛ばすのはやり過ぎだろ、と怒りが湧いてきている。
(僕から謝るのもおかしくない?)
陸は大分意固地になっているし、素直になれていない。とりあえず謝れるほど大人にもなっていない。
「同志、随分考え込んでいますね」
音流の呼びかけに意識を戻され顔を上げると、目と鼻の先に少女の顔があり、驚きのあまり飛び退いた。
「考えるのも悩むのも結構ですけど、ちゃんと言葉にしてくださいね。手遅れになる前に」
そう言う音流の表情は、少し大人びて見えた。心配と不安に駆られながらも、目の前の人間を信じている。そんな強い意志を感じさせる。
しかしそれもほんの一瞬で、すぐにいつも通り柔和な顔に戻る。
「大丈夫ですよ、同志は誠実ですから、きっと伝わります。ウチが保証してあげます。なんなら保証書を発行しましょうか」
「そこまではいいよ」と言いながら、陸の頬は緩んでいった。
それから二人は計画を具体的に練り始めた。
計画と言っても、細かいところは当日の天気次第だ。軌道が逸れたり熱帯低気圧に変わる可能性だってある。むしろ思い通りに進む可能性の方が少ないだろう。
当日は行き当たりばったりで行くしかない。それでも、想像するだけで二人は楽しかった。
それから当日の間、陸と楓は顔を合わせる度に台風の話題に声を弾ませていた。時には夢中になりすぎてチャイムに気づかないことすらあった。
それだけ楽しみにしていたし、浮き足立っていた。
それだけに、落ちた時の衝撃は――。
音流の沈んだ声を聞いた後、陸はどんよりとした空模様を見ながら呟く。
「しばらくは続きそうだな」
その横で音流は不満そうに頬を膨らませながら、傘をクルクル回している。傘や長靴には猫のマスコットキャラクターが印刷されているが、どちらもサイズが小さくて歩きづらそうにしている。
春は息を潜め、夏が近づく中、梅雨を迎えていた。
ニュースを見る度に台風何号と耳にする季節。今年は特別に台風の数が多く、傘や長靴が手放せない日が多い。
放課後、教室で独りでいた音流に声を掛けたことで、一緒に帰路についている。
「ずっと日向ぼっこが出来ていません。このままでは日向ぼっこ欠乏症で死んでしまいます」
音流が深刻な顔で、珍妙なことを言い始めた。
「え? 日向ぼっこをしないと死ぬの?」
「そりゃもう、死んじゃいますよ。全身の皮がシワシワのダルダルになった上に、歯が抜け落ちて、目がぼやけて耳が遠くなり、挙句の果てには腰が曲がって死んじゃいます」
その姿を想像してしまい、恐ろしい、と陸は身を震わせた。しかしすぐに自分の間違いに気づく。
「それって年を取っただけじゃないの?」
「バレましたか」
音流はわざとらしく舌を出して、茶目っ気のある笑顔を見せた後「冗談はさておき」と閑話休題した。
「せめて、青空を一目ぐらい見たいです」
音流は空を見上げて、陸もつられるように目線を上げる。厚く暗い雲に覆われた空が広がるばかりで、切れ目すら見えない。
陸は今朝見たテレビの天気予報を思い出した。曇りのち台風。台風のち曇り。台風一過になることなく、晴れの日は一日もなかった。しばらくは日向ぼっこはできないだろう。
「あー、このままじゃもちませんよ」
口調は軽かったのだが、ふと顔を見ると何かに耐えてているような表情をしていた。陸はしばらく考えた後、軽い気持ちで口を開く。
「いっそのこと台風の目にいくしかないね」
陸としては冗談のつもりだった。しかし音流の口角がつり上がってくのを見て、口に出したことが失敗だったと気づいた。
「いいじゃないですか!」
音流はギラギラと目を輝かせながら、陸に顔を近づけた。陸を夜の校舎探検に誘った時と同等か、それ以上の輝きを放っている。興奮のあまりに陸の手を握りしめ、振り回している。
「想像するだけで興奮します。台風の目で日向ぼっこ!」
音流は興奮のあまり叫んだ上に、水たまりの上を跳ね回り始めた。
「正気!?」と陸は甲高い声で反対したのだが、もはや音流の耳に届くことはなかった。
それどころか
「ロマンがありますよね。周囲では雨が横殴りになっている最中、ど真ん中の晴天の下で眠れるんですよ。考えただけで涎が出てきます」とさらに想像を膨らませていった。
「冷や汗を出してほしいよ。ゆっくり寝ていると豪雨にさらされるよ」
「その刹那の時間を味わいたいのです。風邪を引いても、それは必要経費ってやつです」
音流は零れんばかりの笑みを浮かべて、舞い上がっていた。
そうして日向ぼっこに飢えた少女は『台風の目で日向ぼっこ大作戦』の計画を練り始めた。
手始めにスマホを操作して直近の台風情報を確認すると、都合がいい情報ばかりが並んでいた。
台風の通り道に住んでいる町があった。
それは休日の昼間だった。
これ以上の好条件はないだろう。
音流の日向ぼっこに対する執念が台風を呼び寄せたのか、『台風の目で日向ぼっこ大作戦』に現実味が帯びてきた。
次の日曜日――四日後に決行となった。
「今更言うのもなんですけど、同志も付き合わなくてもいいんですよ?」と音流が心配気に言うと
「僕もロマンを感じてるから」と陸ははにかんだ。
心配半分、好奇心半分で付き添うことを決めていた。
「それではいっそのこと、楓さんも誘いましょう」
音流としては善意で口にしたのだろうが、、陸の顔が露骨に歪んだ。
「まだ仲直りできてないんですか?」
陸は言葉で答えず、顔を背けた。
君乃の依頼でストーキングをした日以来、陸と楓は一言も話していない。最初は陸から話しかけようとしていたのだが、明らかに無視する態度にイラついて、ムキになってしまった。そうしているうちに関係はどんどん険悪になり、今や顔を合わせるのも気まずい状態だ。
「何があったのかは知りませんし、訊きませんけど、ウチとしてはちょっぴり寂しいです。まあ、カラオケとかで楓さんとちょくちょく会ってはいるんですけど」
「……ごめん」
「その一言を楓さんにも言えればいいんですけどね」
鋭い指摘を受けて、陸は情けなくて下を向いた。
(わかってはいるんだけどなぁ)
陸としても早く仲直りした方がいいのが分かっている。『Brugge喫茶』に行けば否が応にも会うため、レアチーズケーキを十全に楽しめずに困っていた。
(でも、いまいち納得できない)
喧嘩の発端が"切り株に座ろうとした"からなのである。あの切り株が楓にとって大事なものなのは陸も理解している。しかし時間が経てば経つほど"切り株に座ろうとした"からで突き飛ばすのはやり過ぎだろ、と怒りが湧いてきている。
(僕から謝るのもおかしくない?)
陸は大分意固地になっているし、素直になれていない。とりあえず謝れるほど大人にもなっていない。
「同志、随分考え込んでいますね」
音流の呼びかけに意識を戻され顔を上げると、目と鼻の先に少女の顔があり、驚きのあまり飛び退いた。
「考えるのも悩むのも結構ですけど、ちゃんと言葉にしてくださいね。手遅れになる前に」
そう言う音流の表情は、少し大人びて見えた。心配と不安に駆られながらも、目の前の人間を信じている。そんな強い意志を感じさせる。
しかしそれもほんの一瞬で、すぐにいつも通り柔和な顔に戻る。
「大丈夫ですよ、同志は誠実ですから、きっと伝わります。ウチが保証してあげます。なんなら保証書を発行しましょうか」
「そこまではいいよ」と言いながら、陸の頬は緩んでいった。
それから二人は計画を具体的に練り始めた。
計画と言っても、細かいところは当日の天気次第だ。軌道が逸れたり熱帯低気圧に変わる可能性だってある。むしろ思い通りに進む可能性の方が少ないだろう。
当日は行き当たりばったりで行くしかない。それでも、想像するだけで二人は楽しかった。
それから当日の間、陸と楓は顔を合わせる度に台風の話題に声を弾ませていた。時には夢中になりすぎてチャイムに気づかないことすらあった。
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