34 / 93
第五章 日向ぼっこ好きは台風の目の夢を見る
第三十二話 日向の裏には影がある
しおりを挟む
ふと気づくと呼吸を忘れていることがある。
そんな時はいつも自分で自分の首を締める。爪が首の薄皮に食い込み、痕が残るまで、自然と涙が流れるまで――。しかし死ぬまで絞めることはできない。いつも苦しくなって手を放してしまう。
ゲホゲホと咳込みながら顔を上げると、少しだけスッキリした気分になる。しかしすぐにバカバカしさと切なさが湧き上がってきて、固く耳を塞ぐ。
そんな毎夜を過ごしている。
――音流は毎夜死のうとしている。
(あーあ、つらいなぁ)
壁越しに罵声が響いてくる。
大人の男女の喧嘩だ。
お互いに容赦のない罵声を浴び合っており、一向に収まる気配はない。
音流は不快な音が耳に入らないように布団をかぶって身を丸めた。だが、そんなのは意味をなさない、と言わんばかりに、パリン、と陶器が割れる音が響いた。
それから女性の短い悲鳴の後に「音流が起きるでしょ!?」というヒステリックな叫びが聞こえた。
(あ、これは長くなるパターンだ)
さらなる火種が投下されたことを察して、手で耳に蓋をした。
「もういい加減にしてよ」
苦々しい声で呟いた。だが、すぐに男性の怒号にかき消されてしまう。
音流の予想通り、喧嘩の熱はさらに燃え上がり始め、一際大きな不快音が鳴り響いた。
音流は現実を忘れるように物思いにふけり始める。
少し前まで仲睦まじかった両親。じいじとの日向ぼっこ。
(じいじに会いたい)
すぐハッとして、頭を振った。
(まだ、死ぬわけにはいかないよね)
音流はじいじの遺した言葉を思い出し、反芻する。
【お日様の下で死にたかった】
その後、自分の心を慰めるように唇を震わせる。
「じいじはおてんとさまと畑が大好きでしたから」
音流はふと思いついて、ゆっくりと3本の指を立てた。
(大好きなもの、これだけ……)
少し自分に嫌気がさしながらも考えを巡らせる。
(日向ぼっこは大好き。でも、中々殺してくれない)
薬指を折る。
(パパもママも大好きだった。でも、殺してなんて頼めない)
中指と人差し指を折る。
すると、ただの握りこぶしになった。
音流はしばらく考えてから、親指を立ててサムズアップを作り、指の腹を見つめる。
(同志、今寝てるのかな)
陸の顔を思い出すだけで涙があふれ出て、それを親指で掬った。そのまま唇に当てて、塩辛いくちづけをする。一分程そのままでいただろうか。
(バカらしい)
突然冷静になって、ゆっくりと唇から親指を離す。
(楽しいこと、考えなくちゃ)
脳裏に浮かぶのは、直近で起きた出来事の数々。中学二年生になってから劇的に変わった学校生活だった。
一年生の頃は最悪の学校生活だった。
きっかけは中学校に入学したばかりの頃、じいじが亡くなったことだった。
それから音流は変わった。日向ぼっこに執着するようになってしまった。ただでさえマイペースだったが、さらに拍車がかかり教室で孤立していった。
それは単に音流が悪いのではなく、恋愛から来るイザコザや、スクールカースト競争に巻き込まれたことが主な要因だろう。その頃の音流には抗う気力もなく、最後には教室からつまはじきにされてしまった。運が悪かった、と言えばそれまでだ。
教室に居場所はなく、チャイムと共に廊下に出る日々。居場所を求めて人気のない踊り場や空き教室を転々とし続けた。しかし人のいない場所は居場所になりえない。ただ居るだけで受け入れられているわけではない。
さらには家庭環境も悪化の一途をたどった。仲睦まじかった両親はよくケンカするようになり、家にいるのがつらくなった。夜に一人でぶらつくようになり、眠れない分を日向ぼっこで補うようになり、さらに孤立した。
二年生に進級して心機一転やり直すつもりだったのだが、そう単純ではなかった。
しばらく友人とコミュニケーションをとっていなかった音流は、距離の詰め方がわからなくなっていた。少し話すだけで舞い上がって、距離を詰めすぎることも多く、一気に人が離れて行った。
そうやって悪目立ちしている内に、グループが固まっていき、結局はどこにも入れずじまいだった。
じいじが天国に迎えられてから、音流は生きていることさえつらく感じるようになった。まるでじいじがお前も来いと手招きしているかのように。
そんな中でも明るい気持ちが残っていたのは、日向ぼっこを純粋に楽しめていたからだ。
しかしそれでも、音流の精神はやすりで削られるようにすり減っていっていた。
いつしかじいじがいた過去が懐かしくなり、縋るようになり、『日向ぼっこで死にたい』と考えるようになっていた。
そんな時に、声を掛けられた。
「困りごとがありますね」
その少女は、校内の誰もが後ろ指をさすような、悪い意味での有名人だった。
『なんでも言うことを聞いてくれる』という少女。男子から告白されても二つ返事で了承し、小狡い人間に利用されても懲りない、不気味なクラスメイト。本当に困っている人間を助けたという噂もあるが、悪名の方が際立っている。
そんな人に声を掛けられた。音流が正常な状態だったら、四の五の言わず逃げ出していただろう。しかし心が弱っていた音流にとって、その少女が救世主のように見えた。
『ウチ、日向ぼっこで死にたいんです』
そう告白すると、少女は困った顔をしながらも「わかった」と言ってくれた。
それからの日々は目まぐるしかった。
陸と出会い、カラオケに行き、はじめてのジムを体験し、夜の校舎で騒いだり……。憧れていた青春を、これでもかと言うほど味わえていた。
怒涛の2か月だった。音流にとって、陸と楓は楽しさの象徴になっていた。
(楓さんは、今頃寝てそう)
音流は小さく寝息をたてる楓の姿を想像して、口元が緩めた。
(同志は、何をしているのかな)
陸の寝ている姿が想像できず、思わず眉間に皺が寄る。
音流の中では、陸は『突拍子もないことをする変人』というイメージに凝り固まっていた。
レアチーズケーキのことが何よりも大好きで、暗いところが苦手で、情けないところがいっぱいある。それでもなんだかんだで付き合ってくれる優しさがある。心配だから。たったそれだけの理由で。
だからこそ、どういう場所でどう寝ているのか、一切想像ができない。
(レアチーズケーキ型のベッドを自作しててもおかしくないかも)
そんな奇天烈な寝姿の方がしっくり来て、音流はついつい笑ってしまう。
ふと気づくと、怒声は聞こえなくなっていた。喧嘩が終わったのか、どちらかが出ていったのだろう。どちらにせよ、音流はやっと眠れるようになった。
電子時計に目をやると、時刻はすでに十二時を回っている。
(クマを隠すのは大変だから、ちゃんと寝ないと)
しかしいくら目を閉じようとも、全く眠れる気がしなかった。寝ようと目を閉じていると、こめかみが痒くなっていき、我慢が出来なくなる。それを何度も繰り返している内に、わずかな眠気も吹き飛んでしまった。
それでも寝ようとして、出来るだけ安らかに目を閉じる。
瞼の裏は無地の暗闇だ。しかし徐々に模様が生まれていき、何かの形が浮き彫りになってくる。死んだじいじ。喧嘩する両親。顔を見ようともしてくれないクラスメイト。いろんなトラウマが一気に通り過ぎていく。
(もう見たくない!)
必死に目を閉じようとも意味はない。すでに閉じられているのだから。そのことに気付いて、目を開く。
視界に広がる見慣れた天井。
豆電球すら点いていないのに、壁紙の模様まではっきりと見える。神経が鋭敏になっているのかもしれない。
寝てもいないのに悪夢を見た。いや、実際に悪夢を見ていたのかもしれないが、どちらにしても最悪な気分だ。
(もう寝るのもツライ)
まだ心の中に残っている不快感を吐き出すように、深いため息をする。
時計を見ると、眠ろうとしてから一時間以上が過ぎていた。
(お昼に日向ぼっこしよ)
もう今眠るのもバカバカしくなって、スマホに手を伸ばす。
なんの目的もなく青白い光を浴びる。
リアルタイムで流れるSNSの投稿を流しで見ていく。
(みんな愚痴ばっかり……)
ありふれたニュースに対する批判や、日々の生活に対する鬱憤が見え隠れする投稿ばかりが目に付く。
(そんなに生きづらいのかな、この世界って)
そう考えた瞬間、目の前が真っ暗になった。
どこにも逃げ場所が無いように思えて、ふさぎ込んだ気持ちになる。もう『眠れるのか』だけでなく、『生きていけるのか』が不安になってくる。
(ウチが全部悪いのかな……悪いよね)
そうではないことは、本人も理解していた。だが『この世界が悪い』と考えるより『自分が悪い』と考えた方が、納得できてしまう。音流はそんな優しい女の子だった。
自分が無意識に逃げる理由——いや、死ぬ理由を一つでも多く求めていた。自分はこんなに悪い子なんだから、死んでもおかしくない、死んだほうがいい。そう思い込むために。
「ぁ……」
つい声を漏らしながら、手を止めた。
目線の先にあるのは、とりとめもないメッセージ。
《眠れない》
それが知らない他人のものだったら、目にも留めていなかっただろう。しかしそのメッセージは友人が発したものだった。
(これ、同志のアカウントだよね)
音流は本人に直接教えられなくとも、アカウントを特定してフォローしていた。
(滅多に投稿しないのに)
しかしこの夜は違った。普段は布団をかぶっているはずの時間に流れてきたメッセージ。
(まさか、何かあったんじゃ……)
一瞬で様々な想像が脳をよぎり、全身の肌が粟立つ。しかしすぐに次のメッセージが流れてくる。
《月がキレイ》
音流はメッセージに促されるように起き上がり、カーテンを開けた。カーテンが滑る音をうるさく感じつつも目線を上げると、そこには小さな月があった。
春から梅雨に移り行く月。淡く温かみがあり、少し近くにいてくれる。そんな優しいお月様。
(確かにキレイ)
真っ暗闇の夜空と、そこに浮かぶ暖色の月。
音流の目には、絶望的に苦いコーヒーと、そこに浮かぶ甘いアイスクリームのように見えた。
(色的にバニラ味かな。いや、同志ならレアチーズケーキ味だと言い張りそう)
想像するだけで、気持ちがほぐれていく。蚕の繭みたいに固く絡まっていた感情が解きほぐされていき、スーッと胸が軽くなる。
(早く会いたい。顔を見て、声を聞きたい)
軽くなった足取りでベットに戻り、スマホを手に取る。
明日のために充電ケーブルを差し込む。
SNSに何かを書き込もうとして、一瞬手を止める。頭の中に伝えたいことが大量に浮かび上がって、簡単に決められない。
悩んだ末に、慎重に指を動かす。
《おやすみ》
なんの変哲もない4文字だけを流した。
そんな時はいつも自分で自分の首を締める。爪が首の薄皮に食い込み、痕が残るまで、自然と涙が流れるまで――。しかし死ぬまで絞めることはできない。いつも苦しくなって手を放してしまう。
ゲホゲホと咳込みながら顔を上げると、少しだけスッキリした気分になる。しかしすぐにバカバカしさと切なさが湧き上がってきて、固く耳を塞ぐ。
そんな毎夜を過ごしている。
――音流は毎夜死のうとしている。
(あーあ、つらいなぁ)
壁越しに罵声が響いてくる。
大人の男女の喧嘩だ。
お互いに容赦のない罵声を浴び合っており、一向に収まる気配はない。
音流は不快な音が耳に入らないように布団をかぶって身を丸めた。だが、そんなのは意味をなさない、と言わんばかりに、パリン、と陶器が割れる音が響いた。
それから女性の短い悲鳴の後に「音流が起きるでしょ!?」というヒステリックな叫びが聞こえた。
(あ、これは長くなるパターンだ)
さらなる火種が投下されたことを察して、手で耳に蓋をした。
「もういい加減にしてよ」
苦々しい声で呟いた。だが、すぐに男性の怒号にかき消されてしまう。
音流の予想通り、喧嘩の熱はさらに燃え上がり始め、一際大きな不快音が鳴り響いた。
音流は現実を忘れるように物思いにふけり始める。
少し前まで仲睦まじかった両親。じいじとの日向ぼっこ。
(じいじに会いたい)
すぐハッとして、頭を振った。
(まだ、死ぬわけにはいかないよね)
音流はじいじの遺した言葉を思い出し、反芻する。
【お日様の下で死にたかった】
その後、自分の心を慰めるように唇を震わせる。
「じいじはおてんとさまと畑が大好きでしたから」
音流はふと思いついて、ゆっくりと3本の指を立てた。
(大好きなもの、これだけ……)
少し自分に嫌気がさしながらも考えを巡らせる。
(日向ぼっこは大好き。でも、中々殺してくれない)
薬指を折る。
(パパもママも大好きだった。でも、殺してなんて頼めない)
中指と人差し指を折る。
すると、ただの握りこぶしになった。
音流はしばらく考えてから、親指を立ててサムズアップを作り、指の腹を見つめる。
(同志、今寝てるのかな)
陸の顔を思い出すだけで涙があふれ出て、それを親指で掬った。そのまま唇に当てて、塩辛いくちづけをする。一分程そのままでいただろうか。
(バカらしい)
突然冷静になって、ゆっくりと唇から親指を離す。
(楽しいこと、考えなくちゃ)
脳裏に浮かぶのは、直近で起きた出来事の数々。中学二年生になってから劇的に変わった学校生活だった。
一年生の頃は最悪の学校生活だった。
きっかけは中学校に入学したばかりの頃、じいじが亡くなったことだった。
それから音流は変わった。日向ぼっこに執着するようになってしまった。ただでさえマイペースだったが、さらに拍車がかかり教室で孤立していった。
それは単に音流が悪いのではなく、恋愛から来るイザコザや、スクールカースト競争に巻き込まれたことが主な要因だろう。その頃の音流には抗う気力もなく、最後には教室からつまはじきにされてしまった。運が悪かった、と言えばそれまでだ。
教室に居場所はなく、チャイムと共に廊下に出る日々。居場所を求めて人気のない踊り場や空き教室を転々とし続けた。しかし人のいない場所は居場所になりえない。ただ居るだけで受け入れられているわけではない。
さらには家庭環境も悪化の一途をたどった。仲睦まじかった両親はよくケンカするようになり、家にいるのがつらくなった。夜に一人でぶらつくようになり、眠れない分を日向ぼっこで補うようになり、さらに孤立した。
二年生に進級して心機一転やり直すつもりだったのだが、そう単純ではなかった。
しばらく友人とコミュニケーションをとっていなかった音流は、距離の詰め方がわからなくなっていた。少し話すだけで舞い上がって、距離を詰めすぎることも多く、一気に人が離れて行った。
そうやって悪目立ちしている内に、グループが固まっていき、結局はどこにも入れずじまいだった。
じいじが天国に迎えられてから、音流は生きていることさえつらく感じるようになった。まるでじいじがお前も来いと手招きしているかのように。
そんな中でも明るい気持ちが残っていたのは、日向ぼっこを純粋に楽しめていたからだ。
しかしそれでも、音流の精神はやすりで削られるようにすり減っていっていた。
いつしかじいじがいた過去が懐かしくなり、縋るようになり、『日向ぼっこで死にたい』と考えるようになっていた。
そんな時に、声を掛けられた。
「困りごとがありますね」
その少女は、校内の誰もが後ろ指をさすような、悪い意味での有名人だった。
『なんでも言うことを聞いてくれる』という少女。男子から告白されても二つ返事で了承し、小狡い人間に利用されても懲りない、不気味なクラスメイト。本当に困っている人間を助けたという噂もあるが、悪名の方が際立っている。
そんな人に声を掛けられた。音流が正常な状態だったら、四の五の言わず逃げ出していただろう。しかし心が弱っていた音流にとって、その少女が救世主のように見えた。
『ウチ、日向ぼっこで死にたいんです』
そう告白すると、少女は困った顔をしながらも「わかった」と言ってくれた。
それからの日々は目まぐるしかった。
陸と出会い、カラオケに行き、はじめてのジムを体験し、夜の校舎で騒いだり……。憧れていた青春を、これでもかと言うほど味わえていた。
怒涛の2か月だった。音流にとって、陸と楓は楽しさの象徴になっていた。
(楓さんは、今頃寝てそう)
音流は小さく寝息をたてる楓の姿を想像して、口元が緩めた。
(同志は、何をしているのかな)
陸の寝ている姿が想像できず、思わず眉間に皺が寄る。
音流の中では、陸は『突拍子もないことをする変人』というイメージに凝り固まっていた。
レアチーズケーキのことが何よりも大好きで、暗いところが苦手で、情けないところがいっぱいある。それでもなんだかんだで付き合ってくれる優しさがある。心配だから。たったそれだけの理由で。
だからこそ、どういう場所でどう寝ているのか、一切想像ができない。
(レアチーズケーキ型のベッドを自作しててもおかしくないかも)
そんな奇天烈な寝姿の方がしっくり来て、音流はついつい笑ってしまう。
ふと気づくと、怒声は聞こえなくなっていた。喧嘩が終わったのか、どちらかが出ていったのだろう。どちらにせよ、音流はやっと眠れるようになった。
電子時計に目をやると、時刻はすでに十二時を回っている。
(クマを隠すのは大変だから、ちゃんと寝ないと)
しかしいくら目を閉じようとも、全く眠れる気がしなかった。寝ようと目を閉じていると、こめかみが痒くなっていき、我慢が出来なくなる。それを何度も繰り返している内に、わずかな眠気も吹き飛んでしまった。
それでも寝ようとして、出来るだけ安らかに目を閉じる。
瞼の裏は無地の暗闇だ。しかし徐々に模様が生まれていき、何かの形が浮き彫りになってくる。死んだじいじ。喧嘩する両親。顔を見ようともしてくれないクラスメイト。いろんなトラウマが一気に通り過ぎていく。
(もう見たくない!)
必死に目を閉じようとも意味はない。すでに閉じられているのだから。そのことに気付いて、目を開く。
視界に広がる見慣れた天井。
豆電球すら点いていないのに、壁紙の模様まではっきりと見える。神経が鋭敏になっているのかもしれない。
寝てもいないのに悪夢を見た。いや、実際に悪夢を見ていたのかもしれないが、どちらにしても最悪な気分だ。
(もう寝るのもツライ)
まだ心の中に残っている不快感を吐き出すように、深いため息をする。
時計を見ると、眠ろうとしてから一時間以上が過ぎていた。
(お昼に日向ぼっこしよ)
もう今眠るのもバカバカしくなって、スマホに手を伸ばす。
なんの目的もなく青白い光を浴びる。
リアルタイムで流れるSNSの投稿を流しで見ていく。
(みんな愚痴ばっかり……)
ありふれたニュースに対する批判や、日々の生活に対する鬱憤が見え隠れする投稿ばかりが目に付く。
(そんなに生きづらいのかな、この世界って)
そう考えた瞬間、目の前が真っ暗になった。
どこにも逃げ場所が無いように思えて、ふさぎ込んだ気持ちになる。もう『眠れるのか』だけでなく、『生きていけるのか』が不安になってくる。
(ウチが全部悪いのかな……悪いよね)
そうではないことは、本人も理解していた。だが『この世界が悪い』と考えるより『自分が悪い』と考えた方が、納得できてしまう。音流はそんな優しい女の子だった。
自分が無意識に逃げる理由——いや、死ぬ理由を一つでも多く求めていた。自分はこんなに悪い子なんだから、死んでもおかしくない、死んだほうがいい。そう思い込むために。
「ぁ……」
つい声を漏らしながら、手を止めた。
目線の先にあるのは、とりとめもないメッセージ。
《眠れない》
それが知らない他人のものだったら、目にも留めていなかっただろう。しかしそのメッセージは友人が発したものだった。
(これ、同志のアカウントだよね)
音流は本人に直接教えられなくとも、アカウントを特定してフォローしていた。
(滅多に投稿しないのに)
しかしこの夜は違った。普段は布団をかぶっているはずの時間に流れてきたメッセージ。
(まさか、何かあったんじゃ……)
一瞬で様々な想像が脳をよぎり、全身の肌が粟立つ。しかしすぐに次のメッセージが流れてくる。
《月がキレイ》
音流はメッセージに促されるように起き上がり、カーテンを開けた。カーテンが滑る音をうるさく感じつつも目線を上げると、そこには小さな月があった。
春から梅雨に移り行く月。淡く温かみがあり、少し近くにいてくれる。そんな優しいお月様。
(確かにキレイ)
真っ暗闇の夜空と、そこに浮かぶ暖色の月。
音流の目には、絶望的に苦いコーヒーと、そこに浮かぶ甘いアイスクリームのように見えた。
(色的にバニラ味かな。いや、同志ならレアチーズケーキ味だと言い張りそう)
想像するだけで、気持ちがほぐれていく。蚕の繭みたいに固く絡まっていた感情が解きほぐされていき、スーッと胸が軽くなる。
(早く会いたい。顔を見て、声を聞きたい)
軽くなった足取りでベットに戻り、スマホを手に取る。
明日のために充電ケーブルを差し込む。
SNSに何かを書き込もうとして、一瞬手を止める。頭の中に伝えたいことが大量に浮かび上がって、簡単に決められない。
悩んだ末に、慎重に指を動かす。
《おやすみ》
なんの変哲もない4文字だけを流した。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
隣の優等生は、デブ活に命を捧げたいっ
椎名 富比路
青春
女子高生の尾村いすゞは、実家が大衆食堂をやっている。
クラスの隣の席の優等生細江《ほそえ》 桃亜《ももあ》が、「デブ活がしたい」と言ってきた。
桃亜は学生の身でありながら、アプリ制作会社で就職前提のバイトをしている。
だが、連日の学業と激務によって、常に腹を減らしていた。
料理の腕を磨くため、いすゞは桃亜に協力をする。
やくびょう神とおせっかい天使
倉希あさし
青春
一希児雄(はじめきじお)名義で執筆。疫病神と呼ばれた少女・神崎りこは、誰も不幸に見舞われないよう独り寂しく過ごしていた。ある日、同じクラスの少女・明星アイリがりこに話しかけてきた。アイリに不幸が訪れないよう避け続けるりこだったが…。
無敵のイエスマン
春海
青春
主人公の赤崎智也は、イエスマンを貫いて人間関係を完璧に築き上げ、他生徒の誰からも敵視されることなく高校生活を送っていた。敵がいない、敵無し、つまり無敵のイエスマンだ。赤崎は小学生の頃に、いじめられていた初恋の女の子をかばったことで、代わりに自分がいじめられ、二度とあんな目に遭いたくないと思い、無敵のイエスマンという人格を作り上げた。しかし、赤崎は自分がかばった女の子と再会し、彼女は赤崎の人格を変えようとする。そして、赤崎と彼女の勝負が始まる。赤崎が無敵のイエスマンを続けられるか、彼女が無敵のイエスマンである赤崎を変えられるか。これは、無敵のイエスマンの悲哀と恋と救いの物語。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
青天のヘキレキ
ましら佳
青春
⌘ 青天のヘキレキ
高校の保健養護教諭である金沢環《かなざわたまき》。
上司にも同僚にも生徒からも精神的にどつき回される生活。
思わぬ事故に巻き込まれ、修学旅行の引率先の沼に落ちて神将・毘沙門天の手違いで、問題児である生徒と入れ替わってしまう。
可愛い女子とイケメン男子ではなく、オバちゃんと問題児の中身の取り違えで、ギャップの大きい生活に戸惑い、落としどころを探って行く。
お互いの抱えている問題に、否応なく向き合って行くが・・・・。
出会いは化学変化。
いわゆる“入れ替わり”系のお話を一度書いてみたくて考えたものです。
お楽しみいただけますように。
他コンテンツにも掲載中です。
燦歌を乗せて
河島アドミ
青春
「燦歌彩月第六作――」その先の言葉は夜に消える。
久慈家の名家である天才画家・久慈色助は大学にも通わず怠惰な毎日をダラダラと過ごす。ある日、久慈家を勘当されホームレス生活がスタートすると、心を奪われる被写体・田中ゆかりに出会う。
第六作を描く。そう心に誓った色助は、己の未熟とホームレス生活を満喫しながら作品へ向き合っていく。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる