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第三章 へたっぴ歌唱狂騒曲
第二十四話 化け物退治 in 夜の校舎⑤
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「バカ! カス! マヌケ!!」
夜闇に包まれた校庭のど真ん中で、大喧嘩が繰り広げられていた。
化け物の頭部は空を飛び、化け物の体は頭部に向けて石を投げている。
頭部はカーカーとけたたましく鳴き、体は「バカ」とか「アホ」とか幼稚な罵詈雑言を飛ばしている。
その光景を目撃して、陸は既視感から頭が痛くなっていた。その横では音流が笑いをこらえている。
「ねえ、実は日向も共犯だったりする?」
「いえ。ウチも知りませんでした。ウチが仕込むならもっと演出に拘りますよ」
陸は、妙に説得力があるな、と納得しながら化け物に近づく。
「おい」
化け物の体に声をかけると、肩がビクリを跳ねた。しかし振り向くことはせず、明らかに無視を決め込んでいる。
それに業を煮やした陸は強引に肩をつかみ振り向かせて、開口一番、ぶっきらぼうにこう言った。
「何をやってる、青木」
化け物の体部分——青木楓はバツの悪そうな表情を浮かべながら、頬をポリポリと掻いた。
「えっと、ご機嫌麗しゅう」
「機嫌はすこぶる悪いよ。青筋たってるかも」
「青筋は見えないかな。血管に負担がかからなくていいね」
「この暗闇で見えるか! ほら、とりあえず、落とし物だ」
陸は木製のヘアピンと、ついでに電気ランタンを手渡した。
「あ、あれ?」
楓は自分の髪を撫でて、ようやく髪飾りを落としたことを自覚したようで「ありがとう」と素直にお礼を告げた。
「大事なものなんだろ」
「うん、すっごく大事。これがないと生きていけないぐらい」
カー!
カラスのけたたましい鳴き声が響いた。声のした方向を見ると、楓目掛けて何かが飛翔していた。いや、それは"何か"でも"化け物の頭部"でもない。巨大なカラスだった。
カラスは楓の頭に着地し、尊大に陸を見下ろした。
「そのカラスは一体何者なんですか?」と音流が問いかけると
「えっと、なんというか、兄、みたいな……?」と楓がたどたどしく答えた。
楓の答えに、陸は意味が分からずハテナマークを浮かべ、音流は好奇心で目をギラギラ輝かせた。
何かが気に障ったのか、カラスは荒っぽく地団駄を踏み始めた。楓は髪型をもみくちゃにされた挙句、大量の黒羽がひっついて涙目を浮かべている。
茶色のくせっ毛がまるで鳥の巣のようになっており、陸は思わず笑い声を上げた。
「カーカーカー」
「え、イヤ!」
「カー!」
「……わかったよ」
なにやらカラスとやり取りをした後、楓は二人に向き直った。
「えっと、これから言うことはこのカラスが言っていることの翻訳だから」
陸と音流が疑問を浮かべる暇もなく、楓は背筋を正して操り人形のように大きく口を開いた。
『いつも妹がお世話になっている。君たちはチョメチョメを持っていないようだから、妹を介して会話をさせてもらう』
それはすぐに楓の口調と違うことは理解できた。尊大な口調であり、頭に乗っているカラスに合わせた口調を演じているのだろう。
(普段からやらされているのかな)
陸は哀れに思って、静かに手を合わせた。その横では音流が「おお」と感嘆しながら拍手している。
『まずはこの愚妹と仲良くしてもらっていることに感謝する』
「いえいえ、そんな。こちらこそいつもお世話になっています。それにしても楓さんはモノの声が聞こえると聞いていましたが、動物とも話せたんですね」
『正確には少し違う。モノの声を聞くための器官——チョメチョメを持ち得るのは人間だけではない。犬や猫やカラスでも持っていることがある。そして、チョメチョメを持つ生き物同士はチョメチョメを介して会話することができる』
「そうなんですね。ウチもチョメチョメが欲しいです!」
音流が当たり前のように会話をし始めたことに、陸は驚愕の表情を浮かべた。
「順応するの早くない? 相手はカラスだよ」
「でも、楓さんのお兄さんですから」
「そもそもカラスが兄っておかしいじゃん。哺乳類ですらないよ」
『確かにその通りだ。見ての通り血の繋がりはない。しかし兄弟分みたいなものだ』
音流は鼻息を荒くしながら
「ヤクザみたいですね!」と楽しそうに跳ねた。
『どちらかかと言えば兄弟弟子と言うべきだな。同じ老木に憧れて師事した者同士だ』
「そうなんですね。素敵な関係です」
音流は異様に興奮している様子で、ピョンピョン飛びっている。
(ヤクザとかが好きなのか?)
陸は音流に飽きれた目を向けた。
『中々見込みのあるお嬢さんだ。どうだ。オレの弟子にでもならないか?』
「いえ、ウチは日向ぼっこが好きなので顔に糞を落とすカラスさんとは相いれないです。安眠の敵はウチの敵です」
本人はいたって真面目に答えているのだが、あまりにも頓珍漢な言い草に、陸は笑いをこらえられなくなった。
『面白い子だ。この不肖の妹よりは好感度が高い』
突如、楓が抵抗を始めた。カラス兄の言葉に抗議したかったのだろう。
首を大きく振ってカラスを振り落とそうとしたのだが、強靭な趾の握力の前では無意味であり、それどころか頭を掴む力が強まり、さらにもがき苦しむ結果となった。
「痛そうだ」と陸が呟くのと同時に
「仲がいいのはいいことですね」と音流が言った。
二人はお互いに顔を見合わせた後、笑った。
しかし徐々に楓が可哀そうに思えてきて、本題に入る。
「それで、どうしてそのカラスのお兄さんと青木は深夜の校舎にいるんだ?」
陸の質問に対して、カラス兄は「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりに羽を広げた。
『それは楓の空前絶後の音痴が原因だ』
聞いた瞬間、憐みの対象は楓からカラス兄に変わった。
陸がカラス兄に同情の目線を送っていると、カラス兄と目があった。その瞬間、お互いに理解した。こいつは仲間だ、と。
だがカラス兄は隙をつかれ、楓に無理矢理はがしとられてしまった。
「ここからはわたしから説明する。いいよね?」
カラス兄は「カー」と鳴いた。それは肯定の意だった。
「商店街ののど自慢大会に出ることになったのは、もちろん知ってるよね?」
陸と音流は同時に頷いた。
「最初は家で練習していたんだけど、お姉ちゃんに怒られちゃって」
二人は同時に「あー」と曖昧な声を上げた。
「でもカラオケボックスは10時までしか使えないし、少し遠いしお金がかかるし……。それで思いついたのが、学校に忍び込んで練習することだったの」
(肝座りすぎだろ)
陸は話の腰を折らないためにもお口にチャックをした。
「練習をし始めると、突然カラス兄が突撃してきた。周辺の鳥や動物達から苦情が殺到していたみたいで、事態を察したカラス兄が止めに来たんだよね」
(つまり青木の歌声は人類にも鳥類にも有害だということか)
そんな音響兵器を止めに来た勇者こそがカラス兄であり、二人の喧嘩で発せられた怒声が化け物のように聞こえていた。さらには、間が悪いことに音流がそれを聞いてしまったことで、今回の『化け物騒動』に発展してしまった。
「ことの経緯は分かったけど、家を勝手に抜け出していることがばれたらまずいんじゃないか?」
「それは大丈夫。この時間はもう、お姉ちゃんは清水さんと電話してて、そのまま寝落ちするから。ほら、カフェの経営って朝早いし、お姉ちゃんはたっぷり寝ないとダメなタイプだから」
陸は露骨に顔を歪めた。聞きたくない情報だった。あの二人は交際していないと言っていたが、そんなことをしていては交際しているのと変わらない。本人同士がどう思っていようとも第三者からは、そう見えてしまう。
「ガァー」とカラス兄が叱るように鳴くと
「あー、そうだよね。うん、わかってる」と楓は鬱陶しそうに返した。
楓は居心地が悪そうに息を吐いてから、陸と音流の二人に向き直った。
「この度はゴメイワクをお掛けしてモウシワケゴザイマセンでした」
お辞儀の角度は45度。形式ばっている謝罪だった。そんな楓の不満や不誠実さに気付いているのか、それともあえて無視しているのか、音流は人懐っこい笑みを浮かべながら言う。
「ウチはめちゃくちゃ楽しかったので謝られることなんてありませんよ」
「ありがとう。でも、もう校舎で練習するのはやめる。ごめんね」
楓の口ではそう言ったのだが、言葉とは裏腹に顔には「諦めきれない」と未練がましく書かれていた。
これでは明日も化け物の叫び声が聞こえるだろう、と陸は諦めていたのだが、音流が跳ねながら手を挙げた。
「ウチ、実はいい場所を知っているんですよ。私服なら夜遅くまで使えるカラオケボックス。そこで一緒に練習しませんか? 前はお店の定休日だけという話でしたけど、いつでも付き合いますよ。一人で練習するよりはマシなはずです……タブン!」
「そんな、悪いよ」
楓にとっては願ってもない提案のはずなのだが、本人はいまいち乗り気ではなかった。しかし音流はさらに詰め寄る。
陸は、それは大丈夫なのだろうか、と思ったが空気を読んで黙っている。
「悪い、なんて思わないでください。ウチは楓さんとカラオケに行くのが楽しいから提案しているんです。大体、ウチは好きでも楽しくもないことは基本やりませんし、嫌いなことは考えたくもありません。ウチがやりたいと口にするのは本当にやりたい時だけです。だって、やりたいことができない人生なんて価値がないじゃないですか」
音流は楓の手を取り、そっと握りしめた。
音流の言葉が琴線に触れたのか、楓は感極まったように手を握り返した。
「じゃあ、お願い、しようかな」
「もちろんです!」
話が決着した瞬間、二人の間を何かが通過した。
「ちょっと! カラス兄! 夜に空飛ぶなって言ってるでしょ」
楓が叫んだ通り、飛翔体はカラス兄だった。
どうやらうまく飛べていないようで、フラフラと蛇行しながら飛んでいる。不規則な軌道を描きながら、なぜか陸の頭にぶつかった。
そのうえ、カラス兄を止めようと追いかけていた楓も巻き込まれ、盛大に転倒した。
「この鳥目!」
陸の金切り声のような怒号が閑静な街に木霊した。
喧嘩をする一人と一匹の兄妹を見て、音流は大声で笑っていた。
夜闇に包まれた校庭のど真ん中で、大喧嘩が繰り広げられていた。
化け物の頭部は空を飛び、化け物の体は頭部に向けて石を投げている。
頭部はカーカーとけたたましく鳴き、体は「バカ」とか「アホ」とか幼稚な罵詈雑言を飛ばしている。
その光景を目撃して、陸は既視感から頭が痛くなっていた。その横では音流が笑いをこらえている。
「ねえ、実は日向も共犯だったりする?」
「いえ。ウチも知りませんでした。ウチが仕込むならもっと演出に拘りますよ」
陸は、妙に説得力があるな、と納得しながら化け物に近づく。
「おい」
化け物の体に声をかけると、肩がビクリを跳ねた。しかし振り向くことはせず、明らかに無視を決め込んでいる。
それに業を煮やした陸は強引に肩をつかみ振り向かせて、開口一番、ぶっきらぼうにこう言った。
「何をやってる、青木」
化け物の体部分——青木楓はバツの悪そうな表情を浮かべながら、頬をポリポリと掻いた。
「えっと、ご機嫌麗しゅう」
「機嫌はすこぶる悪いよ。青筋たってるかも」
「青筋は見えないかな。血管に負担がかからなくていいね」
「この暗闇で見えるか! ほら、とりあえず、落とし物だ」
陸は木製のヘアピンと、ついでに電気ランタンを手渡した。
「あ、あれ?」
楓は自分の髪を撫でて、ようやく髪飾りを落としたことを自覚したようで「ありがとう」と素直にお礼を告げた。
「大事なものなんだろ」
「うん、すっごく大事。これがないと生きていけないぐらい」
カー!
カラスのけたたましい鳴き声が響いた。声のした方向を見ると、楓目掛けて何かが飛翔していた。いや、それは"何か"でも"化け物の頭部"でもない。巨大なカラスだった。
カラスは楓の頭に着地し、尊大に陸を見下ろした。
「そのカラスは一体何者なんですか?」と音流が問いかけると
「えっと、なんというか、兄、みたいな……?」と楓がたどたどしく答えた。
楓の答えに、陸は意味が分からずハテナマークを浮かべ、音流は好奇心で目をギラギラ輝かせた。
何かが気に障ったのか、カラスは荒っぽく地団駄を踏み始めた。楓は髪型をもみくちゃにされた挙句、大量の黒羽がひっついて涙目を浮かべている。
茶色のくせっ毛がまるで鳥の巣のようになっており、陸は思わず笑い声を上げた。
「カーカーカー」
「え、イヤ!」
「カー!」
「……わかったよ」
なにやらカラスとやり取りをした後、楓は二人に向き直った。
「えっと、これから言うことはこのカラスが言っていることの翻訳だから」
陸と音流が疑問を浮かべる暇もなく、楓は背筋を正して操り人形のように大きく口を開いた。
『いつも妹がお世話になっている。君たちはチョメチョメを持っていないようだから、妹を介して会話をさせてもらう』
それはすぐに楓の口調と違うことは理解できた。尊大な口調であり、頭に乗っているカラスに合わせた口調を演じているのだろう。
(普段からやらされているのかな)
陸は哀れに思って、静かに手を合わせた。その横では音流が「おお」と感嘆しながら拍手している。
『まずはこの愚妹と仲良くしてもらっていることに感謝する』
「いえいえ、そんな。こちらこそいつもお世話になっています。それにしても楓さんはモノの声が聞こえると聞いていましたが、動物とも話せたんですね」
『正確には少し違う。モノの声を聞くための器官——チョメチョメを持ち得るのは人間だけではない。犬や猫やカラスでも持っていることがある。そして、チョメチョメを持つ生き物同士はチョメチョメを介して会話することができる』
「そうなんですね。ウチもチョメチョメが欲しいです!」
音流が当たり前のように会話をし始めたことに、陸は驚愕の表情を浮かべた。
「順応するの早くない? 相手はカラスだよ」
「でも、楓さんのお兄さんですから」
「そもそもカラスが兄っておかしいじゃん。哺乳類ですらないよ」
『確かにその通りだ。見ての通り血の繋がりはない。しかし兄弟分みたいなものだ』
音流は鼻息を荒くしながら
「ヤクザみたいですね!」と楽しそうに跳ねた。
『どちらかかと言えば兄弟弟子と言うべきだな。同じ老木に憧れて師事した者同士だ』
「そうなんですね。素敵な関係です」
音流は異様に興奮している様子で、ピョンピョン飛びっている。
(ヤクザとかが好きなのか?)
陸は音流に飽きれた目を向けた。
『中々見込みのあるお嬢さんだ。どうだ。オレの弟子にでもならないか?』
「いえ、ウチは日向ぼっこが好きなので顔に糞を落とすカラスさんとは相いれないです。安眠の敵はウチの敵です」
本人はいたって真面目に答えているのだが、あまりにも頓珍漢な言い草に、陸は笑いをこらえられなくなった。
『面白い子だ。この不肖の妹よりは好感度が高い』
突如、楓が抵抗を始めた。カラス兄の言葉に抗議したかったのだろう。
首を大きく振ってカラスを振り落とそうとしたのだが、強靭な趾の握力の前では無意味であり、それどころか頭を掴む力が強まり、さらにもがき苦しむ結果となった。
「痛そうだ」と陸が呟くのと同時に
「仲がいいのはいいことですね」と音流が言った。
二人はお互いに顔を見合わせた後、笑った。
しかし徐々に楓が可哀そうに思えてきて、本題に入る。
「それで、どうしてそのカラスのお兄さんと青木は深夜の校舎にいるんだ?」
陸の質問に対して、カラス兄は「よくぞ聞いてくれました」と言わんばかりに羽を広げた。
『それは楓の空前絶後の音痴が原因だ』
聞いた瞬間、憐みの対象は楓からカラス兄に変わった。
陸がカラス兄に同情の目線を送っていると、カラス兄と目があった。その瞬間、お互いに理解した。こいつは仲間だ、と。
だがカラス兄は隙をつかれ、楓に無理矢理はがしとられてしまった。
「ここからはわたしから説明する。いいよね?」
カラス兄は「カー」と鳴いた。それは肯定の意だった。
「商店街ののど自慢大会に出ることになったのは、もちろん知ってるよね?」
陸と音流は同時に頷いた。
「最初は家で練習していたんだけど、お姉ちゃんに怒られちゃって」
二人は同時に「あー」と曖昧な声を上げた。
「でもカラオケボックスは10時までしか使えないし、少し遠いしお金がかかるし……。それで思いついたのが、学校に忍び込んで練習することだったの」
(肝座りすぎだろ)
陸は話の腰を折らないためにもお口にチャックをした。
「練習をし始めると、突然カラス兄が突撃してきた。周辺の鳥や動物達から苦情が殺到していたみたいで、事態を察したカラス兄が止めに来たんだよね」
(つまり青木の歌声は人類にも鳥類にも有害だということか)
そんな音響兵器を止めに来た勇者こそがカラス兄であり、二人の喧嘩で発せられた怒声が化け物のように聞こえていた。さらには、間が悪いことに音流がそれを聞いてしまったことで、今回の『化け物騒動』に発展してしまった。
「ことの経緯は分かったけど、家を勝手に抜け出していることがばれたらまずいんじゃないか?」
「それは大丈夫。この時間はもう、お姉ちゃんは清水さんと電話してて、そのまま寝落ちするから。ほら、カフェの経営って朝早いし、お姉ちゃんはたっぷり寝ないとダメなタイプだから」
陸は露骨に顔を歪めた。聞きたくない情報だった。あの二人は交際していないと言っていたが、そんなことをしていては交際しているのと変わらない。本人同士がどう思っていようとも第三者からは、そう見えてしまう。
「ガァー」とカラス兄が叱るように鳴くと
「あー、そうだよね。うん、わかってる」と楓は鬱陶しそうに返した。
楓は居心地が悪そうに息を吐いてから、陸と音流の二人に向き直った。
「この度はゴメイワクをお掛けしてモウシワケゴザイマセンでした」
お辞儀の角度は45度。形式ばっている謝罪だった。そんな楓の不満や不誠実さに気付いているのか、それともあえて無視しているのか、音流は人懐っこい笑みを浮かべながら言う。
「ウチはめちゃくちゃ楽しかったので謝られることなんてありませんよ」
「ありがとう。でも、もう校舎で練習するのはやめる。ごめんね」
楓の口ではそう言ったのだが、言葉とは裏腹に顔には「諦めきれない」と未練がましく書かれていた。
これでは明日も化け物の叫び声が聞こえるだろう、と陸は諦めていたのだが、音流が跳ねながら手を挙げた。
「ウチ、実はいい場所を知っているんですよ。私服なら夜遅くまで使えるカラオケボックス。そこで一緒に練習しませんか? 前はお店の定休日だけという話でしたけど、いつでも付き合いますよ。一人で練習するよりはマシなはずです……タブン!」
「そんな、悪いよ」
楓にとっては願ってもない提案のはずなのだが、本人はいまいち乗り気ではなかった。しかし音流はさらに詰め寄る。
陸は、それは大丈夫なのだろうか、と思ったが空気を読んで黙っている。
「悪い、なんて思わないでください。ウチは楓さんとカラオケに行くのが楽しいから提案しているんです。大体、ウチは好きでも楽しくもないことは基本やりませんし、嫌いなことは考えたくもありません。ウチがやりたいと口にするのは本当にやりたい時だけです。だって、やりたいことができない人生なんて価値がないじゃないですか」
音流は楓の手を取り、そっと握りしめた。
音流の言葉が琴線に触れたのか、楓は感極まったように手を握り返した。
「じゃあ、お願い、しようかな」
「もちろんです!」
話が決着した瞬間、二人の間を何かが通過した。
「ちょっと! カラス兄! 夜に空飛ぶなって言ってるでしょ」
楓が叫んだ通り、飛翔体はカラス兄だった。
どうやらうまく飛べていないようで、フラフラと蛇行しながら飛んでいる。不規則な軌道を描きながら、なぜか陸の頭にぶつかった。
そのうえ、カラス兄を止めようと追いかけていた楓も巻き込まれ、盛大に転倒した。
「この鳥目!」
陸の金切り声のような怒号が閑静な街に木霊した。
喧嘩をする一人と一匹の兄妹を見て、音流は大声で笑っていた。
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