ヶケッ

ほづみエイサク

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第10章 正常 後編

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「綿貫さん、見えたんですね」


 施設長に声を掛けられても、綿貫はすぐに答えられなかった。
 だけど、施設長は彼の顔を見た瞬間、
 表情が全てを物語っていたのだ。


「私には、ぼんやりとしか見えていません。なんとか人だとわかる程度です。
 綿貫さんには、何に見えているんですか?」


 問われて、震える唇を開く。


「婚約者だった女性です」


 施設長は固唾を呑んだ。


「結婚資金を持ち逃げして、蒸発したはずの」
「そうですか。それはなんと言っていいのか……」


 『幽霊になっている』ということは『すでに亡くなっている』ということだ。

 ずっと探していた相手が死んでいた。
 その事実に、綿貫はどこか安心してしまう。


 いや、違う。


 この安心は違う。
 違和感がある。

 とても大事な違和感だ。
 もう少しで、すべてを思い出せる。

 そんな予感が、綿貫の中で駆け巡った。


 ヶケッ


 突然、ペットの鳴き声が聞こえた。

 壊れたロボットのようにぎこちなく振り向くと、ペットの顔が目の前にあった。
 いつのまにか、綿貫のすぐそばまで近づいていたのだ。


「ひっ!」


 綿貫は反射的に殴りかかろうとした。

 だけど、手を上げようとした瞬間に、ペットのペニスに触れてしまう。


(あれ、この感触―ー)


 腕のように大きいのに、形と感触に、懐かしさを覚えていた。

 まるでペニスが鍵だったかのように、記憶が蘇ってくる。


 そうだ。
 思い出した。


(俺は、猫野郎のペニスを切り落としたんだ)


 高校生の時、捨て猫を――猫野郎を拾った。

 親に隠れて飼っていた。
 だけど、猫野郎は去勢されていなかった。

 どこかで子猫を増やされるのは非常に困る。
 しかし、その時の綿貫にはお金がなかった。

 お金を掛けずに去勢する。
 そうするしかなかった。


(成功する自信はあった)


 昔から、小動物を解体するのが好きだったから。

 実際、猫のペニスをキレイに切り落とすことが出来た。
 でも一か月もしないうちに衰弱して――


 死んでしまった。


 おそらくは傷口からバイ菌が入ってしまったのだろう。

 その時、綿貫は固く誓った。


(猫野郎の命は無駄にしない)


 猫野郎の亡骸なきがらを分解し、徹底的に調べた。

 内臓をきれいに切り分けて、整列させて、スケッチまで描いた。

 まるで宝石みたいに丁寧に扱い、腐るまで愛でた。

 
(きっと、猫野郎も喜んでくれる)


 そう信じて、次の猫を拾って、去勢した。

 また死んで、解体した。
 何回も繰り返した。

 
(楽しくなっていたんだ)


 生き物を解体することが。
 臓器を見ることが。

 綿貫にとって『腑分ふわけする行為』は『原石から宝石を掘り出す行為』と一緒だった。

 生き物は綺麗な臓器を作るために生きている。
 そう本気で考えていた。

 骨も筋肉も、臓器を支えるために存在している。
 心臓だって、臓器を動かすために血液を巡らせている。

 生き物の本質は臓器だ。

 だからこそ、生命の輝きの全てが宿っている。
 

(ああ、もっと美しい臓器を見たい)


 そして、その興味は人間にも向いた。

 そんな折に、社会人になり、恋人が出来た。
 自然な流れで婚約し、同棲まで始めた。

 夜の生活には少し難はあったが、幸福に満ちていたと断言できる。


 そして、綿貫は彼女を殺すことになる。


 婚約者が不倫をしたわけでも、何か恨みがあったわけでもない。
 本当に大好きで、愛していて、ずっとずっと一緒にいたくて、彼女のためなら死ぬことだってできた。

 ただ、我慢できなくなっただけだ。


 事が起きたのは、結婚式の一か月前。


 綿貫は求められて、婚約者を強く抱いた。

 その瞬間、途轍もない衝動に掻き立てられた。

 柔肌。

 その奥にある肉、筋肉。

 そして、骨に支えられた臓物・・に惹きつけられた。


(ああ、最高の時間だった)


 生きたまま臓器を取り出し、愛でた。

 腸も胃もすい臓も肝臓も十二指腸も、何もかもが輝いて見えて、人生で最も興奮した。


 だけど、結果として・・・・・婚約者は死んだ。


 結婚資金は彼女の死体と一緒に埋めたのだ。
 自分が疑われないように。

 それに、婚約者と一緒に幸せな家庭を築くためのお金だったから。
 自分のためだけに使う気分には、到底なれなかったのだ。

 それ以降、ポッカリと空いた穴を埋める気にもなれず、老人まで生き続けた。

 
(そうだ、全部思い出した)


 綿貫は皺だらけの手を上げて、婚約者の幽霊に触れようとした。
 だけど、当然のごとくすり抜けてしまう。

 だから、語り掛ける。


「ああ、お前は、俺を殺しに来たのか?」


 綿貫はに向けて、とても怯えた目を向けた。

 純粋で、そして、途方もない残虐性を内包した瞳。
 本当に魅力的。

 ああ、もう我慢できない。



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■■■■■私は彼を優しく抱きしめた■■■■
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■■ああ■やっと気づいてくれましたね■■■
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■■そう■■■■■■微笑んだ■■■■■■■
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次回、ついにクライマックスです
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