星空色の絵を、君に ~インクを取り出す魔法使いは、辺境訳アリ画家に絵を描かせたい~

唄川音

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第2章

22.吉凶禍福(後編)

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 気持ちが浮かない時でも、お腹は減る。ロティアは仕事部屋の鍵を閉めると、夕食のため食堂に向かった。すると、廊下の先にハルセルとポーラが一緒にいるのが見えた。

「こんばんは、ハルセル、ポーラ……って、えっ!」

 ロティアの方に顔を向けたふたりを見て、ロティアはギョッとした。ポーラが大粒の涙をこぼして泣いているのだ。ハルセルは困り果てた顔をしている。すかさずフフランがポーラの頭の上に飛び乗る。

「どうしたんだよ」
「何かあったの、ハルセル?」
「俺も全部は知らないんだけど、今日、お客にキツイこと言われたらしい」
「お客様に?」

 ロティアは泣きじゃくるポーラの顔をのぞきこみ、優しく尋ねた。

「ポーラ、なんて言われたんですか? 話せそう?」

 ポーラはしばらく肩を揺らして泣いていた。廊下を歩く社員たちがチラチラと三人と一羽を見ている。ポーラはまだ新人で、顔を知らない社員もいるからか、声をかけてくる者はいない。

「……お、お前の、魔法のせいで、商売上がったりだって……」
「それってつまり、インク業者さんってことですか?」
「……わ、わかりません。お客さんとして、来て、最初は、インクを、色を、変えてほしいって、ただ言ってて。でも、インクの色が、変わったら、急に態度が変わったんです。インク瓶を、叩きつけて、……こ、こんなことされたら、たまったもんじゃないって、怒鳴られて……」
「ポーラの評判を知って、インク業者が本当か確かめに来たってことか」とハルセル。

 ロティアは、入社して間もない頃に、同じようなお客が来たのを思い出した。



『――あんたが紙からインクを取り出す魔法使いって奴か』

 大柄な男は、不機嫌な顔で、分厚い本を持って偉そうに仁王立ちしている。
 ロティアは肩のフフランを感じながら、『はい』と丁寧に答えた。

『ちょっくらやってみろ』

 そう言って分厚い本が差し出される。

『えっと、どの文字を消せば良いんでしょうか』
『なんでもいいからあんたの魔法を見せてみろ』

 余計なことは言わない方が良さそうだ。
 ロティアは目次のページを開き、目次の数字をすべて取り出し、瓶の中に入れた。
 一連の出来事にあんぐりと口を開けていた男は、ロティアと目が合うと、我に返った。

『なるほど。本当にそういう魔法なんだな』
『……はい』
『今すぐここでその仕事を辞めるか、俺と契約をするか選べ』

 フフランが『契約?』と繰り返すと、男はまたあんぐりと口を開けた。話すハトを見たのは初めてのようだ。『魔法ってのは何でもありだな』と恨めしそうにつぶやく。

『そうだ、その取り出したインクを、再利用しないという契約だ』
『再利用』
『あんたが取り出したインクを、新しいインクとして使われたら、俺たちインク業者は商売上がったりだ。誰もインクを買わなくなる。だから取り出したインクは二度と使えない、使わない、という約束をしろ。お客に言われても無理だと言うんだ』

 言い方や態度はともかくとして、話の内容は最もだ、とロティアは思った。
 ロティアは自分の魔法で誰かを幸せにしたいのだ。ロティアの魔法で誰かが苦しんだり、悲しんだりするのはできるだけ避けたい。こんな態度の人だとしても。

『……わかりました。約束します』
『よしっ。それじゃあ今ここで、契約書を作ろう。それにサインしたら、もうあんたの仕事に口出ししねえよ』
『そっちも約束は守れよ』

 フフランが強い語調でそう言うと、男はひるんだ様子で『わかってる』と答えた。



 ロティアが約束を守り続けているおかげで、あの大柄な男はロティアの前には一度も現れていない。
 しかしポーラの怯え方から察するに、今回もあの男だろうか。

「苦労して、作ったインクを、真似して作られたら、商売上がったりだって、言われて……。でも、わ、わたし、一般的な色しか、作れないから。そう言っても、聞いてもらえなくて……」
「そうだったの」

 つまりオーケが作る様な光る鉱物の粒を内包したインクは作れないということだ。
 しかし特殊な魔法は進化する可能性が極めて高い。ポーラがこのまま魔法を使い続ければ、恐らく多種多様なインクを作れるようになってしまうだろう。そうなった時、ポーラはもっと責められてしまうのだろうか。

「ケガはないんですよね?」

 ロティアの問いかけに、ポーラは小さくうなずいた。そしてまた大粒の涙を流し始めると、ロティアはポーラをそっと抱きしめ、唇をかみしめた。

 ――まさかポーラのところにまで、ひどいお客様が来るなんて。本当に、今、魔法特殊技術社への風当たりは厳しいんだ。

 リジンと一緒に過ごした夜のことなど、ずっと昔のことのように思える。
 リジンの笑顔を思い浮かべると、ロティアまで泣きたくなった。それでも、フフランの温かみが頭の上に感じられ、何とか堪えることができた。


 泣きじゃくるポーラを励ましながら夕食を終えると、ポーラを部屋に送り届けたロティアとハルセルも自室に向かって歩き出した。

「……ねえ、ハルセル。魔法特殊技術社への風当たりが強くなってるって話、知ってる?」
「ああ。同期の渉外の奴らから聞いた。常連客は相変わらず利用してくれるみたいだけど、新規はさっぱりだって」
「そうなんだ……」

 ロティアがしょんぼりとうつむくと、ハルセルは「そういえば」と声を上げた。

「ロティアは、ケイリーの記事って読んだか?」

 その顔には「読んでないと良いんだけど」と書かれている。

「……読んではないよ」
「そっか。先に言っておくけど、読むもんじゃないからな」
「そうなの?」
「ああ。ひどいもんだよ。ケイリーと付き合いがある奴なら、変だってすぐに気づくよ。言わせたいことを引き出すような記事なんだもん」

 ハルセルは「読む価値無しっ!」とバッサリ言い切った。

「本当にそうなんだ……」
「公平であるべき新聞社がやることじゃねえな」

 ロティアがしょんぼりと肩を落とすと、フフランは年老いた老人のような深いため息をついた。

「……さっきね、ケイリーの記事も風当たりが強くなった原因の一つなんじゃないかって話してるのを聞いたんだ。ケイリー、恨まれて危ない目に合ったりしないよね」
「大丈夫だ、と言い切ることはできないかもな。そもそもケイリーが独立したのは裏切りだって思ってる奴らもいるみたいだし」
「えっ、そうなの」
「うん。特に社長支持派はな。社長への恩を仇で返してるって」
「でも、ヴォーナの親父さん、社長さんは独立賛成派だろう?」
「そうなんだけどな。特殊な魔法を持ってる者同士、一人だけ成功するのが気に入らない奴もいるんだろ」

 「めんどうだよな、嫉妬って」とハルセルはため息交じりに言った。

 ロティアもため息をつきたい気持ちになった。
 ロティアの周りでは想像以上に様々なことが起こっている。それも負の感情をはらんだ出来事ばかりだ。
 ハルセルの言葉に「本当だね」と答えながら、ロティアはため息がこぼれないように唇をかみしめた。
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