星空色の絵を、君に ~インクを取り出す魔法使いは、辺境訳アリ画家に絵を描かせたい~

唄川音

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第2章

16.路地裏での騒動

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 ケイリーと別れると、ロティアとフフランは足早に魔法特殊技術社に向かった。

「外に出て良かったな。おかげでリタにもケイリーにも会えた」
「うんっ。すっかり元気になっちゃった!」

 ロティアが声を弾ませながらスキップをすると、フフランもそれに合わせるように高低差を付けてビュンビュンと飛んだ。

「これからはもう少し頻繁に外で食べようかな。そしたらまた今日みたいに会えるかも」
「良いな! 賛成!」

 ロティアとフフランはニコッと微笑み合った。

 足取り軽やかに最後の角を曲がった時、ロティアは二人組の女性とぶつかりそうになった。

「わっ、ごめんなさい!」

 一瞬、魔法特殊技術社の社員かと思い、ドキリとしたが、他人の空似だった。

「こっちこそごめんなさい! 慌てて」

 ロティアは会釈をして女性たちの隣を通り過ぎた。

「あー、怖かったあ。喧嘩だよね?」
「たぶんね。あんな怒鳴り声上げてたし」
「あっちって魔法特殊なんちゃらの方だよね。魔法で衝突とか起こらなきゃいいけど」

 後ろから聞こえてくる会話に、ロティアとフフランは顔を見合わせた。

 また何かが起こっている可能性があるのだ、魔法特殊技術社の方角で。このタイミングに。

 ロティアの心臓がざわめき始める。

「……なんだか、嫌な予感がするよ、フフラン」
「オイラもだ。急ごう、ロティア」

 ロティアとフフランは足を速めた。

 すぐに魔法特殊技術社の灯りが見えてきた。
 この辺りだろうかとロティアとフフランはキョロキョロと周囲を見回しながらゆっくりと歩く。

「気を付けろよ、ロティア。斬りつけのこともあるから」
「いい加減にしてよ!」

 フフランが言い終える前に、どこからか激しい声が上がった。間違いなくシアの声だ。

「こっちだ!」

 ロティアよりも音に敏感なフフランが声がした方に向かって行った。魔法特殊技術社の社員用入り口の方だ。
 フフランを追いかけながら、ロティアは歯をギリッとかみしめた。

 ――やっぱり何かに巻き込まれてるのはシアなんだ。わたしだけじゃどうにもできなかったらどうしよう。

 心臓がバクバクと大きな音で鳴る。走ったからではない。言い寄れない緊張がロティアを襲っているのだ。
 前を飛ぶフフランがくるっと体を翻し、ロティアの肩に止まった。

「あの路地だ」

 魔法特殊技術社の社員用入り口は、社屋を囲む塀の裏手にある。そのあたりは閑散としていて、狭い路地がいくつもある。そのうちの一つから声が聞こえてきた。

「一体何人誑かせば気が済むわけ?」

 聞き覚えのある声だ。恐らく魔法特殊技術社の社員だろう。

「だから、わたしは何も知らないって言ってるでしょう。あっちが勝手に言い寄って来て……」
「よくもまあそんな嘘がつけるわね! こんなに被害者が居るのに」

 シアの言葉をかき消すように怒鳴り声が上がった。
 ロティアは目を細めて、シアを探した。シアは壁際に立っていた。その周りを十数人の人々が半円を描いて囲っている。

「どうしよう、フフラン。シアが責められてるってことだよね。怪我とかしてないかな」
「落ち着け、ロティア。オイラが誰か呼んでくるから、ロティアはここでシアを見ててくれ。あ、でも、何かあっても出て行くなよ。危ないからな」
「わかった。フフランも気を付けてね。お願いね」

 「ああ」と答えると同時に、フフランは空高く飛び上がった。
 ロティアは魔法特殊技術社の塀に身を預け、暗がりに見えるシアをジッと見つめた。目が慣れてくると、シアの他に誰がいるのかが見えてきた。全部で十三人。ロティアにシアの不穏な噂を教えてくれた女性社員はほとんどいるようだ。他には顔を見た覚えがある男性社員も数人いる。

 ――ここにいる人全員が、シアに恋人を取られたってこと? シアが十三人も誑かしたってこと?

 現実離れした話だ。ロティアは目の前の事実が受け入れられなかった。

「ちょっと綺麗だからって調子に乗らないでよね!」
「その顔でいれば誰でも許してくれると思ってるんだろ」

 シアを責める声はますます勢いを増していく。声は反対側の大通りにも聞こえていそうだ。
 そんな怒号を、シアは一人で受け止めているだなんて。
 ロティアはフフランとの約束を守るため、何とか自分が飛び出していかないように塀に両手の爪を立てて張り付いた。

「……ロティア」

 突然後ろから声をかけられ、ロティアは「ひゃっ!」と思わず声を上げてしまった。その声で、シアとシアを囲む人たちがこちらに気づいた。振り返ると、そこにはフフランを連れたカシューがいた。

「悪い、驚かせて」
「う、ううん。それよりも、シアが……」
「なんだ、あんたね、カシュー。シアの毒牙にはまった一人」

 そう言ったのは、あの声が大きな女性社員だ。ロティア達の方に歩み寄ってくる。
 カシューはロティアにフフランを預け、女性社員に向かって行った。

「変な言いがかりはやめろよ、モーカ。俺はシアのただの友人だ」
「フン、良く言うわよ。いっつもシアを庇って」

 女性社員はカシューを避けてロティアの方を見た。

「まあ、今回は温室育ちのお嬢さまが通報したみたいだけど」

 ロティアは女性の方をキッとにらんだ。

「その呼び方やめてください、って言いたいところだけど。一体何をしてるんですか。シアに寄ってたかって……」
「フン、良いわ。よく聞きなさい、箱入りお嬢さま。この女はね、人の恋人を平気で何人も誑かして、弄ぶ性悪なのよ」
「前に住んでたところでも、人の恋人をみんな食い尽くしたから、ここに来たんだろう。弄ぶ相手がいなくなったから」
「だから、そんなことしてないって、何度も言ってるでしょう。あっちが言い寄って来たんだよ。わたしは名前も覚えてないような相手で……」

 シアはうつむいたまま吐き捨てるように言った。ロティア達の方すらも見ようとしない。
 迷惑だったのかな、という不安がロティアの頭をよぎる。

「俺も、シアがそんなことをするとはとても思えないな。ロティアとフフランもだろう?」

 カシューの問いかけに、ロティアとフフランは声を揃えて「うん」と答える。

「証拠はあるのか? シアが誑かしたっていう」
「そんなの、俺の恋人が突然別れたいと言って、理由を聞いたら、『シアを好きになったから』って言ったからさ」
「わたしの恋人もよ。もうわたしなんか愛してないって、本当の愛を見つけたんだって言うのよ。そんなこと言う人じゃなかったのに!」

 全員が証拠となる話をしたが、それは全て一様に、「シアを好きになったから、恋人から分かれてほしいと言われた」という内容だった。つまり、物的な証拠はないということだ。
 ロティアたちは言葉を失い、顔を見合わせた。

「それって、皆さんの恋人が、勝手にシアを好きになっただけじゃ……」
「そんなはずないわ! わたしを愛してるって、結婚しようって言ってくれたもの!」

 一人の女性社員はワッと泣き出した。

「コイツら、恋人の突然の心変わりが受け入れられなくて、シアのせいにしてるだけなんじゃないか」

 フフランがうんざりした声でつぶやく。
 カシューも額に手を当てて、呆れたような声を上げた。

「それじゃあ、その恋人たちがシアと会っているところは見たのか? シアがどんな対応をしているのか見た奴は?」
「そんなの見たくないわよ!」
「どうせ誑かして終わりだろう! それを楽しんでるんだからな!」

 シアを魔性の女に仕立て上げる声がますます勢いを増していく。あまりの大声に、ロティアはまた心臓がドキドキしてきた。

「シアと恋人がいるところを見ていないのなら、それはただの言いがかりだろう。お前たちの恋人が、勝手にシアに好意を持つようになって、お前たちに別れを求めているだけだ。現実を見ろ」
「何よ、カシュー! あんたって最低ね!」
「コイツはシアに盲目になってるんだから当然よ!」
「アンタなんて、斬りつけ犯として警察に突き出してやる!」

 そう言って、一人の女性社員がシアにつかみかかろうとしたその時だった。

「何を騒いでいる!」

 大通りの方角から眩しいほどの光が差し込んできた。

「警察だ!」

 深いグレーの制服に身を包んだ警察官が、ガスランプを持って路地に入って来た。その場にいた全員が、ランプの眩しさに目を細める。

「この辺りが騒がしいと通報があったんだ。何か揉めているのか」

 カシューよりは背が低いが、横には大きい警察官は、全員に鋭い目を走らせた。
 シアを警察に突き出してやる、と言った女性も、その威圧感に黙りこんでいる。
 すると、カシューが前に出て行った。

「お騒がせしてすみません。これから帰るところです」

 警察官はカシューの全身を見てから、右胸のバッジに気が付くと、「魔法特殊技術社の社員か」とつぶやいた。

「内輪揉めはほどほどにするように。組織の名に泥を塗ることになるぞ。ただでさえ疑われているんだからな」

 ――疑われてるって、魔法特殊技術社が?

 ロティアとフフランは顔を見合わせた。

「ご助言ありがとうございます」

 カシューは極めて冷静に答える。

「この頃は斬りつけアヴィスなんてのもいて、こっちは気が立ってるんだ。夜に面倒ごとを起こすな」

 吐き捨てるようにそう言い、警察官は大通りへ戻って行った。
 その姿が見えなくなると、カシューはくるりとこちらを向いた。

「さて。帰るとするか」
「……話はまだ終わってない」
「また警察に睨まれたいのか?」

 カシューはため息交じりに「それに」と続ける。

「お前たちの言い分を聞くに、シアが誑かしてると、俺はとても思えない。シアを責める前に、一度冷静に恋人と話し合え。今からでも会いに行くんだな」

 カシューはロティアとシアの背に手を添え、ゆっくりと歩き出した。

「い、良いの、カシュー?」
「良いタイミングで警察が来て、みんなの怒りも鎮火しただろう。さっさと退散した方が良い」

 ロティアは後ろで立ち尽くす人々をチラッと見た。
 確かに先ほどのまでの威勢はどこへやら。全員が茫然としている。蝋燭の火が水で一気に消されたような光景だ。

「アイツらだって、本当はわかってるんだろ。シアのせいなんかじゃないって」
「それは、まあ。冷静になれば、わかることだよね」
「……昔からだから」

 シアがささやいた。

「わたしが、人に嫌われすぎるのも、好かれすぎるのも。それで、周りに迷惑をかけるのも」
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