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小話
5.命を吹き込む画家とインク職人の出会い(後編)
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「うちへの入り方はちょっと特殊なんだ。木の中を通る時は違和感があるかもしれないが、遠慮せずに前進してくれ」
「は、はい」
オーケは現れた時と同じように、幹を避け、木と木の隙間を通っていった。リジンもその動きを真似て、木と木の間に体を滑り込ませる。そしてそのまま足を進めていくと、突然木の葉の濃い匂いに体中を覆われる感覚に襲われた。それはとても心地よく、リジンは一瞬にして眠りについてしまいそうになった。
目を閉じて顔を上げたリジンは、「わあっ!」と声を上げた。
木の群生の中には、全面ガラス張りの建物が建っていたのだ。それも瓶のような形をした円柱形だ。木漏れ日を照り返すガラスは、星明りのように煌めいている。リジンは自分が泣いていたことも忘れ、見たこともない光景に見とれた。
「……すごい。こんなお家、初めて見ました。ちょっとした森みたいで、不思議で、素敵なお家ですね」
「気に入ってもらえてよかった」
ドアの前に立つオーケは、うれしそうに笑った。
ガラスでできたドアを通り、緑色のカーペットが敷かれた廊下を進んでいくと、談話室に通された。素材や大きさ、色が異なる椅子以外の家具は、すべてリジンの家と同じ白色の木でできていて、レースのクロスがかかっている。
「好きな席にどうぞ。おすすめは夜空色のソファかな」
リジンは「ありがとうございます」とささやき、鼻をすすりながら夜空色のソファに座った。ソファはフカフカで気持ちが良い。柔らかいものに包まれると、興奮していた心は少し落ち着いた。
オーケはカップとソーサーをもう一組持ってくると、ポットに入っていたお茶を注いで、リジンに渡してくれた。「ちょうどよく蒸されておいしいはずだよ」という言葉を添えて。
「ありがとうございます……」
「クッキーもお上がり。ここのは格別美味しいんだ」
オーケはアーモンドが乗ったクッキーを頬張り、お茶を飲んだ。
リジンはポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐってから、同じようにクッキーを一つ食べて、お茶を飲んだ。甘い味と茶葉の渋みがちょうどよい塩梅で、リジンはうっとりとため息を付いた。
「少しはリラックスできたかな?」
「あ、はい。ありがとうございます。……すみません、急に泣いたりして」
「いやいや。涙は勝手に出ることがあるからね、君は悪くない」
オーケは穏やかにそう言って、クッキーをもう一つ口に運んだ。ボリボリという小気味よい音がオーケの方から聞こえてくる。その音を聞いているうちに、リジンの心はますます落ち着いて行った。
いつも通りの速さで心臓が動いているとわかると、リジンはふうっと息をついてから、口を開いた。
「……突然訪ねたのに、ご親切に、ありがとうございます」
「どういたしまして。わたしに用がある、と思って良いのかな?」
「はい。……えっと、これ」
リジンはズボンのポケットからインク瓶を取り出した。するとオーケは「おや」と嬉しそうな声を上げ、ズイッと身を乗り出してきた。
「……これ、オーケさんが作ったんですよね?」
「ああ。わたしの最高傑作だね」
本当にこの人が、このインクを作ったんだ。
それがわかった途端、リジンは胸が震えるという経験をした。
「……俺も、そう思います」
リジンが弱弱しく微笑むと、オーケもふわっと笑った。目尻のシワが魅力的な笑顔だ。
「俺、このインクを作った人に、会いたいって思ったんです。それで、隣町の雑貨屋さんに、話を聞いて」
「それでわざわざこんな僻地に」
「あ、でも、俺もこの町に住んでるので、わざわざってほどじゃ……」
「おや、隣人だったのか!」
オーケが細い目を見開いて驚くと、そのかわいらしい表情に、リジンは思わずクスッと笑った。
「この町にわたし以外の住人がいたとは驚きだ。お一人かい?」
リジンは一瞬戸惑い、「……はい」とだけ答えた。
「……あ、でも、俺のことは、良いんです。それよりも、オーケさんのお話を聞かせてもらえませんか? どうしてこんなにも素敵なインクを作ったんですか?」
オーケは真剣な表情で三秒だけリジンを見つめた。しかしすぐにまた優しい笑顔に戻った。
「それじゃあ先に質問をしても良いかな?」
「はい」
「どうしてリジンさんは、このインクについて知りたいと思ったんだい? 作った人に会いたいと思うなんて、かなり熱烈じゃないかい?」
「……星空みたいできれいだって、思ったからです」
そう答えた途端、オーケの瞳が星のようにきらりと輝いた。
「わたしは元々日中のほとんどを採掘所で過ごすような生活をしていたんだ。外に出るのは決まって夜だった」
「どうしてですか?」
「急に朝の光の中に出て、目がやられるといけないからね」と言って、オーケは自分の目を指で指した。リジンは納得してコクコクとうなずく。
「空を見る時は決まって夜空。そう聞けば同情してくれる人もいるかもしれないが、わたしは当時の自分のことをそう不幸だとは思っていなくてね。光り方も色も違うけれど、確かに夜空で輝いている星を見るのが好きだった」
リジンは「わかります」とだけ答えた。リジンも寝る前には毎晩星を見る。一つとして同じ星が無い星空は、おかしな魔法を使うリジンにとって、「人と違っても良い」と言ってくれているような気がするからだ。
「そしてある時、フェイゼルフィアを見つけたんだ。金にも負けない黄金のまばゆい輝き。それは、星を思わせた。そこからのわたしの行動は早かったよ。フェイゼルフィアを採れるだけ採って、採掘所での仕事を辞め、インク職人一筋に変えたんだ。星空を思わせるようなきらめきを持つインクを作りたい、その思いに突き動かされてね。だから君に、『星空みたいできれいだ』と言ってもらえて、本当に嬉しいんだ。自分の思惑通りのものができたんだと、他人からも言ってもらえたわけだからね」
オーケは頬を赤くし、顔をシワシワにして満足そうに微笑んだ。
自分の言葉で、人を喜ばせることができるなんて。
魔法のせいで自分を責め続ける毎日だったリジンにとって、オーケの笑顔は何よりも心に響いた。
リジンはまた涙がこぼれそうになるのを必死にこらえながら、その笑顔をジッと見つめ、目に焼き付けた。
その後は、オーケがどうやってこのインクを作ったのかを話してくれた。読者の皆さんはロティアとフフランと一緒に聞いた話だ。実際に原料となるフェイゼルフィアを見せてもらうと、オーケの話のとおり、夜空を彩る星のような金色をしていた。持つと、少し金色の粒が手にくっつく。
「色は金色だが、金とは全く異なる鉱物らしい。昔の人々は違いがわからなかったそうで、あくどい者たちはこれを金として人を騙していたらしい」
「確かに素人じゃ違いが分かりませんね」
「本物の金を見る機会がないからねえ」
オーケは「ハッハッハッ」と笑って、リジンからフェイゼルフィアを受け取った。丁寧に柔らかい紙で包み、箱の中にしまう。
「それでは、君の質問に答えよう。なぜわたしがこのインクを作ったのか」
リジンは姿勢を正して「はい」と答える。
「それはね、君のように、このインクを見て目を輝かせてくれる人がいたら良いなと思ったからだよ」
「インクを見て、目を輝かせてくれる人……」
「そう。わたしはインク職人だからね」
「俺もそうだ」とリジンは思った。
絵を描いて、それを見た母さんたちが喜んでくれるのが嬉しかった。
俺の絵を見て、目をキラキラさせている人を見るのが好きだった。
俺の絵で、誰かを幸せにしたかった。束の間でも良い、穏やかな気持ちになってほしかった。
それは俺が、画家だからだ。
リジンは目の前が明るくなったような気がした。突き抜けるような晴天の夜空の中で、一番星を見つけたような。
「……あの、俺、実は絵を描くんです」
「ほう! それじゃあ、その絵でわたしのインクを?」
「はい。使いたいなと思ってて。でも……」
リジンはオーケに自分の魔法の話をした。それが理由で家族と離れていることも。話し出した時は手に汗がにじんでいたが、オーケの穏やかな相槌を聞いていると、自然と心は落ち着いた。
オーケはどちらについても心から心配をしてくれた。お節介かもしれないが、今後は積極的に会おうと提案までしてくれた。
「君の絵、ぜひ見てみたいけどなあ」
「俺も、オーケさんに見てもらいたいです。だから、今話しながら考えてたんですけど、絵を描いて、オーケさんに見てもらったら、燃やしてしまうのはどうでしょうか」
「……絵を、燃やす」
「はい。俺の魔法は、三日経つと発動するんです。だからそれまでに燃やしてしまえば問題ないと思って」
話をしながら「これは名案だ!」とリジンは思った。
期間が短い個展ならば、人に絵を見せることもできる。多少ならお金を稼ぐこともできる。絵で生活をしていくことができるかもしれないのだ。
リジンの晴れ晴れとした表情とは反対に、オーケは寂しそうな顔をしていた。
リジンはハッとして、うつむいた。
「自分のインクを焼くって言われたら、嫌ですよね。すみません、無神経でした」
「いやっ! 違うんだ! ……リジンさんが一生懸命描いた絵を、燃やしてしまうのが、心苦しいなと思って」
「……えっ?」
「わたしは絵を描くことはしないが、絵を見ることはするんだ。絵とは命が燃えている作品だと、わたしは思っている。時間をかけ、労力をかけ、愛情をかけて絵を描く。大変な仕事だ。そんな絵を燃やしてしまわなければならないのは、わたしは悲しい。だから、リジンさんも悲しいだろうなと思って」
「……俺のために、そんな顔を?」
オーケは弱弱しく微笑みながら、顔の前で手を横に振った。
遠慮がちなオーケの表情に、リジンはまた泣きそうになった。
こんな素敵な人に出会えるなんて、一人きりを選んだ時は想像もしなかった。
もし今涙が流れるとしたら、それはうれし涙だ。
リジンはグッと唇をかみしめて涙を堪え、震える声で答えた。
「……オーケさんが一緒なら、大丈夫です。むしろ、見てほしいです、俺の絵」
「……そうか。それじゃあ、ぜひ見せておくれ。わたしのインクで描く、君の絵を」
リジンは力強くうなずいた。その時、リジンの胸の中に、一番星のような眩しい情熱が燃え上がった。
また誰かのために絵が描けるんだ。
絵を描くことはリジンの希望だ。
――リジンはシャツの胸のポケットから一つの封筒を取り出した。星空色のインクで「ロティアへ」と書いてある。
「手紙と、ロティアの絵を描いたんだ」
ロティアは目を輝かせて「わたしの?」と繰り返す。
「うん。俺の隣にいるロティアを見るのが好きなんだ」
リジンはロティアの手を取り、そっと封筒を握らせた。
「星空色の絵を、ロティアにもらってほしいんだ。俺が大好きな色で描いた、大好きな人の絵」
「は、はい」
オーケは現れた時と同じように、幹を避け、木と木の隙間を通っていった。リジンもその動きを真似て、木と木の間に体を滑り込ませる。そしてそのまま足を進めていくと、突然木の葉の濃い匂いに体中を覆われる感覚に襲われた。それはとても心地よく、リジンは一瞬にして眠りについてしまいそうになった。
目を閉じて顔を上げたリジンは、「わあっ!」と声を上げた。
木の群生の中には、全面ガラス張りの建物が建っていたのだ。それも瓶のような形をした円柱形だ。木漏れ日を照り返すガラスは、星明りのように煌めいている。リジンは自分が泣いていたことも忘れ、見たこともない光景に見とれた。
「……すごい。こんなお家、初めて見ました。ちょっとした森みたいで、不思議で、素敵なお家ですね」
「気に入ってもらえてよかった」
ドアの前に立つオーケは、うれしそうに笑った。
ガラスでできたドアを通り、緑色のカーペットが敷かれた廊下を進んでいくと、談話室に通された。素材や大きさ、色が異なる椅子以外の家具は、すべてリジンの家と同じ白色の木でできていて、レースのクロスがかかっている。
「好きな席にどうぞ。おすすめは夜空色のソファかな」
リジンは「ありがとうございます」とささやき、鼻をすすりながら夜空色のソファに座った。ソファはフカフカで気持ちが良い。柔らかいものに包まれると、興奮していた心は少し落ち着いた。
オーケはカップとソーサーをもう一組持ってくると、ポットに入っていたお茶を注いで、リジンに渡してくれた。「ちょうどよく蒸されておいしいはずだよ」という言葉を添えて。
「ありがとうございます……」
「クッキーもお上がり。ここのは格別美味しいんだ」
オーケはアーモンドが乗ったクッキーを頬張り、お茶を飲んだ。
リジンはポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐってから、同じようにクッキーを一つ食べて、お茶を飲んだ。甘い味と茶葉の渋みがちょうどよい塩梅で、リジンはうっとりとため息を付いた。
「少しはリラックスできたかな?」
「あ、はい。ありがとうございます。……すみません、急に泣いたりして」
「いやいや。涙は勝手に出ることがあるからね、君は悪くない」
オーケは穏やかにそう言って、クッキーをもう一つ口に運んだ。ボリボリという小気味よい音がオーケの方から聞こえてくる。その音を聞いているうちに、リジンの心はますます落ち着いて行った。
いつも通りの速さで心臓が動いているとわかると、リジンはふうっと息をついてから、口を開いた。
「……突然訪ねたのに、ご親切に、ありがとうございます」
「どういたしまして。わたしに用がある、と思って良いのかな?」
「はい。……えっと、これ」
リジンはズボンのポケットからインク瓶を取り出した。するとオーケは「おや」と嬉しそうな声を上げ、ズイッと身を乗り出してきた。
「……これ、オーケさんが作ったんですよね?」
「ああ。わたしの最高傑作だね」
本当にこの人が、このインクを作ったんだ。
それがわかった途端、リジンは胸が震えるという経験をした。
「……俺も、そう思います」
リジンが弱弱しく微笑むと、オーケもふわっと笑った。目尻のシワが魅力的な笑顔だ。
「俺、このインクを作った人に、会いたいって思ったんです。それで、隣町の雑貨屋さんに、話を聞いて」
「それでわざわざこんな僻地に」
「あ、でも、俺もこの町に住んでるので、わざわざってほどじゃ……」
「おや、隣人だったのか!」
オーケが細い目を見開いて驚くと、そのかわいらしい表情に、リジンは思わずクスッと笑った。
「この町にわたし以外の住人がいたとは驚きだ。お一人かい?」
リジンは一瞬戸惑い、「……はい」とだけ答えた。
「……あ、でも、俺のことは、良いんです。それよりも、オーケさんのお話を聞かせてもらえませんか? どうしてこんなにも素敵なインクを作ったんですか?」
オーケは真剣な表情で三秒だけリジンを見つめた。しかしすぐにまた優しい笑顔に戻った。
「それじゃあ先に質問をしても良いかな?」
「はい」
「どうしてリジンさんは、このインクについて知りたいと思ったんだい? 作った人に会いたいと思うなんて、かなり熱烈じゃないかい?」
「……星空みたいできれいだって、思ったからです」
そう答えた途端、オーケの瞳が星のようにきらりと輝いた。
「わたしは元々日中のほとんどを採掘所で過ごすような生活をしていたんだ。外に出るのは決まって夜だった」
「どうしてですか?」
「急に朝の光の中に出て、目がやられるといけないからね」と言って、オーケは自分の目を指で指した。リジンは納得してコクコクとうなずく。
「空を見る時は決まって夜空。そう聞けば同情してくれる人もいるかもしれないが、わたしは当時の自分のことをそう不幸だとは思っていなくてね。光り方も色も違うけれど、確かに夜空で輝いている星を見るのが好きだった」
リジンは「わかります」とだけ答えた。リジンも寝る前には毎晩星を見る。一つとして同じ星が無い星空は、おかしな魔法を使うリジンにとって、「人と違っても良い」と言ってくれているような気がするからだ。
「そしてある時、フェイゼルフィアを見つけたんだ。金にも負けない黄金のまばゆい輝き。それは、星を思わせた。そこからのわたしの行動は早かったよ。フェイゼルフィアを採れるだけ採って、採掘所での仕事を辞め、インク職人一筋に変えたんだ。星空を思わせるようなきらめきを持つインクを作りたい、その思いに突き動かされてね。だから君に、『星空みたいできれいだ』と言ってもらえて、本当に嬉しいんだ。自分の思惑通りのものができたんだと、他人からも言ってもらえたわけだからね」
オーケは頬を赤くし、顔をシワシワにして満足そうに微笑んだ。
自分の言葉で、人を喜ばせることができるなんて。
魔法のせいで自分を責め続ける毎日だったリジンにとって、オーケの笑顔は何よりも心に響いた。
リジンはまた涙がこぼれそうになるのを必死にこらえながら、その笑顔をジッと見つめ、目に焼き付けた。
その後は、オーケがどうやってこのインクを作ったのかを話してくれた。読者の皆さんはロティアとフフランと一緒に聞いた話だ。実際に原料となるフェイゼルフィアを見せてもらうと、オーケの話のとおり、夜空を彩る星のような金色をしていた。持つと、少し金色の粒が手にくっつく。
「色は金色だが、金とは全く異なる鉱物らしい。昔の人々は違いがわからなかったそうで、あくどい者たちはこれを金として人を騙していたらしい」
「確かに素人じゃ違いが分かりませんね」
「本物の金を見る機会がないからねえ」
オーケは「ハッハッハッ」と笑って、リジンからフェイゼルフィアを受け取った。丁寧に柔らかい紙で包み、箱の中にしまう。
「それでは、君の質問に答えよう。なぜわたしがこのインクを作ったのか」
リジンは姿勢を正して「はい」と答える。
「それはね、君のように、このインクを見て目を輝かせてくれる人がいたら良いなと思ったからだよ」
「インクを見て、目を輝かせてくれる人……」
「そう。わたしはインク職人だからね」
「俺もそうだ」とリジンは思った。
絵を描いて、それを見た母さんたちが喜んでくれるのが嬉しかった。
俺の絵を見て、目をキラキラさせている人を見るのが好きだった。
俺の絵で、誰かを幸せにしたかった。束の間でも良い、穏やかな気持ちになってほしかった。
それは俺が、画家だからだ。
リジンは目の前が明るくなったような気がした。突き抜けるような晴天の夜空の中で、一番星を見つけたような。
「……あの、俺、実は絵を描くんです」
「ほう! それじゃあ、その絵でわたしのインクを?」
「はい。使いたいなと思ってて。でも……」
リジンはオーケに自分の魔法の話をした。それが理由で家族と離れていることも。話し出した時は手に汗がにじんでいたが、オーケの穏やかな相槌を聞いていると、自然と心は落ち着いた。
オーケはどちらについても心から心配をしてくれた。お節介かもしれないが、今後は積極的に会おうと提案までしてくれた。
「君の絵、ぜひ見てみたいけどなあ」
「俺も、オーケさんに見てもらいたいです。だから、今話しながら考えてたんですけど、絵を描いて、オーケさんに見てもらったら、燃やしてしまうのはどうでしょうか」
「……絵を、燃やす」
「はい。俺の魔法は、三日経つと発動するんです。だからそれまでに燃やしてしまえば問題ないと思って」
話をしながら「これは名案だ!」とリジンは思った。
期間が短い個展ならば、人に絵を見せることもできる。多少ならお金を稼ぐこともできる。絵で生活をしていくことができるかもしれないのだ。
リジンの晴れ晴れとした表情とは反対に、オーケは寂しそうな顔をしていた。
リジンはハッとして、うつむいた。
「自分のインクを焼くって言われたら、嫌ですよね。すみません、無神経でした」
「いやっ! 違うんだ! ……リジンさんが一生懸命描いた絵を、燃やしてしまうのが、心苦しいなと思って」
「……えっ?」
「わたしは絵を描くことはしないが、絵を見ることはするんだ。絵とは命が燃えている作品だと、わたしは思っている。時間をかけ、労力をかけ、愛情をかけて絵を描く。大変な仕事だ。そんな絵を燃やしてしまわなければならないのは、わたしは悲しい。だから、リジンさんも悲しいだろうなと思って」
「……俺のために、そんな顔を?」
オーケは弱弱しく微笑みながら、顔の前で手を横に振った。
遠慮がちなオーケの表情に、リジンはまた泣きそうになった。
こんな素敵な人に出会えるなんて、一人きりを選んだ時は想像もしなかった。
もし今涙が流れるとしたら、それはうれし涙だ。
リジンはグッと唇をかみしめて涙を堪え、震える声で答えた。
「……オーケさんが一緒なら、大丈夫です。むしろ、見てほしいです、俺の絵」
「……そうか。それじゃあ、ぜひ見せておくれ。わたしのインクで描く、君の絵を」
リジンは力強くうなずいた。その時、リジンの胸の中に、一番星のような眩しい情熱が燃え上がった。
また誰かのために絵が描けるんだ。
絵を描くことはリジンの希望だ。
――リジンはシャツの胸のポケットから一つの封筒を取り出した。星空色のインクで「ロティアへ」と書いてある。
「手紙と、ロティアの絵を描いたんだ」
ロティアは目を輝かせて「わたしの?」と繰り返す。
「うん。俺の隣にいるロティアを見るのが好きなんだ」
リジンはロティアの手を取り、そっと封筒を握らせた。
「星空色の絵を、ロティアにもらってほしいんだ。俺が大好きな色で描いた、大好きな人の絵」
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