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小話
2.櫛からペンへ
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「おかえりなさいませ、ロティアお嬢様」
「ただいま。でも、お嬢様は照れくさいってば、リタ」
「良いじゃねえか。リタにとってはロティアお嬢様だもんなあ」
ロティアとフフランを出迎えた侍女のリタは、ニッコリと笑った。
冬の休暇が始まると、ロティアとフフランは実家に帰った。年越しパーティは一族そろってするようにロヤンから念を押されているからだ。それもそのはず。読者の皆さんには忘れられている事実かもしれないが、普段は魔法特殊技術社に勤めるロティアは、実は由緒ある魔法一族のご息女だ。一族が一堂に会する年間行事には、家督を継がない立場だとしても、顔を出す必要があった。
「フフランもおかえりなさい」
フフランはリタが差し出した人差し指に飛び乗った。リタは反対の手でロティアの鞄を受け取る。
「ただいま、リタ。ロゼたちはもう着いてるのか?」
「ええ。パートナーをお連れして、すでに到着されていますよ」
「へえ! やっぱりリジンも誘うべきだったかな?」
「年越しにリジンがいなかったら、ソペットさんたちが寂しがっちゃうよ。リジンに会うのはまた来年で良いんじゃない?」
ロティアはそう言いながら、ハの字型に広がった階段を登り始めた。
「それもそうか。ロティアは優しいなあ」
「本当ですね。お変わりなくて、何よりです」
クルッとふり返ったロティアは、顔を赤くして「ふたりとも照れくさいってばっ」とほほを膨らませた。
家族への挨拶を手短に済ませると、ロティアとリタはロティアの部屋へ向かい、フフランは森へ出かけて行った。汽車の中が混みあっていて疲れてしまったらしい。
「――それでは、キューレ様の個展は大盛況なのですね」
「うんっ! 隣国で有名な画家さんも見にいらして、ぜひいつか一緒に展示会をしようって言ってくださったの! さすがリジンでしょ!」
「お嬢様もやりがいがありますね」
「うんっ!」
ロティアは満面の笑みでうなずき、カバンから取り出したワンピースをクローゼットにかけた。
クローゼットの中もタンスの中も、虫よけのラベンダーが入っていて、きちんと整理されている。部屋の中も掃除が行き届き、埃一つ落ちていない。窓もピカピカだ。部屋の主が不在の間も、リタはロティアの部屋をきれいに保ってくれていたようだ。ロティアは部屋の中を見回して、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうね、リタ。いつ帰って来ても、綺麗な部屋で、変わらずに迎えてくれて」
リタは「わたしの主の部屋ですから、当然ですよ」と言って、空になったカバンを持ち上げた。
「あ、部屋に置いたままで良いよ。リジンの個展の様子を見に行く時に、また使うと思うから」
「そうですか。それではこちらに置いておきますね」
リタは無駄一つない動きで部屋の中を移動し、一人掛けのソファの後方にあるクローゼットの傍にカバンを置いた。
最後の一枚のシャツをクローゼットにかけると、ロティアは一人掛けのソファに座った。
「手伝ってくれてありがとう、リタ。おかげであっという間に終わったよ」
「それがわたしの仕事ですから」
「そうだとしても、お礼くらい言っても良いでしょう。さっきは照れくさくなっちゃったけど、笑顔で迎えてくれたことも嬉しかったんだよ。リタの顔見ると安心するから。だからそれもありがとう」
「……お嬢様は何事にも感謝されて、素敵ですね」
聞いたことのない声で話すリタは、無理やり作った笑顔を浮かべ、正面で手を重ねて真っ直ぐに立っている。明らかにいつものリタではないことはわかった。
ロティアはソファから立ち上がり、リタの手に自分の手を重ねた。
「どうしたの、リタ? 疲れちゃった?」
「フフフ、違います。……すみません、ご心配をおかけして」
「心配させてよ。リタはわたしにとって大切な存在なんだから」
ロティアが少しムッとすると、リタは困ったような笑顔になった。そして、ロティアの手をそっと握って来た。
「……お嬢様を前にしたら、決意が揺らいでしまって」
「決意?」
リタは小さくうなずき、ロティアの手を握る手の力を強めた。
「……私、次の春に、この家を去ることにしたんです」
「……えっ」
ロティアは自分の耳を疑った。
リタが居なくなる、この家から。
フフランに出会う前、不安で寂しい日々を過ごしていた頃、変わらずに接してくれたのはリタだけだった。
ロティアが魔法特殊技術社で働くことになった時も自分のことのように喜んでくれた。
家を出ても、手紙を書いて家の様子を教えてくれた。
いつ帰っても、嫌な顔をせずに笑顔で迎えてくれた。
リジンのことで落ち込んでいる時も、心配してくれた。
そんな、大好きなリタが、いなくなる。
ロティアの瞳から涙がこぼれた。リタの顔が苦しそうに歪む。
「……わたしが、家にいないもんね。わたしの侍女として、雇われたのに。……リタなら、いつも家にいる、もっと素敵な人に仕えられるもんね」
「違います、お嬢様!」
リタはロティアの肩を優しく抱いた。その瞳にも涙が浮かんでいる。
「お嬢様に仕えたからこそ、わたしは夢を持ったんです」
「……夢?」
「はい。ロティアお嬢様が、ご自分の魔法と向き合い、ご自分の魔法を愛し、魔法特殊技術社でご自分の力を発揮され、素晴らしい活躍をされる姿を見て、その姿を書きたいと思ったんです」
ロティアが首を傾げると、リタは少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「お嬢様の物語を、書きたいんです」
ロティアは目をパチパチさせることしかできなかった。
ふたりはしばらく黙ったまま見つめ合った。
「……わたしの、物語?」
「そうです。わたしが仕えたロティア・チッツェルダイマーという方の物語を」
「そ、それなら、わたしの傍にいたままの方が良いじゃない」
そう言ってからロティアはハッとした。まるで子どものような言いぐさだ。
すぐに「ごめん」と謝ると、リタは首を横に振った。
「……わたしもそう思いました。しかし、旦那様と奥様からもご提案いただいたんです。お嬢様はもう屋敷に長くいることは少なくなるでしょうから、好きなように生きて良いと」
「でも、どうやって生活していくの? その、わたしの物語が売れるとも限らないし、それまでの生活、今までのお給料の残りじゃ足りないでしょう」
「生活費を稼ぐのには、出版関係の仕事に就きたいと考えてます。少しずつですけど、情報も集めてるんですよ」
それもしっかり考えているだなんて。
リタが本気だと、ロティアはわかった。
そうとわかれば、ロティアの気持ちはすぐに百八十度変わった。
ロティアはリタと繋いだ手の力を強めた。
「わかった。応援する、リタのこと」
「……本当ですか」
「ものすごーく寂しいけどね……」
ロティアはグイッとリタの手を引き、自分の腕の中にリタを収めた。リタのたくましい体をギュウッと抱きしめる。
「リタのこと、世界中で一番大好きだから、応援するの!」
ロティアがぶっきらぼうにそう言うと、リタは肩を震わせて笑った。
「……それは、神様が味方になるよりも心強いですね」
そう答えるリタの声は震えていた。
その夜、風呂から出たロティアは、久しぶりにリタに髪を梳かしてもらった。家を出るまでは、毎日寝るまでに髪を梳かしてもらってしたのだ。花の彫刻が施された柘植の櫛だ。
「あー、気持ち良い! 自分で梳かすよりも、リタにやってもらう方が気持ち良いのはなんでだろうね」
「わたしがお嬢様を大好きだからですよ。お嬢様の髪が綺麗になりますように、素敵な女性になりますように、って、お祈りしながら梳かしてますもの」
「ふふふ、そうなの? ありがとう、リタ」
「いえいえ」
リタは櫛を置き、ほっそりとした手でそっとロティアの髪に触れた。鏡越しにロティアとリタの目が合う。
「でも、お嬢様はわたしのお祈りなんか必要ないくらい、ずっと素敵な方ですよ、これまでも、これからも」
「もー、褒めすぎだよ、リタったら。でも、ありがとね」
「ふふふ。お嬢様は照れ屋さんですね」
ふたりは少しだけ目に涙を浮かべながら、クスクスと笑い合った。
「そうだ。リタにペンを送っても良い? リタにぴったりのを選ぶから」
ロティアはリジンと行った「フェアリーボックス」を思い出しながら、「良いお店を知ってるんだ」と言った。
「それは楽しみです。ありがとうございます、ロティアお嬢様」
「ただいま。でも、お嬢様は照れくさいってば、リタ」
「良いじゃねえか。リタにとってはロティアお嬢様だもんなあ」
ロティアとフフランを出迎えた侍女のリタは、ニッコリと笑った。
冬の休暇が始まると、ロティアとフフランは実家に帰った。年越しパーティは一族そろってするようにロヤンから念を押されているからだ。それもそのはず。読者の皆さんには忘れられている事実かもしれないが、普段は魔法特殊技術社に勤めるロティアは、実は由緒ある魔法一族のご息女だ。一族が一堂に会する年間行事には、家督を継がない立場だとしても、顔を出す必要があった。
「フフランもおかえりなさい」
フフランはリタが差し出した人差し指に飛び乗った。リタは反対の手でロティアの鞄を受け取る。
「ただいま、リタ。ロゼたちはもう着いてるのか?」
「ええ。パートナーをお連れして、すでに到着されていますよ」
「へえ! やっぱりリジンも誘うべきだったかな?」
「年越しにリジンがいなかったら、ソペットさんたちが寂しがっちゃうよ。リジンに会うのはまた来年で良いんじゃない?」
ロティアはそう言いながら、ハの字型に広がった階段を登り始めた。
「それもそうか。ロティアは優しいなあ」
「本当ですね。お変わりなくて、何よりです」
クルッとふり返ったロティアは、顔を赤くして「ふたりとも照れくさいってばっ」とほほを膨らませた。
家族への挨拶を手短に済ませると、ロティアとリタはロティアの部屋へ向かい、フフランは森へ出かけて行った。汽車の中が混みあっていて疲れてしまったらしい。
「――それでは、キューレ様の個展は大盛況なのですね」
「うんっ! 隣国で有名な画家さんも見にいらして、ぜひいつか一緒に展示会をしようって言ってくださったの! さすがリジンでしょ!」
「お嬢様もやりがいがありますね」
「うんっ!」
ロティアは満面の笑みでうなずき、カバンから取り出したワンピースをクローゼットにかけた。
クローゼットの中もタンスの中も、虫よけのラベンダーが入っていて、きちんと整理されている。部屋の中も掃除が行き届き、埃一つ落ちていない。窓もピカピカだ。部屋の主が不在の間も、リタはロティアの部屋をきれいに保ってくれていたようだ。ロティアは部屋の中を見回して、にっこりと微笑んだ。
「ありがとうね、リタ。いつ帰って来ても、綺麗な部屋で、変わらずに迎えてくれて」
リタは「わたしの主の部屋ですから、当然ですよ」と言って、空になったカバンを持ち上げた。
「あ、部屋に置いたままで良いよ。リジンの個展の様子を見に行く時に、また使うと思うから」
「そうですか。それではこちらに置いておきますね」
リタは無駄一つない動きで部屋の中を移動し、一人掛けのソファの後方にあるクローゼットの傍にカバンを置いた。
最後の一枚のシャツをクローゼットにかけると、ロティアは一人掛けのソファに座った。
「手伝ってくれてありがとう、リタ。おかげであっという間に終わったよ」
「それがわたしの仕事ですから」
「そうだとしても、お礼くらい言っても良いでしょう。さっきは照れくさくなっちゃったけど、笑顔で迎えてくれたことも嬉しかったんだよ。リタの顔見ると安心するから。だからそれもありがとう」
「……お嬢様は何事にも感謝されて、素敵ですね」
聞いたことのない声で話すリタは、無理やり作った笑顔を浮かべ、正面で手を重ねて真っ直ぐに立っている。明らかにいつものリタではないことはわかった。
ロティアはソファから立ち上がり、リタの手に自分の手を重ねた。
「どうしたの、リタ? 疲れちゃった?」
「フフフ、違います。……すみません、ご心配をおかけして」
「心配させてよ。リタはわたしにとって大切な存在なんだから」
ロティアが少しムッとすると、リタは困ったような笑顔になった。そして、ロティアの手をそっと握って来た。
「……お嬢様を前にしたら、決意が揺らいでしまって」
「決意?」
リタは小さくうなずき、ロティアの手を握る手の力を強めた。
「……私、次の春に、この家を去ることにしたんです」
「……えっ」
ロティアは自分の耳を疑った。
リタが居なくなる、この家から。
フフランに出会う前、不安で寂しい日々を過ごしていた頃、変わらずに接してくれたのはリタだけだった。
ロティアが魔法特殊技術社で働くことになった時も自分のことのように喜んでくれた。
家を出ても、手紙を書いて家の様子を教えてくれた。
いつ帰っても、嫌な顔をせずに笑顔で迎えてくれた。
リジンのことで落ち込んでいる時も、心配してくれた。
そんな、大好きなリタが、いなくなる。
ロティアの瞳から涙がこぼれた。リタの顔が苦しそうに歪む。
「……わたしが、家にいないもんね。わたしの侍女として、雇われたのに。……リタなら、いつも家にいる、もっと素敵な人に仕えられるもんね」
「違います、お嬢様!」
リタはロティアの肩を優しく抱いた。その瞳にも涙が浮かんでいる。
「お嬢様に仕えたからこそ、わたしは夢を持ったんです」
「……夢?」
「はい。ロティアお嬢様が、ご自分の魔法と向き合い、ご自分の魔法を愛し、魔法特殊技術社でご自分の力を発揮され、素晴らしい活躍をされる姿を見て、その姿を書きたいと思ったんです」
ロティアが首を傾げると、リタは少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「お嬢様の物語を、書きたいんです」
ロティアは目をパチパチさせることしかできなかった。
ふたりはしばらく黙ったまま見つめ合った。
「……わたしの、物語?」
「そうです。わたしが仕えたロティア・チッツェルダイマーという方の物語を」
「そ、それなら、わたしの傍にいたままの方が良いじゃない」
そう言ってからロティアはハッとした。まるで子どものような言いぐさだ。
すぐに「ごめん」と謝ると、リタは首を横に振った。
「……わたしもそう思いました。しかし、旦那様と奥様からもご提案いただいたんです。お嬢様はもう屋敷に長くいることは少なくなるでしょうから、好きなように生きて良いと」
「でも、どうやって生活していくの? その、わたしの物語が売れるとも限らないし、それまでの生活、今までのお給料の残りじゃ足りないでしょう」
「生活費を稼ぐのには、出版関係の仕事に就きたいと考えてます。少しずつですけど、情報も集めてるんですよ」
それもしっかり考えているだなんて。
リタが本気だと、ロティアはわかった。
そうとわかれば、ロティアの気持ちはすぐに百八十度変わった。
ロティアはリタと繋いだ手の力を強めた。
「わかった。応援する、リタのこと」
「……本当ですか」
「ものすごーく寂しいけどね……」
ロティアはグイッとリタの手を引き、自分の腕の中にリタを収めた。リタのたくましい体をギュウッと抱きしめる。
「リタのこと、世界中で一番大好きだから、応援するの!」
ロティアがぶっきらぼうにそう言うと、リタは肩を震わせて笑った。
「……それは、神様が味方になるよりも心強いですね」
そう答えるリタの声は震えていた。
その夜、風呂から出たロティアは、久しぶりにリタに髪を梳かしてもらった。家を出るまでは、毎日寝るまでに髪を梳かしてもらってしたのだ。花の彫刻が施された柘植の櫛だ。
「あー、気持ち良い! 自分で梳かすよりも、リタにやってもらう方が気持ち良いのはなんでだろうね」
「わたしがお嬢様を大好きだからですよ。お嬢様の髪が綺麗になりますように、素敵な女性になりますように、って、お祈りしながら梳かしてますもの」
「ふふふ、そうなの? ありがとう、リタ」
「いえいえ」
リタは櫛を置き、ほっそりとした手でそっとロティアの髪に触れた。鏡越しにロティアとリタの目が合う。
「でも、お嬢様はわたしのお祈りなんか必要ないくらい、ずっと素敵な方ですよ、これまでも、これからも」
「もー、褒めすぎだよ、リタったら。でも、ありがとね」
「ふふふ。お嬢様は照れ屋さんですね」
ふたりは少しだけ目に涙を浮かべながら、クスクスと笑い合った。
「そうだ。リタにペンを送っても良い? リタにぴったりのを選ぶから」
ロティアはリジンと行った「フェアリーボックス」を思い出しながら、「良いお店を知ってるんだ」と言った。
「それは楽しみです。ありがとうございます、ロティアお嬢様」
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