星空色の絵を、君に ~インクを取り出す魔法使いは、辺境訳アリ画家に絵を描かせたい~

唄川音

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小話

4.命を吹き込む画家とインク職人の出会い(前編)

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 これは、リジンがロティアとフフランに出会うよりも前、約三年前の、リジンが十五歳の時のお話だ。



「……星空みたい」

 濃紺に近い黒色のインクに混じる、星のような小さな金色のきらめきを持つ不思議なインク。
 リジンはペンを置き、インク瓶を持ち上げた。
 インク瓶の首に括り付けられた紙の札には、
「フェイゼルフィア含有鉱物インク 製造者:オーケ・タソル」
と小さく書かれている。

「オーケ・タソル……」

 このインクを買ったのは、ヴェリオーズの隣町にある小さな雑貨屋だ。

「……あの店に行けば、どんな人が、どこで作ってるか教えてもらえるかな」

 このインクを作ったのはどんな人なのか、リジンはなぜだかそれを知りたいと思った。
 リジンはインク瓶をテーブルに戻すと、タンスから一番質の良いシャツとズボンを取り出し、靴箱からお気に入りの革靴を取り出して、軽く磨いた。
 人と会話をするのは久しぶりだ。うまく話せず怪しまれないように、恰好だけでもきちんと整えようと思ったのだ。

「これでよしっと」



 翌日はあいにくの雨だった。薄く窓を開けただけで、冷たい風が吹き込んでくる。リジンはシャツの上にカーディガンを羽織り、傘を差して出かけた。
 人の気配がないヴェリオーズは、雨の日になるとにぎやかになる。雨が葉や枝を揺らし、愉快なリズムを生み出すからだ。おかげでリジンの足取りは軽くなった。

 もうすぐ駅が見えてくると思った、その時、リジンは自分の目を疑った。
 駅とリジンの間に、大きな葉っぱが立っているのだ。しかも長靴を履いた足が生えている。
 リジンの心臓が突然大きな音を立てて鳴り出した。
 ひょっとして人だろうか。傘の代わりに大きな葉で雨を避けているのだろうか。そんな物語みたいなことがあるだろうか。
 ふいに、葉っぱが動き、葉っぱの下に大きな鼻を持つ小さな横顔が見えた。やはり人のようだ。
 リジンは立ち止まって、その人がいなくなるのを待った。挨拶ですらまともにできる気がしなかったのだ。
 葉っぱを傘代わりにしている人は、しばらくキョロキョロすると、東の方へ歩いて行った。その姿が見えなくなると、リジンはようやく再び歩き出した。

「……まさかヴェリオーズに、他にも人が住んでたなんて」

 リジンはまだ早く動く心臓を感じながらちょうどやって来た電車に乗り込んだ。



「――ああ、このインクを作ってるのは、ヴェリオーズの職人だよ」
「えっ! ヴェリオーズ!」

 リジンの声がひっくり返ると、店主の男はクスッと笑ってうなずいた。

「その札に書いてある通り、オーケ・タソルって職人だよ。住所はここ」

 親切な男は、オーケ・タソルのインクの製造所の住所を紙に書いてくれた。リジンは紙を握り締め、「ありがとうございます……」と消えそうな声で言った。

「良いってことよ。そのインク気に入ってくれたんだろ?」
「あ、はい」
「オーケがそのインクを店においてくれって頼みに来た時、他のインクはありふれてたけど、それだけはすげえ気に入ったからさ。あんたも気に入ってくれて嬉しいんだよ」

 男はヒゲの生えた顔をくしゃくしゃにして笑った。

「特にフェイゼルフィアが良い仕事をしてるよな」
「フェイゼルフィアって、なんですか?」
「そのインクの金色の部分に使われてる鉱物だよ。金よりも採れる鉱物だから、装飾に使われることはあるけど、まさかインクに使うとはな」

 金色の部分、つまりは星のことだ。リジンは口の中で「フェイゼルフィア」と繰り返した。

「オーケもきっと喜ぶよ。これは最高傑作だって言ってたから。今に大人気になるぞ。その前に上顧客になっとけ」

 最高傑作、確かにその通りだ。人気になるのも間違いない。リジンは微笑んで「はい」と答えた。


 店を後にし、駅まで歩き出したリジンは、ふと思った。
 ひょっとしてさっきヴェリオーズの駅の近くで見たのが、オーケ・タソルではないだろうか。
 ヴェリオーズに住んでまだ一か月しか経っていないが、自分以外の人に出会ったことは一度もない。しかし実際はオーケ・タソルが住んでいるというではないか。そうなればあの人物がオーケ・タソルと考えても間違いではないだろう。

「……もしくは、オーケ・タソルの『家族』か」

 家族。
 今のリジンには重くのしかかる言葉だ。
 心配してくれた家族も置いて、逃げるようにヴェリオーズに来てしまった。
 父親にはとっくに見放されているが、母親は呆れていないだろうか。傷つけていないだろうか。祖父は悲しんでいないだろうか。
 答えの出ない疑問だ。リジンは両手で傘の柄を握り締めた。強くなった雨が、リジンの傘をやかましく叩く。

「……頭、痛い」

 リジンのつぶやきは、雨音にかき消された。

 真っ直ぐに家に帰ったリジンは、着替えもせずにそのままベッドに倒れこんだ。頭が痛くて割れそうだ。
 リジンは毛布に包まり、カーディガンのポケットからもらったメモを取り出した。ありふれたインクで走り書きされたメモをギュッと握り締める。そうすると、不思議と頭の痛みは少し和らいだ。
 オーケ・タソルと会ったら、何か変わるだろうか。

「……楽観的すぎるよね」

 そうつぶやき、リジンは目を閉じた。



 翌日は朝から快晴だった。久しぶりにぐっすり眠ったリジンは、庭へ出て朝の太陽の光を体いっぱいに浴びた。そうすると、自然と体の奥底から眠っていた力が湧いてきた。今日も出かけられそうだ。
 簡単な朝食を取り、二番目に良い服に袖を通すと、リジンは勇んで家を出た。
 家を出てすぐに、白いハトが頭上をかすめて飛んで行った。
 白いハトだなんて縁起が良い。
 リジンはニコッと微笑んだ。

 明け方まで雨が降ったのか、苔で覆われた煉瓦道は湿っている。リジンは苔に滑って転ばないように注意しながら歩いた。
 町全体が喜びにあふれていた。雨で水をたっぷり飲んだ草木はみずみずしく、豊かな緑の香りを振りまいている。
 リジンは足元に気を付けながら、両手を広げて、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。

「ああ、良い匂い」

 リジンのささやきに答えるように、小鳥がどこからか「チルルッ」と鳴いた。


 雑貨屋の店主からもらったメモを頼りに東に向かって歩みを進めると、辺りの景色が変化し始めた。それまで若々しい葉だけを付けていた木々に、赤色や橙色などの実が成っているのだ。木々は等間隔に植えられ、平等に陽光を浴びている。

「まるで果樹園みたい……」

 雨に濡れ、宝石のように輝く木の実に目を取られながら進んでいくと、突然、ブロッコリーのような木の群生が見えた。何かを覆い隠すように円を描いて生えた木々の奥に、何やらキラリと輝く建物が見える。

「……あれが、オーケ・タソルの家、なのかな?」

 ちょっとした森みたい、とリジンは思った。
 リジンは深呼吸をすると、木々で覆われた建物に近づいて行った。
 ノッカーのようなものは見当たらない。どこが玄関かもわからない。
 リジンはもう一度深呼吸をし、「ごめんください」とささやいた。返事はない。そこで今度はもう少し大きな声で「ごめんくださいっ」と言った。返事はない。
 リジンは両手を握り締め、スウッと息を吸い込み、「ごめんください!」と叫んだ。すると、「はーい」と明るい声が帰って来た。突然、リジンの心臓が爆音を立てて鳴り出した。

 今更だけれど、気難しい人だったらどうしよう。怖い人だったら。ちょっと危険な人だったら。
 でも今の声を聞く限り、優しそうだ。
 それにあんな素敵なインクを作る人が悪い人なはずがない。
 大丈夫。落ち着いて。

 リジンは自分の左胸に手を当てた。それと同時に幹の後ろから背の低い人が現れた。

「おや、どなたかな?」

 現れたのはドワーフの男性だった。大きな鼻と優しそうな目が印象的だ。
 リジンはホッとしながら、口を開いた。

「あ、朝早くから、すみません。あの、俺、リジン・キューレと、言います。……オーケ・タソルさんですか?」
「ご丁寧にどうも。いかにも。わたしがオーケ・タソルですよ」

 オーケ・タソルはにこやかにそう答え、リジンと握手を交わしてくれた。ゴツゴツとした働き者の手だ。

「……オーケ・タソルさんなんですね」

 そう答えた瞬間、リジンの瞳から涙がこぼれた。オーケ・タソルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐににこやかな表情に戻った。リジンは涙がこぼれていることに気が付き、慌てて手で顔をぬぐった。

 急に泣かれたりして、オーケさん、驚いただろうな。恥ずかしい。

 いたたまれなくなったリジンが一歩足を後ろに下げると、「あの」と声が上がった。

「良かったら、上がっていかないかい? 今日は休日だったから、お客さんが来たら嬉しいなと思ってたところだったんだ」
「で、でも……」
「そんな風に泣いている子を、一人にはできんよ」

 オーケがそう言って微笑むと、リジンの目からとめどなく涙があふれてきた。

 オーケ・タソルが素敵な人で安心した涙なのか、オーケ・タソルに会えた感動の涙なのか、はたまた別の涙なのか、リジンにはわからなかった。
 止めることができない涙を必死にぬぐいながら、オーケ・タソルに手を引かれ、リジンは家の中に入った。
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