星空色の絵を、君に ~インクを取り出す魔法使いは、辺境訳アリ画家に絵を描かせたい~

唄川音

文字の大きさ
上 下
56 / 74
第2章

6.白色の城と色とりどりの小人②

しおりを挟む
「――まあ! すっかり元通りじゃない!」

 その日の夜、メイラー夫人のご機嫌な声が邸宅中に響き渡った。普段は静まり返っている白色の家は、その声に驚いたようにカタカタと小さく揺れた。
 メイラー夫人は惚れ惚れしながら手で真っ白に戻った壁をなでた。色とりどりの絵はきれいさっぱり無くなった。壁は、他の壁と同じく純白だ。

「素晴らしいわ、ロティアさん! あなたに頼んで正解よ!」
「喜んでいただけて良かったです」

 ロティアとメイラー夫人は固く握手を交わした。

「明日の旦那様の帰国に間に合って本当に良かったわ。わたしが旦那様に叱られるところだったんだから」

 メイラー夫人は陶器のような肌にしわができるほどの笑顔でそう言うと、ロティアに追加の報酬をくれた。依頼の出来具合によってはこのような臨時の報酬ももらうことができ、会社でも受け取ることが認められているのだ。

「ありがとうございます」
「感謝料よ。壁だけじゃなく、チャーシャも元に戻してくれたもの。助かったわ」

 そう言ってメイラー夫人は、大人しく書き物机の椅子に座るチャーシャの方に目を向けた。チャーシャは鼻歌を歌いながら、お気に入りの本を読んでいる。チャーシャはもう一人で本を読むことができるのだ。

「機嫌が良くなって良かったわ。ロティアさんは子どもの扱いがうまいのね」
「フフランもいてくれたので、三人で会話が弾んだんです。ね、チャーシャさん?」
 チャーシャはパッと素早く顔を上げ、にっこりと笑って「うん!」と答えた。





 ――今から数時間前、ロティアがメイラー邸に到着した頃、作業が一段落したリジンは、少し遅い朝食をとっていた。昨日買っておいたバゲットとチーズとココアだ。ロティアが見たら、野菜も食べるように言われそうな朝食だ。
『リンゴでも買っておけばよかったな』

 そうつぶやいた時、ホテルの部屋のドアがノックされた。
 リジンはバゲットをテーブルに置き、口元を拭いてからドアを開けた。すると、ロティアとフフランが部屋になだれ込むように飛び込んできた。

『わっ! 驚いた!』
『リジンッ! おっきい紙ちょうだい!』
『……おっきい紙?』
 リジンがオウム返しをすると、ロティアとフフランは大きくコクッとうなずいた。


 事情を説明し、リジンから大きな紙をもらうと、ロティアとフフランは大急ぎでメイラー邸に戻った。

『お待たせしました、チャーシャさん!』

 絵本を読んでいたチャーシャは、のろのろと顔を上げた。
 ロティアはチャーシャの傍に屈みこみ、カバンの中に小さく折りたたんでしまっておいた大きな紙を取り出した。チャーシャは不思議そうな顔をしている。
 ロティアはチャーシャの肩にそっと手を乗せて話し出した。

『チャーシャさん、お仕事とはいえ、大切な絵を取ってしまってごめんなさい。許してもらえないかもしれないですけど、わたしなりに償いをしたいので、どうか、これを受け取ってもらえませんか?』
『……この、紙?』
『いいえ。ちょっと待っててくださいね』

 ロティアがそう言うと、フフランがカバンの中から一つの瓶を取り出した。さっき取ったチャーシャの絵のインクを入れた瓶だ。ロティアはその瓶を受け取ると、紙の上にサッとかけた。チャーシャの肩がピクッと揺れる。
 ロティアは『見ててくださいね』と声をかけると、杖の先をインクにつけた。そして紙の上に、ゆっくりとインクを伸ばし始めた。

『……あ! ファララ!』

 チャーシャは思わず立ち上がった。紙の上に、星型の帽子をかぶったファララが再び現れたのだ。

『わたしの魔法で、ファララたちをこの紙にお引越しさせてほしいんです。メイラーさんのご要望にお応えするのがわたしの仕事ですが、それでチャーシャさんが傷つくのは嫌なので』

 ロティアは手を止めて、チャーシャと目を合わせた。

『どうか、受け取ってくれますか?』

 チャーシャは星のように目を輝かせ、コクコクコクッと何度も力強くうなずいた。

『この方が、いつでも一緒にいられるもん! こっちの方が良い! これが良い!』

 チャーシャはすっかり興奮して、椅子から立ち上がってピョンピョン飛び跳ねた。年相応な無邪気な笑顔に、ロティアはホッとした。

『気に入っていただけて良かったです。大事な作品ですもんね』
『それにね、友達なの』

 ロティアとフフランが『友達』と繰り返すと、チャーシャは再び現れたファララをなでながら話し出した。

『お人形も、ぬいぐるみも買ってもらえないから、ずっと話し相手がほしかったの。だから、自分で作っちゃえば良いんだって思ったの。でも、消せって、すごく怒られて……』

 ロティアはぐるりと部屋の中を見回した。
 チャーシャの部屋には書き物机の他に、一人用のベッド、花の彫刻が施された洋服ダンス、本棚らしき大きな棚が置かれているが、それも扉が閉まっている。それはいずれも白色をしている。
 一見するとさっぱりしたきれいな部屋に思えるが、子ども部屋としては少々味気無い。
 今まではその味気無さは、まぶしすぎる白色にあると思っていた。
 しかしチャーシャに言われて初めて、この部屋には子どもが遊ぶためのものが一つもないことに気が付いた。

 ロティアの実家の部屋と言えば、壁紙とカーテンは花柄、棚の上にはブロンドヘアの人形や、クマのぬいぐるみ、実際にドアなどが開閉できる立派なドールハウスなどが所狭しと並んでいた。
 どれも子どもの頃からロティアの宝物だ。今も実家に帰ると、ぬいぐるみと一緒に寝ることもある。
 そういうものがないのだ、チャーシャの部屋には。
 それに気が付いた途端、ロティアは胸が締め付けられたように苦しくなった。
 
 ――チャーシャさんは悪さをしようとして絵を描いたんじゃない。寂しかっただけなんだ。

 フフランも同じように感じたのか、頭がしょんぼりと垂れている。
 チャーシャは急に静まり返ったロティアたちを不思議そうに見上げてきた。
 ロティアは無理やり笑顔を作り、チャーシャの小さな頭をなでた。

『……大切な、お友達なんですね』

 チャーシャは笑顔でうなずく。

『それじゃあ、急いでお引越しさせますね! 長い間壁と紙で離れ離れになってたら、リーリンさんたち、寂しがるかもしれませんから』

 フフランはチャーシャの肩に飛び乗った。

『ロティアが超特急で終わらせるから、仕事が終わるまでは、オイラと遊んでようぜ!』
『うん!』





 こうしてチャーシャの絵は、無事にすべて紙に移動した。大きな紙を二枚張り合わせた世界に一つの巨大な紙だ。今はチャーシャの白い棚の中に、丁寧に畳まれて、大切に仕舞われている。
 チャーシャはチラッと棚の方を見てから、「ロティアさんもフフランも優しかったよ」と言った。

「良かったわね、チャーシャ。人見知りのあなたがそう言うんだから、間違いないわ」
「嬉しいお言葉です。あの、チャーシャさんに、今度遊びに行きましょうって誘っていただいたんです。よろしいですか?」

 そしたらいろんなものを買ってあげたい。
 その気持ちもあるが、それが原因でチャーシャが怒られるのは嫌だ。
 だからせめていろんなものを、いろんな色を見せてあげたい。

 ロティアはそう強く思った。

「ロティアさんなら大歓迎よ」
「ありがとうございます! 嬉しいです!」

 ロティアとフフランはこっそりと目を合わせ、「よしっ」と心の中で拳を上げた。

 ――良かった。最後はメイラーさんもチャーシャさんも笑顔になって。

 そしてチラッとチャーシャの方を見て、にっこりと微笑み合った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

隠れ居酒屋・越境庵~異世界転移した頑固料理人の物語~

呑兵衛和尚
ファンタジー
調理師・宇堂優也。 彼は、交通事故に巻き込まれて異世界へと旅立った。 彼が異世界に向かった理由、それは『運命の女神の干渉外で起きた事故』に巻き込まれたから。 神々でも判らない事故に巻き込まれ、死亡したという事で、優也は『異世界で第二の人生』を送ることが許された。 そして、仕事にまつわるいくつかのチート能力を得た優也は、異世界でも天職である料理に身をやつすことになるのだが。 始めてみる食材、初めて味わう異世界の味。 そこは、優也にとっては、まさに天国ともいえる世界であった。 そして様々な食材や人々と出会い、この異世界でのライフスタイルを謳歌し始めるのであった。

間違い転生!!〜神様の加護をたくさん貰っても それでものんびり自由に生きたい〜

舞桜
ファンタジー
「初めまして!私の名前は 沙樹崎 咲子 35歳 自営業 独身です‼︎よろしくお願いします‼︎」  突然 神様の手違いにより死亡扱いになってしまったオタクアラサー女子、 手違いのお詫びにと色々な加護とチートスキルを貰って異世界に転生することに、 だが転生した先でまたもや神様の手違いが‼︎  神々から貰った加護とスキルで“転生チート無双“  瞳は希少なオッドアイで顔は超絶美人、でも性格は・・・  転生したオタクアラサー女子は意外と物知りで有能?  だが、死亡する原因には不可解な点が…  数々の事件が巻き起こる中、神様に貰った加護と前世での知識で乗り越えて、 神々と家族からの溺愛され前世での心の傷を癒していくハートフルなストーリー?  様々な思惑と神様達のやらかしで異世界ライフを楽しく過ごす主人公、 目指すは“のんびり自由な冒険者ライフ‼︎“  そんな主人公は無自覚に色々やらかすお茶目さん♪ *神様達は間違いをちょいちょいやらかします。これから咲子はどうなるのか?のんびりできるといいね!(希望的観測っw) *投稿周期は基本的には不定期です、3日に1度を目安にやりたいと思いますので生暖かく見守って下さい *この作品は“小説家になろう“にも掲載しています

転生王子はダラけたい

朝比奈 和
ファンタジー
 大学生の俺、一ノ瀬陽翔(いちのせ はると)が転生したのは、小さな王国グレスハートの末っ子王子、フィル・グレスハートだった。  束縛だらけだった前世、今世では好きなペットをモフモフしながら、ダラけて自由に生きるんだ!  と思ったのだが……召喚獣に精霊に鉱石に魔獣に、この世界のことを知れば知るほどトラブル発生で悪目立ち!  ぐーたら生活したいのに、全然出来ないんだけどっ!  ダラけたいのにダラけられない、フィルの物語は始まったばかり! ※2016年11月。第1巻  2017年 4月。第2巻  2017年 9月。第3巻  2017年12月。第4巻  2018年 3月。第5巻  2018年 8月。第6巻  2018年12月。第7巻  2019年 5月。第8巻  2019年10月。第9巻  2020年 6月。第10巻  2020年12月。第11巻 出版しました。  PNもエリン改め、朝比奈 和(あさひな なごむ)となります。  投稿継続中です。よろしくお願いします!

異世界で焼肉屋を始めたら、美食家エルフと凄腕冒険者が常連になりました ~定休日にはレア食材を求めてダンジョンへ~

金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
辺境の町バラムに暮らす青年マルク。 子どもの頃から繰り返し見る夢の影響で、自分が日本(地球)から転生したことを知る。 マルクは日本にいた時、カフェを経営していたが、同業者からの嫌がらせ、客からの理不尽なクレーム、従業員の裏切りで店は閉店に追い込まれた。 その後、悲嘆に暮れた彼は酒浸りになり、階段を踏み外して命を落とした。 当時の記憶が復活した結果、マルクは今度こそ店を経営して成功することを誓う。 そんな彼が思いついたのが焼肉屋だった。 マルクは冒険者をして資金を集めて、念願の店をオープンする。 焼肉をする文化がないため、その斬新さから店は繁盛していった。 やがて、物珍しさに惹かれた美食家エルフや凄腕冒険者が店を訪れる。 HOTランキング1位になることができました! 皆さま、ありがとうございます。 他社の投稿サイトにも掲載しています。

田舎育ちの天然令息、姉様の嫌がった婚約を押し付けられるも同性との婚約に困惑。その上性別は絶対バレちゃいけないのに、即行でバレた!?

下菊みこと
BL
髪色が呪われた黒であったことから両親から疎まれ、隠居した父方の祖父母のいる田舎で育ったアリスティア・ベレニス・カサンドル。カサンドル侯爵家のご令息として恥ずかしくない教養を祖父母の教えの元身につけた…のだが、農作業の手伝いの方が貴族として過ごすより好き。 そんなアリスティア十八歳に急な婚約が持ち上がった。アリスティアの双子の姉、アナイス・セレスト・カサンドル。アリスティアとは違い金の御髪の彼女は侯爵家で大変かわいがられていた。そんなアナイスに、とある同盟国の公爵家の当主との婚約が持ちかけられたのだが、アナイスは婿を取ってカサンドル家を継ぎたいからと男であるアリスティアに婚約を押し付けてしまう。アリスティアとアナイスは髪色以外は見た目がそっくりで、アリスティアは田舎に引っ込んでいたためいけてしまった。 アリスは自分の性別がバレたらどうなるか、また自分の呪われた黒を見て相手はどう思うかと心配になった。そして顔合わせすることになったが、なんと公爵家の執事長に性別が即行でバレた。 公爵家には公爵と歳の離れた腹違いの弟がいる。前公爵の正妻との唯一の子である。公爵は、正当な継承権を持つ正妻の息子があまりにも幼く家を継げないため、妾腹でありながら爵位を継承したのだ。なので公爵の後を継ぐのはこの弟と決まっている。そのため公爵に必要なのは同盟国の有力貴族との縁のみ。嫁が子供を産む必要はない。 アリスティアが男であることがバレたら捨てられると思いきや、公爵の弟に懐かれたアリスティアは公爵に「家同士の婚姻という事実だけがあれば良い」と言われてそのまま公爵家で暮らすことになる。 一方婚約者、二十五歳のクロヴィス・シリル・ドナシアンは嫁に来たのが男で困惑。しかし可愛い弟と仲良くなるのが早かったのと弟について黙って結婚しようとしていた負い目でアリスティアを追い出す気になれず婚約を結ぶことに。 これはそんなクロヴィスとアリスティアが少しずつ近づいていき、本物の夫婦になるまでの記録である。 小説家になろう様でも2023年 03月07日 15時11分から投稿しています。

処理中です...