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第1章 後編
32.移動遊園地
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翌日、ロティアはレヴィン邸のベッドの上で目を覚ました。天蓋からは銀色の紐飾りがいくつも釣り下がり、シーツは甘い花の香りがする。大きな枕の上で寝返りを打つと、隣で寝ていたフフランは羽根を広げてぐっすりと眠っている。ロティアがクスッと笑ってフフランのお腹をなでると、「クルックウ」とささやいた。
寝ぼけたフフランを抱いて部屋を出ると、ちょうどよくマレイが階段を下りてきた。
「おはよう、ロティアさん。あらあら、フフランさんはまだ眠たいの?」
淡いオレンジ色のワンピースに身を包んだマレイは、そろそろとロティアの腕の中をのぞきこんだ。
「そうみたいです。すごく気持ちが良いベッドだったので、わたしもフフランもぐっすりでした。ありがとうございます」
「よかったわあ。さあ、ロエルのおいしい朝食を食べに行きましょう」
ダイニングルームへ入ると、すでにリジンとソペットが席についていた。ヴェリオーズにいた頃と同じように、リジンは白いシャツを着ている。ありふれたシャツ姿でも、それがリジンであると特別に思える。ロティアは自分のこの考えに照れくさくなった。
ロティアたちに気が付くと、リジンは立ち上がり、ソペットはひらひらと手を振って来た。
「おはよう、ロティア、フフラン」
「おはよう、リジン。ソペットさんも、おはようございます。遅くなってすみません」
「おはよう、ロティアくん、フフランくん。ちっとも遅くないよ。老人は早起きだからね。リジンはそれに付き合ってくれるんだ」
「ぐっすり眠れたならよかった。あ、フフランはまだ眠そう」
リジンはロティアの腕の中で「クルクル」と繰り返すフフランのくちばしをツンと触った。寝言が「クルクル」から「クルル―」に変わると、ロティアとリジンは顔を見合わせて笑った。
「あ、座って、ロティア。ついさっきロエルが朝食を運んで来てくれたんだ」
リジンとマレイに促され、ロティアはリジンの隣の席に座った。
隣を見れば、丁寧な所作で食事をとるリジンがいる。
すっかり目を覚ましたフフランは、ロエルが焼いたパンに大喜びしている。
絶品の朝食は、ヴェリオーズで見た覚えのある柄が描かれた食器に取り分けられている。
ロティアはヴェリオーズにいた時の幸せな夢を見ているような気がした。
『この時間が永遠に続けば良いのに』
そう思った途端、ロティアは急にここへ来た目的を果たすのが恐ろしいことに思えた。
『リジンにまた絵を描いてほしい。笑っていてほしい』
自分の身勝手な思いのために行動し、リジンを不用意に傷つけて、嫌われてしまったら。
ロティアとリジンの関係は途絶えてしまう。
そんな恐ろしい世界に、自分から進んでいくなんて。
背中に巨大な岩を括り付けられたような感覚に襲われ、ロティアは思わず肩に手を回した。
「ロティア、どうしたの? 背中痛い?」
優しい声に顔を上げると、リジンは眉をハの字にして、心配そうな顔をしている。
「……ううん。何でもない。大丈夫」
「慣れないベッドだと、体がおかしくなることがあるものね。クッションやタオルでほしいものがあれば、遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます、マレイさん」
ニコッと笑い、ロティアはジャガイモのポタージュをスプーンですくった。コクとまろやかさがある味は確かに絶品だ。手のかかるポタージュを、朝早くからこんなにおいしく作れるなんて、ロエルは本当に料理上手らしい。
「今日の遊園地は行けそうかな、ロティアくん?」
指と指を合わせてタタタッと音を鳴らすソペットの顔も心配そうだ。
ロティアはスプーンを置いてから答える。
「はいっ。楽しみにしてましたからっ」
「よかった。でも無理をしてはいけないよ。つらい時は誰かにすぐに言うようにね」
「オイラがよく見ておくよ!」
「頼むよ、フフランくん」
フフランとソペットは翼と手を当てた。ハイタッチのような仕草だ。
気の合う友人のようなやり取りに、ロティアはクスッと笑った。
「ありがとうございます、ソペットさん。フフランもありがとう」
朝食を済ませると、四人と一羽はロエルに留守番を頼んで玄関へ向かった。ソペットが青色の石で飾られた銀色のステッキに右手を伸ばすと、すぐにリジンが左側に立った。
「おお、ありがとう、リジン。すまないねえ」
「それは言わない約束でしょう」
「ハッハッハッ。そうだったね」
ふたりはゆっくりと玄関のドアを通り抜けて行った。その楽し気な後ろ姿をロティアが見つめていると、ススッとマレイが傍に寄って来た。
「ごめんなさいね、ロティアさん。リジンが父に付きっきりで」
「えっ、そんな! ちっとも気にしません。むしろ、ソペットさんの足は、大丈夫なんですか?」
マレイはレースの手袋をはめた手で、白い日傘を手に取って「ええ」と答える。
「若い時に戦禍に巻き込まれてね。杖さえあれば歩けていたんだけど、年もあって、この頃は人の補助が必要なの」
「それじゃあ、ソペットはフォラドの再興を経験してるってことか。大変だったな」
フフランのつぶやきに、マレイは固い笑顔を作った。
「心配してくださってありがとう。でもこれからせっかく遊園地に行くんだから、父のことは気にせずに、リジンともたっぷり遊んでね。父のことはわたしが見てるから」
「気にしないでください。初めての街で遊園地なんて、それだけで楽しみですから!」
ロティアが笑顔で答えると、マレイは困ったように微笑んだ。
広場が見えてくると、休日の朝の八時前にもかかわらずたくさんの人が詰め掛けていた。広場を囲うように人々が立っている。しかし広場の中は空っぽだ。
「あ、見て!」
子どもの無邪気な声が上がり、何千人という人が一斉に顔を上げた。
空には暖色のマーブル柄をした巨大な風船が浮かんでいる。ワーッと歓声が上がった。
「えっ、まさかあれが?」
ソペットが「その通りっ!」とご機嫌に答える。
「よく見ていてくれ、ロティアくん、フフランくん」
その言葉を合図にしたかのように、突然巨大な風船が地面目掛け、すさまじい勢いで落ちてきた。どよめきが起こる。ロティアは両手をギュッと握り合わせ、風船を目で追った。
風船はそれまでの勢いが嘘だったように、ふわりと地面に着地した。
それと同時に、シャラーンッという涼やかな音が鳴り、風船がはじけた。すると風船が花に変わり、雨のように広場に降り注いだ。今度は大きな歓声が上がる。
「皆様、大変お待たせいたしました! ホーンドラーベル移動遊園地でございます!」
艶やかな花柄のスーツに身を包んだ男性が、メリーゴーランドの屋根の上に立っている。
男性が杖を振ると、その場にいたすべての人の中にガーベラの花が一本現れた。もちろんフフランの羽根の隙間にも。フフランは慌ててくちばしでそれをつかんだ。
「誰もが笑顔になる夢のような一週間をお楽しみください!」
人々は一斉に広場の中へ走り出した。先頭は子どもたちだ。
ロティアはきらびやかな遊園地の中へ溶けていく人々を見つめながら、「すごいっ!」と声を上げた。
「こんな演出、初めて見ました!」
「オイラはどっちも初めてだ!」
「ふふふっ。興奮しちゃうわよねえ。フォラドの町長は、何でも明るく景気よくやるのが好きなの」
「すごく素敵な考えだと思います! 夢が始まったみたい!」
マレイの隣に立つリジンが笑っているのが見えると、ロティアはますます嬉しくなった。
「今年も派手だったねえ。さあ、我々も行くとしようか。メリーゴーランドくらいなら乗れるぞうっ」
ソペットが歩き出すと、リジンも一緒に歩き出す。
「馬じゃなくて馬車にしてね、おじいちゃん。怪我したら困るから」
「わかっているよ、リジン」
ふたりは微笑み合い、ゆっくりとメリーゴーランドに向かっていった。
「わたしたちも行きましょう。中もきっと素敵よ」
「はいっ」
寝ぼけたフフランを抱いて部屋を出ると、ちょうどよくマレイが階段を下りてきた。
「おはよう、ロティアさん。あらあら、フフランさんはまだ眠たいの?」
淡いオレンジ色のワンピースに身を包んだマレイは、そろそろとロティアの腕の中をのぞきこんだ。
「そうみたいです。すごく気持ちが良いベッドだったので、わたしもフフランもぐっすりでした。ありがとうございます」
「よかったわあ。さあ、ロエルのおいしい朝食を食べに行きましょう」
ダイニングルームへ入ると、すでにリジンとソペットが席についていた。ヴェリオーズにいた頃と同じように、リジンは白いシャツを着ている。ありふれたシャツ姿でも、それがリジンであると特別に思える。ロティアは自分のこの考えに照れくさくなった。
ロティアたちに気が付くと、リジンは立ち上がり、ソペットはひらひらと手を振って来た。
「おはよう、ロティア、フフラン」
「おはよう、リジン。ソペットさんも、おはようございます。遅くなってすみません」
「おはよう、ロティアくん、フフランくん。ちっとも遅くないよ。老人は早起きだからね。リジンはそれに付き合ってくれるんだ」
「ぐっすり眠れたならよかった。あ、フフランはまだ眠そう」
リジンはロティアの腕の中で「クルクル」と繰り返すフフランのくちばしをツンと触った。寝言が「クルクル」から「クルル―」に変わると、ロティアとリジンは顔を見合わせて笑った。
「あ、座って、ロティア。ついさっきロエルが朝食を運んで来てくれたんだ」
リジンとマレイに促され、ロティアはリジンの隣の席に座った。
隣を見れば、丁寧な所作で食事をとるリジンがいる。
すっかり目を覚ましたフフランは、ロエルが焼いたパンに大喜びしている。
絶品の朝食は、ヴェリオーズで見た覚えのある柄が描かれた食器に取り分けられている。
ロティアはヴェリオーズにいた時の幸せな夢を見ているような気がした。
『この時間が永遠に続けば良いのに』
そう思った途端、ロティアは急にここへ来た目的を果たすのが恐ろしいことに思えた。
『リジンにまた絵を描いてほしい。笑っていてほしい』
自分の身勝手な思いのために行動し、リジンを不用意に傷つけて、嫌われてしまったら。
ロティアとリジンの関係は途絶えてしまう。
そんな恐ろしい世界に、自分から進んでいくなんて。
背中に巨大な岩を括り付けられたような感覚に襲われ、ロティアは思わず肩に手を回した。
「ロティア、どうしたの? 背中痛い?」
優しい声に顔を上げると、リジンは眉をハの字にして、心配そうな顔をしている。
「……ううん。何でもない。大丈夫」
「慣れないベッドだと、体がおかしくなることがあるものね。クッションやタオルでほしいものがあれば、遠慮なく言ってね」
「ありがとうございます、マレイさん」
ニコッと笑い、ロティアはジャガイモのポタージュをスプーンですくった。コクとまろやかさがある味は確かに絶品だ。手のかかるポタージュを、朝早くからこんなにおいしく作れるなんて、ロエルは本当に料理上手らしい。
「今日の遊園地は行けそうかな、ロティアくん?」
指と指を合わせてタタタッと音を鳴らすソペットの顔も心配そうだ。
ロティアはスプーンを置いてから答える。
「はいっ。楽しみにしてましたからっ」
「よかった。でも無理をしてはいけないよ。つらい時は誰かにすぐに言うようにね」
「オイラがよく見ておくよ!」
「頼むよ、フフランくん」
フフランとソペットは翼と手を当てた。ハイタッチのような仕草だ。
気の合う友人のようなやり取りに、ロティアはクスッと笑った。
「ありがとうございます、ソペットさん。フフランもありがとう」
朝食を済ませると、四人と一羽はロエルに留守番を頼んで玄関へ向かった。ソペットが青色の石で飾られた銀色のステッキに右手を伸ばすと、すぐにリジンが左側に立った。
「おお、ありがとう、リジン。すまないねえ」
「それは言わない約束でしょう」
「ハッハッハッ。そうだったね」
ふたりはゆっくりと玄関のドアを通り抜けて行った。その楽し気な後ろ姿をロティアが見つめていると、ススッとマレイが傍に寄って来た。
「ごめんなさいね、ロティアさん。リジンが父に付きっきりで」
「えっ、そんな! ちっとも気にしません。むしろ、ソペットさんの足は、大丈夫なんですか?」
マレイはレースの手袋をはめた手で、白い日傘を手に取って「ええ」と答える。
「若い時に戦禍に巻き込まれてね。杖さえあれば歩けていたんだけど、年もあって、この頃は人の補助が必要なの」
「それじゃあ、ソペットはフォラドの再興を経験してるってことか。大変だったな」
フフランのつぶやきに、マレイは固い笑顔を作った。
「心配してくださってありがとう。でもこれからせっかく遊園地に行くんだから、父のことは気にせずに、リジンともたっぷり遊んでね。父のことはわたしが見てるから」
「気にしないでください。初めての街で遊園地なんて、それだけで楽しみですから!」
ロティアが笑顔で答えると、マレイは困ったように微笑んだ。
広場が見えてくると、休日の朝の八時前にもかかわらずたくさんの人が詰め掛けていた。広場を囲うように人々が立っている。しかし広場の中は空っぽだ。
「あ、見て!」
子どもの無邪気な声が上がり、何千人という人が一斉に顔を上げた。
空には暖色のマーブル柄をした巨大な風船が浮かんでいる。ワーッと歓声が上がった。
「えっ、まさかあれが?」
ソペットが「その通りっ!」とご機嫌に答える。
「よく見ていてくれ、ロティアくん、フフランくん」
その言葉を合図にしたかのように、突然巨大な風船が地面目掛け、すさまじい勢いで落ちてきた。どよめきが起こる。ロティアは両手をギュッと握り合わせ、風船を目で追った。
風船はそれまでの勢いが嘘だったように、ふわりと地面に着地した。
それと同時に、シャラーンッという涼やかな音が鳴り、風船がはじけた。すると風船が花に変わり、雨のように広場に降り注いだ。今度は大きな歓声が上がる。
「皆様、大変お待たせいたしました! ホーンドラーベル移動遊園地でございます!」
艶やかな花柄のスーツに身を包んだ男性が、メリーゴーランドの屋根の上に立っている。
男性が杖を振ると、その場にいたすべての人の中にガーベラの花が一本現れた。もちろんフフランの羽根の隙間にも。フフランは慌ててくちばしでそれをつかんだ。
「誰もが笑顔になる夢のような一週間をお楽しみください!」
人々は一斉に広場の中へ走り出した。先頭は子どもたちだ。
ロティアはきらびやかな遊園地の中へ溶けていく人々を見つめながら、「すごいっ!」と声を上げた。
「こんな演出、初めて見ました!」
「オイラはどっちも初めてだ!」
「ふふふっ。興奮しちゃうわよねえ。フォラドの町長は、何でも明るく景気よくやるのが好きなの」
「すごく素敵な考えだと思います! 夢が始まったみたい!」
マレイの隣に立つリジンが笑っているのが見えると、ロティアはますます嬉しくなった。
「今年も派手だったねえ。さあ、我々も行くとしようか。メリーゴーランドくらいなら乗れるぞうっ」
ソペットが歩き出すと、リジンも一緒に歩き出す。
「馬じゃなくて馬車にしてね、おじいちゃん。怪我したら困るから」
「わかっているよ、リジン」
ふたりは微笑み合い、ゆっくりとメリーゴーランドに向かっていった。
「わたしたちも行きましょう。中もきっと素敵よ」
「はいっ」
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