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第1章 後編
31.花の街
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「今日はロエルと一緒にわたしも腕に縒りを掛けて料理するわっ。ロティアさんとフフランさんは、リジンと父が出てきたら、お話相手になってくださる?」
「そんな、わたしも手伝います」
「お客様にお手伝いをさせるほど野暮じゃないわ。むしろ、ふたりがお風呂から出るまでは、お相手できなくてごめんなさいね」
「いえ、でも……」
「良いから良いからっ。はるばる来てくださって、疲れてるでしょう」
マレイはレースで縁取られた袖をまくり、「代わりにおいしい料理をごちそうするから待ってて!」と息を巻いた。
マレイに背中を押され、ロティアとフフランは暖炉に火が入った談話室に戻された。
家族写真が散らばっていたテーブルはきれいに片付けられ、ロエルが新しく用意してくれたお茶とスコーンが置かれている。ポットはキルト生地のポットカバーで包まれている。このカバーも日日草の花柄だ。
「マレイさんのお言葉に甘えるとするか。オイラ、ちょっと腹が減ってたんだあ」
フフランはスイ―ッとテーブルの上に飛んでいき、スコーンの乗ったお皿の周りをウロウロした。そしてプレーンのスコーンをくちばしでついばみ始めた。しかしロティアがドアの前に立って両手の指をクルクル回しているのに気が付くと、フフランはスコーンから顔を上げた。
「どうした、ロティア?」
「……リジンが戻ってくるまで、ジッとしてる方が落ち着かなくて」
フフランは「ハハッ」と笑って、ロティアの肩に飛び乗った。くちばしについたスコーンのカスがぽろっと床に落ちていく。
「それで手伝いしたがってたのか」
「……うん。やっと会えたって思ったら、急に緊張してきちゃって。ちゃんと話せるかな」
「オイラもマレイさんたちもいるんだから大丈夫だろ」
ロティアは「うんー」と歯切れの悪い返事をして、ワンピースのヒダを手で折ったり、開いたりした。今も手を動かしていないと落ち着かないのだ。
「それなら、さっきの絵の続きを書くのはどうだ? 汽車の中で書き終わらなかっただろ。完成させてリジンに見せようじゃないか」
「……良いアイディアかも。ありがとう、フフラン。ごめんね、自分から会いに来たくせに、今さら怖気づいて……」
フフランはロティアの頬に丸い頭をすり寄せて、「良いんだよ」と言った。
「それだけリジンが大事ってことなんだ。そういう気持ちは大事にした方が相手に伝わるぞ」
「……そうだと良いな」
ようやくロティアの顔がほころぶと、フフランはうれしくなって「クルックー」とハトらしい鳴き声を上げた。
絵が完成した時、廊下が騒がしくなった。リジンとリジンの祖父の声が聞こえてくる。
すると、それまで絵に集中していたおかげで落ち着いていたロティアの心臓が、爆発しそうなほどの爆音で鳴り出した。震える両手を胸に当てて深呼吸をする。フフランも一緒になって鳩胸を膨らませる。
「大丈夫だぞ、ロティア」
フフランの言葉と同時に、応接室のドアが開いた。
「ああ、気持ちよかった。おお、リジンのご友人どの。お待たせしてすまなかったねえ」
湯気に包まれたリジンの祖父は、ドアの前で立ち止まっているリジンを置いて、にこやかにロティアに歩み寄って来た。左足が悪いのか、少し危なっかしい歩き方だ。ロティアは急いでリジンの祖父に駆け寄り、手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう。えっと、お名前は……」
「ロティア・チッツェルダイマーです。こちらは親友のフフランです。突然お邪魔してすみません」
「リジンのご友人なら大歓迎だ。わたしはソペット・レヴィン。リジンの祖父です。よろしく」
ふたりは笑顔で握手を交わした。その仕草や表情はどことなくリジンに似ている。
フフランとも挨拶を交わすと、ソペットはロティアの手を借りて暖炉に一番近いソファに座り込んだ。
「……ごめんね、ロティア、フフラン。待たせちゃって」
リジンもその隣のソファに座り、「ふたりも座って」と言った。
「大丈夫だよ。ありがとう、リジン」
「オイラはリジンの膝の上がいいな!」
フフランは机の上をチョンチョン跳ねて行き、リジンの膝に飛び乗った。リジンはフフッと笑って、フフランの柔らかい背中をなでる。ヴェリオーズで何度も見た懐かしい光景に、ロティアは目の奥がギュウッと痛んだ。
「おや、絵を描いていたのかい」
ソペットはふやけた手をもみながら、興味津々にテーブルの上の絵をのぞきこんできた。
「あ、はいっ。道中の汽車の中で描いていた絵を完成させたんです」
「良ければ見せてみてくれないかい? そちらの絵も」
「それはオイラが描いたんだぜ!」
ロティアは自分とフフランの絵を取って、一枚ずつソペットに差し出した。ソペットは目一杯手を伸ばして、ふたりの絵をまじまじと見た。
「そのハトの絵はわたしが描いて、わたしの絵はフフランが描きました」
「ほうほう。このハトの絵かあ。デッサン力が高いねえ。観察眼も良いのかな」
「俺にも見せて」
リジンはソペットのソファの背もたれにあごを乗せて、絵をのぞきこんだ。群青色の目が、魅力的に光る。
「あ、あんまりじっくり見られると、恥ずかしいけど……」
「おじいちゃんの言う通り、すごくよく観察して描いてるね。ロティアとフフランの信頼関係とか好意とか優しい感情がよくわかる、良い絵だと思う」
リジンはロティアの方を見て、にっこりと笑った。その表情に、ロティアは心臓がキュウッと締め付けられた。
リジンが絵を見て、絵の話をして笑っている。それだけで嬉しくて、安心して、涙が出そうになった。
「こちらはハトのフフランくんが描いたのか」
「あっ、はい。フフランは自分の羽根を筆に使うんです」
「羽根を! 面白い発想だなあ!」
「オイラの羽根は、筆よりもいい仕事するんだぜっ」
フフランがリジンの膝の上で胸を張ると、ソペットは「ハッハッハッ」と愉快そうに笑った。
「確かに良い仕事をしているね。それにしても、この絵を見ていると、少し前に話題になった『平和のハト』の絵が思い出されるなあ。おふたりは知っているかい?」
ロティアとフフランは顔を見合わせてから「はい」と答える。
「当時すごく話題になったよね。俺も見に行ったよ」とリジン。
「廃墟の塔に、一晩で突如現れたハトの絵。戦争目前の奇跡のような出来事。あれがなければ戦争は始まっていただろう」
その絵はまさしく、ロティアがインクを集め、フフランが羽根を使って描いた絵だ。
リジンとソペットも知っているなんて。
ふたりは誇らしい気持ちになり、にんまりと笑った。
「フフランくんの絵には、あの絵と同じ魅力を感じるよ。素晴らしい才能だね」
「ありがとよ、ソペットさん。ひょっとするとあの絵を描いた奴はハトなのかもな」
フフランはいたずらっぽく笑うと、ソペットはまた豪快に笑った。
まさか描いた張本人ならぬ張本ハトが目の前にいるとは、ソペットもリジンも思わないだろう。
「ところで、おふたりは、リジンの仕事を手伝ってくれたと聞いているよ。つまり、絵がお好きなのかな? 描くのもお上手のようだし」
「そんなに褒めてくださって、ありがとうございます。詳しくはないですけど、休日は美術館に行ったりしますよ」
ロティアが答えるやいなや、ソペットは目を輝かせ、勢いよく立ち上がった。すかさずリジンはフフランを抱え、反対の手でぐらぐらと揺れるソペットの体を支える。
「それならうちの所蔵作品を見て行かないかい? 家の中に飾っている他にも、屋根裏に良い絵がたくさんあるんだ!」
「よ、よろしいんですか。ぜひ見せていただきたいです」
ロティアがリジンとは反対側からソペットを支えると、ソペットは穏やかな笑みで「ありがとう」と言った。
屋根裏部屋に向かう間、ソペットは家の壁に飾られた絵について話をしてくれた。
階段の壁にかかっている四枚の絵は、同じ景色を四季で描き分けた作品だ。赤々と紅葉した葉が湖畔に映っている秋の絵が、ロティアは一番好きだと思った。きっとヴェリオーズの湖も、直にこの景色のように美しくなるだろう。
踊り場に飾られた二メートルにもなる大きな絵は、一頭のグリフォンが描かれていた。青空を悠々と飛ぶ姿はたくましく、見るだけで力がみなぎるような絵だ。これは子どもの頃からリジンのお気に入りだそうだ。
屋根裏部屋の木箱の中に整理されている所蔵作品は、多くが花を描いたものだった。埃やチリ一つ乗っていない部屋や木箱を見ると、ロエルはかなりのきれい好きのようだ。
「フォラドの方はお花が好きなんですね。この街に着いた時、街全体が花で彩られていて、すごく素敵だと思ったんです」
ソペットは笑顔でうなずき、デイジーの花の絵を指の腹でそっとなでた。
「かつてフォラドは戦火で焼け野原になったことがあってね。街を再興する時に、『世界一美しく、子どもや妖精が安心して暮らせる街』という目標を掲げたんだ」
「へえ、妖精か」とフフラン。
「ああ。妖精は空気が澄んで、花や自然の多い場所を好む。そして妖精が暮らす場所は、戦争が起こらないという逸話がある。花は人間の心も癒してくれる。街を美しく清らかに保つことは、良いことがたくさんあるんだよ」
「素敵な考えですね。だからお家の中にも、お花の絵を飾ってるんですか?」
「そうっ。特に冬は花が無くなってしまうからね。冬の間も子どもや妖精が楽しく過ごせる街づくりをしているんだ。そういえば、リジンは子どもの頃に、近所の公園で妖精を見たと言っていたねえ」
「えっ、本当ですか!」
少し離れたところで所蔵作品の箱を開けていたリジンは、ロティアの声で顔を上げた。
「妖精を見たの、リジン?」
「うん。八歳くらいの時だよ」
「そうそう。『おじいちゃん! 妖精がお花の上で休んでたの!』と言って大はしゃぎで帰ってきてねえ。かわいかったなあ」
リジンは赤くなった顔を、絵の入った銀色の額縁で隠した。
「俺の話より、妖精の話しようよ……」
「どんな妖精だったんだ?」
フフランが話に乗ると、リジンはそろそろと額縁を下ろした。
「ちょうどロティアくらいの髪の長さで、フフランみたいに白くてふわふわした衣装を着てたよ。鮮やかな赤色のガーベラの上に座ってたから、目立ってたんだ」
「へえ! 想像だけで素敵っ! わたしも見てみたいなあ、その妖精さん」
「それなら明日、ロティアさんたちも一緒に街へ繰り出さないかい? ちょうど明日から広場に移動遊園地が来るから、リジンとマレイと一緒に行こうと話していたんだ。町中がいっそう花であふれるから、妖精を見つけられるかもしれないよ」
「えっ、良いんですか。ご家族水入らずにお邪魔して」
ソペットはしわしわの手を振りながら笑った。
「大勢でワイワイ行こうじゃないか。楽しいよ、きっと」
「それなら行こうぜ、ロティア。オイラ、移動遊園地ってやつ見てみたい!」
フフランは羽根をパタパタ揺らして、甘えた目でロティアを見上げてくる。チラッとリジンの方を見ると、リジンは笑顔でうなずいてくれた。
「それじゃあ、ご一緒させてください」
「よしっ、決まりだね」
ソペットはご機嫌に答えた。
「そんな、わたしも手伝います」
「お客様にお手伝いをさせるほど野暮じゃないわ。むしろ、ふたりがお風呂から出るまでは、お相手できなくてごめんなさいね」
「いえ、でも……」
「良いから良いからっ。はるばる来てくださって、疲れてるでしょう」
マレイはレースで縁取られた袖をまくり、「代わりにおいしい料理をごちそうするから待ってて!」と息を巻いた。
マレイに背中を押され、ロティアとフフランは暖炉に火が入った談話室に戻された。
家族写真が散らばっていたテーブルはきれいに片付けられ、ロエルが新しく用意してくれたお茶とスコーンが置かれている。ポットはキルト生地のポットカバーで包まれている。このカバーも日日草の花柄だ。
「マレイさんのお言葉に甘えるとするか。オイラ、ちょっと腹が減ってたんだあ」
フフランはスイ―ッとテーブルの上に飛んでいき、スコーンの乗ったお皿の周りをウロウロした。そしてプレーンのスコーンをくちばしでついばみ始めた。しかしロティアがドアの前に立って両手の指をクルクル回しているのに気が付くと、フフランはスコーンから顔を上げた。
「どうした、ロティア?」
「……リジンが戻ってくるまで、ジッとしてる方が落ち着かなくて」
フフランは「ハハッ」と笑って、ロティアの肩に飛び乗った。くちばしについたスコーンのカスがぽろっと床に落ちていく。
「それで手伝いしたがってたのか」
「……うん。やっと会えたって思ったら、急に緊張してきちゃって。ちゃんと話せるかな」
「オイラもマレイさんたちもいるんだから大丈夫だろ」
ロティアは「うんー」と歯切れの悪い返事をして、ワンピースのヒダを手で折ったり、開いたりした。今も手を動かしていないと落ち着かないのだ。
「それなら、さっきの絵の続きを書くのはどうだ? 汽車の中で書き終わらなかっただろ。完成させてリジンに見せようじゃないか」
「……良いアイディアかも。ありがとう、フフラン。ごめんね、自分から会いに来たくせに、今さら怖気づいて……」
フフランはロティアの頬に丸い頭をすり寄せて、「良いんだよ」と言った。
「それだけリジンが大事ってことなんだ。そういう気持ちは大事にした方が相手に伝わるぞ」
「……そうだと良いな」
ようやくロティアの顔がほころぶと、フフランはうれしくなって「クルックー」とハトらしい鳴き声を上げた。
絵が完成した時、廊下が騒がしくなった。リジンとリジンの祖父の声が聞こえてくる。
すると、それまで絵に集中していたおかげで落ち着いていたロティアの心臓が、爆発しそうなほどの爆音で鳴り出した。震える両手を胸に当てて深呼吸をする。フフランも一緒になって鳩胸を膨らませる。
「大丈夫だぞ、ロティア」
フフランの言葉と同時に、応接室のドアが開いた。
「ああ、気持ちよかった。おお、リジンのご友人どの。お待たせしてすまなかったねえ」
湯気に包まれたリジンの祖父は、ドアの前で立ち止まっているリジンを置いて、にこやかにロティアに歩み寄って来た。左足が悪いのか、少し危なっかしい歩き方だ。ロティアは急いでリジンの祖父に駆け寄り、手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう。えっと、お名前は……」
「ロティア・チッツェルダイマーです。こちらは親友のフフランです。突然お邪魔してすみません」
「リジンのご友人なら大歓迎だ。わたしはソペット・レヴィン。リジンの祖父です。よろしく」
ふたりは笑顔で握手を交わした。その仕草や表情はどことなくリジンに似ている。
フフランとも挨拶を交わすと、ソペットはロティアの手を借りて暖炉に一番近いソファに座り込んだ。
「……ごめんね、ロティア、フフラン。待たせちゃって」
リジンもその隣のソファに座り、「ふたりも座って」と言った。
「大丈夫だよ。ありがとう、リジン」
「オイラはリジンの膝の上がいいな!」
フフランは机の上をチョンチョン跳ねて行き、リジンの膝に飛び乗った。リジンはフフッと笑って、フフランの柔らかい背中をなでる。ヴェリオーズで何度も見た懐かしい光景に、ロティアは目の奥がギュウッと痛んだ。
「おや、絵を描いていたのかい」
ソペットはふやけた手をもみながら、興味津々にテーブルの上の絵をのぞきこんできた。
「あ、はいっ。道中の汽車の中で描いていた絵を完成させたんです」
「良ければ見せてみてくれないかい? そちらの絵も」
「それはオイラが描いたんだぜ!」
ロティアは自分とフフランの絵を取って、一枚ずつソペットに差し出した。ソペットは目一杯手を伸ばして、ふたりの絵をまじまじと見た。
「そのハトの絵はわたしが描いて、わたしの絵はフフランが描きました」
「ほうほう。このハトの絵かあ。デッサン力が高いねえ。観察眼も良いのかな」
「俺にも見せて」
リジンはソペットのソファの背もたれにあごを乗せて、絵をのぞきこんだ。群青色の目が、魅力的に光る。
「あ、あんまりじっくり見られると、恥ずかしいけど……」
「おじいちゃんの言う通り、すごくよく観察して描いてるね。ロティアとフフランの信頼関係とか好意とか優しい感情がよくわかる、良い絵だと思う」
リジンはロティアの方を見て、にっこりと笑った。その表情に、ロティアは心臓がキュウッと締め付けられた。
リジンが絵を見て、絵の話をして笑っている。それだけで嬉しくて、安心して、涙が出そうになった。
「こちらはハトのフフランくんが描いたのか」
「あっ、はい。フフランは自分の羽根を筆に使うんです」
「羽根を! 面白い発想だなあ!」
「オイラの羽根は、筆よりもいい仕事するんだぜっ」
フフランがリジンの膝の上で胸を張ると、ソペットは「ハッハッハッ」と愉快そうに笑った。
「確かに良い仕事をしているね。それにしても、この絵を見ていると、少し前に話題になった『平和のハト』の絵が思い出されるなあ。おふたりは知っているかい?」
ロティアとフフランは顔を見合わせてから「はい」と答える。
「当時すごく話題になったよね。俺も見に行ったよ」とリジン。
「廃墟の塔に、一晩で突如現れたハトの絵。戦争目前の奇跡のような出来事。あれがなければ戦争は始まっていただろう」
その絵はまさしく、ロティアがインクを集め、フフランが羽根を使って描いた絵だ。
リジンとソペットも知っているなんて。
ふたりは誇らしい気持ちになり、にんまりと笑った。
「フフランくんの絵には、あの絵と同じ魅力を感じるよ。素晴らしい才能だね」
「ありがとよ、ソペットさん。ひょっとするとあの絵を描いた奴はハトなのかもな」
フフランはいたずらっぽく笑うと、ソペットはまた豪快に笑った。
まさか描いた張本人ならぬ張本ハトが目の前にいるとは、ソペットもリジンも思わないだろう。
「ところで、おふたりは、リジンの仕事を手伝ってくれたと聞いているよ。つまり、絵がお好きなのかな? 描くのもお上手のようだし」
「そんなに褒めてくださって、ありがとうございます。詳しくはないですけど、休日は美術館に行ったりしますよ」
ロティアが答えるやいなや、ソペットは目を輝かせ、勢いよく立ち上がった。すかさずリジンはフフランを抱え、反対の手でぐらぐらと揺れるソペットの体を支える。
「それならうちの所蔵作品を見て行かないかい? 家の中に飾っている他にも、屋根裏に良い絵がたくさんあるんだ!」
「よ、よろしいんですか。ぜひ見せていただきたいです」
ロティアがリジンとは反対側からソペットを支えると、ソペットは穏やかな笑みで「ありがとう」と言った。
屋根裏部屋に向かう間、ソペットは家の壁に飾られた絵について話をしてくれた。
階段の壁にかかっている四枚の絵は、同じ景色を四季で描き分けた作品だ。赤々と紅葉した葉が湖畔に映っている秋の絵が、ロティアは一番好きだと思った。きっとヴェリオーズの湖も、直にこの景色のように美しくなるだろう。
踊り場に飾られた二メートルにもなる大きな絵は、一頭のグリフォンが描かれていた。青空を悠々と飛ぶ姿はたくましく、見るだけで力がみなぎるような絵だ。これは子どもの頃からリジンのお気に入りだそうだ。
屋根裏部屋の木箱の中に整理されている所蔵作品は、多くが花を描いたものだった。埃やチリ一つ乗っていない部屋や木箱を見ると、ロエルはかなりのきれい好きのようだ。
「フォラドの方はお花が好きなんですね。この街に着いた時、街全体が花で彩られていて、すごく素敵だと思ったんです」
ソペットは笑顔でうなずき、デイジーの花の絵を指の腹でそっとなでた。
「かつてフォラドは戦火で焼け野原になったことがあってね。街を再興する時に、『世界一美しく、子どもや妖精が安心して暮らせる街』という目標を掲げたんだ」
「へえ、妖精か」とフフラン。
「ああ。妖精は空気が澄んで、花や自然の多い場所を好む。そして妖精が暮らす場所は、戦争が起こらないという逸話がある。花は人間の心も癒してくれる。街を美しく清らかに保つことは、良いことがたくさんあるんだよ」
「素敵な考えですね。だからお家の中にも、お花の絵を飾ってるんですか?」
「そうっ。特に冬は花が無くなってしまうからね。冬の間も子どもや妖精が楽しく過ごせる街づくりをしているんだ。そういえば、リジンは子どもの頃に、近所の公園で妖精を見たと言っていたねえ」
「えっ、本当ですか!」
少し離れたところで所蔵作品の箱を開けていたリジンは、ロティアの声で顔を上げた。
「妖精を見たの、リジン?」
「うん。八歳くらいの時だよ」
「そうそう。『おじいちゃん! 妖精がお花の上で休んでたの!』と言って大はしゃぎで帰ってきてねえ。かわいかったなあ」
リジンは赤くなった顔を、絵の入った銀色の額縁で隠した。
「俺の話より、妖精の話しようよ……」
「どんな妖精だったんだ?」
フフランが話に乗ると、リジンはそろそろと額縁を下ろした。
「ちょうどロティアくらいの髪の長さで、フフランみたいに白くてふわふわした衣装を着てたよ。鮮やかな赤色のガーベラの上に座ってたから、目立ってたんだ」
「へえ! 想像だけで素敵っ! わたしも見てみたいなあ、その妖精さん」
「それなら明日、ロティアさんたちも一緒に街へ繰り出さないかい? ちょうど明日から広場に移動遊園地が来るから、リジンとマレイと一緒に行こうと話していたんだ。町中がいっそう花であふれるから、妖精を見つけられるかもしれないよ」
「えっ、良いんですか。ご家族水入らずにお邪魔して」
ソペットはしわしわの手を振りながら笑った。
「大勢でワイワイ行こうじゃないか。楽しいよ、きっと」
「それなら行こうぜ、ロティア。オイラ、移動遊園地ってやつ見てみたい!」
フフランは羽根をパタパタ揺らして、甘えた目でロティアを見上げてくる。チラッとリジンの方を見ると、リジンは笑顔でうなずいてくれた。
「それじゃあ、ご一緒させてください」
「よしっ、決まりだね」
ソペットはご機嫌に答えた。
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