星空色の絵を、君に ~インクを取り出す魔法使いは、辺境訳アリ画家に絵を描かせたい~

唄川音

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第1章 前編

16.嵐

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「今夜はひどい嵐になるみたいだから、ロティアとフフランもくれぐれも気をつけて」

 夕食の席で鮭のムニエルを食べている時に、リジンが言った。ロティアはパンを千切ろうとした手を止めて、ブルリと体を震わせた。

「……いやだなあ。わたし、雷が苦手で」
「実家でも社員寮でも、カーテン閉めきって、全身毛布にくるまって寝てるもんな」

 フフランがからかうと、ロティアはフフランの皿からパンをひと欠片パッと取った。

「あっ! ひどいぞ、ロティアー!」
「恥ずかしいこと言ったからだよー!」

 ロティアがベーッと舌を出すと、リジンはクスッと笑って「雷はいくつになっても怖いよね」と言った。

「さあ、ふたりともケンカしないで。フフランは俺のを食べたらいいよ」
「おおっ、サンキュー!」
「リジンったら、フフランに甘いんだからっ」

 ロティアとフフランはジトーッとにらみ合い、すぐにプッと吹き出して笑い出した。その光景に、リジンも小さく笑った。


 ロティアとフフランは順調に日々を過ごし、リジンの家で八月を迎えた。
 あと五日で、ロティアたちは一度魔法特殊技術社に帰ることになる。
 この頃は三回の食事をふたりと一羽で毎日一緒に取るようになり、会話も増えた。特に、サニアが二回目の訪問で「かしこまった話し方疲れない?」と言ったことをきっかけに、ますます空気が柔らかくなったのだ。フフランは「オイラはずっとかしこまってなかったけどな」と得意げに笑っていた。

「そんなに怖いなら、窓に板を打ち付けても良いよ」とリジン。
「いやあ、そこまでは良いよ。あんな素敵な窓枠に釘を打ちたくないもん」
「それじゃ、カーテンの上に毛布をつけるのはどう? 布が厚くなれば、雷の音も光も少しはマシだと思うけど」
「良いアイディアかも! でも、そんなことして良いの? 毛布の余分ある?」
「それでよく寝られるなら」

 リジンに優しく微笑まれると、ロティアも微笑み返した。


 リジンと打ち解けてからというもの、ロティアは度々思うことがある。それは、リジンは自分とフフランに過保護すぎる、ということだ。
 確かにロティアはリジンよりも三歳年下で、雷が怖かったり、辛いものが食べられなかったり、子どもっぽいと形容される要素が多い。
 フフランはリジンと同じくらい生きているらしいが、さっきのパンのやりとりのようなことはしょっちゅうあり、リジンにとってはかわいい弟のような存在らしい。

「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「うん。あとで毛布を持っていくよ」


 リジンの言う通り、カーテンの上に布を一枚増やすだけで、雷の音は小さく感じられ、光も弱く感じられた。

「安心して寝られそうだな」

 ロティアの枕元に丸くなって座っているフフランの目は、トロンとしていて眠たそうだ。お腹いっぱいパンを食べたおかげだろう。ロティアはフフッと笑って、ベッドに入った。

「リジンに感謝しないとね」
「そうだな。さてと、寝るか。ロティア、明かり消してくれー」
「はーいっ。おやすみ、フフラン」





 ロティアの部屋の魔法灯が消えると、次第に嵐は勢いを増していった。木々の葉をむしり取りながら駆け抜ける雨や風が窓ガラスに打ち付け、バリバリバリッと破壊的な音が鳴り響く。
 それでもロティアはいつもの嵐よりはよく寝られていた。
 しかし、一時間経った時だった。突然、雷よりも大きな悲鳴が上がり、ロティアとフフランは飛び起きた。

「なっ、なに今の!」
「リジンの声だ!」

 ふたりは大急ぎで部屋を出ると、ためらいもせずに三階に続く階段を駆け上った。この階段だけは、二十五日経った今も上ったことがなかったのだ。

「リジン! どこにいるの!」

 階段を上りきったところで大声で叫ぶ。廊下を飛び回るフフランが「ここだ!」と開いたドアの前で叫ぶと、ロティアはダーッと駆けていき、ドアの中に飛び込んだ。
 部屋の中はひどい有り様だった。
 壁一面を使った大きな窓に折れた木の枝が突き刺さり、大きな窓ガラスに穴を開けている。その穴から雨と風が部屋に流れ込み、部屋に散らばった紙を巻き上げているのだ。
 鳥のようにバサバサと音を立てながら外へ飛んでいく紙もある。その真ん中で、リジンは呆然と立ち尽くしている。髪も寝間着も、全身がびしょ濡れだ。

「大丈夫、リジン!」

 リジンに駆け寄ると、その目と頬は濡れていた。

「……ロティア」
「落ち着いて、リジン。とにかくここを出よう。今片付けるのは無理だよ」
「で、でも……。ここには……」

 手を引くが、リジンは雨でグズグズになった紙を持ったまま動かない。

「が、画材代が、大変なら、わたしの給金を減らしてくれて、構わないから」
「違うっ。……そんな、ことじゃなくて」

 その目は、ロティアが初めてリジンの絵を取り出した日に見せた目と同じだった。ひどく傷ついたような、泣き出しそうな顔だ。

 この危険な場所から、早く離れるべきだ。
 しかしこんな表情のリジンを無理やり連れ出して良いのか。
 どうしたら良いのか、ロティアにはわからなかった。

 その時、いつの間にか姿を消していたフフランが、割れた窓ガラスの隙間から飛び込んできた。

「外に飛んでいった紙は全部拾ったぞ! ひとまずここから逃げよう!」
「あ、ありがとう、フフラン! リジン、とりあえず散らばった紙だけでも集めて、ここを離れよう」

 リジンは小さくうなずき、ヨロヨロと動き出した。

「……ごめん、ロティア、フフラン」

 ロティアも紙をかき集めながら答える。

「あ、謝らないでよ、リジン。それよりも、手を動かそう」

 引き出しに仕舞われていなかった紙を全て集めると、ふたりと一匹はアトリエを出た。全員びしょ濡れだ。フフランはブルブルと羽根を振って水を飛ばした。
 リジンは亡霊のような足取りで、階段を降り始めた。

「……二階の、リビングに行こう。暖炉をつけて、温まらないと」

 ロティアは「うん」とだけ答え、その後についていった。
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