星空色の絵を、君に ~インクを取り出す魔法使いは、辺境訳アリ画家に絵を描かせたい~

唄川音

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第1章 前編

10.最初の夕食

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 その日、リジンが帰って来たのは夕方の五時過ぎだった。
 三時にオーケと別れ、夕食の支度をしていたロティアは、ドアが開く音がすると玄関に駆けて行った。

「おかえりなさい、リジンさん」

 リジンは目をパチパチさせて、自分の家のものではないエプロンをしたロティアを見た。これはロティアが持ってきたエプロンだ。

「……ああ、ただいま」
「今、ロティアが夕食作ってるんだ。早く着替えて来いよ、もうじきできるぞ」

 リジンの後ろで開いたままになっているドアを、フフランがくちばしで押して閉めた。

「……うん。でも、出かけてきたから、体の汗を流してきても良いかな」
「遠慮なくどうぞ。先に片付けして待ってます」

 リジンはまだ少し驚いた顔で、「わかった」と答え、三階の自室に上がって行った。
 リジンの姿がドアの向こうに消えると、ロティアとフフランは二ッと笑いあった。



 十分後、湯気と甘い花の香をまとったリジンがダイニングルームに入って来た。髪からはまだ水がぽたぽた垂れているが、本人はあまり気にしていないようだ。
 ロティアは椅子から立ち上がり、「お疲れさまです」と声をかける。

「待たせてごめんね」
「いえ。ちょうど片付けが済んで、座ったところです」

 ロティアはリジンの後ろに回り、「どうぞ」と言って自分の席の正面にリジンを促した。フフランはテーブルの最奥のお誕生日席に座っている。平たいお皿の上には、細かく砕いたパンが乗っている。

「夕食、ありがとう」

 ロティアがスープをよそろうと皿に手を伸ばした時、リジンが言った。テーブルに肘をつき、黒い瞳でロティアを見上げてくる。ロティアはスープをよそって、リジンの前に皿を置くと、「いいえっ」と答えた。

「勝手に作ってしまってすみません。あ、今更だけど、お腹空いてますか?」
「うん。昼食以降、途中で何も食べなかったから」
「よかった!」

 ロティアは自分の分のスープをよそると、席について、テーブルから肘を下ろしたリジンと真っすぐに見つめ合った。

「厚かましいかもしれないですけど、リジンさんともっといろいろお話したいと思って」
「それなら夕食の席が良いなって話になったんだ!」とフフラン。

 リジンはまた驚いたように目を見開き、目をそらして「……そうなんだ」とつぶやいた。

「今日何をしてたか、聞いてくれませんか?」

 そう切り出すと、リジンはホッとした顔になり、「うん」と答えた。オーケから聞いた通り、リジンは口数が多くない、というか、話をするのが得意ではないようだ。

「実は今日、リジンさんのご友人のオーケさんと会ったんです」
「散歩中?」
「はい。オーケさんが転んでしまったところに遭遇して」
「お礼にお茶をごちそうしてもらったぞ」とフフラン。
「オーケさんのインクを見せてもらったんですよ。植物油と鉱物を使ったもの。それで、リジンさんが鉱物のインクで絵を描いてると聞きました」
「……オーケのインクを使うと、他のは使えないんだ」

 そう言ってパンをちぎるリジンの顔は不機嫌には見えない。自分のことについて特に隠しているわけではないさそうだ。これもオーケの言う通りだ。
 オーケに感謝しつつ、それならば、とロティアはすかさず口を開いた。

「それで、リジンさんが絵画の先生をされていると聞きました」

 リジンの手がぴたりと止まる。
 ロティアの心臓がどきりとはねた。
 さすがに急ぎすぎたかな。
 リジンはパンを皿の上に戻すと、口元をナプキンでぬぐって、ロティアと目を合わせた。その目は怒っているようには見えない。むしろ、少し水気を帯びた目は震えている。

「……似合わないと、思ったでしょう」

 照れてる!
 そう叫びそうになり、ロティアは口をバクンッと閉じた。

「そんなことないさ。むしろリジンの絵は良い手本になるだろうなって、ロティアと話してたんだ」

 フフランの言葉に、リジンの頬がほんのり赤く染まった。
 突然褒められて、どう反応したらよいのかわからない子どものような顔をしている。
 ロティアは口の中でフフッと笑って、ようやく口を開いた。

「絵を教える時も、鉱物のインクを使ってるんですか?」
「……いろいろかな。水彩も油絵も教えられるけど、俺の絵を気に入ってくれた方のお家に伺っているから、俺と同じような絵を描けるようになりたいとご要望をいただくことが多いかな」
「それじゃあ、先生をすることで、オーケさんのインクの宣伝にもなってるんですね」

 つまり、オーケからも宣伝費用をもらっているのだろうか。それなら画材代を少しは賄えるだろうか。

 そう考えた時、ロティアはなぜこんなにも必死になって、自分がリジンの絵を取り出さずに済む理由を探しているのだろう、と思った。
 リジンの絵を素晴らしいと思い、心を打たれたことも十分な理由になる。
 しかし一番の理由は、依頼人であるリジンが、ロティアが依頼をこなしたことで、ちっとも幸せそうに見えないことのような気がした。
 これまでは依頼内容に対して疑問を持つことはほとんどなかった。不要なものを取り出して、必要なものに変える。それで人の役に立っていた。実際喜んでもらえたことしかなかった。依頼人を笑顔にできる仕事していることは、ロティアの誇りだった。

 一方で、リジンはどうだろうか。
 依頼人が魂を込めて描いた絵を、画材代というお金を理由に、取り出さなければならない。望みは叶えているが、依頼人は絵が取り出されることで本当は苦しんでいるように見える。それは真の意味で、リジンの役に立っているのだろうか。今のロティアには、役に立っているとはとても言えなかった。

 だからわたしも苦しいんだ。
 そう思うと、ロティアはジリジリと痛むお腹にそっと右手を当てた。

「……どうした、ロティア?」

 いつの間にかうつむいていたらしく、フフランが顔の下にもぐって顔をのぞきこんできた。

「え、あ、ううん。急に考え事しちゃってごめんなさい」
「ううん。慣れないキッチンで夕食作りして、疲れたでしょう。食器の片づけは俺がやるよ」
「いえっ。疲れてるわけではないんです! すみません」

 リジンは「そう」とつぶやき、スプーンを持ち上げた。しかしスープに手を付けようとしない。ロティアとフフランが不思議そうに見ていると、リジンがのろのろと顔を上げた。

「……俺の話、聞いても面白くないと思うけど、した方が良い?」
「あ、はいっ。聞きたいです! せっかく一か月一緒に過ごすんですから、お互いのことを知っていた方が良いですよ」

 ロティアがテーブルに見乗り出す勢いでそう言うと、リジンはまた目をパチパチさせた。そして、顔をほころばせた。

「わかった。それじゃあ、少しだけ」

 リジンは、今日行ったのは、ここから電車で三十分のところにある第二の首都だと話した。森のようなこの町とは比べ物にならないほどのビルが立ち並び、自然に触れたいのなら市内の巨大な公園に行くしかないような都会だそうだ。

「都会に住んでいる子どもたちは、自然への欲求が強いのか、俺が気が付かないような道端の花や珍しい鳥に気が付くんだ。そういうものをスケッチすることもあれば、お宅の一室で俺の絵を手本に絵を描くこともある」
「楽しそうですね」
「うん。でも本当は、この町の本物の自然に実際に触れさせてあげたいなと思ってる。手つかずの自然は、創作意欲を高めてくれるから」
「だからリジンの絵はいい味があるんだな」

 フフランの言葉に、またリジンは照れくさそうに眼を伏せた。ロティアとフフランは顔を見合わせ、こっそりと笑いあった。そして、リジンがこんなにかわいらしい人だと、一日でも早く知れて良かったと思った。

「次はいつ行くんですか?」
「明日だよ。今日、明日、明後日と三日間は教室だから」
「それって、わたしとフフランがついて行ったら迷惑でしょうか。クマの絵は、もう取り出し終わってるんです」
「おっ、いいな! 楽しそう!」

 フフランはバサッと翼を広げ、天井から釣り下がるシャンデリアの周りをぐるぐると飛び回った。
 一方、リジンは目を泳がせて何を言い返せばよいか考えている。
「……付いてきても、構うことはできないよ?」

 拒否されていないとわかると、ロティアはにっこりと笑って答えた。

「邪魔にならないように、静かにしてます」
「……それじゃあ、明日は三人で行こうか」

 ロティアは元気よく「はいっ」と答えた。
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