15 / 82
第3章 再会
第14話 ジンと《サラ》
しおりを挟む
全員が立ち去るのを見届けると、男は小さく息をついた。
「さて」
男はくるっと踵を返すと、力が入らずにしゃがみこんでいるルーチェの隣に腰をかけた。
「……っ」
話しかけられたルーチェの肩はびくりと跳ねあがった。
なにをされるのか……。
不安が大きく募る。
かけられた声にびくびくと肩を竦ませると、男は紅い瞳をまっすぐに向けた。
「お前、俺と会ったことがあるのか? 俺は可愛い女と出会ったら、相手の顔は絶対に忘れないんだが」
ふっと笑みを浮かべながら、まだ震えているルーチェの手を握った。
生誕祭で怒鳴ってきたときの態度とも、先程の威圧的な態度とも違い、優しく語りかける。
普通の女性だったら、そのまま恋に落ちるほど、蕩けるような甘い瞳。
「……あ、えっと……」
戸惑う気持ちを抑えるために、小さく深呼吸をした。
(覚えていないのかしら)
生誕祭のときはマントを被っていたし、顔がわからなかったのかもしれない。
ルーチェはごくりと唾を飲み込んだ。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「そんなことはいい。ケガがないならよかった」
ルーチェがにこりと笑みを向けると、それに負けないくらい甘い笑みを返された。
相当女慣れしている様子がうかがえる。
(……猫被り? それとも、二重人格?)
生誕祭のときに怒鳴られたことを思い出すと、いまの笑顔が信じられない。
仮面を被った悪魔なのでは、と疑いたくなる。
ルーチェは、にこりと笑顔を向けた。
「そうやって、たくさんの女性を引っかけているのかしら?」
すると、男の表情がかたまった。
「申し遅れました。私、生誕祭のときに、あなたにぶつかった《ガキ》ですわ」
「ガキ……?」
ルーチェは頷く。
「あのときは私に対して突然、怒鳴りましたね。なのになぜ、いまはこんなに優しくするのかしら……?」
態度の違う男を睨みつけ、握られた手を容赦なくふり払った。
「祭りって――あの、マント被ってた……?」
「えぇ、そうです。このマントで顔は見えなかったかもしれませんが、そのときの《ガキ》は、私です」
げっ、と顔をしかめると、男は額を手で覆ってうつむいた。
女性に対しては、誰にでも優しいつもりだった。
しかし、マントの下に隠れたルーチェの美貌には、気づけなかった。
ちらりと視線をうつすと、幼いながらも整った顔立ちが、男をまっすぐと見つめていた。
緩やかに流れる金色の髪に、心の奥を見透かすようなラピスラズリ色の瞳。
紅を塗ったようなふっくらとした唇に、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「大人なのに、ずいぶんと意地悪なことをいうのですね。ガキ相手に怒鳴るなど――ねぇ、《紅血鬼》さん」
見つめていた唇は、小悪魔のように口の端を吊りあげた。
妖艶な姿に魅了され、自分に向けられている言葉だと気がつくまで、少し時間がかかった。
「――その名は呼ぶな。俺の名前じゃない」
「では、二重人格ナンパ野郎さんで」
思ってもいない呼び名をつけられ、男の頬がぴくりと動いた。
「ジン・ジークだ」
ルーチェは、ふうん、と頷いた。
そして、ジン、と心の中で呟いた。
「ガキはここでなにしてんだ?」
「ガキじゃないわ。――私は……っ」
慌てて口を結んだ。
本当の名前を伝えてしまえば、王家のものだと気づかれてしまう。
このコキュートス川近辺で王家の名を口にすることは自殺行為だと、ルーチェにもわかっていた。
息を軽く飲み込むと、ジンを見据えた。
「《サラ》――ガキではありません」
ルーチェは、非公式とされているセカンドネームの一部を口にした。
セカンドネームをもつことを許されているのは、王家の人間と、上級貴族のみ。
その中でも王家の人間は、神の名前をもとにしたセカンドネームをつける風習がある。
そして、王家の人間は自分の婚姻相手にのみ、セカンドネームを告げる。
ルーチェもまた、兄や姉のセカンドネームを知らない。
第2皇女であるルーチェのセカンドネームも、ルーチェ以外に知っているのは親である国王のみ。
他にその名を知るものは、決していない。
「さて」
男はくるっと踵を返すと、力が入らずにしゃがみこんでいるルーチェの隣に腰をかけた。
「……っ」
話しかけられたルーチェの肩はびくりと跳ねあがった。
なにをされるのか……。
不安が大きく募る。
かけられた声にびくびくと肩を竦ませると、男は紅い瞳をまっすぐに向けた。
「お前、俺と会ったことがあるのか? 俺は可愛い女と出会ったら、相手の顔は絶対に忘れないんだが」
ふっと笑みを浮かべながら、まだ震えているルーチェの手を握った。
生誕祭で怒鳴ってきたときの態度とも、先程の威圧的な態度とも違い、優しく語りかける。
普通の女性だったら、そのまま恋に落ちるほど、蕩けるような甘い瞳。
「……あ、えっと……」
戸惑う気持ちを抑えるために、小さく深呼吸をした。
(覚えていないのかしら)
生誕祭のときはマントを被っていたし、顔がわからなかったのかもしれない。
ルーチェはごくりと唾を飲み込んだ。
「助けてくださって、ありがとうございます」
「そんなことはいい。ケガがないならよかった」
ルーチェがにこりと笑みを向けると、それに負けないくらい甘い笑みを返された。
相当女慣れしている様子がうかがえる。
(……猫被り? それとも、二重人格?)
生誕祭のときに怒鳴られたことを思い出すと、いまの笑顔が信じられない。
仮面を被った悪魔なのでは、と疑いたくなる。
ルーチェは、にこりと笑顔を向けた。
「そうやって、たくさんの女性を引っかけているのかしら?」
すると、男の表情がかたまった。
「申し遅れました。私、生誕祭のときに、あなたにぶつかった《ガキ》ですわ」
「ガキ……?」
ルーチェは頷く。
「あのときは私に対して突然、怒鳴りましたね。なのになぜ、いまはこんなに優しくするのかしら……?」
態度の違う男を睨みつけ、握られた手を容赦なくふり払った。
「祭りって――あの、マント被ってた……?」
「えぇ、そうです。このマントで顔は見えなかったかもしれませんが、そのときの《ガキ》は、私です」
げっ、と顔をしかめると、男は額を手で覆ってうつむいた。
女性に対しては、誰にでも優しいつもりだった。
しかし、マントの下に隠れたルーチェの美貌には、気づけなかった。
ちらりと視線をうつすと、幼いながらも整った顔立ちが、男をまっすぐと見つめていた。
緩やかに流れる金色の髪に、心の奥を見透かすようなラピスラズリ色の瞳。
紅を塗ったようなふっくらとした唇に、思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「大人なのに、ずいぶんと意地悪なことをいうのですね。ガキ相手に怒鳴るなど――ねぇ、《紅血鬼》さん」
見つめていた唇は、小悪魔のように口の端を吊りあげた。
妖艶な姿に魅了され、自分に向けられている言葉だと気がつくまで、少し時間がかかった。
「――その名は呼ぶな。俺の名前じゃない」
「では、二重人格ナンパ野郎さんで」
思ってもいない呼び名をつけられ、男の頬がぴくりと動いた。
「ジン・ジークだ」
ルーチェは、ふうん、と頷いた。
そして、ジン、と心の中で呟いた。
「ガキはここでなにしてんだ?」
「ガキじゃないわ。――私は……っ」
慌てて口を結んだ。
本当の名前を伝えてしまえば、王家のものだと気づかれてしまう。
このコキュートス川近辺で王家の名を口にすることは自殺行為だと、ルーチェにもわかっていた。
息を軽く飲み込むと、ジンを見据えた。
「《サラ》――ガキではありません」
ルーチェは、非公式とされているセカンドネームの一部を口にした。
セカンドネームをもつことを許されているのは、王家の人間と、上級貴族のみ。
その中でも王家の人間は、神の名前をもとにしたセカンドネームをつける風習がある。
そして、王家の人間は自分の婚姻相手にのみ、セカンドネームを告げる。
ルーチェもまた、兄や姉のセカンドネームを知らない。
第2皇女であるルーチェのセカンドネームも、ルーチェ以外に知っているのは親である国王のみ。
他にその名を知るものは、決していない。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
お嬢様の執事は、夜だけ男の顔を見せる
hiro
恋愛
正統派執事様×意地っ張りお嬢様
「最後に、お嬢様に
《男》というものを
お教えして差し上げましょう」
禁断の身分差…
もし執事に
叶わぬ恋をしてしまったら…
愛することを諦められますか?
それとも――…?
※過去作品をリライトしながら投稿します。
過去のタイトル「お嬢様の犬」
【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?
氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。
しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。
夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。
小説家なろうにも投稿中
踏み台令嬢はへこたれない
三屋城衣智子
恋愛
「婚約破棄してくれ!」
公爵令嬢のメルティアーラは婚約者からの何度目かの申し出を受けていたーー。
春、学院に入学しいつしかついたあだ名は踏み台令嬢。……幸せを運んでいますのに、その名付けはあんまりでは……。
そう思いつつも学院生活を満喫していたら、噂を聞きつけた第三王子がチラチラこっちを見ている。しかもうっかり婚約者になってしまったわ……?!?
これは無自覚に他人の踏み台になって引っ張り上げる主人公が、たまにしょげては踏ん張りながらやっぱり周りを幸せにしたりやっと自分も幸せになったりするかもしれない物語。
「わたくし、甘い砂を吐くのには慣れておりますの」
ーー踏み台令嬢は今日も誰かを幸せにする。
なろうでも投稿しています。
外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます
刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる