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第12話 後朝
しおりを挟むモレヤが新しく用意したという池にほど近いねぐらで、ヤシュカはあちこち軋む体を何とか起こした。
モレヤが作り上げたここは、まさしく「巣」だ。こうなることを見越して作ったのではないかと思うほど、もう何というか「番う」ための全てが整えられていた。
清潔で居心地がよく、包まれているような安心感に浸れる寝床。声も漏れないし、外界を気にすることもない。運び込まれていた沢山の食料や着替え。清らかな泉もすぐ近くにあって、水瓶にはそれが並々と湛えられていた。
番うというのは、恐ろしく体力のいることなのだとヤシュカは思い知った。二人とも初めてだったので最初こそぎこちなかったが、途中からのモレヤは……思い出したくない。
あんなのは卑怯だ。
もうすぐ夕暮れ時になる。里に戻らなければとは思うけれども、八つの嶺へ駆け上がった時よりもはるかに疲れていて、ヤシュカは寝床の中に再びごろりと寝転んだ。
傍らに置かれたモレヤの上衣に顔を埋めると、モレヤの匂いがする。ただでさえヤシュカの好きな匂いなのに、モレヤが発情期になったらどうなってしまうのだろう、と思った。
「ヤシュカ、大丈夫か?」
獣形になったモレヤが「巣」に戻ってきた。口に咥えていた獲物の野ウサギを隅に置くと、獣形のままヤシュカにのしかかってきたのでヤシュカは慌てる。
「モ、モレヤ……っ!」
モレヤに痕を何箇所もつけられた首筋をペロリと舐められる。そのままヤシュカの上で人形に戻られて、それはそれでヤシュカは狼狽えた。さっきまでこの体に組み敷かれていたと思うと、恥ずかしさが倍増だ。
上掛けを剥ぎ取られて抱き込まれ、直接体温が伝わってきた。
「……んー……ヤシュカ、柔らかくて気持ちいい……」
「ちょっとモレヤ! どこに顔を埋めてるの!」
一度肌を合わせたモレヤは、ヤシュカに対して随分と甘えてくるようになった。今まで得られなかった触れ合いを求めるように、やたらと擦り寄ってくる。別にヤシュカもそれが嫌ではないのだけれど、ただ恥ずかしくていたたまれなくなる。
「ヤシュカ……戻るのか?」
「戻りたくても戻れないと思う……」
「ごめん、ちょっと歯止めがきかなくて……」
胸に顔を埋められたまま喋られると、くすぐったくて落ち着かない。
明日の朝までには帰らなければ、と思うけれども一晩寝れば元に戻るだろうか。いや、そもそもモレヤが寝させてくれるのか。
「明日、夜明け前には送っていくから、それまでこうしていさせて」
そんなことを言われてしまえば、戻ろうという意思はヤシュカから追い出されていく。ヤシュカだって出来ればこうしていたい。
「……湖のほとりの方に、もう一箇所ねぐらを作ろうかと思う」
少しだけ真面目な声でモレヤが言った。
「ここだと、ヤシュカが戻るの大変だろう?」
「……ばか」
戻るのが大変になるようなことをするのだと暗に言われて、ヤシュカは恥ずかしくなって顔の前で揺れていたモレヤの耳を甘噛みした。
結局、モレヤの獲ってきたウサギを炙って夕食に食べた後、寝床の中でごろごろとじゃれ合っていたらそういう雰囲気になって、やっぱり明け方に帰ることにしたのは正解だった、とヤシュカは思った。
***
翌朝、夜明け前にモレヤの背に乗せてもらって里の近くまで送ってもらった。これから冷たい泉の水で禊をしなければいけないのかと思うと、面倒な気分になって思わずヤシュカは溜息をつく。
「どうした?」
それを目敏く見つけたモレヤが尋ねた。ヤシュカに何かあったのかと、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「朝の日課でね、泉の水で禊をしなければいけないの。最近ものすごく冷たいからやだなぁ……って」
「なんだ。それって……温泉でやったらいけないのか?」
「温、泉……?」
全く想像していなかったモレヤの言葉に、ヤシュカは目を丸くした。
「五つ根の樫から北へ少し分け入った森の中に、温泉が湧き出てる場所があるんだ。俺が時々五つ根の樫まで来ていたのはそれが理由。八つの嶺の方にも温泉はあるけれど、こっちの方が温度がちょうどよくて」
「ど、どこどこ、それ! 連れてって!」
一度降りたモレヤの背に有無を言わさず再び跨ると、今度はモレヤが溜息をついた。そして静かに走り出す。
いくらもしないうちに森の中を流れる小さな沢に辿り着いた。そこから少し流れを遡ると、沢の少し脇に岩がきちんと整えるように並べられて、もわもわと湯気が上がっている箇所があった。
よく見れば岩で囲まれた湯船には沢から水を引き込むように細い水路が作られていて、温度調節まで出来るようになっている。
(モレヤって、意外とこういうところマメだよね……)
ヤシュカは密かに感心しながら、温泉に手を差し入れた。確かに熱すぎずぬるすぎずちょうどいい。
早く入りたくなって何も考えずに服を脱ぎかけたヤシュカは、ハッと気付いた。
「モレヤ、後ろ向いてて!」
「……もう全部知ってるのに……」
「それとこれとは別なの!」
モレヤの言葉に顔を赤くしながらもヤシュカは温泉の誘惑に抗えずに、手早く服を脱ぎ落とす。ちょっとだけ足先を湯につけると、思い切って体を沈めた。
「……ふー……生き返るぅ……」
モレヤのせいで色々と疲れ切った体が、心地よさにほぐれていく。
温泉に入るなんて、どれくらい久しぶりだろう。故郷にも山の方に温泉はあったのだけれど、当然ヤシュカは頻繁に行くことなど出来ず、一族の者の目を盗んでごくたまに行くのが精一杯だった。
それに比べたらここは、毎日入れる距離だ。それも禊という名目で。
生まれて初めて禊が楽しみになったヤシュカだったが、ちゃぽんという水音で我に返った。
「ちょ……っ! モレヤ!」
気づけば獣形のモレヤが温泉に浸かっていた。二人、というか山犬の状態のモレヤと入るとちょっと狭い。
「後で入ればいいじゃない!」
「ここは俺が整備したんだから、俺が好きな時に入って何が悪い」
獣形だと表情は読み取りにくいのだけれど、今、モレヤの金の瞳は絶対にニヤニヤと笑っている。うっすらと白み始めた空の下、ヤシュカの白い体を満足そうに眺めていた。
ムカついたヤシュカは、湯の中で負けじとこちらも獣形になった。
「……チッ」
小さく舌打ちが聞こえたような気がしたが、気にしない。この姿になってしまえば、服を着ていなかろうが、一緒に湯に浸かっていようが恥ずかしくはない。ないはずだったのだが……
「……狭いね」
「……ああ」
思わぬ誤算だった。元からそう大きくはない湯船に、山犬と白い鹿がみっちりと入っているような状態になってしまって、溢れた湯がざばりと川の方へ流れていく。
なんだかおかしくなって、二人で笑った。こんなどうしようもないことでもモレヤとだと何でも楽しくなる。
馬鹿みたいに笑えた禊を終えて湯から上がると、ヤシュカはぷるぷると体を震わせて雫を飛ばした。
「じゃあモレヤ、また……」
「また今夜、来る」
まさかのモレヤの答えに、ヤシュカは驚き、そして嬉しくなって小さく頷いた。
そうして衣服を咥えてヤシュカが社へと戻る間、ずっと後ろにモレヤの視線を感じていた。尻尾がチリチリとして落ち着かない。
社の裏戸からそっと中へ入ると、出てきた時と何も変わってはいなかった。すっかりと冷たくなってしまった夕餉が置いてあるだけだ。
どうやら誰にも気づかれていなかったようだと知って安心するとともに、これが自分の扱いなのだと改めて思い知らされた。
一晩いなくても、誰にも気づかれない。
モレヤと温泉に入って温められた身も心も、禊用の泉の冷たい水を浴びせかけられたような気持ちだった。
人形に戻って衣服を着ると、とりあえず夕餉を別の容器に移し替えて食べたように偽装する。今日は昼食を抜いてもらうか、保ちそうなものはモレヤに持って行くか……多分、後者の方が良いだろう。
流石にこの日ばかりは、祖神への祈りも機織りも、何もかも上の空だった。
時折モレヤの想いを受け止めた箇所が気になって、下腹部をさする。
本当は、モレヤによく似た子犬を身籠れたらいいのに、それだけは残念だな、と思った。
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