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第2章 蠱毒の頂

第14話 模倣者の叛乱

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 翠蓮すいれんは目の前の厄介な美丈夫・瑛藍えいらんの一挙一動を注意深く観察しながら、慎重に言った。

「……斉王せいおう殿下は、それをお知りになってどうなさるのですか」
「あ、別に君を兄上に突きだすとかは全然考えてないよ。今の兄上にそんなこと言っても、君に目がくらんでなーんにも見えなくなってるから、僕のほうが危ないだろうしね。ま、もともとなんにも見えてないけど。僕はむしろおもしろいな、って思って確かめにきたんだ」

「おもしろい……ですか?」
「うん。だってさ、後宮の邪魔者を排除して皇帝の寵愛を独占する。ま、これはよくあることだよねぇ? でも君、別に兄上を独占したいわけじゃないでしょ?」
「皇上陛下という尊いおかたを、わたくしごときが独占するなど、おこがましいことかと存じます」

「それは肯定だと受け取っておくね。じゃあなんで、こんなことを起こしたのかなって僕は思ったわけ。たしかに君は公燕こうえんの許嫁だった。でも兄上と父上がそれをめちゃめちゃにした。だから兄上のことを恨んでいても不思議ではないよね。あ、そこでさっきからめっちゃ怖い顔してる宦官クンもかな?」

 へらりと笑う瑛藍だったが、誰よりも核心に迫っていることはたしかだ、と翠蓮は感じた。面倒なのは、この男が現在の皇族の中ではかなりの高位にあり、一筋縄で潰せる相手ではない、ということだ。琰単えんたんに泣きつけば可能かもしれないが、この様子ではそう簡単にはやられないだろう。

「でもさ、兄上のことをただ恨んでるだけなら、さっさと殺しちゃえばいいじゃん? どうせねやにいるときなんか、阿呆みたいに無防備なんだし」

 瑛藍はおそらく確信を得ている。翠蓮が何重にもまとっている仮面に惑わされず、翠蓮の真の姿に辿りついている、と翠蓮は思う。

 だがそれよりもさきほどからいささか気になっていることがあった。瑛藍が琰単のことを口に出すとき、その言葉のはしばしに悪意と嘲りが感じられる。

 すこし話しただけでも分かったが、軽い口調と態度に惑わされることなかれ、瑛藍は琰単と異なり相当に聡い。そんな瑛藍から見たら、琰単のごときはまさしく凡愚の極みに見えるのだろう。ましてや年が同じで見た目もそっくりなのに、かたや皇帝、かたや一皇族という超えられない壁があるとあっては。

 ならば……と翠蓮は賭けに出ることにした。

「……逆に、斉王殿下にお伺いします」
「ん、なにかな?」
「もし、斉王殿下が殺しても飽き足らないほど憎い相手がいたとして、その相手にどのように復讐したら一番効果的だと思われますか?」

 瑛藍はうーんとすこし考えてから――ひどく物騒な笑みを浮かべて言った。

「持ち上げて持ち上げて……散々いい思いをさせて油断させたあとに、そいつのものをぜーーんぶ奪って、地べたに這いつくばらせて命乞いをしてるところを殺す、かな?」

 それは、翠蓮にとって満点の回答だった。

「……いいご趣味ですね。もっとも私もそれが最適だと思います」
「ふふっ……奇遇だねぇ。だから僕は『おもしろい』と言ったんだ。僕のほかにも『同じこと』を考えて、しかも実行に移している人がいただなんて、ね」

「同じこと……でございますか」
「そう。すこし昔話をしてもいいかな、呉昭儀ごしょうぎ
「ええ……ご存分に」

 翠蓮の読みは当たった。瑛藍は琰単との間に間違いなく確執を抱えている。それも、翠蓮や渓青と同じように相当な屈辱を味わわされてきたことは間違いなかった。

「……ありがとう。僕の生母は潘美人はんびじんというのだけれど、もともとは美人の位ですらなかった。そん前皇后の小間使いのような女官だったんだ。
 あるとき、父上は狩りの帰りに急に離宮に滞在することにしたんだ。多分、皇后から逃げたかったんだろうね。でも皇后はそれを嗅ぎつけてすぐさま離宮にやってきた。そして父上を罵倒したそうだよ。これは王者のふるまいではなく、匹夫ひっぷにも劣る、とね。さすがに父上も反論して……まあ、要するに夫婦喧嘩だよね。結構激しく言い争ったらしい。
 それで皇后はあんまり頭にきて『おまえなど宮城きゅうじょうにいられなくしてやる!』って啖呵をきったんだってさ。いやーすごいよね。相手、皇帝だよ? 僕も言ってみたいよ。あ、ごめんごめん、話が逸れたね。
 で、怒り心頭の皇后は本当は離宮に泊まる予定だったんだけれど、その足で宮城きゅうじょうにとんぼ返りしたんだ。焦ったのはお付きの者たちさ。慌てて皇后についていったもんだから、行きと帰りで人数が違っていることにも気づかなかった。
 女官がね、一人取り残されたんだ。憐れにも彼女は皇后がその日泊まる予定だった部屋を大急ぎで用意していた。それで皇后が帰ってしまったことさえ知らなかったんだ。
 一生懸命寝台を整えているところに、なんとまさか皇帝がやってきた。皇帝のほうもね、ものすごい腹を立てていたもんだから、腹いせに皇后の寝台をめちゃくちゃにしてやろうと思ってきたらしい。子供みたいだよね。
 怒り冷めやらぬ相手の寝台に、まだ少女の面影が残るような女官が一人。ま、こっからは言わなくても分かるよね。そのときにできたのが僕さ」

 一気に語り、ふふっと微笑むその顔は、琰単と似ている思ったことが失礼なほどに憂いと侮蔑に満ちていた。

「僕はね、本当は兄上……琰単よりも二日先に生まれているんだ。でも、皇后は自分の小間使いだった女が、自分よりも先に自分の子とそっくりな男の子を産んだことが許せなかった。
 僕と琰単の生まれ日はすり替えられて、僕は『弟』になった。僕を産んで母はすぐに産褥さんじょくで亡くなったらしいんだけど、絶対これ、皇后に殺されたと思うんだよね」

 翠蓮は内心でぶんぶんと首を縦にふっていた。それだけ苛烈な皇后ならば、間違いなくそんな女を生かしておくはずがない。

「皇后は生まれながらに母を亡くしてしまった僕を憐んで・・・、自分の手元で琰単と一緒に育てることにした。ああ、言いたいことは分かるよ。皇后はそんな人柄じゃないだろう、って」

 翠蓮はすこし恥ずかしくなりながら目線を伏せた。多分、瑛藍にはあまり仮面をかぶる必要がないと気づいてから、感情が素直に表に出てしまっているのだろう。

「お察しのとおり、皇后はそんなタマじゃない。琰単と比べて僕をいびりたかっただけさ。『琰単はこんなに上手にできるのにおまえときたら』ってね。ま、成長したらそれを察して、わざと失敗したりしてたけど。だから僕はお調子者で、女の子が大好きで、いつも琰単にくっついてる金魚のフンを演じることにしたんだ。 ……そうしないと、自分の命が守れなかったからね」

 なるほど、彼は自分と同じなのだ、と翠蓮は思った。翠蓮は復讐という目的のために「貞淑で淫乱な女」を演じる。瑛藍は生き残るという目的のために「浮ついた女好きの皇子」を演じる。

「ほら、実際正直に生きてた公燕こうえんは殺されちゃっただろう? 僕はああなるのはゴメンだったからね。跡目争いも一歩引いて、いつも琰単や他の皇子たちにおべっかを言って、自分はそんなことより女性といたいって、必死で主張してたよ。まあ、実際のところ女性は大好きなんだけどさ」

「……公燕こうえん様はまっすぐすぎたのです……」
「……うん、そうだね。でも僕は彼が羨ましかったよ。自分を偽らずに、自分でいられることがね。僕は……模倣品なんだ。琰単の」

 そういうと瑛藍はすっと立ち上がり、翠蓮の前に立った。琰単とほとんど同じ背丈だが、姿勢が良いせいか琰単よりもずっと凛々しく見える。柔らかな笑いかたも、茶目っ気のある目も、なにもかも琰単とは違う。

「見ててね」

 そう言って瑛藍がいたずらっぽく笑ったその瞬間――翠蓮は驚きに言葉を失った。

 今、目の前にいるのは瑛藍だ。けれどもそこには琰単がいた。
 すこし猫背気味で姿勢の悪いその立ちかた、つねに他者を見下しているような傲慢な表情、翠蓮を値踏みするその視線。扇を開いてからパチリと閉じ、それで翠蓮の顎をあげさせるしゃくにさわる仕草など、なにからなにまで琰単そのものだった。

「……驚きました」
「どう? 完璧だった? 君にはそうそうに見破られちゃったから、今度は目もだいぶ意識してみたんだけど」
「腹が立つほどに皇上陛下でした」

 翠蓮がそう言うと、瑛藍はくすくすと笑いはじめた。くるりと一つ回ってから瑛藍はふたたびすとんと椅子に座る。

「見てのとおり、僕は琰単を模倣できる。でもね、それはそうさせられたんだ、皇后にね。ある程度大きくなったころ、皇后は僕の利用方法を思いついた。琰単の影武者にすればいい……とね。おかげで何度も暗殺されそうになったよ」

 ほら、と言いながら瑛藍は片方の袖をまくりあげる。軽い口調からは想像できないほど逞しいその腕には、一つや二つではない古傷が刻まれていた。

「僕はね……琰単と孫皇后にすべてを奪われた。兄という立場も、母も、そして自分自身も。『殺しても飽き足らない』ほど憎むには十分な理由じゃないかな?」

「ええ……」

 琰単とその周囲にいる者たちによる被害者は、おそらく自分たちにとどまらないことは翠蓮には十分わかっていた。

 ここで瑛藍を共犯者に引き込めれば、これ以上ない強力な援軍になる。「斉王」はたしかに琰単の腰巾着で浮ついた人柄と言われていたが、渓青の調書によれば主に軍事方面ではきっちりと功績を残しているのだ。
 皇后と琰単の目の届かない戦場で立てた実績こそが、偽ることのない瑛藍の実力なのだろう。

 翠蓮はじっくりと考えこんでから、慎重に語りはじめた。

「……殿下のご事情は痛いほどに分かりました。おそらくわたくしたちは志をともにする者。そこで一つ提案がございます」

「なにかな?」

 瑛藍はにっこりと笑っていたが、その瞳には紛れもなく濁ったほむらが――翠蓮たちと同じ復讐の色彩がのっていた。翠蓮はそれを確信して言う。



「……殿下と私の子を、帝位に就けませんか」



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