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第3章 悲劇の成れの果て
Ⅶ 私が君を
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地恵期20年 8月11日
ポーレル 東部 午後2時
以下は、地恵期19年11月10日に発売されたビジネス雑誌「new world」に掲載されたインタビューの一部である。
* * * * *
エボリテス=ワテラロンド 49歳 天恵期2102年11月10日、マサチューセッツ州生まれ。
一般家庭に生まれたものの、5歳でハーバード大学に首席で合格。12歳には日本語を含めた10か国語をマスターし、20歳までに5度のオリンピック出場、8度のノーベル賞受賞を果たし、数多くの起業も成功させた1万年に1人の天才。29歳にワールドレイジの被害を受けるも、オメガツールを起業し、大成功。現在は2人の娘を持ちながら、第7洞窟のオブジェクトの大半を支配する言わずと知れた超敏腕経営者。
━━━オメガツールが、19年連続で「働きたい企業ランキング」で1位を獲得しましたが。
とても光栄に思っています。
起業経験は幾度とあれど、世界滅亡後に起業した事はありませんでしたから、オメガツールの経営は本当にがむしゃらに取り組んだだけなんです(笑)。
世間では「社員への待遇も完璧」とか「些細な不満も解消してくれるから働きやすい」とか言われていて、現に退職率もとても低いんですが、私としては特別な事をしているつもりは無いんですよ。
こんな厳しい状況でも、私の為に働こうとしてくれる社員がいるのだから、彼らの為に社内環境の向上にも全力で努めよう。日々そう思って経営をしていたら、次第に人望と結果が付いて来たってだけの話なんです。ですから、嬉しさと同じくらい驚きもありますね。
━━━中略
━━━ワテラロンド氏はワールドレイジ直後にオメガツールを起業し、現在は世界を手中に収めていると言っても過言ではない程の発展を見せていますが、そこまでの発展に最も貢献してくれたと考えるMVPのような存在はいらっしゃいますか?
もちろん、私の会社で働いてくれた人全てですね(笑)。
資金を提供してくれた株主の皆様、オブジェクトを開発してくれている工場の皆様、営業をしてくれている新入社員、受付嬢や清掃員として働いてくれている方々、全員がMVPです。
━━━素晴らしいご回答ですね(笑)。しかし、敢えて一人挙げるとすれば・・・?
そうですね・・・。強いて言うなら、オブジェクト開発部門の部長として働いていた一人の恩師ですかね。彼は大学時代の教授で、主に物理学の教鞭をとっていたんですが、大学卒業後も色々とお世話になりまして。オブジェクトの原案を考えたのも彼だったんです。彼がいなければ、間違いなく今のオメガツールは無かったし、もしかしたらオブジェクトも存在しなかったかもしれません。退職してしまったのが非常に悔やまれますが、今でも「彼がいたら」と思う時があります。本当に、そのくらい彼はうちの優秀な社員であり、大切な恩師だったんです━━━━━。
* * * * *
「・・・なぁチフル。」
「どうしたの?レハト。」
誕生日の翌日、俺達はいつものようにゴミ漁りをしていた。
俺は昨日の夜、マケラおじさんから色んな話を聞いた。衝撃的な情報が多すぎて全く整理できていないが、俺はとにかくチフルの事が心配になってしまった。
「・・・お前、じいちゃんの事好きか?」
作業をするチフルの手が一瞬止まった。が、すぐにいつもの調子で答えた。
「別に。普通よ。」
「そっか。ならいいんだ。」
俺には彼女の気持ちは分からないが、彼女がそう言うならきっと嘘ではないのだろう。
というよりも、嘘であってほしくない。そう思ってしまった。
「どうしたのよ、急にそんなこと聞いて。昨日なんかあったの?」
「何にもねぇよ。ただ気になっただけだ。」
どれだけ時が経っても、空の景色は変わらない。
どこに行っても、毎日する事は変わらない。
それはこの街も、俺の故郷でも同じ事だ。
みんな何も知らないまま今日を生きて、明日も生きて、そして死ぬ。
世の中には知らなくていい事もたくさんある。
知らない方が幸せだったなんて事がたくさんある。
じゃあ、俺が知りたがっているこの洞窟の最深部の事も、もしかしたら知らない方がいい事なのかもしれない。
「何ボーっとしてんの。ほら、さっさと帰るよ。もうここにはめぼしい物無いし。」
「・・・ああ、そうだな。」
一歩前に進んだその時、微かな風が俺の髪を揺らした。
(・・・風?)
洞窟の中で風なんて起こるはずがない。となれば、こんな場所で風が吹く理由は一つだけだ。
「・・・・・何か、来る・・・!」
ンんンんンんンんンんンんンんンん
とても生物のものとは思えない甲高い音が洞窟中にこだました。耳を塞ぎたくなるような不快な超音波のようだ。姿は見えないが、遠くに確実にクリーチャーの気配を感じる。
「チフル!早く逃げろ!」
それを聞いてチフルが小屋の方へ逃げていくのを見届けながら、俺は鳴き声のした西の方へ急ぐ。
次第に逃げ惑う人々とすれ違う。その表情はどれも苦悶に満ちていた。
・・・悪臭がする。多分クリーチャーの臭いなんだろうが、出来れば息もしたくないレベルだ。肌を舐めるような気持ちの悪い温かさの空気と共に、鼻の奥をツンと刺激するアンモニア臭。
呼吸を口呼吸に切り替え、人混みを抜けた。
そこにいたのは、見るも悍ましい悪趣味な姿をしたクリーチャーだった。
顔面にはペストマスクが付けられ、頭から体にかけては黒くてぼろいローブが被されている。そのローブの間から見える人間のような胴体には骨が浮き上がり、不健康な黒い斑点ばかりだった。肩から先は無かったが、四つん這いのような姿勢をしている。背中には布切れのように薄い黒い翼があり、足はどの生物の物でもなさそうな白い骨の様だった。特徴からして、上級の異形型だ。
「悪趣味な格好しやがって・・・。手早くぶっ飛ばしてやる!」
担いでいたグランディウスを手に持ち、戦闘態勢に入る。
こいつが本当に上級ならば俺一人で戦うのはかなり危険だ。だけど、少年隊やトレイルブレイザーの援護を待っていられる様な余裕は無い。
お互い睨み合って牽制をする。こんな静かな状態だと、自分が思いの他緊張している事を実感する。
頬を流れる汗が垂れ、地に落ちたその時、
んンんンんンんンんンんンんンんンん
さっきのような甲高い鳴き声を発したかと思うと、微かにクリーチャーの翼が動いた。
来る。
ビュンッ!
そう直感した瞬間、既に俺の体は動いていた。上半身を大きく右に反らす。俺の体があった場所に、猛スピードで黒い何かが通り過ぎていった。どうやらこいつは翼を伸縮自在に動かせるらしい。あと少し反応に遅れていたら腹に風穴が開いていたところだ。
(やっぱこいつ、上級かよ・・・。)
心の中でそう呟いたのも束の間、俺の視界に再び黒い影が映りこむ。
戦闘をする際、最初の一撃は多くの場合回避されたり防がれる事が多い。強者同士の戦いであれば、一撃目を囮にし、二撃目をどうやって決め、どうやって防ぐかが重要である。これも姉ちゃんの教えだ。
「その攻撃は読めてる!」
ガンッッ!!
一撃目を回避した時点で、二撃目を想定してグランディウスで壁を作っておいて正解だった。それでもギリギリ間に合ったレベルだが。
アイツの能力は、伸縮自在な翼による突き攻撃だろう。とんでもなく速いが、壁一枚で防げる辺りそこまで一撃は強くないと見た。さっき吹いた風から考えるに、もちろん空も飛べるだろう。貧弱な体も、極力自重を減らしてスピードを高めるためなのだとしたら、攻撃と防御が低い代わりに素早さが高いスピードアタッカーみたいなところだろうか。そう考えると、小回りが苦手な俺にとっては少々不利な相手だが、それは力が弱い相手にとっても同じはず。それより・・・
バサッバサッバサッ
黒い翼が上下に動き、クリーチャーの体が宙にふわりと浮く。俺には空を飛んでる奴への対処法が無い。どうにかして翼を破壊するなり逃げ場を封じるなりしなければ、逃げられる一方だ。
「逃がす訳ねぇだろうがよぉ!」
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
グランディウスを振り下ろし、クリーチャーの行き先を土の壁で塞ぐ。すぐさまクリーチャーに飛び掛かり、グランディウスを構える。
「もらった!!!」
そう思った。しかし、上級はその程度で倒せるほど甘くはなかった。
ザシュッッッ!!!
振りかぶったグランディウスはひらりと躱され、宙を殴った。その反撃と言わんばかりに、俺の左太腿がクリーチャーの足の爪に引き裂かれた。
「グゥゥ・・・痛ってえなオイ!!!」
お返しにと、俺は体を回転させて右脚でクリーチャーの貧弱な腹を蹴る。
んンんンんンんンんンんンん!!!!!
腹を蹴られた痛みからなのか、先程までより激しい咆哮が俺の鼓膜を振動させる。あまりのうるささに、俺の耳の中から少々血が流れている感覚さえする。意識が朦朧とし、そのまま体制を崩して地面に急降下。その隙を見計らってクリーチャーは更に高度を上げ、どこかへ飛び去ってしまった。
ダンッッ!!
受け身に失敗し、背中を地面に強打した。痛い。痛い。痛い。幸い意識はまだあるが、全身が焼けるように熱く、背中に激痛が走っている。体の至る所から出血もしているが、それだけならまだ我慢できる。問題は・・・。
「ふぅ・・・ふぅ・・・ぐっ・・・!!あの野郎、俺の腹を引き裂いた時何をしやがった・・・!?」
クリーチャーに引き裂かれた傷の痛みが常軌を逸しているのだ。ドクドクと血が溢れ出て、周囲の皮膚も紫に変色し始めている。正気でいるのに精一杯だ。傷はそこまで深くないはずなのにここまでの激痛が走るのは、常識的に考えておかしい。そんな事を考えていると、体全体にも異常が発生してきた。発熱、倦怠感、吐き気、悪寒。この症状はまるで・・・。
「インフルエンザにでもかかってる気分・・・だな・・・。」
意識が遠のいていく。視界が徐々に霞んでいく。誰かの足音が聞こえる。瞼を閉じかけたその瞬間、知らない声が俺の耳に届いた。
「━━━━━生きろ。」
バサッ!バサッ!
レハトから逃げ出したクリーチャーが、チフルの頭上を通った。
「クリーチャーが逃げ出してる?・・・・・まさか!」
不穏な空気を察知したチフルはクリーチャーが逃げてきた方角へ振り返ると、すぐさまそちらへ走り出した。
「レハト君!!!」
しばらく走って彼女が目にしたレハトの表情は、まるで地獄の業火に焼かれているかのような苦悶に満ちていた。傷跡はおろか、血痕でさえ全く見られないが、左太腿の一部が酷く腫れている。身体に触れると、かなりの発熱をしているのも分かった。しかし、声をかけても反応する気配はない。
「一体何が・・・。」
体を持ち上げるのだけでも一苦労だが、ここでじっとしていてはレハトの命も危うい。幸い、マケラが医学にもそれなりに精通している事を知っていたチフルは、自分よりも倍近い体重を持つレハトを持ち上げ、引きずるようにおんぶをしながら、懸命に小屋へと歩き出した。
「ぐぅ・・・!待っててね、レハト君・・・。今・・・助けるから・・・!!」
一歩。また一歩。
ゆっくりながらも、チフルは必死にレハトの体を運ぶ。自分よりもはるかに大きい彼を運ぶのは、彼女にとってはかなりの苦痛だった。しかし、彼と出会ってからの5か月で、彼女は何度も何度も助けられてきた事を覚えていた。それは、決して日常生活という話だけではない。クリーチャーからも犯罪者からも、彼は何度だって彼女のために戦ってくれた。そして何より。
「・・・私ね、両親と兄弟を殺されてるの。今でもたまに発作が出ちゃうのは、その時のトラウマと、おじいちゃんから教えてもらった色んな情報のせい。どうしてポーレルに来たのかとか、どうしてここを出れないのかとか、そういう事実を受け入れられなくて・・・。ポーレルで過ごしてきた1年の間にも、何回も殺人とか強姦をされかけたんだ・・・。それで誰も信じられなくなって、一時期鬱になったりもして・・・・・。」
チフルはレハトを運びながら、ふと静かに語りだした。彼女は、昔を懐かしむように空を見上げている。
「そんな時に来てくれたのが君だった。馬鹿だし、ふざけるし、無茶ばっかりするし・・・。でも、いつも強くて、優しくて、どんな時でも明るくいれる君が、私にはちょっと輝いて見えたりもして・・・。」
空を見上げるチフルの視界が、微かに霞む。
「嬉しかったんだ。配給の時、私を気にかけてくれた事。服をくれた事。髪を結ってくれた事。他にもたくさん。ここに来て荒んでしまった心を、君が助けてくれたみたいで・・・。」
彼女の頬を雫が流れる。
「君のおかげで、人を信じれるようになれた。君のおかげで、また笑顔になれた。だから今度は・・・」
「私が君を助けたい。」
彼女は零れ落ちる涙を拭き、再び前を向く。彼女が踏みしめるその一歩一歩が、確固たる足跡を地面に残したのだった。
ポーレル 東部 午後2時
以下は、地恵期19年11月10日に発売されたビジネス雑誌「new world」に掲載されたインタビューの一部である。
* * * * *
エボリテス=ワテラロンド 49歳 天恵期2102年11月10日、マサチューセッツ州生まれ。
一般家庭に生まれたものの、5歳でハーバード大学に首席で合格。12歳には日本語を含めた10か国語をマスターし、20歳までに5度のオリンピック出場、8度のノーベル賞受賞を果たし、数多くの起業も成功させた1万年に1人の天才。29歳にワールドレイジの被害を受けるも、オメガツールを起業し、大成功。現在は2人の娘を持ちながら、第7洞窟のオブジェクトの大半を支配する言わずと知れた超敏腕経営者。
━━━オメガツールが、19年連続で「働きたい企業ランキング」で1位を獲得しましたが。
とても光栄に思っています。
起業経験は幾度とあれど、世界滅亡後に起業した事はありませんでしたから、オメガツールの経営は本当にがむしゃらに取り組んだだけなんです(笑)。
世間では「社員への待遇も完璧」とか「些細な不満も解消してくれるから働きやすい」とか言われていて、現に退職率もとても低いんですが、私としては特別な事をしているつもりは無いんですよ。
こんな厳しい状況でも、私の為に働こうとしてくれる社員がいるのだから、彼らの為に社内環境の向上にも全力で努めよう。日々そう思って経営をしていたら、次第に人望と結果が付いて来たってだけの話なんです。ですから、嬉しさと同じくらい驚きもありますね。
━━━中略
━━━ワテラロンド氏はワールドレイジ直後にオメガツールを起業し、現在は世界を手中に収めていると言っても過言ではない程の発展を見せていますが、そこまでの発展に最も貢献してくれたと考えるMVPのような存在はいらっしゃいますか?
もちろん、私の会社で働いてくれた人全てですね(笑)。
資金を提供してくれた株主の皆様、オブジェクトを開発してくれている工場の皆様、営業をしてくれている新入社員、受付嬢や清掃員として働いてくれている方々、全員がMVPです。
━━━素晴らしいご回答ですね(笑)。しかし、敢えて一人挙げるとすれば・・・?
そうですね・・・。強いて言うなら、オブジェクト開発部門の部長として働いていた一人の恩師ですかね。彼は大学時代の教授で、主に物理学の教鞭をとっていたんですが、大学卒業後も色々とお世話になりまして。オブジェクトの原案を考えたのも彼だったんです。彼がいなければ、間違いなく今のオメガツールは無かったし、もしかしたらオブジェクトも存在しなかったかもしれません。退職してしまったのが非常に悔やまれますが、今でも「彼がいたら」と思う時があります。本当に、そのくらい彼はうちの優秀な社員であり、大切な恩師だったんです━━━━━。
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「・・・なぁチフル。」
「どうしたの?レハト。」
誕生日の翌日、俺達はいつものようにゴミ漁りをしていた。
俺は昨日の夜、マケラおじさんから色んな話を聞いた。衝撃的な情報が多すぎて全く整理できていないが、俺はとにかくチフルの事が心配になってしまった。
「・・・お前、じいちゃんの事好きか?」
作業をするチフルの手が一瞬止まった。が、すぐにいつもの調子で答えた。
「別に。普通よ。」
「そっか。ならいいんだ。」
俺には彼女の気持ちは分からないが、彼女がそう言うならきっと嘘ではないのだろう。
というよりも、嘘であってほしくない。そう思ってしまった。
「どうしたのよ、急にそんなこと聞いて。昨日なんかあったの?」
「何にもねぇよ。ただ気になっただけだ。」
どれだけ時が経っても、空の景色は変わらない。
どこに行っても、毎日する事は変わらない。
それはこの街も、俺の故郷でも同じ事だ。
みんな何も知らないまま今日を生きて、明日も生きて、そして死ぬ。
世の中には知らなくていい事もたくさんある。
知らない方が幸せだったなんて事がたくさんある。
じゃあ、俺が知りたがっているこの洞窟の最深部の事も、もしかしたら知らない方がいい事なのかもしれない。
「何ボーっとしてんの。ほら、さっさと帰るよ。もうここにはめぼしい物無いし。」
「・・・ああ、そうだな。」
一歩前に進んだその時、微かな風が俺の髪を揺らした。
(・・・風?)
洞窟の中で風なんて起こるはずがない。となれば、こんな場所で風が吹く理由は一つだけだ。
「・・・・・何か、来る・・・!」
ンんンんンんンんンんンんンんンん
とても生物のものとは思えない甲高い音が洞窟中にこだました。耳を塞ぎたくなるような不快な超音波のようだ。姿は見えないが、遠くに確実にクリーチャーの気配を感じる。
「チフル!早く逃げろ!」
それを聞いてチフルが小屋の方へ逃げていくのを見届けながら、俺は鳴き声のした西の方へ急ぐ。
次第に逃げ惑う人々とすれ違う。その表情はどれも苦悶に満ちていた。
・・・悪臭がする。多分クリーチャーの臭いなんだろうが、出来れば息もしたくないレベルだ。肌を舐めるような気持ちの悪い温かさの空気と共に、鼻の奥をツンと刺激するアンモニア臭。
呼吸を口呼吸に切り替え、人混みを抜けた。
そこにいたのは、見るも悍ましい悪趣味な姿をしたクリーチャーだった。
顔面にはペストマスクが付けられ、頭から体にかけては黒くてぼろいローブが被されている。そのローブの間から見える人間のような胴体には骨が浮き上がり、不健康な黒い斑点ばかりだった。肩から先は無かったが、四つん這いのような姿勢をしている。背中には布切れのように薄い黒い翼があり、足はどの生物の物でもなさそうな白い骨の様だった。特徴からして、上級の異形型だ。
「悪趣味な格好しやがって・・・。手早くぶっ飛ばしてやる!」
担いでいたグランディウスを手に持ち、戦闘態勢に入る。
こいつが本当に上級ならば俺一人で戦うのはかなり危険だ。だけど、少年隊やトレイルブレイザーの援護を待っていられる様な余裕は無い。
お互い睨み合って牽制をする。こんな静かな状態だと、自分が思いの他緊張している事を実感する。
頬を流れる汗が垂れ、地に落ちたその時、
んンんンんンんンんンんンんンんンん
さっきのような甲高い鳴き声を発したかと思うと、微かにクリーチャーの翼が動いた。
来る。
ビュンッ!
そう直感した瞬間、既に俺の体は動いていた。上半身を大きく右に反らす。俺の体があった場所に、猛スピードで黒い何かが通り過ぎていった。どうやらこいつは翼を伸縮自在に動かせるらしい。あと少し反応に遅れていたら腹に風穴が開いていたところだ。
(やっぱこいつ、上級かよ・・・。)
心の中でそう呟いたのも束の間、俺の視界に再び黒い影が映りこむ。
戦闘をする際、最初の一撃は多くの場合回避されたり防がれる事が多い。強者同士の戦いであれば、一撃目を囮にし、二撃目をどうやって決め、どうやって防ぐかが重要である。これも姉ちゃんの教えだ。
「その攻撃は読めてる!」
ガンッッ!!
一撃目を回避した時点で、二撃目を想定してグランディウスで壁を作っておいて正解だった。それでもギリギリ間に合ったレベルだが。
アイツの能力は、伸縮自在な翼による突き攻撃だろう。とんでもなく速いが、壁一枚で防げる辺りそこまで一撃は強くないと見た。さっき吹いた風から考えるに、もちろん空も飛べるだろう。貧弱な体も、極力自重を減らしてスピードを高めるためなのだとしたら、攻撃と防御が低い代わりに素早さが高いスピードアタッカーみたいなところだろうか。そう考えると、小回りが苦手な俺にとっては少々不利な相手だが、それは力が弱い相手にとっても同じはず。それより・・・
バサッバサッバサッ
黒い翼が上下に動き、クリーチャーの体が宙にふわりと浮く。俺には空を飛んでる奴への対処法が無い。どうにかして翼を破壊するなり逃げ場を封じるなりしなければ、逃げられる一方だ。
「逃がす訳ねぇだろうがよぉ!」
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
グランディウスを振り下ろし、クリーチャーの行き先を土の壁で塞ぐ。すぐさまクリーチャーに飛び掛かり、グランディウスを構える。
「もらった!!!」
そう思った。しかし、上級はその程度で倒せるほど甘くはなかった。
ザシュッッッ!!!
振りかぶったグランディウスはひらりと躱され、宙を殴った。その反撃と言わんばかりに、俺の左太腿がクリーチャーの足の爪に引き裂かれた。
「グゥゥ・・・痛ってえなオイ!!!」
お返しにと、俺は体を回転させて右脚でクリーチャーの貧弱な腹を蹴る。
んンんンんンんンんンんンん!!!!!
腹を蹴られた痛みからなのか、先程までより激しい咆哮が俺の鼓膜を振動させる。あまりのうるささに、俺の耳の中から少々血が流れている感覚さえする。意識が朦朧とし、そのまま体制を崩して地面に急降下。その隙を見計らってクリーチャーは更に高度を上げ、どこかへ飛び去ってしまった。
ダンッッ!!
受け身に失敗し、背中を地面に強打した。痛い。痛い。痛い。幸い意識はまだあるが、全身が焼けるように熱く、背中に激痛が走っている。体の至る所から出血もしているが、それだけならまだ我慢できる。問題は・・・。
「ふぅ・・・ふぅ・・・ぐっ・・・!!あの野郎、俺の腹を引き裂いた時何をしやがった・・・!?」
クリーチャーに引き裂かれた傷の痛みが常軌を逸しているのだ。ドクドクと血が溢れ出て、周囲の皮膚も紫に変色し始めている。正気でいるのに精一杯だ。傷はそこまで深くないはずなのにここまでの激痛が走るのは、常識的に考えておかしい。そんな事を考えていると、体全体にも異常が発生してきた。発熱、倦怠感、吐き気、悪寒。この症状はまるで・・・。
「インフルエンザにでもかかってる気分・・・だな・・・。」
意識が遠のいていく。視界が徐々に霞んでいく。誰かの足音が聞こえる。瞼を閉じかけたその瞬間、知らない声が俺の耳に届いた。
「━━━━━生きろ。」
バサッ!バサッ!
レハトから逃げ出したクリーチャーが、チフルの頭上を通った。
「クリーチャーが逃げ出してる?・・・・・まさか!」
不穏な空気を察知したチフルはクリーチャーが逃げてきた方角へ振り返ると、すぐさまそちらへ走り出した。
「レハト君!!!」
しばらく走って彼女が目にしたレハトの表情は、まるで地獄の業火に焼かれているかのような苦悶に満ちていた。傷跡はおろか、血痕でさえ全く見られないが、左太腿の一部が酷く腫れている。身体に触れると、かなりの発熱をしているのも分かった。しかし、声をかけても反応する気配はない。
「一体何が・・・。」
体を持ち上げるのだけでも一苦労だが、ここでじっとしていてはレハトの命も危うい。幸い、マケラが医学にもそれなりに精通している事を知っていたチフルは、自分よりも倍近い体重を持つレハトを持ち上げ、引きずるようにおんぶをしながら、懸命に小屋へと歩き出した。
「ぐぅ・・・!待っててね、レハト君・・・。今・・・助けるから・・・!!」
一歩。また一歩。
ゆっくりながらも、チフルは必死にレハトの体を運ぶ。自分よりもはるかに大きい彼を運ぶのは、彼女にとってはかなりの苦痛だった。しかし、彼と出会ってからの5か月で、彼女は何度も何度も助けられてきた事を覚えていた。それは、決して日常生活という話だけではない。クリーチャーからも犯罪者からも、彼は何度だって彼女のために戦ってくれた。そして何より。
「・・・私ね、両親と兄弟を殺されてるの。今でもたまに発作が出ちゃうのは、その時のトラウマと、おじいちゃんから教えてもらった色んな情報のせい。どうしてポーレルに来たのかとか、どうしてここを出れないのかとか、そういう事実を受け入れられなくて・・・。ポーレルで過ごしてきた1年の間にも、何回も殺人とか強姦をされかけたんだ・・・。それで誰も信じられなくなって、一時期鬱になったりもして・・・・・。」
チフルはレハトを運びながら、ふと静かに語りだした。彼女は、昔を懐かしむように空を見上げている。
「そんな時に来てくれたのが君だった。馬鹿だし、ふざけるし、無茶ばっかりするし・・・。でも、いつも強くて、優しくて、どんな時でも明るくいれる君が、私にはちょっと輝いて見えたりもして・・・。」
空を見上げるチフルの視界が、微かに霞む。
「嬉しかったんだ。配給の時、私を気にかけてくれた事。服をくれた事。髪を結ってくれた事。他にもたくさん。ここに来て荒んでしまった心を、君が助けてくれたみたいで・・・。」
彼女の頬を雫が流れる。
「君のおかげで、人を信じれるようになれた。君のおかげで、また笑顔になれた。だから今度は・・・」
「私が君を助けたい。」
彼女は零れ落ちる涙を拭き、再び前を向く。彼女が踏みしめるその一歩一歩が、確固たる足跡を地面に残したのだった。
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