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第一章 憧れへの挑戦

第1話 BEGINNING 

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地恵期20年2月10日
マインズ ストネア区 午前7時半


 その日はいつにも増して静かな朝だった。
 ほとんど光が差さない裏路地。錆にまみれ、埃を積もらし、汚水が地面を濡らす。そんな寂れた場所を、場違いにも小綺麗な服を纏った少年が1人で歩いていた。
 白い肌と可愛げのある整った顔立ち。優しくも儚い表情に光る碧色の瞳。華奢な体に気品のある緑のコートを纏い、背部に取り付けられた革製のホルダーにはそんな様相には似つかわしくない黒い鉄製の弓が固定されている。艶やかな黒髪から飛び出すアホ毛がふわりと揺れて、その少年──ロビン・クィリネス──はふと空を見上げた。

「今日も、少し寒いな」

 ロビンの視線の先では、地表に繋がる巨大な換気扇がゆっくりと回っていた。辺り一帯の淀んだ空気が外界の冷えた空気と交差する。微かな肌寒さを感じた彼は少しばかり歩みを速める。
 彼は緊張していた。今日この日の為に、彼は14年も前から血の滲むような努力をしてきたのだ。そう思うと、鼓動がたちまち早くなった。
 やがて道幅が広くなると街の賑やかな声が聞こえ始める。広場の中央にある大きな噴水の前に立つと、ロビンは何気なくその水面を見つめた。ガラスの様に透き通る水面に、緊張で少し引きつった自分の顔が映る。

「きゃあぁ!ひったくりよぉ!!!」

 近くから老婆の叫び声が聞こえた。驚いて顔を上げると、覆面の男が鞄を抱えて老婆から逃げているではないか。ロビンがそれを追いかけようとしたその時、

「喰らえ!正義のドロップキッッック!!!」

 街角から人が飛び出し、覆面の男にドロップキックを喰らわせた。ドガン!と激しい衝撃音と共に、ドロップキックを食らわせた少年は高らかに笑った。

「はっ!俺が住むこの地域で悪事を働こうなんざ百年早いんだよ!」

 その声に気づいて、近くの建物から人々が顔を出した。

「気の毒にな、このひったくり!レハトのドロップキックはさぞ痛ぇだろ!」
「流石レハトだ!これなら今日の選考試験も1位通過間違いなしだな!」
「レハト兄ちゃんすげぇー!」

 ドロップキックの少年──レハト・ダイア──は、ふっとばされた鞄を拾うと、老婆に丁寧に手渡した。

「ありがとねレハトちゃん。あんたがいると心強いわ」
「どういたしまして。ばあちゃんも気を付けろよ」

 レハトは、190㎝はあろう屈強な肉体とは裏腹に、子供のように無邪気な笑顔を浮かべる茶色い短髪の少年だ。肌は褐色でお世辞にもハンサムとは言えない顔立ちではあるものの、活力が漲って溌溂とした容姿である。服装はと言うと、色褪せたカーキのシャツの上にブラウンベストを羽織っていて、下半身には白いカーゴパンツを穿いている。
 そして何より目立つのが、彼が背負う不自然なほど巨大な黒い物体。長さ2m程の巨大なハンマーだ。銀色の柄にギラギラと輝く黒い鎚が乗り、中央には鈍色の宝石が埋められた殺意に満ち溢れる鈍器。恵まれた図体に巨大な武器という光景は、まさに鬼に金棒を体現しているかのようだ。

「レハト、今日も随分と派手にやったね…」
「おぉ、ロビンか!おはよう!」

 レハトと幼馴染であるロビンは、気絶した覆面男に憐れみの表情を向けた。男の頭には巨大なたんこぶが出来ていて、ロビンも思わず苦笑いになった。

「お前ら、今日は大事な試験だろ?この男は俺達が警察に突き出しとくから、早く行って来いよ!」
「ありがとうございます!」
「じゃあ行って来るぜみんな!応援よろしくな!」

 ぶんぶんと手を振るレハトと共に、ロビン達は噴水を後にして駅へと走った。改札を通り、エレベーターが縦に連なったような形のモノレールに乗車する。エレベーターの様に直下に移動するこの乗り物の中は、普段ならくたびれたサラリーマンで溢れているのだが、この日だけは10代~20代の若者が多い。彼らに圧迫されている常連の大人達は、少々肩身が狭そうな雰囲気で今日の朝刊を読んでいる。
 どこか緊迫した空気に満ちる車内。そんな中、唯一緊張感のカケラも見せずに真っ暗な窓の外を眺めていたのが、他でも無いレハトだった。周囲とは少々ずれた心持ちをしているレハトに、ロビンは呆れた顔で話しかける。

「レハト、流石に昨日くらい勉強したよね…?」
「いいんだよ勉強なんて!四択全部当てれば合格出来んだろ!」
「君って奴は…」

 レハトの言葉に呆れてロビンがため息を吐いたその時、モノレールの外から耳障りな騒音が鳴り響いた。それと同時に目に入ったのは、暗闇に慣れ切った目に差し込む無数の光。彼らは咄嗟に目を背けて、その後ゆっくりと車窓の外の景色を見た。

「これが…っ!」

 そこから見えたのは、全長100メートル程のタワーと煌々と輝く無数の建造物達。無機質なビル街が洞窟内を圧迫するように立ち並び、天井に取り付けられた環状の白い照明が街中を照らしている。中央に広がる巨大な湖が照明と街灯の光を受けて鮮やかに輝き、ロビン達を含めた車内の受験生は例外なく息を飲んだ。
 
「いよいよだな」
「…うん」

 それまで苦い顔を浮かべていたレハトの表情に、いつもの笑顔が戻る。夢を見る無邪気な子供のように真っ直ぐな目だった。それを見て、ロビンも不意に自分の少年時代を思い出した。緊張と恐怖はあったが、それでも決して後戻りしたいとは思わなかった。ずっと昔から、そう覚悟を決めていたのだから。

「行くぞ」

 レハトの凛とした声にロビンは力強く頷いた。

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