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壱・目覚めの刻
英雄の子孫と王の鳥。
しおりを挟む雲彫が建国正史を語っているうちに、馬車はすっかり山の中へと入っていった。
群芳院を去ったのが夜明け前だというのに、今やあっという間に昼過ぎになっている。あたり一面が鬱蒼とした森に囲まれ、木々の隙間からまっすぐな光の筋が差す。馬車は、緩やかな斜面をゆっくりと昇っていった。
「つまり私は、国を救った人の子孫で、清風は……その、人じゃないの?」
途中、馬を休ませるために寄った町で燒餅を買った一行は、雲彫の話に耳を傾けながら遅い朝食を黙々と食べていた。胡椒の利いた羊の挽肉に細かく刻んだ葱を入れ、小麦の生地に詰め込んだそれは東雲国の定番料理だ。一口噛むと、薄い皮を熱々の肉汁が突き破る。清風の好物だ。
その最後の一口を飲み込んだ紅蘭が、好奇と戸惑いの眼差しを清風に向ける。曼華の成り立ちも壮絶だったし、自分が英雄の子孫であることにも驚いたが、一番目を見張ったのは、清風が護鳥という、その名の通り神鳥の卵から生まれた生き物であるということに対してだった。彼女はてっきり、「護鳥」を王族を守る一族の名だと思っていたのだ。まさか本当に、人でないとは。
清風は若干俯きながら「ああ」と答えた。
「俺は瑚鳥様から生まれた」
「じゃ、じゃあ鳥になれるの?羽が生える!?」
そう聞くや否や、紅蘭はずいっと身を乗り出し、清風の瞳を覗きこんだ。その輝く青の眼に、清風は複雑そうな顔をした。彼がずっと予想していた反応とは、随分と違う。
「……怖くないのか」
「? なんで?」
「いや……」
きょとんと佇む紅蘭を目にし、彼は考えるように言った。
「お前が気にしないなら、いい。……昔は自由に羽を出せたし、神鳥の姿に変化することだってできた。だけど今はできない」
「どうして?」
「翼を封印されたからだ」
清風は雲彫に視線を戻した。
「王と、その配下の聖官長に。さすがにこれはお前も知っているだろ」
その視線を受けて、雲彫は一つ頷く。当時幼子だった彼が覚えているのだから、この件は宮中でかなり話題にあがっていたのだろう。彼はすらすらと当時のことを語った。
「公主様の護鳥は、ほかの護鳥に比べ圧倒的に力に優れ、かつ俊敏だったと、父上が仰っていました。幼い護鳥が強すぎる力をもつのは暴走の危険があったため、しばらくその翼を封じたと伺っています。翼は力の源ですから」
「単に紅蘭を守るのを防ぎたかったからだと思うが。俺が空を飛んだら、いくら手練れの殺し屋でも追いつけなかった」
その言葉を聞き、翡翠の瞳が不愉快そうに細められた。
「聖官は政に一切関わりません。王位継承の争いなら尚更です。私たちの仕事は、瑚鳥様と幼い護鳥のお世話、祭事の開催と流蛍剣の保管に限ります」
「どうだか。雲廷はかなり強引に俺の翼を封じたぞ」
「父上は国を思ってそうしたのです。あなたの力は実際、聖官たちの手に負えなかった」
「だったら」
清風は自分の横で大人しく話を聞いている紅蘭を一瞥した。二人の会話にどうにかついていこうと必死なことが、彼女の表情から読み取れる。
「もうこの封印を解いてもいいんじゃないか。俺はもう成鳥だ、自分の力の制御ぐらいできる。それに紅蘭を守り、魔族を退けるためにも、本来の力を取り戻したい。……お前も聖官で、しかも雲廷の息子だというのなら、封印を解き方を知っているんじゃないのか」
確かに、護鳥の力さえあれば、雲彫たちの悲願である曼華国の奪還もいくらか容易になる。それは彼にとっても利害が一致する行為に間違いなかったが、雲彫は返事の代わりに顔を曇らせた。
「……私には出来かねます」
「なぜ」
「護鳥の封印は、施すのも解くのも聖官長の務め。長である方のみが知る術です。私はまだその座を継いでいませんし、父は術を教える前に、この世を去りました」
「……そうか」
難しい顔をして、清風は黙り込んだ。すかさず紅蘭は彼に聞く。
「翼を取り戻したら、清風は強くなれるの?」
彼は頷き、しかしすぐに何かに気づいたように「というよりも、」と続けた。
「翼を封じられると、身体が衰弱する。俺たちにとっては翼の出せる状態が正常だ」
「えっ!じゃあずっと身体が弱ってたの!?大丈夫?」
「ああ。さすがに十五年もこの状態だったから、慣れてきた。心配するな」
ぽん、と清風の手が彼女の頭に載せられる。その温かい感触にほっとしたものの、紅蘭は尚も不安そうな顔で「うん……」と呟いた。
「……私、曼華についても、清風についても、知らないことばかりだね。護鳥のことも、さっき知ったばかりだし。なんだか恥ずかしいな」
「教えなかった俺が悪い」
清風は目を伏せた。
「お前には、普通の生活を送らせたいと思っていた。紅蘭が恥じることはない」
「清風」
本当はまだ戻らせたくないと思っているが、と言ってから、清風はその思いを打ち消すようにかぶりを振った。
「お前の考えを尊重すると決めた。知りたいことがあれば、教える。ただ、俺も王宮にいた時間はお前と同じだから、教えられることは限られる」
紅蘭はその言葉にきょとんとした。
「……え?でも清風は、どう見ても私より年上だよね?見た目は18歳ぐらい……」
「ああ……、俺が生まれた時にはもう、人間でいう六歳ほどの姿になっていた。生まれてすぐに主を守れるよう、こういう創りになっているらしい」
「へえ!すごいんだね」
驚く紅蘭を前に、清風はいまいちその感覚がつかめないというかのように、「すごいか……?」と困惑した。確かに人間にとってはありえない話だが、幼児の姿で生まれるのは護鳥にとって、ごくごく普通のことだ。
隣で様子を見ていた雲彫が、護鳥についての補足を話し始めた。
「護鳥は主が生まれるその日に殻を破ります。ですから、そこの護鳥と紅蘭様は、見た目こそ年齢の差を感じますが、同い年といっても良いでしょう」
「そうなんだ……!」
「生まれた護鳥は最初、右も左もわからぬ状態ですので、私たち聖官がお世話をします。護鳥は一日をかけて聖官たちから、この国や自分の使命について色々と教えられ、その上で、初めて主との対面が許されるのです。……ただ、そこの護鳥は生まれた瞬間、着衣もそこそこに紅蘭様の部屋に駆け込んだらしいですね。前代未聞だと、皆さん嘆いておりました」
「悪いか」
「随分と太々しい……。陛下よりも前に公主様に御目通りするなど、不敬もいいところですよ」
その言葉に、清風は不服そうにふんと鼻を鳴らした。
「仮に王が俺より先に紅蘭と会っていたら、すぐ殺すよう配下に命じていたことだろう。あの男はなぜか紅蘭を毛嫌いしていた。……というよりも、実際に目にしてからあからさまに態度を豹変させた。あれは、紅蘭が王位継承の脅威になるから狙っていたんじゃない。明らかに別の理由がある」
雲彫はわずかに眉をひそめた。話の雲行きが、再び怪しくなりかけている。
「何を……。陛下が私的な感情で紅蘭様を消そうとしていたとでも?」
「そうとしか思えない。お前たちはその理由で納得しているみたいだが、曼華の歴史の中で、継承権を巡って激しい争いをした代は多くなかったはず。だが王にしろ正妃にしろ、必要以上に紅蘭を脅威と見做していた。それが私的な感情からでないとしたら、ほかに説明がつくのか」
「いえ、しかし、」
反論を口にしようとわずかに身を浮かせた雲彫の前に、静かに白い腕が割り込んだ。
先ほどから大人しく話を聞いていた側仕えーー寒梅が、二人に向かって頭を横に振っている。見ると、再び紅蘭が困惑の顔つきをしていることが伺えた。
話があらぬ方向に飛んだことを察し、清風は口を閉ざした。そして雲彫は、話を仕切りなおすべく、小さく咳ばらいをする。馬車は相変わらず山道を進んでいるが、その先に小さな集落が見える。どうやらそこが、雲彫の言う「修行の場」らしい。
「一気に喋りすぎても混乱するだけでしょう。曼華については、また時間をとって少しずつご説明致しましょう」
「は、はい」
「今、あなたに理解して頂きたいのは一つ。紅蘭様、あなたの使命は曼華に蔓延る魔族を倒し、彼らを束ねる地帝を退治することです。曼華が魔族に侵されたのは、建国正史の頃からこれで二回目。三百年の時を経て、再び地帝が我らの国を手中に収めようとしています。その企みを阻止するため、あなたには強くなってもらわなければなりません」
「はい」
馬車は集落の前まで来て、ようやくその動きを止めた。御者がつきましたよ、と声をかけてくる。ぽつぽつと家屋が点在するその集落は、見るからに寂れていて、人気もない。御者に銭を渡した雲彫は、集落に向かうべく一番に馬車を降りた。
「行きましょう」
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