曼華国奇譚

奇異果

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壱・目覚めの刻

事に至る顛末。

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 扉の奥には青年がいた。
 身体を斜めに向けて、開け放たれた窓から永楽の町を見下ろしている。風に吹かれ、さらさらと揺れる金の髪は、月の光をうけて淡く輝いた。その横には、小さな少女が一人、静かに控えている。14、5才だろうか。肩までかかるまっすぐな銀髪を二つ結びにし、前髪は八つ字に分けられている。口元は白い布に覆われていて、表情がうかがえない。
 二人の客人は、揃いで純白の旅装束を身にまとっていた。その奇妙極まりない出で立ちに、紅蘭は一目見ただけで、彼らが只者ではないことを感じ取った。旅装束に汚れやすい白を選ぶのは、まず汚れる心配がない身分を冠しているからだと、そう考えたのだ。

「あの…お茶をお持ちしました」

 そう声をかけると、華奢な少女はこちらに目を向け、、小さく会釈をしてくれる。咲いたばかりの花菖蒲を連想させる紫の眼が、そっと伺うように隣の青年に注がれた。

「結構です」

 青年はすぐさま返事をした。外の景色を眺めていた視線が、部屋の中へと戻る。きれいな人だ、と紅蘭は思った。端正な顔立ちは、その半分が右目を覆うようにして髪で隠されていたが、それでも美しさは萎えることがない。翡翠の瞳に、陶器のような肌。そこには群芳院の妓女たちを凌ぐほどの美丈夫が、まるで一枚の絵のように佇んでいた。

 青年は、唯一あらわにした左目を紅蘭に向け、ため息をつく。ため息まで絵になる男だ。

「一杯のお茶でも高くつくのでしょう、ここは。それより、あの人の話を聞かない楼主にお告げ下さい。私は女性を買いに来たのではない。人を探しに来ているとーー」

 ふいに、つらつらと淀みなく並べていた文句が止まる。何事かと瞬きをする紅蘭の顔を、彼はじっと見つめ始めたのだ。そばに控えていた少女までもが、穴が開くほど紅蘭に見入っている。

「あ、あの……」

「頭巾を脱ぎなさい」
「えっ?」
「聞こえませんでしたか。頭巾を外せ、と言っているのです」

 突然の要求に、紅蘭はただ目を丸くするしかなかった。けれども、なぜか男の声に逆らえない。何か強制力でもあるのだろうか、力の強い声だった。命じられるがままに、黒の頭巾を脱ぐ。その拍子に、短く無造作に切られた赤い髪が、覆われていたものが消えたのに戸惑うように、はらりと揺れた。

 青年はそれを確認するや否や、窓から離れ、急速に距離を縮めてきた。
 そして驚く暇も与えぬうちに、彼は薄い手袋越しに、その細長い指で紅蘭の前髪を掻き上げたのだった。

「ひゃっ!」
「!やはり……」

 青年は上ずった声をあげ、かすかに眉を寄せた。何を驚いているのか紅蘭にはさっぱり見当がつかない。ただ、見知らぬ人にいきなり触れられ、慌てふためく他なかった。

「な、いきなり何をするんですか!」

 男から飛びのくように距離をおく。飛びのいた勢いで、盆にのせた茶器がぶつかり、カキンと嫌な音が部屋に響いた。
 いくら顔がよくても、やっていいことといけないことがある。
 立派な男が、初対面の、しかも未婚の女人に断りもなく触れるなど、信じられないことだ。だが当の本人は反省したそぶりもなく、ただ神妙な顔でこちらを見ているだけ。隣の少女が、オロオロと忙しなく視線を動かしている。

 よもやこの群芳院を、色を売る場だと勘違いしているのではないか。

 紅蘭はこの時、密かに心のうちで危惧した。実際、勘違いをする客は少なくないのだ。永楽には青楼と妓楼、二種類の店が立ち並ぶが、前者は芸を売り、後者は身を売る。群芳院は前者。ここに籍を置く妓女たちは皆、琴棋書画に唄と舞、六芸に秀でた才女たちなのだ。たとえ芸のない下働きでも、青楼と称する以上は、簡単に触れていいということはない。

 だが、それは杞憂だったらしい。青年は案外あっさりと「失礼」と頭を下げた。
 そして、後ろに控えた少女に目配せしたかと思うと、そのまま紅蘭の前にひれ伏し、恭しく両手をついたのだ。

「お探ししました、公主様」--と。

---

 何度思い返しても、あまりに突飛な展開に脳の処理が追いつけない。
 走りながらも紅蘭は、こうなった原因を探ろうと必死だった。
 けれども、普段市場で値切る以外ではあまり使ってこなかった頭を、急に回転させようというのは無理な話だ。

(こんなときに清風がいたら……!そうだ、清風!清風ならきっと!)

 ふと、頭の中に頼れる幼馴染の姿が浮かび上がる。
 群芳院の雇われ用心棒。彼ならきっと、なんとかしてくれる。
 根拠のない信頼を胸に抱き、廊下を渡ろうと角を曲がると、いきなり固いものに勢いよくぶつかってしまった。

「わっ!」

「……っ!……紅蘭?」

 途端に、懐かしいにおいが紅蘭を包む。顔を上げると、そこにはちょうど探していた竹馬の友の姿があった。

「清風!」
 
 途端に気持ちがすっと落ち着くのを、紅蘭は感じた。安心感から、呼びなれた名前を口にする。
 空色の癖のない髪の隙間から、琥珀の瞳が心配そうに細められてた。
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