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西陽の射す部屋
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川口青年がいなくなって、2人の住んでいた家はずいぶんと広く感じるようになった。
まだあれから1週間。
彼の荷物は近々お兄さんが取りに来るということだった。
俺は出来る限りいつもの日常を送ることを心がけた。
1人分の料理を作り、1人分の洗濯をし、1人で入るための風呂を沸かし、1人でテレビを観て、1人で買い物に行って、1人で庭の手入れをした。
全てが彼とした楽しい思い出。あの頃は、いつも、何をするにしても2人一緒だった。
俺は、そんなことを思いながら、2人でしていた作業を、1人で懸命にこなすことで何とか埋め合わせようとした。
しかし、彼がいないという事実は、容赦なく俺の心を蝕んでいく。
10日も過ぎる頃になると、俺は寝込む日が増えてきた。
ろくに食事も喉をとおらず、健康補助食品やゼリーで辛うじて栄養を摂る日々。
風呂も2、3日入らないこともあった。
考えることといえば、川口青年は今、何をしているだろう?元気にしているだろうか?ちゃんとご飯は食べているだろうか?ちゃんと病院には行っているだろうか?体の具合はどうだろうか?そんなことをずっと考えていた。
このまま彼に会えずに俺も死ぬのだろうか?
死んだほうがいいのかもしれない。彼のいない人生など、何の意味も持たないのだから。
そうして俺は、激しい希死念慮に囚われ始めた。
いったい俺は何のために生まれてきて、何のために生きているのだろうか?
それから川口青年が去ってから3週間になろうとした時、俺はようやく激しい希死念慮から解き放たれた。
暗いトンネルを抜けた場所は、決して明るい場所では無かったが、川口青年がいなくなってからようやく平穏を取り戻した気がした。
そんな平穏をぶち破るように、ある日の昼下がり、それはやって来た。
その日は体調があまり良くなく、昼ごはんを食べてリビングで横になっていた。
すると、チャイムが連打されたので、俺は重い体をやっとの思いで起き上がらせ、玄関の扉を開いた。
すると、そこには秋山さんと川口青年の兄が、何やらとても深刻そうな表情で立っていた。
そうか、荷物を取りに来たのだな。
「和成君は?」
開口一番、秋山さんは俺に尋ねた。
俺は意味がわからず、思考が停止して言葉の意味を受け入れることが出来ずに困惑した。
「弟が出ていってしまったんです!」
俺は、川口青年の兄が差し出した一枚の便箋を受け取った。
『探さないでください』
その便箋には、たった一言、それだけが書かれていた。
「こちらには来てませんか?」
秋山さんは努めて冷静を装い尋ねる。
「いえ、彼は来てませんが。他に行く心当たりは無いのですか?」
「無いからここに来たんだろ!本当は匿っているんじゃないですか!?」
川口青年の兄は、次第に苛立ちを隠せなくなってきた。
「まぁ、お兄さん落ち着いて。彼は嘘をつくような人ではありませんから」
秋山さんが川口青年の兄を宥める。
「クソッ!いったいどこに行ったというんだ?」
「いったいどういうことなんですか?」
「今朝、お兄さんが、なかなか起きて来ない彼を心配して部屋を覗いたら、この書き置きだけ残していなくなっていたそうです」
「どうしてくれるんだ!あなたと出会ったせいで和成の人生はめちゃくちゃだ!」
そうかもしれない。川口青年の兄が言うとおり、俺が彼の人生を変えてしまったのかもしれない。俺なんかと出会ったから、彼は不幸になってしまったのかもしれない。川口青年の兄の言葉が、俺の心に深く突き刺さった。
「とにかく、私たちは他を当たってみます」
「じゃあ、俺も一緒に・・・」
「あんた、もう引っ込んでてくれ!どうせ心当たりも無いなら、弟のことを忘れる努力だけしてくれ」
そうだ。お兄さんの言うとおりだ。よく考えれば、俺は川口青年のことを案外知らない。どんな友達がいて、行動範囲がどこかも知らない。2人で狭い世界に閉じこもって恋人ごっこをしていただけではないのか?
そんな俺が今さらどこをどう探すというのだ?鬱病のせいで車にも乗れないのに、彼らと行動を共にして何か役に立つとも思えない。
「すいません、どうか、彼を見つけてください」
今の俺には、こんな言葉を絞り出して頭を下げることしかできないのか。情け無い。俺は、彼らが去って行ったリビングで、1人立ち尽くすことしかできなかった。
彼のために今の自分は何もできないという現実が、重く俺にのしかかる。
俺は膝から崩れ落ちて、大粒の涙をポロポロと溢して嗚咽していた。
気がつくと、外は陽も傾き、西陽がリビングを照らしていた。
「ただいま」
聞き覚えのある声がして、俺が顔を上げると、そこにはキョトンとした表情の川口青年が立っていた。
「どうして?」
「大丈夫ですか?どうして泣いているんですか?」
川口青年の腕が俺を抱きしめる。
「お前がいなくなったって、秋山さんとお兄さんが来て」
俺は、それ以上言葉が続かなかった。そこから先、何をどう説明したらいいのか、言葉が見つからなかった。
「これ、買いに行ってたら、帰りが遅くなっちゃて」
そう言うと、川口青年は持っていた紙袋からマグカップを2つ取り出した。
「また一緒に暮らすなら、心機一転で新しいマグカップが欲しいなぁ、と思って」
「一緒に、暮らす?」
「やっぱり俺、残りの人生は福山さんと一緒にいたいんです。1番好きな人と一緒にいたいんです」
「でも、秋山さんがいるじゃないか?」
「ごめんなさい、秋山さんと付き合っているっていうの、嘘なんです」
どういうことなのか、俺には事情が飲み込めなかった。
「俺のせいで福山さんに悲しい思いをさせたくなくて、秋山さんに相談したら、心変わりしたことにして別れてあげたらどうか?って言われて」
俺はやっと事情を理解した。事情が分かって、俺は彼に抱きついて声をあげて泣いた。
「すいません、もう嘘はつきませんから、どこにも行きませんから許してください」
なかなか泣き止まない俺の背中を、川口青年は優しくさすって慰める。
テーブルの上に置かれた2つのマグカップが、西陽に照らされて輝いていた。
まだあれから1週間。
彼の荷物は近々お兄さんが取りに来るということだった。
俺は出来る限りいつもの日常を送ることを心がけた。
1人分の料理を作り、1人分の洗濯をし、1人で入るための風呂を沸かし、1人でテレビを観て、1人で買い物に行って、1人で庭の手入れをした。
全てが彼とした楽しい思い出。あの頃は、いつも、何をするにしても2人一緒だった。
俺は、そんなことを思いながら、2人でしていた作業を、1人で懸命にこなすことで何とか埋め合わせようとした。
しかし、彼がいないという事実は、容赦なく俺の心を蝕んでいく。
10日も過ぎる頃になると、俺は寝込む日が増えてきた。
ろくに食事も喉をとおらず、健康補助食品やゼリーで辛うじて栄養を摂る日々。
風呂も2、3日入らないこともあった。
考えることといえば、川口青年は今、何をしているだろう?元気にしているだろうか?ちゃんとご飯は食べているだろうか?ちゃんと病院には行っているだろうか?体の具合はどうだろうか?そんなことをずっと考えていた。
このまま彼に会えずに俺も死ぬのだろうか?
死んだほうがいいのかもしれない。彼のいない人生など、何の意味も持たないのだから。
そうして俺は、激しい希死念慮に囚われ始めた。
いったい俺は何のために生まれてきて、何のために生きているのだろうか?
それから川口青年が去ってから3週間になろうとした時、俺はようやく激しい希死念慮から解き放たれた。
暗いトンネルを抜けた場所は、決して明るい場所では無かったが、川口青年がいなくなってからようやく平穏を取り戻した気がした。
そんな平穏をぶち破るように、ある日の昼下がり、それはやって来た。
その日は体調があまり良くなく、昼ごはんを食べてリビングで横になっていた。
すると、チャイムが連打されたので、俺は重い体をやっとの思いで起き上がらせ、玄関の扉を開いた。
すると、そこには秋山さんと川口青年の兄が、何やらとても深刻そうな表情で立っていた。
そうか、荷物を取りに来たのだな。
「和成君は?」
開口一番、秋山さんは俺に尋ねた。
俺は意味がわからず、思考が停止して言葉の意味を受け入れることが出来ずに困惑した。
「弟が出ていってしまったんです!」
俺は、川口青年の兄が差し出した一枚の便箋を受け取った。
『探さないでください』
その便箋には、たった一言、それだけが書かれていた。
「こちらには来てませんか?」
秋山さんは努めて冷静を装い尋ねる。
「いえ、彼は来てませんが。他に行く心当たりは無いのですか?」
「無いからここに来たんだろ!本当は匿っているんじゃないですか!?」
川口青年の兄は、次第に苛立ちを隠せなくなってきた。
「まぁ、お兄さん落ち着いて。彼は嘘をつくような人ではありませんから」
秋山さんが川口青年の兄を宥める。
「クソッ!いったいどこに行ったというんだ?」
「いったいどういうことなんですか?」
「今朝、お兄さんが、なかなか起きて来ない彼を心配して部屋を覗いたら、この書き置きだけ残していなくなっていたそうです」
「どうしてくれるんだ!あなたと出会ったせいで和成の人生はめちゃくちゃだ!」
そうかもしれない。川口青年の兄が言うとおり、俺が彼の人生を変えてしまったのかもしれない。俺なんかと出会ったから、彼は不幸になってしまったのかもしれない。川口青年の兄の言葉が、俺の心に深く突き刺さった。
「とにかく、私たちは他を当たってみます」
「じゃあ、俺も一緒に・・・」
「あんた、もう引っ込んでてくれ!どうせ心当たりも無いなら、弟のことを忘れる努力だけしてくれ」
そうだ。お兄さんの言うとおりだ。よく考えれば、俺は川口青年のことを案外知らない。どんな友達がいて、行動範囲がどこかも知らない。2人で狭い世界に閉じこもって恋人ごっこをしていただけではないのか?
そんな俺が今さらどこをどう探すというのだ?鬱病のせいで車にも乗れないのに、彼らと行動を共にして何か役に立つとも思えない。
「すいません、どうか、彼を見つけてください」
今の俺には、こんな言葉を絞り出して頭を下げることしかできないのか。情け無い。俺は、彼らが去って行ったリビングで、1人立ち尽くすことしかできなかった。
彼のために今の自分は何もできないという現実が、重く俺にのしかかる。
俺は膝から崩れ落ちて、大粒の涙をポロポロと溢して嗚咽していた。
気がつくと、外は陽も傾き、西陽がリビングを照らしていた。
「ただいま」
聞き覚えのある声がして、俺が顔を上げると、そこにはキョトンとした表情の川口青年が立っていた。
「どうして?」
「大丈夫ですか?どうして泣いているんですか?」
川口青年の腕が俺を抱きしめる。
「お前がいなくなったって、秋山さんとお兄さんが来て」
俺は、それ以上言葉が続かなかった。そこから先、何をどう説明したらいいのか、言葉が見つからなかった。
「これ、買いに行ってたら、帰りが遅くなっちゃて」
そう言うと、川口青年は持っていた紙袋からマグカップを2つ取り出した。
「また一緒に暮らすなら、心機一転で新しいマグカップが欲しいなぁ、と思って」
「一緒に、暮らす?」
「やっぱり俺、残りの人生は福山さんと一緒にいたいんです。1番好きな人と一緒にいたいんです」
「でも、秋山さんがいるじゃないか?」
「ごめんなさい、秋山さんと付き合っているっていうの、嘘なんです」
どういうことなのか、俺には事情が飲み込めなかった。
「俺のせいで福山さんに悲しい思いをさせたくなくて、秋山さんに相談したら、心変わりしたことにして別れてあげたらどうか?って言われて」
俺はやっと事情を理解した。事情が分かって、俺は彼に抱きついて声をあげて泣いた。
「すいません、もう嘘はつきませんから、どこにも行きませんから許してください」
なかなか泣き止まない俺の背中を、川口青年は優しくさすって慰める。
テーブルの上に置かれた2つのマグカップが、西陽に照らされて輝いていた。
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