箱入り息子はサイコパス

広川ナオ

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第4章 少年と少女

42 ふたりが歩んだ時間

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「……あった!」

 隣にいた彼女が、人集ひとだかりの中で大きな声を出した。

「ほら見てあそこ! あたしの番号!」

 大学のキャンパス内に設置された掲示板を指差しながら、エリカさんは白い息を吐いて声を弾ませた。

「どう? コーダイも確認して!」

 僕も彼女に手渡された受験票と、掲示された番号を見比べ、ひとつ頷いた。

「はい、間違いありません」
「ううぅぅ…‥やったあああああ!」

 次の瞬間、エリカさんは周囲の目も憚らずに僕の脇腹に飛びついてきた。この傍若無人な振る舞いは、大学生になってもしばらく治ることはなさそうだ。まあ人目を憚らない性分に関しては僕も似たり寄ったりなので、ここは抵抗せずに抱きつかれておく。

「合格おめでとうございます」
「ありがとおおおッ! これも全部コーダイたちのおかげだよ」
「いいえ、僕らはやり方を教えたに過ぎません。ここまでやり遂げたのは、すべてあなたの力ですよ」
「うん……あたし、がんばった……えらい……」

 エリカさんの声が少し涙ぐんできた。泣かれるのはちょっと面倒なので、話題を明るい方向へと持っていく。

「さて、お祝いをしましょう。どちらへ行きましょうか?」
「うーん……何でもいいや! コーダイが決めてよ」
「そうですか。では、いつもの駅前の喫茶店で」
「えええ、安っ! 未来の社長さんが喫茶店!? ここはふつー、高級フランス料理店のフルコースとかご馳走してくれるところじゃないの!?」
「まあそう言わずに。お好きなケーキを何個でも奢ってあげますから。なんだったら店ごと買収しても——」
「あああああ、ハイハイごめんなさい! 庶民のジョーダンですぅー」

 誰よりも明るい声を響かせながら、僕らは並んで大学のキャンパスを後にした。


===============


 去年の6月、ウィーチューバー【リカリカ】の炎上騒動があった。

 ただ【リカリカ】が失踪前に自殺をほのめかすようなツイートをしたことで世情は一転した。彼女に誹謗中傷を浴びせた者たちが逆に〝人殺し〟であると糾弾されるようになり、失踪した彼女に対する追撃は強く牽制された。一部では【リカリカ】の復活を求める声もちらほらと聞こえるようになった。

 だがその後もウィーチューバー【リカリカ】が復帰することはなく、その名は一連の騒動と共に次第に語られなくなった。

 失踪事件の後、エリカさんは京都の高校に転向した。あまり大きな声では言えないが、転校先は《天王グループ》の息が掛かった学校で、幸いにも3年生の2学期から編入させてもらうことができた。
 ちなみにエリカさんが前の学校で受けたいじめの問題に関しては、加害者らはそれ相応の制裁を受けたという話だけれど、その話は彼女にはしてない。別に彼女も気にしてないようだし。

 ウィーチューバーを引退したエリカさんは、それからの約半年間、大学受験に向けて猛勉強に取り組んだらしい。というのは、その間、僕はエリカさんとほとんど会っていない。僕は依然として東京の高校に通っていたのだから当然だ。効率のいい勉強方法を教えたり、リモート通話で勉強会を催したりしていたが、もっぱら彼女の受験勉強を手助けしていたのは、京都の中学に通う妹の妃皇子だった。

 そして彼女はわずか半年間のうちに目覚しい成長を遂げた。
 ちょっと前までは〝0点魔神〟だった彼女が、妃皇子曰く、この半年間は毎日寝る間を惜しんで問題集に向き合っていたそうだ。彼女がここまで変われたのは、きっと新しい夢ができたからだろう。夢に向かってがむしゃらに頑張れるところは、彼女が【リカリカ】だった頃とまったく変わらない。

 そんな弛まぬ努力が実を結び、今日エリカさんは都内にある名高い私立大学に見事合格したのだった。


===============


 地元の駅前の喫茶店に入ってから、エリカさんは電話で妃皇子に合格したことを報告した。

『おめでとうございます、エリさん!』
「ありがとおおお! ヒミちゃんが勉強教えてくれたおかげだよ!」
『いえいえ、エリさんが頑張ったからですよ!』
「ヒミちゃんのほうは合格発表はいつだっけ?」
『あたしは再来週ですけど、大丈夫です! ゼッタイ受かってますから!』
「そっかあ、それなら来年から無事に3人で暮らせそうだね!」
『そうですね!』
「楽しみだねー!」
『エリさん、今日は兄さまの家に泊まっていくんですか?』
「うん! 明日には一旦そっちに帰るから、一緒に河原町にでも遊びに行こっか!」
『いいですねー、行きましょう行きましょう!』
「あはは、じゃあまたそっちでね」
『はーい』

 通話を切ったエリカさんは、妃皇子との会話中に届けられていたミルフィーユにさっそくフォークを突き立てた。

「うーん、おいしい! 半年ぶりだけど、やっぱここんのミルフィーユは最高だわー……って、どしたのコーダイ?」

 電話と途中から向けていた僕の視線に、エリカさんはようやく気づいてくれた。

「いえ……通話の途中でさりげなく〝3人で暮らす〟という話が聞こえたのですが」
「そうよ。あたしとヒミちゃんと、あとはコーダイの3人で」
「僕がみたいな言い方でしたが、それって3人とも暮らすということですよね」
「イグザクトゥリィ! 何か問題ある? 部屋ならたくさんあるでしょ?」
「Unfortunately, it is full now」
「は……なんて? ナンテイイマシタカァ?」
「あいにく今は満室です」
「ああー、ハイハイなるほど、フルナウって言ったのね。そんなの片付けて空けてくれたら良いじゃん! 例の〝特設スタジオ〟とかすぐ空くでしょ?」
「だとしても1部屋だけですよ」
「うーん、しゃーない……それならヒミちゃんは諦めるから、あたしだけでも住まわせて!」
「ちょっと、なんでそうなるんですか」

 エリカさんも知っているバズだが、妃皇子が来年からこの家に住むことは確定している。我が一族の固定資産なのだから当然だ。

「第一、うちからだとエリカさんの通うキャンパスはアクセス悪いですよ。今だって2回も乗り換えがあったじゃないですか」
「大丈夫よ、通学時間は大して長くないみたいだし」

 エリカさんはミルフィーユをパクリと口に運び、心底幸せそうな顔をしながら言った。

「それともコーダイはあたしと一緒に暮らすのはヤだ?」
「……ずるい人ですね」

 僕はコーヒーカップを口に運んだ。白い湯気の向こう側で、エリカさんのしたり顔が見えた。

「それなら、また二人でウィーチューブ活動でもやりますか?」
「いいのよもう、ウィーチューバーは。あたしは将来、看護師になるって決めたんだから!」

 僕の無遠慮なブラックジョークに、エリカさんは同じホットコーヒーを啜りながら一切の迷いなく答えた。

 そう、彼女が来年度の春から通うのは看護学部。かつての人気ウィーチューバーは、現在は看護師を目指していた。アイドルとして不特定多数の人間を喜ばせるよりも、目の前で困っている人間の力になれる、そんな仕事をしたいのだと彼女は言っていた。

「それに、たくさんの人に好きだって言ってもらえるのもいいけど、ひとりの人に心から好きって言ってもらえるのも悪くないしネ!」
「……」

 エリカさん得意の人を食った笑顔を前に、またしても僕はコーヒーカップに退避する羽目になった。
 まったく、この手の駆け引きはどうにも彼女には敵わない。まあ今回に関しては、僕も彼女の意見に賛同なのだが。


===============


 喫茶店を出た後、自宅に戻る前に近所にある公園に立ち寄った。
 風情のある枯れ木に囲まれた池の周りを巡り歩きつつ、僕はタイミングを見計らって彼女に告げた。

「エリカさん、あなたに渡したいものがあります」「わあ、もしかして合格祝い?」
「いいえ、違います。大学のほうはてっきりダメだとばかり思ってたので」
「ちょっとォ! なんでそうなるのよー!」
「すみません、そちらはまた別で用意しますから」
「ふーん、ならいいけど! で、今渡してくれるものって何なの?」
「それはですね……」

 期待に大きな瞳を輝かせる彼女に、僕はポーチから取り出した手のひらサイズのケースを見せた。

「コーダイ、これって……」
「ええ。よく考えたら僕たち、まだ正式にそういう関係にはありませんでしたから」

 ケースを少し開き、中に収められた指輪を彼女に見せる。一応僕らはまだ高校生なので価格は手頃なものとしたが、僕なりに彼女のイメージに合うものを選んだつもりだ。

「一応僕らは高校生なので、価格は手頃なものを用意しましたが……どうでしょう、受け取っていただけますか」
「コーダイ……」

 エリカさんの視線は僕の手の中のリングケースに釘付けだった。どうやら感激のあまり言葉も出ないようだ。いいぞ、これはしっかりと告白のシチュエーションを練っておいた甲斐が——

「あのね……世間では指輪ってのは〝結婚〟を申し込む時に渡すものなのよ」
「……えっ?」
「……」
「……」
「……プッ、アハハハハ!」

 定価4万円弱の指輪を前に、エリカさんは腹を抱えて大笑いした。

「あーあ、おかしー! 変わらないね、君も!」
「ははは……」

 練り上げてきた計画が足元から一気に瓦解した気分を、僕も笑って誤魔化した。

「でも、いっか! 〝箱入り息子〟の君らしくて!」

 エリカさんはにこやかな笑みで言うと、右手の手袋を外して僕に指先を向けた。

「指輪は普通、左手に嵌めるものでは?」
「そういう知識はちゃんとあるのね……分かってるわよ。でも左手は本番の時にとっておかなくちゃ」
「ああ、なるほど」

 それもそうかと納得しつつ、僕も手袋を外した。

「では改めまして……」

 エリカさんに向かい合って膝を立て、ケースに収められた指輪を彼女に差し出す。
 そしてしっかりと彼女の目を見て、用意していた台詞を伝えた。

「エリカさん、僕と付き合ってください」
「……はい、よろしくお願いします!」

 告白の返事にしては些か元気が過ぎる声だったが、まあこれがエリカさんという人間か。

 僕はケースから出したスカイブルーの指輪を、彼女の右手の薬指に嵌めた。

「きれい……あたし、この色好き」
「これでも一応、元プロデューサーですから」

 今度こそちゃんと感激の眼差しで右手の指輪を眺めるエリカさん。その右手に、僕の左手をそっと重ねる。

「……さて、帰りましょうか」
「うん!」

 吐く息が白くなるほど寒い冬の公園を、僕らは手袋を外したまま手を繋いで歩いた。体はすごく寒いけど、でも心はすごく温かい。

 まるで僕らが共に歩んできた時間のようだ。
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