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1巻

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     ◇


 朝食を終えてから、数時間が過ぎた。
 村を訪れていた行商隊の隊長と交渉し、二人は彼らの馬車に相乗りさせてもらうことになった。次なる中継地点に着いたら、村まで駆けてきた馬を対価に渡すのが条件だ。
 これはベルギスやモモル、さらにはロイドが二人の行方ゆくえさがすのを見越し、村で手放すよりも足がつきにくいと判断したからだ。

「……あぁ。この村とも、そろそろお別れね」

 出発前、ナーナルは再び古書を扱うお店に顔を出す。
 一日にも満たない滞在時間ではあったが、この村ではいくつかの初めてを経験した。そのどれもが素晴らしく、ナーナルの心を満たしてくれた。この先も忘れることはないだろう。

「またいつか、足を運びたいものね……」

 追われる心配もなく、のんびりと。
 今日と同じく、隣にはエレンがいてくれたらいいな。

「お供いたします」

 その想いを知ってか否か、エレンが同調する。

「ふふ、約束よ」

 揺るぎない意志を感じる台詞せりふを耳にして、ナーナルは柔らかな笑みを浮かべた。
 やがて行商隊のもとに戻った二人は、馬車へと乗り込む。それからしばらくすると、馬車はゆっくりと動き始めた。




   第三章 港町ヤレド


 外の世界は、実に広大だ。
 王都という名の鳥かごの中に居たままでは、何も知らずに生きて死んだのだろう。
 胸が高鳴る。次はどのような出会いがあるのだろうか。
 ……行商隊の馬車での旅は、お世辞にも快適と言えるものではなかった。
 元々、人を運ぶためのものではなく、客席はない。積み荷と共に揺られて長時間の移動ともなると、体の節々やお尻が辛くなってくるのも仕方のないことだ。
 しかしだ。それを上回る発見が、ここにはあった。
 行商隊の人たちと言葉を交わすことで、外の世界の話を中心に、ナーナルは様々なことを教えてもらった。どのような経緯で行商人となったのか、故郷が恋しくならないのか、そんな身の上話から始まり、これまでに訪ねた国や町村で、特に印象に残ったお店や食べ物、風習など……
 王都で生活しているだけでは知りえなかった世界を前に、ナーナルは興奮こうふんしっ放しだ。
 忘れないようにと、耳にした話を手帳に書き残し、いつかその地を訪ねたとき、己の目で確かめようと心に決めた。
 もちろん、言葉を交わせば話を振られることもある。
 残念ながら、あまり深い話をすることはできなかった。痕跡こんせきを残し、ベルギスの耳に入れば、連れ戻される可能性があるからだ。
 だが、そんな事情を持つナーナルたちにも行商人たちは優しく交流的だった。そのため、隣に座るエレンと共に、楽しくにぎやかな時間を過ごすことができた。
 ナイデン家にいた頃は、無駄口を叩くことを許されず、学園では貴族としての振る舞いを求められるため、ほとんどの生徒が心に仮面を付けていた。中には本当の顔を見せてくれる者もいたが、それもごくわずかな親しい友人だけだ。
 一方で、ここにいる人たちは、ナーナルが貴族であることを知らない。
 身分を隠していることに申し訳なさを感じてもいたが、それよりも顔色をうかがわずに気さくに声をかけてくれることが嬉しく、時間を忘れて談笑に花を咲かせた。

「はあ……少し疲れたかも」
「二時間ほど経っておりますので、当然かと」
「えっ、そんなに……!? それも、いつもの冗談よね?」

 うそだろうと否定すると、エレンがローブのそでから懐中時計を取り出した。
 横から覗き込んで針の位置を見てみると、確かに時間が進んでいた。

「エレン、ごめんなさいね? こういうのってあまり慣れていなかったものだから、つい……」
「謝らないでください。ナーナル様の、あのように無邪気なお顔を見ることができて、私も楽しませていただきました」

 エレンの返事に、ナーナルはホッと胸を撫で下ろす。

「ふふ、エレンと二人きりで外を旅するのも凄く刺激的だけれど、こうしてたくさんの人や荷物に囲まれながら旅をするというのも、何だかとても面白いものね」

 これは一期一会の、ほんのひと時の出会いにすぎないかもしれない。
 しかし、今までの味気ない生活よりも楽しくて記憶に残るものとなった。

「お話しなさった中で、何か気になることはございましたか?」
「そうね……ヤレドの話が興味深かったわ」

 港町ヤレド。
 二人を乗せた行商隊の馬車が向かうのは、ヤレドという名の大きな港町だ。
 その名の通り、ヤレドは海沿いの、漁業が盛んな町である。波が穏やかで泳ぎやすく、観光地としても人気がある。屋台や食堂には新鮮な海の幸が用意されていて、美味しいと評判だ。
 しかし、そんな中で最も人気なのは『喫茶店』だった。
 行商人から聞いた話によれば、お洒落しゃれなものから庶民的なもの、会員制のものに隠れ家的なものなど、数え切れないほどの喫茶店がのきを連ねているらしい。あまりにも人気で、ヤレドが独自の喫茶本を発行するほどだ。

「喫茶店がたくさんあるだなんて素敵よね……王都では決まったところにしか行けなかったでしょう? だから、時間さえあればすべての喫茶店にお邪魔してみたいわ」
「全店を制覇せいはする頃には、お腹が膨れ上がっていますね」
「うっ、分かっているってば」

 王都には、庶民お断りの喫茶店がある。味も接客も店内も、何もかもが整った空間だ。ナーナルが通っていたのも、そういう喫茶店だった。
 しかしながら、逆に言えばナーナルは他の喫茶店を知らない。
 まだ幼い頃、モモルの手を引いて別の喫茶店の前まで行ったこともあるが、結局はあと一歩のところで引き返してしまった。
 だから、ヤレドにはどんな喫茶店があるのだろうかと憧れる。

「そうだわ。喫茶店の話をしていたら久しぶりにエレンの淹れた紅茶が飲みたくなったかも」
「ご所望しょもうとあらば」

 話の流れでさらっと口にしたが、旅の途中なのだから飲めるはずがないことは分かっている。
 なのに、エレンは了承した。
 ナーナルが行商人たちと談笑する横で、エレンは会話の内容を記憶していたのだが、その中に茶葉の話があったのだ。

「次の休息時に隊長と交渉してみます」
「え、え? ……本当に飲めるの?」
「丁度、ナーナル様に紅茶を淹れて差し上げたいと思っていたところですので」

 そう言って、エレンは口角を上げてみせた。


     ◇


 程なくして、馬車が止まった。
 休息に入ると、エレンはナーナルとの約束を守るため、早速とばかりに交渉に向かう。
 隊長にたずねたところ、行商隊が扱う茶葉の種類は十を超えていた。
 実際に飲んだことのあるものから、名前も聞いたことのないものまで吟味ぎんみする。
 行商用の茶葉の中には、王都が産地のものもあった。これを選べば、慣れた味と香りを楽しむことができるだろう。
 また、候補の中にはいくつかの香草茶もあった。
 香り高いのが特徴であり、リラックス効果があるとされている。馬車での旅を続ける上で、心を休めることができるのは非常にありがたい。
 だが、今回は別の茶葉を選ぶことにした。

「こちら、北方の国より仕入れた紅茶とのことです」

 残念ながらティーカップはない。仕方なくコップに茶を淹れ、ナーナルに手渡す。

「北方の……ふうん、濃い目なのね」

 コップを受け取り、ナーナルは香りを堪能たんのうする。
 茶の色は濃く、味が気になるところだが……

「こちら、飲まれる前に口にお含みください」

 紅茶と共にエレンが差し出したのは、ジャムとスプーンだ。
 味を変えるものとして、砂糖そのものではなくジャムを用意したのだ。
 直接入れたら、せっかくの熱さが損なわれてしまう。
 そのため、ジャムを一口。
 それこそが、この紅茶の楽しみ方だ。

「ジャムと一緒に……それじゃあ、いただくわ」

 ナーナルはまずは一口、お茶そのものの味を確かめてみる。
 エレンが淹れてくれた紅茶は、夜風に冷えた体をしんから温めた。鼻をくすぐる香りにもくせはなく、すんなりと受け入れることができる。
 ただ、これだけでは物足りない気がする。
 今度はジャムを口に含み、紅茶を飲む。

「んっ、……これは面白いわね」

 すると、果実の甘さが絶妙に混ざり合い、味に変化をもたらした。
 ジャムの量を変え、口に含む紅茶の量を変えて、その都度つど、変化を楽しむことができる。
 だからか、ナーナルは面白いと口にした。
 ジャムを用いた飲み方は、砂糖では表現することのできない独特な甘さを教えてくれる。

「……うん。とても美味しかったわ。ご馳走様ちそうさま、エレン」

 少しして、紅茶を飲み終えたナーナルはエレンに感謝を告げた。

「ご満足いただけましたようで、なによりです」
「ええ。貴方のおかげで、また一つ素晴らしいものと出会うことができたわ」

 初めての味は驚きに満ちていた。
 だが、これで終わりではない。これから先の旅も、驚きの出会いが訪れるだろう。
 エレンの声に、ナーナルは頬を緩めるのだった。


     ◇


 数日後、二人を乗せた行商隊の馬車は、港町ヤレドに到着した。
 少し離れた場所で馬車を降り、二人は隊長と握手を交わす。そのまま馬車の背を見送ってから、時間差でヤレドの町へ足を踏み入れた。

しおの香り……ここがヤレドなのね」

 視界いっぱいに広がる海。町全体をしおの香りが包み、波の音が自然と溶け込んでいる。
 日の光を浴びた砂浜は宝石のように白く輝き、ここに来る者すべてを歓迎しているかのようだ。
 馬車の中から遠目には見えていたが、ナーナルは改めて思う。
 この町は、美しい。

「宿へ参りましょう」

 見知らぬ町の風景に感嘆かんたんするナーナルをよそに、エレンが口を開く。
 何をするにも、まずは寝床の確保が先決だ。
 ナーナルはエレンと共に、宿を探すことにした。
 喫茶店を巡るのは、それが終わったあとだ。しかし、

「あっ、あれって喫茶店よね? あっちのお店もひょっとして……ねえ、あれもじゃない?」

 ほんの少し歩を進めるだけで、目に入る。
 様々な喫茶店が、ここぞとばかりにナーナルを誘惑しているのだ。

「ナーナル様」
「うぅ、……分かっているわ。先に宿を取るのでしょう?」

 本当は、今すぐにでも見て回りたい。喫茶店をはしごしたいと思っている。
 だが、エレンにたしなめるように呼ばれてしまい、ナーナルは自分に言い聞かせる。もう少しの辛抱しんぼうだからと。
 我慢するナーナルの横顔を見ながら、エレンは口元を緩めた。
 あらかじめ、隊長からヤレドの情報を得ている。宿の目途めどもついているので、そう長く待たせることはないだろう。と同時に、企みが一つ。

「着きましたよ」

 浜辺沿いにしばらく歩いていくと、妙な形の建物が見えてきた。
 エレンはその前で立ち止まると、ナーナルに告げる。

「この宿に泊まります」
「……これ、宿なの? わたしには船にしか見えないのだけれど……」

 ナーナルの言う通り、その宿は船の形をしていた。

「こちらの宿は、船の造りを真似ているとのことです。きっと、ナーナル様もお喜びになるかと思います」
「そ、そう……? でもわたし、船が特別好きなわけでは……あっ」

 言葉の途中で、ナーナルがそれに気付いた。入口の看板に書かれた店名は……

「喫茶【宿船やどふね】……? エレン、もしかしてここって……」
「お察しの通り、宿でもあり、喫茶店でもございます」

 エレンが選んだのは、喫茶店のある宿であった。

「っ、行きましょう。早く確かめないと」

 ナーナルは早速、喫茶【宿船】の扉を開け、中に入ってみる。
 店内は少し薄暗く、それが落ち着く雰囲気を演出していた。

「すごい……本当に船の中にいるみたい」

 感嘆かんたんし、店内を見渡す。カウンターが十席ほどに、二人がけのテーブル席が三つ。店の奥には三人以上同時に座れる広めの席も用意されていた。

「いらっしゃい。喫茶と宿、どちらをご利用で?」

 店内に見惚みとれていると、店主とおぼしき男性が声をかけてきた。

「あ……ええと、喫茶を……」
「ナーナル様」
「っ、そうだったわ」

 ついつい喫茶と答えてしまったが、二人がここに来たのは宿に泊まるためだ。
 エレンに名前を呼ばれたナーナルは、我に返る。

「宿を借りたいのですが、部屋は空いていますか」
「ああ、宿ですね? でしたら奥のカウンターに母がおりますので、そちらへお進みください」

 結局はナーナルに代わり、エレンが店主にたずねた。
 喫茶店とは別に、宿用のカウンターがあるらしく、店の奥へ続く通路を進む。
 一番奥のテーブル席を越えると、今度は別のカウンターが姿を現した。
 そこには、老齢の女性が一人座っている。

「おや、いらっしゃい。お泊まりかい?」
「はい。二人部屋を一つお願いしたいのですが、空きはありますか」

 エレンは迷うことなく、二人部屋を指定する。
 実はここに到着する直前まで、部屋をどうするかでナーナルと口論になっていた。
 村の宿では同じ部屋に寝泊まりしていたが、エレンにとってナーナルは主だ。同じ部屋で舟をこぐなど、もってのほかだと主張した。
 一方でナーナルは、部屋を二つ取れば、誰が自分を守ってくれるのかとたずねた。隣同士の部屋を取ったとしても、何かあってからでは手遅れだ。
 ならばいっその事、二人部屋を借りて傍にいてほしい。
 この問答で、見透かされていたのはエレンの方だ。部屋を二つ借りたとしても、エレンはナーナルの身の安全を確保するため、夜も眠らず、扉の前に待機するつもりだった。
 村で話したときにエレン自身が言ったことなので、ナーナルはそれを上手く利用した。
 そして結局、エレンが折れた。渋々ではあるが、二人部屋を借りることを決めたのだ。

「参りましょう」
「ええ、どんな部屋か楽しみね」

 エレンは宿泊代を支払うと、部屋の鍵を受け取った。

「今度はベッドが二つあるはずだから、ソファで眠るようなことはしないでね」

 ナーナルはご機嫌きげんに言った。
 そんな楽しそうな声を聞いてしまったら、同意するほかに選択肢はない。

「仰せのままに」

 エレンは諦め気味に笑い、返事をするのだった。


     ◇


 喫茶【宿船】は、店主プリオと、その母カルデの二人で営んでいる。宿担当がカルデで、喫茶担当がプリオらしい。
 二人部屋を借りたナーナルとエレンは、扉を開けて中を確認してみた。喫茶と同じく、宿の部屋もまるで船内のような作りになっている。特別豪華というわけではないが、清掃が隅々まで行き届いているのは、カルデの手腕だろう。

「ベッドが二つ。これでエレンも安心して眠ることができるわね」

 ナーナルがベッドに手を置いて、ゆっくりと押してみる。程よい硬さで、眠るには問題なさそうだ。ベッドのほかにも、テーブルが一つに椅子が二脚、部屋を暖かくするための暖炉、それと小さな本棚が置いてある。
 宿泊客が暇を持て余すことがないようにとのカルデの計らいだ。数十冊の本を自由に読むことができるようになっていて、本好きのナーナルには嬉しいおもてなしといえよう。

「手洗場と洗面所、それと浴室も備え付けですね」
「えっ、本当に?」

 ベッドに腰を下ろしていたナーナルは、勢いよく立ち上がる。
 室内の扉を開いてみると、エレンの言う通り、洗面所を見つけた。そこからさらに二つの扉が現れ、一方は手洗場、もう一方は浴室になっている。
 村の宿には、残念ながら共同のものしかなかった。
 また、行商隊の馬車で移動する間は河で水浴びをするしかなく、それもできないときには、布に水を含ませて体を拭くのが精々だった。
 王都を出てからというもの、その点に関してはずっと苦労をしてきたのだ。
 だから、部屋に専用の浴室があることにナーナルは心の底から喜んだ。

「エレン、早速で悪いのだけれど……」
「お湯を溜めてまいります」

 待ち切れないのだろう。ナーナルが期待を込めた声を出す。
 当然それを予想していたエレンは、先回りして受け入れた。ヤレドまで、ナーナルには随分と不便な思いをさせてしまった。この宿は、そのお詫びも兼ねている。
 喫茶【宿船】の宿泊客は、喫茶の利用が安く済むだけでなく、営業時間外でも利用することができる。夜、眠れないときや、気分を変えたいとき、時間を気にせず顔を出せる空間があるならば、きっと気に入ってもらえるはずだ。
 そう考え、エレンはここに泊まることを決めた。
 それほど長居はしないが、せめてヤレドにいる間は、身も心も安心してくつろいでほしい。それになにより、ナーナルが喜んでくれるのであれば、エレンはなんだってしてみせると心に決めている。

「あら、ここは鍵がないのね……? エレン、わたしが入っている間は……」
「お待ちしております」

 釘を刺されるまでもない。
 先ほどと同じく先回りで了承の言葉を口にして、エレンは目を伏せた。
 しばらくして湯浴みを終えたナーナルは、まだ髪が乾かないうちにエレンの手を引っ張り、軽い足取りで部屋の外へ飛び出そうとする。
 もちろんエレンはそれを制した。

「そのままでは風邪を引きますよ」

 そう言ってナーナルを暖炉の前まで連れ戻し、椅子に座らせた。
 そして、タオルで髪を包み込むように水気をとっていく。

「別にこのままでもいいのに、エレンは律儀りちぎね」
「ナーナル様の体調を管理するのも私の役目ですので」
「少しは見逃してもいいと思うのだけれど」
「ダメです」
「もう、エレンったら……」

 頬を膨らませるが、エレンの優しい手つきを感じて照れくさくなり、ナーナルはしばし大人しくするのであった。


     ◇


「まずはやっぱり、ここにお邪魔しないといけないわね!」

 それがこの宿に泊まった者の礼儀だと言わんばかりだ。
 宿のカウンター越しにカルデに挨拶し、ナーナルは喫茶の方へ向かう。すると、喫茶【宿船】の店主プリオの姿が見えた。
 入口ではなく、奥から店内に入るという実におかしな状況だが、これは宿船の宿泊客ならではの光景であり、プリオやカルデにとっては日常の一コマだ。

「無事に部屋は取れましたか?」

 二人の顔を見たプリオが、声をかけてくる。

「はい、おかげさまで」

 お辞儀をし、エレンは店内を見渡した。
 テーブル席はすべて埋まっており、残りはカウンター席が少しとなっている。
 ヤレドには、数多くの喫茶店がある。当然、流行はやすたりも早く、新しい喫茶店ができては話題になり、その裏で別の喫茶店が人知れず消えていく。
 そんな中でも、喫茶【宿船】は三十年にわたり店を続けている。
 元々はプリオの亡き父とカルデが喫茶店を開き、彼が成人してからは、宿を加えた珍しい形の喫茶店となった。
 地元民に観光客、行商人など、今も昔も多くの人たちに愛される喫茶店だ。

「ここ、座ってもよろしいかしら」
「お二人ですね、もちろんです」

 確認を取り、ナーナルとエレンは並んで席に着く。ヤレドに着いて以降、いつ喫茶店に入ることができるのかとソワソワしていたナーナルだが、ようやく願いが叶う。

「こちらがメニューになりますので、決まりましたらお声がけください」

 そう言うと、プリオは他の客が頼んだ珈琲コーヒーを淹れ始めた。
 強い香りが広がり、ナーナルの胸を高鳴らせる。

「……あら、王都産の紅茶と珈琲コーヒーがあるのね」

 ヤレドは、大陸随一の喫茶店の町だ。
 ナーナルたちが同行した行商隊は珈琲コーヒー豆や茶葉を積み、商売道具として運んできていた。その中には慣れ親しんだ王都産のものも含まれていたから、【宿船】でも仕入れているのだろう。
 だが、せっかく外の世界に出たのだ。王都産のものを頼んでは、ここまで来た甲斐かいがない。

「んん、たくさんあって悩むわね」

 ナーナルは真っ先に茶葉を確認したが、実は喫茶【宿船】は珈琲コーヒー店だ。珈琲コーヒーの種類だけでも二十を超えている。
 それに加えて、数種の紅茶に冷たい果実水、チーズトーストやホットサンドなどの軽食も味わえる。迷い悩むのも無理はない。

「エレンはどれにするの?」
「そうですね……私はブレンドにいたします」

 横を向き、エレンに声をかけてみた。

「それでいいの? もっと珍しそうなものもあるのに」
「まずはこのお店の自慢の味を確かめてみようかと思いまして」




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