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   序章 告白


 それは、いつもと変わらぬ日のこと。

「お姉様……あぁ、ナーナルお姉様。わたくしはとてもひどい妹です。だってそうでしょう? お姉様の大切な婚約者のロイド様のことを……その、好きに……なってしまったのですから」

 生まれてからずっと可愛がっていた妹のモモルが突然、胸の内を語り始めた。
 わたしの婚約者――ロイド様と、体の関係を持ってしまったと。

「わたくし、この想いを打ち明けずにはいられませんでした……。ええ、分かっています。分かっていますわ。ロイド様がお姉様の婚約者だということぐらい、重々承知しています。ですが、お姉様が婚前交渉を拒んだことで、ロイド様がどれほど傷付いたか……ご存じですか? ロイド様のお辛そうな表情を見ていると、可哀そうで可哀そうでたまらなくて……だからでしょうか、お姉様と正式にちぎりを交わすまで、せめて妹であるわたくしが、ロイド様をいやす役目をになうことができればと思ってしまったのです」

 何を言っているのだろう、と思った。
 あまりにも唐突で、理解が追いつかなかったのかもしれない。
 けれどもモモルは、わたしの顔を見ようともせず、ただただ悲しげな声色で言葉をぶつけてくる。

「あぁ、お姉様……わたくしはこれから先、どうすればよろしいのでしょう? 大好きなお姉様の婚約者に身を捧げ、挙句、この心までもロイド様のとりことなってしまいました……。ロイド様も、わたくしと一緒にいるときの方が幸せだとおっしゃっていましたわ。ですからその、わたくしが原因とはいえ、もはや……お姉様の入り込む余地はありません」

 涙ながらにモモルがうったえる。
 自分も苦しいのだと言いたげな表情で。

「……ええ、分かっていますわ。こんなわたくしのことを、お姉様は決してお許しにはならないでしょう。ただ、たとえそうだとしても、わたくしはこの想いをなかったことにはできません。ロイド様のことが好きで好きで、たまらないのです……! でも、もし真実をお父様とお母様にお伝えすれば、わたくしの大切なお姉様が、実の妹に婚約者を寝取られた哀れな子の烙印らくいんを押されてしまいますわ。わたくし、お姉様がそんな目に遭うだなんて、絶対に堪えられません……。ですからお願いします。もし妹のわたくしのことが本当に可愛いとお思いでしたら、お父様とお母様には秘密に……そして、わたくしが犯した小さな過ちを……どうか、見て見ぬ振りをしてはいただけないでしょうか? わたくしの未来のために、ロイド様を解放してくださいませ……うっ、うぅっ」

 モモルは、何よりも大切な妹だ。
 その妹が、ロイド様を譲ってほしいと口にした。
 元々、ロイド様との婚約は親同士が決めたものだ。彼とは、言葉を交わすことくらいはあったけれど、手を握ったこともなかった。
 婚約者とはいえ、所詮その程度の関係だ。
 だから、ロイド様に対する執着はこれっぽっちもない。
 そんなことよりも、わたしはモモルに裏切られたことの方が悲しかった。
 わたしが可愛がっていた妹は、いつの間にかわたしの知らない女に変貌してしまっていたらしい。その変化に気が付くことができなかったのは、ロイド様との関係をそのままにしていたわたしにも責任がある。
 だからかもしれない。

「……いいわ」

 間を置いて口から出た言葉は、了承の一言。
 うそ泣きを続けるモモルを前に、ぐちゃぐちゃになった心を落ち着かせるため、静かに声を震わせる。

「モモル、貴女の好きにしなさい」

 そう。
 わたしは、妹の願いを叶えることにした。




   第一章 婚約破棄


 ナーナルは、男爵位のナイデン家に生まれた。
 十六歳の誕生日に、同じく男爵位を授かるエルバルド家の嫡男ちゃくなん、ロイドと婚約した。それは貴族同士の繋がりを確かなものとするための、いわゆる政略結婚であった。
 これは、貴族に生まれたからには避けては通れない道だ。
 ナーナル自身も納得していたから、この婚約に対して否やはなかった。ただ一点の条件を除いては。
 それは、婚前交渉はしないこと。
 言葉を交わしたこともなく、今の今まで赤の他人であった男性に求められたとしても、はいそうですかと己の体を許すことなどできるはずがない。それは至極しごく当然のことであり、エルバルド家にも納得してもらえるだろうとナーナルは考えていた。
 そして順当に条件は認められ、ナーナルは正式にロイドの婚約者となった。だが同時に、ロイドとの間に大きな溝ができてしまった。

『なぜだ? ぼくはきみの婚約者だぞ? なのになぜ、婚前交渉を拒むんだ』

 ロイドとの顔合わせの際、開口一番に言われた台詞せりふがこれだ。
 それ以外の楽しみなど他にはないと言わんばかりに、ロイドはなげいてみせた。

『どうせ二年後には夫婦になるんだから別に構わないだろう? それとも何か? まだ学生だからとかしこまっているのか? ……ふんっ、今時の学生にとってはたしなみのようなものだ。それを拒むということは、ぼくに不満があるとしか思えないな』

 ロイドの言う通り、確かにナーナルはまだ学生で、卒業は二年先だ。
 だが、婚前交渉を拒むのはそれが理由ではない。
 ナーナルは己の考えをロイドに話し、納得してもらおうとした。
 だが結局、ロイドの不満が解消されることはなく、その日の二人は険悪なムードで別れた。
 そのあとも、顔を合わせる度に、ナーナルとロイドは溝を深める。
 ナイデン家のためにと、ナーナルはロイドとの距離を縮めようと試みたが、婚前交渉を拒まれたロイドの態度は冷たいままだった。
 二人きりでデートをするときも、一切手を握ろうともしない。
 ロイドの主張が正しいのか。自分が折れるしかないのか。わがままなのは自分の方なのか。
 たとえそうだとしても、婚前交渉をしたいとは思えない。
 そう葛藤かっとうすると同時に、不安が一つ。
 今のまま結婚し、ロイドと二人で人生を歩むことになったとして、わたしは本当に幸せになれるのだろうか。
 何度も会い、ロイドのことを知ろうと思えば思うほど、好意を持つことが難しくなっていく。
 しかし、これは親同士が決めた婚約だ。ナーナルが断ることはできない。
 そう考えると、ナーナルは日に日に次第に眉をしかめる回数が増えていった。
 そんなある日のこと。

『あぁ、可哀そうなお姉様。今日はせっかくのロイド様とのデートなのに、熱で会いに行けないだなんて……』

 ロイドとのデート当日、ナーナルは風邪を引いて寝込んでしまった。
 ナーナルの姿を瞳に映し、まるで自分のことのように悲しむモモルに対し、ナーナルは弱々しく微笑んでみせる。
 するとモモルは、ある提案を口にした。それは人助けならぬ、姉助けのつもりだったのだろうか。

『そうだわ! 今日はお姉様の代わりに、わたくしがロイド様とデートをして差し上げます!』


     ◇


 その夜、ロイドとのデートを勝手に引き受けたモモルは、満面の笑みを浮かべながら帰宅した。

『聞いてください、お姉様! ロイド様ったらね、わたくしに首飾りを買って下さったんですよ!』

 そう言って、胸元に下がるピンクの宝石をナーナルへと見せる。
 無邪気なモモルの姿を見て、ナーナルも複雑な気持ちを押し殺し、笑みを浮かべてみせた。


『ねえ、お姉様? お姉様はロイド様からどんなプレゼントをもらいましたの? ぜひわたくしにも見せてください!』

 よほど嬉しかったのだろう。
 首飾りの銀の鎖を両手で触りながら、モモルが問いかける。

『わたしは……、もらったことがないわ』
『えっ、一度も? 一度もですか? ……えっと、ご冗談ですよね? お姉様はロイド様と婚約なさっているのに、そんなはずはありませんわ』

 ロイドとの婚約が決まってしばらく経つが、ナーナルは一度もプレゼントをもらったことがない。婚前交渉を拒んだことが原因なのは明らかだが、それはナーナルにとって譲れないことなのだから、気にすることはなかった。
 デートは、プレゼントをもらうためのものではない。ロイドとの仲を深めるためのものだ。
 そう割り切っていたのだが……しかし今日、モモルはロイドからプレゼントをもらったと言うではないか。
 ナーナルは、モモルが喜ぶ顔を見るのが大好きだ。とはいえ、このままではロイドに対する想いがさらに離れてしまいそうだ。

『うーん……お姉様、これはわたくしの勘ですけど、ロイド様は恐らくお姉様に振り向いてほしい一心で、ワザと意地悪をしているんです。ええ、きっとそうに違いありません!』
『ふふ、だといいけど』

 モモルに気を遣われるなんて、と思い苦笑する。しかしまだ、ナーナルは気付いていなかった。
 目の前で口早に語る妹が、既にロイドと体の関係を持ってしまったということに。

『――ところでお姉様。ロイド様のお部屋に入られたことはありますか? ……え? ないんですか? ロイド様の婚約者なのに?』

 休む間もなく、次から次に投げかけられるモモルの容赦ようしゃない言葉に、ナーナルはぎこちなく笑みを浮かべる。それが精一杯だ。それでもモモルは、ロイドの話を止めようとはしない。
 たった一日。
 この日を境に、モモルは人が変わったかのように、ロイドの話をするようになる。
 そして二人が婚約してから、二つ歳を重ねた頃……
 学園の卒業と、ロイドとの結婚。その二つを間近に控え、忙しない日々を送るナーナルのもとに、モモルが顔を見せた。
 それからすぐに、あの台詞せりふを口にしてみせる。

『お姉様……あぁ、ナーナルお姉様。わたくしはとてもひどい妹です。だってそうでしょう? お姉様の大切な婚約者のロイド様のことを……その、好きに……なってしまったのですから』

     ◇


 モモルの懺悔ざんげを耳にしてから、半時足らず。
 まず初めにしたことといえば、両親への口添えだ。ロイドと自分の婚約を破棄し、己の代わりをモモルに託すと伝えた。
 ロイドにはモモルの方がお似合いだからと。それ以外の理由は一切説明せず、かたくななナーナルを前に、父――ベルギスと、母――ホロワは頭を抱えた。
 それは、モモルのためなのか。
 モモルがロイドと結婚し、幸せに暮らすための行動か。
 もちろん、違う。
 妹のモモルと、婚約者のロイド。
 二人の裏切りに遭ったナーナルは、既に彼らから興味を失っていた。
 口にこそ出さなかったが、ナーナルは心中でモモルに対し「お好きにどうぞ」と返事をしていた。
 その台詞せりふは、決して負け惜しみではなく、本心から出たものだ。
 そして今、ナーナルの考えていることは、ただ一つ。
 今後どうやって生きていくのか。それだけだった。
 婚約相手の変更などという不祥事ふしょうじでナイデンとエルバルド両家の顔に泥を塗り、今までと同じようにナイデン家に居座り続けることは困難だ。
 たとえ許されたとしても、そのままではモモルとロイドの姿を度々視界に映すことになる。それはそれで面倒であり、居心地が悪い。
 だとすれば、答えは一つ。
 ナーナルがナイデン家を出て行けばいい。
 貴族の地位はなくなり、不自由のない生活を手放すことにはなるが、同時に自由を手にすることができる。そう考えていたのだが、事はそう簡単には運ばなかった。
 まずはホロワから罵声ばせいを浴びせられた。親不孝者め、恥を知れと。
 次いでベルギスからは、ナイデン家とエルバルド家、両家の名に傷を付けた責任を取るため、修道院に入るように命じられた。同時に、卒業間近の学園を去れとも。
 王都の外れにある修道院にはナーナルもこれまでに何度か足を運ぶ機会があったが、そこは牢獄のような場所だった。一切の娯楽は持ち込めず、毎日毎日決められた時間に決められたことをするだけ。想像するだけでぞっとする。
 もし、そこで一生を過ごすことになれば、ナーナルはあまりの詰まらなさに死んでしまうだろう。唯一の趣味である本とお茶を手にすることも叶わないのだから当然だ。
 とりあえずは頷き、ナーナルはベルギスに従う素振りを見せた。
 だが、その心は穏やかとはいえない。
 ナーナルが一方的に婚約を拒否しているのだから、確かにそうなるのが筋かもしれない。しかしながら事実は異なり、この件において本当に悪いのはモモルとロイドなのだ。ナーナルは被害者といえるだろう。
 それなのに牢獄に入れだなんて、たまったものではない。
 だが、たとえそうだとしても、ナーナルは好きでもない男と結ばれるぐらいなら死んだ方がマシだ。モモルのおかげで己の想いを再確認することができたナーナルは、政略結婚の道具としての役割を果たせなかったことにむしろ安堵あんどしていた。
 では、どうするのか。
 かごの中の鳥として一生を終える運命ならば、いっその事、行方ゆくえをくらませてしまおうか。
 頭の中で想像し、ナーナルは即断する。
 そうしよう、父の命に従う必要はない。
 モモルの願いを叶えてロイドは譲るが、それ以上の尻拭いをするつもりはない。
 どこか遠く離れた場所へ行っても構わないだろう。

「……はぁ、困ったものね」

 しかし、実際に色々と思い描いてみても、現実はそう甘くはない。
 ナイデン家の名の下に生きてきたナーナルは、王都から一度も外に出たことがなかった。
 ただの一度も働いたことがなければ、そもそも一人で暮らしたこともない。手元にある貴金属をお金に換えればしばらく生活には困らないだろうが、その先はどうすればいいのか。
 修道院に入る準備の振りをして、己の荷物を最低限にまとめ上げる。
 あとは行き先を決めるだけなのに、たったそれだけのことがナーナルにとっては未知の世界であり、困難な壁として立ちはだかっていた。だが、その表情はどことなく楽しそうだ。
 と、そんなときだった。
 ――トントントン。

「お嬢様、何をお悩みですか」

 軽い打音に続いて、扉の向こうから、懐かしい声がナーナルの耳へと届いた。


     ◇


 ナーナルとモモルには、それぞれ専属の執事が付いていた。
 ナーナルの専属執事の名はエレン。とある事情により、数年前まで仮の専属執事としてナーナルの遊び相手を務めながら、王都の執事学校へ通っていた。
 そこを首席、それも飛び級で卒業したことで、エレンは各貴族の家から引く手あまたとなる。
 しかし本人たっての希望で、エレンは引き続きナイデン家の世話になり、ナーナルの専属執事として正式に雇われることを選んだ。
 専属執事としてのエレンは、常にナーナルの傍にいた。ナーナルもエレンには心を許しており、他愛もない話から行きつけの喫茶店への付き添い役、書店に使いに出したり、大事な相談をしてみたりと、エレンと言葉を交わさない日はなかった。
 その日常が壊れたのは、ナーナルが十六歳の誕生日を迎え、ロイドとの婚約が正式に決まった日のことだ。エレンはその日、ベルギスから新たな命を受けた。
 今後はベルギスの専属執事として務めること。
 ナーナルとエレンは察した。
 任を解かれた理由は言わずもがな、ロイド直々の願いだからだろう。たとえそれが執事であろうとも、年頃の男が婚約者の傍を離れないというのは、ロイドとしては全く面白くない話だ。
 故にロイドはナイデン家にうったえ、ベルギスがそれを承諾しょうだくした。
 それからは、ナーナルとエレンが言葉を交わす一切の機会が失われ、その声色も忘れかけていた。

「……久しぶりにエレンの声を聞いた気がするわ」
「二年振りですからね。私の名前を覚えていてくださり、光栄です」

 冗談を口にし、けれども優しく笑うエレンと目を合わせ、ナーナルは頬を緩めた。

「エレン。わたしね、婚約を破棄したの」
「存じております」
「それでね、困ったことにお父様から修道院に入れと言われたわ」
「そちらも同じく。しかしお嬢様のことです、それは断るおつもりですよね」

 鋭い。ナーナルは肩をすくめた。
 二年前に任を解かれたとはいえ、エレンはナーナルの元専属執事だ。目線や仕草、声色だけで、ナーナルが何を求めているのか見抜いてしまう。
 そしてそれは、ナーナルがベルギスの命に従うつもりがないということもしかり。
 二年前は片時も傍を離れなかったエレンが、今再び自分の傍にいる。そして話し相手になってくれている。たったそれだけのことが、今のナーナルにはありがたかった。

「悩みの種は、すべてですね?」

 すべて、とエレンが問う。何が原因なのかを考える段階は、既に過ぎている。

「……エレン。わたしは間違ったことをしたと思う?」
「いえ、全く」

 問いかけると、エレンは即答した。その声と反応が心地よく、ナーナルは口の端を上げる。そしてナーナルの反応も、エレンが期待したものと同じだ。

「それなら、どうしてわたしは今、こんなにも困っているのかしら?」
「お嬢様がそれを望んだからでは?」
「っ、……ふふ、おかしなことを言うのね」
「理由は二つございます。一つは、お嬢様が笑っておられること」

 どうしてエレンは、そう思ったのか。理由は二つあった。

「私が知るお嬢様は、強気な方です。妹のモモル様には甘いものの、その他の点に関しては自ら率先そっせんして行動し、常に最良の結果を残されています。そんなお嬢様が、口では困ったものだと言いつつも、実際には微笑んでいらっしゃる。つまりお嬢様は、今この瞬間を、心の中では楽しまれているということになります。そして二つ目は……」
「もういいわ」

 それ以上の説明は不要だ。ナーナルは両手を挙げ、降参してみせる。
 先に述べたとおり、ナーナルのことであれば、エレンは何でもお見通しのようだ。

「二つ目がまだですが?」
「これ以上わたしに恥をかかせないで」
「かしこまりました」

 エレンは口を閉じ、こうべを垂れる。
 その姿を見たナーナルは、ふう、と一息吐いた。

「エレン。これはわたしの独り言だから、判断は貴方に任せるわ」

 きっと、初めから決めていたのだろう。
 エレンが来れば今のように、そうでなければ会いに行く。
 そしてその手を強引に掴み取って道連れにする。もちろん、エレンに拒否権はない。
 実に自分勝手な性格だと自嘲じちょうするが、ナーナルはそう思われても構わなかった。

かごの中の鳥をね、連れ出してほしいの」

 外へ逃がすのではなく、連れ出す。ナーナルはそう言った。
 そしてエレンは小さく頷き、返事をする。

「お任せください。必ずやかごの中の鳥を連れ出してみせましょう」


     ◇


 ナーナルとエレンが二年振りに言葉を交わしてから、一度目の日が昇る。
 朝食の席には、既にベルギスとモモルの姿があった。そこにナーナルとエレンが姿を見せる。

「お父様、モモル、機嫌きげんよう」
「あら、お姉様! 機嫌きげんよう!」
「……昨日の今日で、よくも顔を出せたものだな」

 元気よく答えるモモルとは対照的に、ベルギスは険しい表情を浮かべている。

「それだけが、わたしの取り柄ですので」
「ちっ、厚顔無恥こうがんむちが。そんなものは取り柄とは言わん」

 すっきりした表情のナーナルに目を向け、舌打ちを一つ。
 それも束の間、ベルギスは視線を横へと移した。

「ところで、なぜお前がそこにいる」

 言葉をぶつける相手は、エレンだ。
 エレンはベルギスの専属執事なのだから、その疑問も当然と言える。

「お嬢様が修道院にお入りになると小耳に挟みまして、僭越せんえつながらそのときまでお世話をしたいと思った次第です」
「不要だ。お前は私の執事なのだから――」
「その件ですが、実は本日限りでおいとまをいただきたく存じます」

 ベルギスの言葉をさえぎるように、エレンが告げる。

「何だと……?」
「元々、私はお嬢様の専属執事として雇われていました。その任を解かれて以降も、復職する機会を夢見て務めて参りましたが……それが叶わぬ夢となることを知りましたので」

 ナーナルのいないナイデン家には、もはや用はない。エレンはそう言っている。

「……貴様、私が主では不服か」
「どうぞご自由に解釈なさってください」
「ふん、ならば今すぐ出ていけ。貴様を雇うのは、もう止めだ」
「そうさせていただきます。この瞬間より、私の主はナーナル様です」
「っ、どの口が……」
「いいじゃないですか、お父様。きっとお姉様が望んだことなのでしょうし、わたくしはお姉様とエレンの意思を尊重したいと思います」
「モモル、しかしだな……」
「それにわたくし、今日はとっても忙しいのです。学園終わりに先方にお邪魔して、お姉様がロイド様との婚約を破棄する旨をお伝えし、わたくしが代役を果たす許可を得なければなりません。ですから、些細ささいなことに構ってなどいられませんわ。その代わりと言ってはなんですけど、エレンはお姉様が修道院に入る姿をしっかりと見届けてください。それでこのお話はお終いです。ふふっ」

 意地悪そうな笑みを浮かべ、モモルは食事を再開する。
 そんなモモルに対し、ナーナルが口を開く。

「モモル、今日も一緒に登校してくれるかしら」
「? ええ、当然ですわ。だってわたくしたちは仲良し姉妹ですもの。お姉様が修道院に入るまでは、ずっと一緒に居ますわ」
「そうよね、わたしたちは仲良し姉妹だものね」

 心にもないことを口にするモモルと、冷めた目を向けるナーナルは、はたから見れば仲良し姉妹なのかもしれない。
 だがそれもここまでだ。
 モモルはまだ、ナーナルとエレンの企みに気付いていなかった。


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