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外伝 男爵令嬢はやり直したくはない
糸杉の男爵屋敷で
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燃え盛る王宮の回廊を、レミはひとり逃げ惑っていた。
クロードは敵の手にかかるまえにと、毒を飲み自害した。レンブラント宰相は、レミを最後まで怒鳴り続けていたが、あっという間に焔に呑まれた。
その最期の姿を、レミは覚えている。そして自分もまた、あの瓦礫の積み重なる、かつての市街地で死んだのだ。
目をさませば、かつて使っていたクララベル男爵邸の、質素ではあるがきれいにととのえられた部屋のベッドのうえ。
『悪夢をみたと、錯覚してしまいそうだわ』
レミは起き上がり、両手を握り、再びひらいた。そこに握っていたはずの王冠はない。それどころか、と数日前の公爵邸での晩餐会を思い出す。
かつて、まだクララベル邸に住んでいた頃のレミはクロードやクロードと親しい令嬢令息と親しくしていたはずだった。
それゆえに社交界では誰もがレミを知っていたし、ときにはやっかみや、謂れのない中傷にも遭った。
そんなとき、クロード達はけしてそれを赦してはおかなかったし、最後にはその元凶であるアイリス・マリアンナ・レイノルズ公爵令嬢を、見事成敗してくれた。
だが、あの日は全く様子がちがったのだ。
「大丈夫かい?」
優しくクロードが庇ったのは、アイリスだ。
「彼女はつかれているようだ、失礼させてもらうよ」
そういうなりクロードはレミには一瞥もくれず立ち去った。アイリスはそんなクロードにそっと寄り添い、二人の間には、はいりこめない透明な殻でもあるようにすら見えた。
ふう、とレミはため息をついた。屋敷に戻ってからも、2、3日は混乱し、ベッドのなかで震えて過ごした。
数日が経ち、徐々に気持ちが落ち着くと、レミは起きたことを紙に書き付け始めた。
『まず、ここは王宮が燃える前の、私の過去ではないってことだわ』
と、レミはノートにまた書き付ける。
『ルーファス・オリバーはこのままゆけば、来年には公爵になるってことだわ。だとしたら、レンブラントは宰相にはなれない』
これはいいことだわ、とレミはため息をついた。
あんなに優しくしてくれて、レミはレンブラントを心から慕っていた。努力によって地位を取り返した、素晴らしいひとだとおもいこんでいた。
『でも、結局あれは、全て自分のためだった。それに、あの男が無理な税の取立てかたをして、北領をうしなったのだわ。』
ノートにむかいあっているうちに、レミは気づいた。
「レイノルズ公爵が鍵になっているのだわ…」
レミとクロードたちがレイノルズ邸に気を取られている間に、南領では小領地の貴族や、犯罪者の集団がクーデターを準備していた。
そして、ルーファスの勢力となった北領はレイノルズ公爵領だ。
ふうっ、とレミはため息をついた。
『私が王妃にならず、レイノルズをあの男に渡さなければ、戦争は起きなかったのだわ』
自分のせいで戦争が起きたなら、今、ここにいる理由も分かる。
あの時の願いが、自分をここへ導いたなら、自分がやるべきことは、ただひとつだけ。
「戦争を、回避しなくては」
だけど、とレミは窓の外を見た。鈍色の空からは、今にも雨がふりだしそうだ。手入れのされていない庭に立つ、育ちすぎた糸杉が、ゆらゆらと幽鬼のように風にふかれている。その影だけが、レミの部屋の窓に映っていた。
『仲間もいない、殿下も頼れない…いっそ、お義父さまに…なんと相談したらいいかわからないわね』
義父である男爵を、レミはほとんど知らなかった。
男爵がレミの母と結婚し、男爵家の婿になったときにはもうレミは産まれており、名目上はこの家の主人となってはいるものの、レンブラントが訪ねてきたときには末席についており、レンブラントがどんなにこの家で偉そうに振る舞おうとも、何の抗議もしない。
『何故、皆、レンブラントの言いなりなの?』
母のほうも、以前と同じ。自分を幸せにしてくれるのは男と信じて疑わず、なにもかもを人任せにして待っているだけ。
「……それじゃ駄目なんだわ」
ノートに書き付けられた、いくつもの名前。レミはそこに、くるりと丸をつけた。
「大丈夫、殺されはしないはず」
そう言って、レミは両手をにぎりしめた。
クロードは敵の手にかかるまえにと、毒を飲み自害した。レンブラント宰相は、レミを最後まで怒鳴り続けていたが、あっという間に焔に呑まれた。
その最期の姿を、レミは覚えている。そして自分もまた、あの瓦礫の積み重なる、かつての市街地で死んだのだ。
目をさませば、かつて使っていたクララベル男爵邸の、質素ではあるがきれいにととのえられた部屋のベッドのうえ。
『悪夢をみたと、錯覚してしまいそうだわ』
レミは起き上がり、両手を握り、再びひらいた。そこに握っていたはずの王冠はない。それどころか、と数日前の公爵邸での晩餐会を思い出す。
かつて、まだクララベル邸に住んでいた頃のレミはクロードやクロードと親しい令嬢令息と親しくしていたはずだった。
それゆえに社交界では誰もがレミを知っていたし、ときにはやっかみや、謂れのない中傷にも遭った。
そんなとき、クロード達はけしてそれを赦してはおかなかったし、最後にはその元凶であるアイリス・マリアンナ・レイノルズ公爵令嬢を、見事成敗してくれた。
だが、あの日は全く様子がちがったのだ。
「大丈夫かい?」
優しくクロードが庇ったのは、アイリスだ。
「彼女はつかれているようだ、失礼させてもらうよ」
そういうなりクロードはレミには一瞥もくれず立ち去った。アイリスはそんなクロードにそっと寄り添い、二人の間には、はいりこめない透明な殻でもあるようにすら見えた。
ふう、とレミはため息をついた。屋敷に戻ってからも、2、3日は混乱し、ベッドのなかで震えて過ごした。
数日が経ち、徐々に気持ちが落ち着くと、レミは起きたことを紙に書き付け始めた。
『まず、ここは王宮が燃える前の、私の過去ではないってことだわ』
と、レミはノートにまた書き付ける。
『ルーファス・オリバーはこのままゆけば、来年には公爵になるってことだわ。だとしたら、レンブラントは宰相にはなれない』
これはいいことだわ、とレミはため息をついた。
あんなに優しくしてくれて、レミはレンブラントを心から慕っていた。努力によって地位を取り返した、素晴らしいひとだとおもいこんでいた。
『でも、結局あれは、全て自分のためだった。それに、あの男が無理な税の取立てかたをして、北領をうしなったのだわ。』
ノートにむかいあっているうちに、レミは気づいた。
「レイノルズ公爵が鍵になっているのだわ…」
レミとクロードたちがレイノルズ邸に気を取られている間に、南領では小領地の貴族や、犯罪者の集団がクーデターを準備していた。
そして、ルーファスの勢力となった北領はレイノルズ公爵領だ。
ふうっ、とレミはため息をついた。
『私が王妃にならず、レイノルズをあの男に渡さなければ、戦争は起きなかったのだわ』
自分のせいで戦争が起きたなら、今、ここにいる理由も分かる。
あの時の願いが、自分をここへ導いたなら、自分がやるべきことは、ただひとつだけ。
「戦争を、回避しなくては」
だけど、とレミは窓の外を見た。鈍色の空からは、今にも雨がふりだしそうだ。手入れのされていない庭に立つ、育ちすぎた糸杉が、ゆらゆらと幽鬼のように風にふかれている。その影だけが、レミの部屋の窓に映っていた。
『仲間もいない、殿下も頼れない…いっそ、お義父さまに…なんと相談したらいいかわからないわね』
義父である男爵を、レミはほとんど知らなかった。
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『何故、皆、レンブラントの言いなりなの?』
母のほうも、以前と同じ。自分を幸せにしてくれるのは男と信じて疑わず、なにもかもを人任せにして待っているだけ。
「……それじゃ駄目なんだわ」
ノートに書き付けられた、いくつもの名前。レミはそこに、くるりと丸をつけた。
「大丈夫、殺されはしないはず」
そう言って、レミは両手をにぎりしめた。
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