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令嬢は甦る

バロウズの迷宮

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季節ではないはずの薔薇の迷宮。むせ返るような、強い薔薇の芳香。方向感覚を失わせるような、どこまでも同じ平らな芝の地面。夕暮れ時だったはずなのに、青い空には雲ひとつなく、しかし太陽もみえない。時間の感覚さえおかしくなってしまいそうだわ。

普通の迷宮ではなく、バロウズのつくった異世界…まさか、ここへ閉じ込めて飢えさせて、私が泣きつくのを待つつもり?私は唇を噛み、あたりを何度も見回した。でも、出口の手がかりになりそうなものはない。

「落ち着いて、アシュレイ嬢。なにか策があるはずだから」
レイモンド様が、芝にすわって言った。着ていた上着を地面にしき、私に座るよう促してくる。
「一緒に考えよう」
手を差しのべられて、私はその手をとった。見た目よりしっかりした、骨ばった男の人の手。でも、その手が冷や汗ですこしだけひんやりしているのに気づいてしまった。
「レイモンド様…大丈夫、かならず出られますよ」
私に言われて、レイモンド様は赤くなった。
「すみません、情けない奴とお思いでしょう…あなたの義兄あに上なら、こんなときもっと頼りになるのでしょうが」
どうかしら?と私は思う。
「怒り狂ってそのあたりの薔薇をなぎ倒しそうではありますけど。この迷宮でそんなことをして、タダで済むとはおもえないわ」
青筋をたてて暴れまわるお義兄様を思い浮かべて、クスッと笑ってしまう。そういえばミルラのことも、私とマリアを入れ換えた、とかで見えもしないのに睨み付けてたわね。まあ、無理だったけれど。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しばらくの休憩のあと、私たちは出口を求めて少し歩いた。その間に、レイモンド様に経緯を説明する。
「…そうか、殿下と一緒にいたお嬢さんは人間ではなかったのか。それは怖い思いをしましたね…1人でよく、がんばったんですね」
優しく言われたときには、本当に泣きそうになった。以前なら優しく頭も撫でてもらえたかもしれないけれど、妹でないとわかった今は、いわゆる社交的に問題ない距離までしか、近づいてこない。それを寂しく思うのは、レイモンド様をお兄様として慕っているからかしら?

気を逸らそう顔をあげると、生け垣の白いつるバラが目にはいった。そういえばミルラはずっとうちの庭のつるバラの茂みでねむっていたわね。

「…!そうだ、これがつかえるかもしれません!」
ミルラをおもいだしたところで、私はバッグに入っていたミルラの革袋を取り出した。あの日、ミルラに手渡されたものだ。中にはミルラの鱗粉が入っている。

人間の世界では、幻覚を見せる位しかできないといっていた妖精ミルラの鱗粉。だけど、ここではなにか変わるかもしれない。
「…これ、沈薬?」
鱗粉の香りを嗅いだレイモンド様が、つぶやいた。
「気付けの香か、ここが本当に幻なら、もどれるかもしれない」
そういって、煙草の巻き紙を取り出して鱗粉をすこしだけ紙に巻き、火をつけた。いつも優しげなレイモンド様が、紙巻きたばこの巻き方を知っていることにすこしだけ戸惑う。レイモンド様がまた少し、遠くに感じる。

ゆっくりと、煙がそらへとのぼってゆく。からいような、甘いような、花の咲く茂みにいるときのような、優しい薫りがする。
「《アシュレイ!こっちだ!》」
どこからかミルラの声がして、私はレイモンド様の手をひいて歩きだした。
「……なにか、みえたの?」
レイモンド様に尋ねられてうなづいた。
「声がきこえたんです」
レイモンド様は、そう、と頷いてそれ以上なにも言わずについてきてくれた。

「《まっすぐ、まっすぐだよ、あと少しだ》」
ミルラの声に導かれて、私は進む。やがて、暗闇にむこうが見えない薔薇のアーチが見えてきた。
「……暗くてなにも、見えないわ」
私が足を止めると、レイモンド様が私のそばへ立った。アーチのむこうは真っ暗で、足元さえみえない。もし、バロウズの罠だったら…暗い海や崖に二人で落ちるかもしれないわ。

「アシュレイ嬢?」
レイモンド様はこんなときでも優しい声をしている。どうしよう、もし罠なら、私のせいでレイモンド様が命をうしなうことになるの?そんな、恐ろしい…
「行こう、アシュレイ嬢。行ってみるしかないよ」
繋いでいた手をひかれて、アーチをくぐった。

◇◇◇◇◇◇◇

ごうっ、とまた強い風が吹いて、レイモンド様の持っていた火のついたミルラの鱗粉が空へと運ばれていく…いえ、ちがうわね。あれは夜空の、星?

「やあこんばんは、レイモンド君。それから…カーラントベルク令嬢だね?」

聞き覚えのある声に驚いて上を向いていた顔を戻すと、お義父様がつるバラの茂みの側に立っていた。
「あれ?ここ、は…」
レイモンド様も訳がわからないという風にキョロキョロしている。

何故私たちはキンバリーの屋敷の庭に出たんだろう?というか、どれくらい時間がたっているの?
「アシュレイとテオドアなら先程家に戻ったところだが、会っていくかい?」
お義父様は不思議そうにはなしかけてくる。お義父様は私とマリアの入れ替わりをご存知ではないのかしら?お義兄様が全部話したとおもっていたのだけれど。

「いえ、二人とは先ほどまで一緒にいたんです。帰ろうとしてどこをどう間違えたのか…すみません、お休みのところ。…ああ、つるバラの手入れですか?」
レイモンド様が上手く取り繕うと、お義父様は目をほそめた。
「これは亡くなった奥方様が大切にしていた薔薇なんだ。アシュレイが面倒をみていたんだが、最近は色々あっただろう?」
持っていた鋏を見せて話しているお義父様は、とても数日前に騎士団宿舎に乗り込んでひと暴れした人物には見えない。

「カーラントベルク侯爵家のおかげで娘は随分と元気になった。本当に感謝している」
鋏をおき、お義父様は私たちのほうへむきなおった。
「お嬢様をとても大切になさっているんですね」
レイモンド様がちらりと私のほうをみた。大丈夫、ちゃんと聞いてますわ。ちょっと気恥ずかしいけど。

けれど、お義父様の顔色は冴えない。
「いや…どうだろうか?亡くなった公爵閣下の命を承けて、たかが男爵だった私はなんとかこのキンバリー家を保つことだけを考えてきた。奥方様が亡くなったあと、遺された姫を臣としてお支えしてきたつもりが、あのような愚にもつかぬ皇子にめあわせようとするとは。…最近はもはや少しも寄り付かせては貰えなくなってしまった。それもこれも、私の不徳のいたすところだ」

一気に話したあと、深いため息をついて煌々と明かりの灯る屋敷を見る。
「きっと」
私は思わず、声をあげた。カーラントベルク家のマリアなら、何も言わず立ち去るはず。でも、お義父様をこのままにしては行けないわ。
「きっと、アシュレイ様は寂しかったと思いますわ。臣としての支えより、義理とはいえお父様としての愛情を欲していたのではありませんか?」
呪いのせいで、それを表すのはきっと無理だったでしょうけど、だからこれはただのわがままね。お義父様に、面と向かっては一度も言えなかったわがままを、マリアの姿を借りて言うなんて。私なんて悪い娘なんだろう。

「貴方にとってキンバリーの後継者でしかなかったんですか?アシュレイ様は」
「まさか!あれほど美しく、聡明で、清らかで、愛らしい娘はいない。あの子が幸せになれるなら、私はなんだってするさ」
そうですか、とレイモンド様がうなづいたのは、私が涙ぐんでいるのに気づいてお義父様の視線を逸らすためだったのだと思う。

「いまからでも遅くはありませんわ。正直な胸のうちを話し合うべきなのです」
私が涙をぬぐって話しかけると、そうか、そうだな、とお義父様は頷いた。
「ありがとうカーラントベルク令嬢。アシュレイは良い友人をもった」
鋏を拾い上げ、お義父様は私達に頭を下げた。そうして私達も今度こそ、帰路についたのだった。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
そうしてお義父様を焚き付けた翌日の放課後、私はお義兄様と二人で庭に出て昨晩の話をしていた。

「やっぱり門はとじていますね」
私がアーチを見上げると、お義兄様も同じようにアーチを見上げる。
「そうか。もし開いていたとしても1人では中には入らないようにな…お前は時々無謀だから」
そう言ってちらりと私をみおろした。どこか痛そうな顔に、また例の頭痛かしら?と心配になる。

ちょうど私のところからだと、長い睫毛が目にかかるのが見える位置だった。濡れ羽色の長い睫毛が深い紺碧の瞳にかかって素敵だわ。やっぱりお義兄様は、怖いことさえ言わなければ本当に顔がいい。
いつまでも見ていられるわ…。

じっくり観察していると、コホン、と咳払いをしてお義兄様がはなれた。いやだ、私ったら男性の顔をしげしげ眺めるだなんて。あわてて庭のほうへ目をうつした。懐かしい、お母様と手入れしたキンバリー邸の庭だった。

「アシュレイ、皇宮に行くまえに、お前にきいておきたいことがある」

お義兄さまが、がちゃ、と宝剣をならして私にむきなおった。



        
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