上 下
3 / 20

03 賢者の来訪

しおりを挟む

 その老人の格好は分厚いローブの裾を地面に擦ってボロボロになっており、少し汚い様子であった。白く長いヒゲもどこかくすんでおり灰色になって見える。
 しかしその声はとても穏やかに耳に届き、司は怪しむ事なく受け答えをした。

「僕は‥‥泣いてないですよ。黒髪をからかわれて物思いにふけっていただけですから」

 その落ち着いた口調の言葉を聞いた老人は珍しい漆黒色の髪に遭遇した事よりも、年端のわりに言葉遣いがとても丁寧なことに驚き、そして感心した。

「そうか、君がカツミ君の子か。ホホホ、強がり方がまるで彼女とそっくりじゃな」

 今度は司の方が驚き、声の主をジっと見つめた。
 ひげに加えて眉毛も長い老人であり表情が読み取りづらいが、わずかに見える目の瞳からは優しさが感じ取れるものであった。

「お母さんを知ってるの?」
「ああ、ワシは彼女や他の転移勇者と共に旅をした仲間じゃからのう」

「え‥‥と、じゃあおじいさんも元魔王討伐組?」
「ああ、お前さんの母とは一緒に戦った戦友‥‥いや、何度も死にかけながらもお互いを救い合った恩人同士じゃな」

 壮絶な戦いの最中、勇者達は死と蘇生を繰り返し、その体験が彼ら彼女らの髪を白くさせていた。目の前の老人も、ただ年老いて白くなったのではなくその体験が及ぼした影響もあったのだろう。

「お前さんの母親は勇者でありながらも賢者としてワシの知識を組み込んだ技術を様々に生み出していてのう。今回も研究結果を見に来たのじゃが、お前さんを見て分かる。どうやらムリせず健康でいるようで何よりじゃ」

 司の母も頭髪だけでなく肌も色白で弱々しくある。
 これまで訪ねてきたどの勇者も髪を白くし、体中に傷を残し、過酷な目にあっていた事が見てとれていた。

 しかし共通していたのは、みな黒髪の司にとても優しく接してくれた事である。

「お話聞かせてください!母はいま王国街にいる機匠師の所に行ってて留守で居ませんから」
「ホホホ、その工務店で待ち合わせていてこれから向かう所なんじゃよ。‥‥でもまあいいじゃろ。どれ、なんの話が聞きたいのじゃ?」

 司の表情はパアっと明るくなり、いくつもの聞きたい事を頭の中で巡らせた。
 母親とはこれまで多くの旅を共にしていろんな驚きを体験させてもらっている。

 七色に模様変わりする天鳥との出会い、上空に浮かぶ雲のさらに上に存在したいた城の残骸、ある場所だけで見ることが出来る二つ目の衛星の月。訪ねてくるドワーフや亜人達からもこういった話を聞けることが多かった。
 だが司はここで、最近最も感心を寄せているものを指定する。

「魔法の事を知りたいです!その‥‥できれば見せもらいたいですけどいいですか!?」
「ほお、意外とありきたりなお願いじゃの」

 てっきり魔王や天竜との戦いの話をリクエストされると思った老人であったので、その平凡な要望に驚いた。

「母さんからこの先、魔力は世界からどんどん失われていくからって魔法に頼らせないようにしてきてるんです。だから見る機会が少なくて」
「魔界の扉が閉ざされたからのう。これから価値もなくなっていくじゃろうて。それでもお主は魔法が好きなんじゃな?」

「はい!だって魔法なんですよ!?」
 目をキラキラとさせている少年に老人はさらに笑った。

 黒髪に生まれた少年が、地球からの転生者である事を老人は知っている。
 だがここにいるのは本当に純粋に、この世界のファンタジーを夢に描いている若き冒険者の卵であったため、その先入観は払拭された。

「わかった。じゃあとっておきを見せてやろう」

 老人は手を大きく広げ、詠唱魔法を唱えて見せた。

「ζμЖЬйяをわが魔力を以て制御する。£§¤µ∞∇‡ζμЖЬйя」

【ハイウィンド】

 聞き取れないような言葉を老人が発すると突如、二人を中心に旋回する強い風が生まれた。

「うわわわ!」

 その風は次第に勢いを増し、小さなトルネードにまで発展する。
 それはまぎれもない風魔法であった。

 次に老人は懐から袋を取り出し、中から花びらのようなものを掴んで放り投げる。
 するとトルネードの中を、花びらが周り司の周囲をクルクルと舞い上がっていく。
 風が弱まると、まるで色鮮やかな花吹雪の舞いがベールのように包まれていくようであった。

「わあ、すごい!!」
「この花びらは虹彩花といって、風に舞っていくと花を開かせて、その彩で生き物を呼び寄せる植物なんじゃ」

 虹彩花の花弁は折り畳まれているように収縮されていたが、風に吹かれる事でその形を大きく広げていく。そこには多種多様な色のグラデーションが隠されており、司の視界いっぱいを美しく彩っていった。

 老人はそれに留まらず勇者の息子のためにと、とっておきの魔法をさらに紡いだ。
 またしても複雑そうで、決して聞き取ることの出来ない詠唱魔法を口にしながら、それと同時に指でも魔法紋を描き始めていく。

【レイダストウォータ】【デイブレストヒーツ】

 対極魔法である水と火を連らねた二属性を同時に発動する。
 そして上空に残していたトルネードと結合し、属性変化を重ねていった。

 それは光と轟音を伴う特殊属性魔法。

 司はビリビリとした空気を皮膚に感じはじめる。
 上空で発生した黒い水蒸気の中でまばゆく光る閃光に視界をひるませた。

「勇者によって発明された新たな属性、【雷魔法】じゃ」

 地球の知識をもとに考案されたこの属性は四大元素である火水土風のうち3つを混合させる事で誕生し、勇者創造の魔法として人々から象徴される魔法現象であった。しかし激しく光続ける雷閃は舞っている花びらに触れると、美しかった彩りを無惨にも黒く焦がしていく。

「ああ‥‥花びらが‥‥」

 魔法を唱え終えた老人は腕を下ろし、司に向けて言葉を放った。

「これが魔法じゃよ」

 美しかった周りの花びらは光の閃光が突き刺さり、すべてを灰へと変えて散っていった。

「使い手の意思ひとつで世界を黒く染める事だって出来る。自然と調和して生きる者には恩恵を、しかし人を妬み怨んで生きる者には破滅を呼び込むじゃろう」

 暗黒時代に魔王との戦いに向けて様々な技術が開発されたが、そのほとんどが戦闘魔法であった。
 敵を滅ぼすため、髪を白くさせてまで大魔法を放ち続けた勇者達。
 その過去を司が直接見る術はないが、彼ら勇者達の思いが老人を介してひしひしと伝わってきた気がした。

「光の裏には闇が必ずある。それらをひっくるめて幻想のひとつひとつは存在しているのじゃ。お主にはそれが受け止められるかの?」

「‥‥わかりません。‥‥でもそれを知るべきだと思っています。僕は‥‥魔法の事を、もっと知りたいです!」

 老人はその言葉を聞きニコリと笑った。
 そして懐に入れた麻の袋から一粒の硝子で出来た珠を取り出す。

「魔法は手段でしかない。けれどもお主が望む世界を作り上げる手助けとなってくれるじゃろう」

 その珠には老人が魔法を発動した時に空中で描いていた紋章と同じ字体が刻まれている珠であった。

魔術紋ルーンを刻んだ紋唱珠じゃ。魔力を流し込むだけで詠唱も描紋陣も必要とせずに魔法が発動出来る便利な代物じゃよ」

「魔法技術がなくても使えるの?すごい!でも魔力が使えない僕でも使えるの?」
「大丈夫じゃ。お主の中に魔力は存在しておる。でも気をつけるのじゃぞ? 魔力は大気から失われているからもう補充はロクに出来ないからな」

「やったあ!これでさっきの雷魔法も使えるの?」
「あれは風と水と炎の混合。これは風の紋唱珠だけじゃ」

「揃えれば使えるんだね!」
「ああ。ワシでは花びらを焦がすだけの真似事しか出来ないがな。勇者の子であるお主なら出来るじゃろう。だがまずは体に流れる魔力の流れを感じる所からじゃ。頑張るとよい」

 そう言って老人は司の頭に手を置き、クシャっとなでた。
 そして別れの挨拶をかわしたあと、母の克美と会いに王国街のある方向へと歩いていく。

 司は老人の後姿を見送るとき、彼の片足が不自由なのか少し引きずりながらゆっくりと進んでいるように見えた。

「今日研究成果を見せるって言ってた大事な人って、あのおじいさんなんだろうな」

 一歩一歩しっかりと地面に足をつけて歩いている姿がどこか力強い印象を与えてくる。

 母やその仲間達である勇者達とはこれまで少しだけ出会った事があり、彼らへの憧れを心に持っていた司。
 雷属性というものが元勇者である彼らとの繋がりのようなものに感じられ、その体得に向けて頑張ろうと心に決めた。


----------------------------------------

 翌日から早速、司は風の紋唱珠を使った魔力制御の特訓を始める。

 もらった紋唱珠は手で握り締めても何も起きず、筋力以外の感覚を体の中から探っていく必要があった。そのため自分の内側に向けて意識を集中させていく。
 全身に巡っている血管や神経。その経路に近い別の感覚を誇張して捉えようとした。

 この異世界で過ごす生物全てに備わる魔力経絡まりょくけいらく器官の知識は母から聞いていた。そこからは血液とは違う、別の脈動を感じ取る事が出来る。
 老人の言っていた魔力の流れ‥‥それを感じ取ると指へと集約させて珠へ流し込むイメージを持つ。すると、珠からわずかな風が吹かれてきた。

「やった!成功した!」

 すでに3回のうち1回は成功するくらいに魔力の制御が出来るようになっていた。
 風力そのものは弱いものだがそれは前世にはない感覚で、自分の意思で風を起こす事が出来る事に楽しさを覚える。

 次第に小石程度なら浮かす事が出来るようにもなっていて、木の枝や紙くずを任意の方向へ飛ばして遊んでいた。

 コツン
 しかしそれが運悪く道行く人に当たる。

「いって、なんだ?‥‥おい誰だ!」

「あ‥‥ダル君!?ご‥‥ごめん!」
「てめえ、ツカサか!黒妖精もどきのくせに俺に向かってゴミを投げやがったな!?」

 顔見知りの少年はこの辺りで力自慢を誇り、ガキ大将を張っている子供であった。
 黒髪の司を率先して仲間外れにする主体者でもあり仲の悪い間柄である。

「ごめん。わざとじゃないよ、わわ!」

 ドンッ、と有無を言わさず張り倒してきた。

「この前の乗り物の事だって許してないからな!今度やったらタダじゃ済まさねーぞ!」

 司は突き倒されて尻もちをつきながらも、しかしその態度に驚いた。
 いつもなら倒してきたあとに足で踏みつけたり、ひどい時には石炭のクズを吹っかけてきて全身を黒染めにしてくる事もあったのだが、今日はそれらもなく大人しくてしおらしい。

「ダル君、なんだか元気がないね。どうしたの?」
「な‥‥!なんだよ!関係ねえだろ!」

「見るからに意気消沈しているからさ」
「おまえ‥‥俺達に散々痛い目合わされてるのに気遣いなんてしてくるんじゃねえよ!」

「まあ嫌ってくる理由はわかるし仕方ない事だから」

 この世界の人間の黒髪に対する嫌悪感はもしかしたら遺伝子レベルで刻まれた拒否反応にも思えて司は諦めていた。

「今日も石炭を運んでないね。炭坑は休みだったの?」
「採掘している人が戻ってこないんだ。だから運ぶものがないんだよ」

 司より年上でガタイも大きいはずのダルは、肩をすくませているせいでひどく弱々しく、顔を下に伏せてしまった。

「戻ってこないって、まさか事故?ダル君のお父さんは無事なの?」
「うるさい!お前には関係ねえだろ!」

 どうやら図星だったようで、出稼ぎに出かけている村人に問題が起きていたようだった。この村では農業が主流だったが都市で石炭の需要が高まり、山を開拓して炭坑から石炭を発掘する副業でこの付近の人は豊かになっていたのだ。

「この村の人が困ってるなら放っておけないよ」
「オマエみたいな子供になにが出来るっていうんだ。それに炭坑は貴族達が管理してるんだから近づけねえよ。大人に任せるしかないんだよ」

 ダルは当然のように炭坑の様子を探ろうとしたのだが、資源採掘のために厳重な管理をされているため肉親に一大事が起きても近づかせてももらえなかったようであった。

「例え入れたとしても、力のない子供に出来ることなんてないだろうが」

 その目ににはうっすらと涙が浮かびあがっていた。
 もともとは五人兄弟の長男で面倒見の良い少年である。だからこそ大黒柱の父親になにかあったらと誰よりも心配をしているのである。

「そんなことはないよ。僕らにだって出来る事はきっとあるさ。それに僕はとっておきを持っているんだよ」
 司は覚えたての魔法で道端の石ころのいくつかを浮かせて見せた。

「な‥‥なんだよ‥‥それ‥‥!」

「へへへ!魔法だよ!腕力に依存しない力だから手伝える事はきっとある。子供だからって大人に負けないよ」
「おまえってやっぱり黒妖精だったのか!」

「違うって。へへ、でも炭坑ってどんな所なんだろ。楽しみだな!」

 覚えたての魔法の力を頼りに、司は村人の子供のダルを連れて炭鉱の捜索を手伝う事にした。

 しかしその中は魔物のはびこる巣窟に繋がっていたため、魔族滅亡後に生まれた新生ダンジョンへと迷い込むこととなっていく。


 


しおりを挟む

処理中です...