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あの時と同じように私は下を向いて歩いていた。
パーティー会場に入ると、既に終幕が近づいているようで、壇上で閉めの言葉が紡がれていた。

会場の隅に移動すると、私は影に溶けるように身動き一つしなかった。
やがて話が終わり、会場が拍手で包まれる。
貴族達が名残惜しいように談笑しながら、会場を後にしていく。

その人波を見つめながら、私の意識は再び過去へと遡る。


「今日は二輪もらえるかな」

父と一緒に再び城へと行くと、やはりあの青い髪の青年がいた。
彼は今度は銅貨二枚を手に持っていた。

「二輪ですね。薔薇でよろしいですか?」

「ああ。よろしく頼む」

応対をした私は、父が切った二輪の薔薇を手に取る。
銅貨と引き換えにそれを彼に渡すと、彼は嬉しそうに口角をあげた。

「先週買ったのが評判でね。皆の気持ちがだいぶ落ち着いたよ」

周囲を見渡すと、城の復旧作業に尽力する彼等の顔は、確かにどこかすっきりしたように見える。
一輪の薔薇でそこまで変わるのかと驚いた。

「そういえば君、何ていう名前なんだい?」

「え? 私ですか? イザベルですけど……」

「そうかイザベル……僕はアレクシスというんだ。また来週も買いたいのだが、来てくれるかい?」

「えっと……」

父を振り返ると、大きく頷いていた。
私はアレクシスへと顔を戻してはつらつとした声で言う。

「来週も来ます! 楽しみにお待ちください!」

「ああ。待っているよ。薔薇も君もね」

少しだけ期待させるような言葉に、胸の鼓動が早まる。

「で、では失礼します……!」

それがバレるのが恥ずかしくて、私は慌てて帰り支度をした。

それから一週間に一度、私はアレクシスの元を訪れて薔薇を売った。
城は日を増す毎に復旧していき、三か月経った時には、大分元の形を取り戻しているようだった。

「今日は百輪欲しんだ」

この国に来てから四か月が経過していた。
その日のアレクシスはどこか身綺麗な恰好をしていて、金貨を一枚持っていた。

「えっと……聞き間違いでしょうか……本当に百輪ですか?」

「ああ、百輪だ」

父に顔を向けると、首を横に振られた。
やはりそうだ。
私たちが持っているのは四十輪までで、百輪にはとても足りない。

「ごめんなさいアレクシス様。百輪はとても……」

「いや、あるはずだ。それを君への愛の証としたい」

「え?」

意味が分からず固まった私の横から、父の手が伸びて、薔薇の花束をアレクシスへと渡した。
父は私を見てニヤリと口の端をあげる。
そういえば、先週父とアレクシスがこっそり何かを話していた。

「イザベル。僕の妻になってくれないかな。君のことを愛しているんだ」

「え……え?」

アレクシスから薔薇の花束が差し出される。
急な告白に体温が急上昇して、顔が溶けてしまうほどに熱い。

「私は……いや、私も……」

手を伸ばし、薔薇の花束を受け取る。
アレクシスを見上げて、私は叫んだ。

「私もあなたが好きです!」

周囲から歓声が上がった。
どうやらアレクシスの告白はこっそり衆人環視に晒されていたらしい。
アレクシスの体が迫り、私をぎゅっと抱きしめた。
視界の隅で父が涙を流していた。


「まるであの時の人波のようね」

パーティー会場から出て行く貴族達を見つめながら、過去の思い出に浸っていた。
もう戻ることはできない、シャンデリアのように煌々と輝く思い出に。

人波が大分落ち着いてくると、アレクシスが会場へと入ってきた。
私を見つけ、慌てたように駆け寄ってくる。

「お待たせイザベル。えっと……パーティーはもう終わっちゃったみたいだね。ごめん、友人と話が盛り上がっちゃってさ」

「……」

盛り上がったのは話ではないだろうに。
アレクシスの首筋にキスマークのような赤い傷がついているのは、私の気のせいだろうか。

「本当にごめん。その代わりさ……」

アレクシスの手が伸びて、私の茶色の髪に触れる。

「今夜はいっぱい愉しもう。君を寝かせないよ」

瞬間全身に鳥肌が立ち、気づいたらアレクシスの手を払っていた。
心臓が嫌悪感で鼓動を早め、一歩後ろに下がった。

「イザベル。どうしたんだい? そんなに怒っているのかい?」

アレクシスが再び私に何かしようと距離を詰めてくる。

「来ないで!!!」

咄嗟に私は叫んでしまった。
会場に他に人がいないのが幸いだった。
アレクシスは「何かあったのかい?」と心配するような声をかけてくる。
それすらも嫌に思えて、私は彼を睨みつけた。

「い、今思い出しました……」

「は?」

「フローラって……隣国の王女様ですよね?」

「え……」

アレクシスの顔が真っ青になり、岩のように固まる。
しかしすぐに取り繕ったような笑みを浮かべると、唇を開いた。

「何を言っているんだい。確かに隣国のフローラ王女は存在するよ。でも彼女がなんだというんだい。もしかして今日来ていたのかな?」

「とぼけないでください! 今までずっと一緒にいたのでしょう!」

怒りの咆哮を挙げると、アレクシスの顔色が更に悪くなる。

「イザベル。変なことは言うもんじゃないぞ。誰かに聞かれたらどうするんだ」

「否定はしないのですね」

「いやいや、もちろん否定はするさ。僕とフローラ王女がどうして一緒にいるんだい? そんなことあるわけがないだろう。彼女の姿すら今日は見ていないのだし」

「そう……じゃあ今日はどのご友人と会われていたのですか?」

「え……」

アレクシスが顔を横に逸らし、頭をかきながらこたえる。

「えっと……ジェイクだよ……伯爵家の」

「そうですか。ではジェイク様に確認させて頂きますね」

「おいおい。本当にどうしたんだよ。そんなこと何の意味もない……」

と言いかけてアレクシスは言葉を止めた。
私の鋭い目つきに怯んだからだった。

「私は見たのです。あなたがフローラ王女と不倫をしていたのを」

「……」

アレクシスがごくりと唾を呑み込むのが分かる。
彼は少し間を置いてから、ため息交じりに言葉を返す。
怒ったような目と共に。

「不倫なんてしていない」

しかし次の瞬間、ニヤッと意地の悪い笑みを浮かべた。

「彼女こそが本命だからね」

「え……」

アレクシスの顔が悪魔に見えた。
彼はそのまま、冷たい声で続ける。

「平民の君にはどうしようもないのさ。これからも僕の妻を演じてくれ。フローラと結ばれるその日までね」
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