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「第二夫人に価値はない」

アイクの冷たい言葉に私は固まってしまう。
それは結婚一日目の、よく晴れた日のこと。


……二時間前。
馬車の揺れに合わせて、私の栗色の髪がふわりと踊る。
高位貴族が住む、街の中心街に来たのは久しぶりで、馬車の中だというのに緊張を隠しきれない。

「落ち着かなきゃ」

多くの人は緊張を消す術をいくつか持っているみたいだが、生憎私には一つもそんなものはない。
できるのは、呪文のように「落ち着かなきゃ」と何度も呟くくらいである。

今日から私は公爵令息アイクの妻として、彼の屋敷で生活をする。

男爵令嬢である私に公爵家か等の縁談が舞い込んできたのは半年前。
貴族学園を何とか卒業できたあの雨の日だ。

私が家に帰ると、父が血相を変えて駆け寄ってきた。

『シーラ! 大変だ! 大変なんだ!』

手に紙をもっていて、震えながらそれを私に見せてくる。
どうやら縁談が私に申し込まれたらしい……とまで理解したところで、私は口をぽかんと開けて固まった。
相手の名前がチラッと見えてしまったからである。

公爵令息アイク。
漆黒の黒髪を持つ、端正な顔立ちの青年で、全ての女子が羨むような魅力を秘めていた。
そんな雲の上のような人が、よりにもよって、友達が一人もいないこの地味な私の縁談相手。

もしかしてこれは夢なのかもしれない。
数回頬をつねるが覚める気配はなく、父と顔を合わせて頷いた。
しかし父が何かを思い出したように、はっとすると、紙のある箇所を指差す。

そこには私を第二夫人にしたいと書かれていた。

先ほどまでの興奮ががくりと下がり、しかし二番目でもいいかなと思ってしまう自分もいる。
その後両親とよく話し合い、私はアイクの第二夫人になることを決意したのだ。


「落ち着かなきゃ」

そして現在。
馬車はアイクが暮らす豪華絢爛な屋敷の庭へと突入した。
私が魔法の言葉を呟いている間に馬車は停まり、扉が開かれる。

「お待ちしておりましたシーラ様!」

外から元気の良い声を飛ばしたのは、美しい顔をしたメイド。
私はおずおずと馬車を降りて、彼女の前に立つ。
公爵令嬢といっても過言ではないくらいの美形に、すらっとした身長。
急に自分がみすぼらしく思えて、顔が熱くなる。

「アイク様はお部屋でお待ちです。ご案内致しますね」

快活にそう言ったメイドは、屋敷に向けて歩きだした。
挨拶もお礼の言葉も言えない私は、足早に彼女の後を追いかけた。

……屋敷の中は目が回るほどに道が分かれていた。
メイドは地図でも脳内にインプットされているのか、迷うことなく通路を進む。
彼女のテキパキとした一挙手一投足に感心しながらも、通路を彩る絵画や置物にも目を走らせた。

本当にこれは現実なのだろうか。
貴族と平民の境界線に住んでいるような地味令嬢の私が、女性人気最高位のアイクの第二夫人に選ばれる。
数秒後にはベッドの上で目が覚める気がして、急に不安になってくる。

「到着いたしました!」

メイドの溌溂とした声に我に返る。
彼女は、大柄な男性でも楽に入れるくらい大きな扉の前で立ち止まり、私に笑顔を向けていた。
どうやらここがアイクの部屋らしい。

「シーラ様。準備はよろしいでしょうか?」

「あ、は、はい……」

私が頷いたのを確認して、メイドが扉をノックする。
少しして「入ってくれ」とアイクの声が聞こえてきた。
顔合わせで何回も聞いた、優し気な声だった。

メイドが扉をあけて、私はごくりと唾を呑み込む。
未開の地に踏み込むように、恐る恐る足を部屋の中へと運んだ。

「おお、待っていたよシーラ」

部屋の左右は本棚が並べられていた。
彼はその一つの前に立っていて、入り口から動けない私に近づいてくる。
背後で扉が閉まる音がした。
この空間に二人っきりだと思うと、緊張で背中に汗が噴き出す。

「ん? どうかしたのかい?」

アイクが私を不思議そうに見つめていた。
どこか影のある目だ。

「あ、いえ! 何でもありません! 失礼しました!」

慌てて頭を下げると、アイクは「ははっ」と笑う。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。君には何も期待していないから」

「ははっ、そうですよね……え?」

今、アイクの言葉がおかしいように感じられた。
私の気のせいだろうか。
いつもの優しい彼から発せられることのない、まるで侮辱のような……。

「第二夫人に価値はない」

アイクの冷たい言葉に私は固まってしまう。
一体何がどうなっているのだろうか。

「あの……アイク様? ど、どういうことでしょうか?」

「聞こえなかったのか?」

アイクの笑みが嘲笑へと変化していく。
明らかに愛は向けられていないと分かり、体が強張る。

「第二夫人の君には何の期待もしていない。ただの子孫を残すための道具さ。そういえば言ってなかったね、君を第二夫人に選んだ理由」

「理由……? 私に一目惚れをしたからですよね?」

「はは、そんなわけないだろう。いいかい本当はね」

アイクの目が嬉しそうに歪む。

「君が貴族学園で一番の健康体だったからさ。愛なんてものは微塵もないんだよ」
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