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本当に決意するのに時間がかかった。
壁にかけられた時計をみると、夜の八時を指していた。
この時間にクラウドの部屋を訪れたくはないが、仕方ない。
もう覚悟を決めてしまったのだから。

部屋を出て薄暗い廊下をあるく。
人気が一切なく、世界に私一人だけになったみたいだ。
そんな光景を想像して、僅かに寂しさが滲んだ。

クラウドの部屋の前までくると、扉の下の隙間から灯りが漏れ出ていた。
どうやら今日も部屋で泣いているらしい。
少し躊躇をしてから、扉をノックした。

「……誰だ」

「ハッピーです。クラウド様にお話があります」

「……入れ」

「失礼します」

扉を開けると、案の定クラウドは目をこすっていた。
椅子に深く座り、机の上には酒が置かれていた。

「何の用だハッピー」

彼の声はどこかよわよわしかった。
体調不良を隠すようなわざとらしさも感じられた。
しかし私は部屋を進み、中央でピタリと止まる。

「クラウド様。私と婚約破棄してください」

「……は?」

意外にもその言葉はすっと飛び出した。
クラウドは面食らったように目を見開いている。

「婚約破棄……貴様は何を言っている?」

「言葉の通りでございます。私と即刻婚約破棄をして欲しいのです」

「……」

クラウドは押し黙ってしまった。
彼に代わるように、私が言葉を紡ぐ。

「三か月前に訪ねてきた私の友人、エドのことを覚えていますか?」

「エド……ああ……あいつか」

「はい。彼はこの街で自警団の仕事についているのですが、先週私の方に手紙が届きました。あなたが違法薬物を外国から密輸していると」

「え……」

分かりやすくクラウドの顔が歪む。

「婚約者を冷遇、使用人のような扱い、暴言と暴力、果てには違法薬物。もうあなたには付き合いきれません。私と婚約破棄をしてください」

男爵家と公爵家では天と地ほどに、身分の差がある。
しかし、今の私はそんなこと忘れてしまったかのように、堂々とそう言い放った。
クラウドは顔を手で覆い俯いていたが、ふいに椅子から立ち上がる。

「ふざけるな……そんなこと……」

まるで糸人形のようにふらついた足取りで私の前まで来ると、震えた唇を開く。
目の下が腫れたように赤い。

「僕を……見捨てるのか?」

本当によわよわしい声だった。
一瞬だが心に同情が湧き、判断が鈍る。
しかし私は勇気を出して、それを振り払った。

「私は、私のためにあなたを捨てます。私の幸せのために婚約破棄を選ぶのです」

「そんな……」

クラウドがその場に崩れ落ちた。
そして小さな声をあげて泣き始めた。

「どうして……どうして皆、僕から離れていく……どうして……他人を裏切る……くそっ……くそぅ……」

クラウドが毎週のように泣いているのを私は知っていた。
辛い記憶でも思い出しているようで、酒で何とか紛らわしているようだった。
クラウドの気持ちに寄り添う選択肢もあるにはあったが、私はそれを幸せだとは感じなかった。

いつだって正論が正解とは限らない。
時には、自分のために、残酷な選択をしなくてはいけない時もある。
私の幸せを決めることができるのは、私だけなのだから。

「さようならクラウド様」

拳を強く握り、私はクラウドに背を向けた。
背後ではすすり泣きが永続的に響いていた。
しかし私は歩を進めて、部屋の扉に手をかける。

「待ってくれハッピー! ぼ、僕が悪かった! 何でもするから! だから……見捨てないでくれ!」

「……」

謝る気はない。
それだけ私は辛い思いをしてきたから。
自分のために謝罪なんてしない。

「ハッピー! 君を心から愛しているんだ! どうか僕のもとに戻ってきてくれ! 頼む! 一生のお願いだ!」

「……無理です」

自分の声がここまで鋭くなるのだと驚いた。
きっとクラウドも同様に思ったのだろう。
縋るような声はピタリと止んだ。

私は扉を開けて、部屋を出た。
心臓の音が耳にこだましつつ、薄暗い廊下を歩いていく。
周囲に人の気配は微塵もなかった。
クラウドは追いかけてきていないようだった。

……玄関を抜けると、馬車が数台止まっていた。
自警団らしき人達が馬車の周囲を神妙な面持ちで、取り囲んでいる。
その中から一人が抜けだしてきて、私の前まで走ってくる。
エドだった

「ハッピー。終わったんだね」

「ええ」

エドに連れられて、私は実家へと向かう馬車に乗り込んだ。
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