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王子の重圧
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王宮の自室でくつろいでいると、ノックも無しにエレノアが扉を開けた。
「アレン王子。一緒にお買い物に行きませんかぁ? 私、新しいエメラルドの指が欲しくてぇ」
甘ったるいが、しつけの無さを思わせるような崩れた口調。
コハクとは違い、彼女には教養というものが微塵もないらしい。
うんざりした気分になりながらも、僕は平静を装う。
「すまないけれど、暫くしたら領地の視察に行かなくてはいけない。また今度にしよう」
「えぇ……そうですか……分かりました」
エレノアは残念そうに肩を落とすと、部屋を去っていった。
部屋の扉が開きっぱなしになっていて、外からひんやりとした空気が流れ込んでくる。
僕はため息を吐きながら椅子を立ち上がると、扉を閉めた。
「全く……」
エレノアを選んだのは、彼女が王子の妻として相応しいと思ったからだった。
コハクは教養こそあり頭も良いが身分が王族に比べて低かった。
しかし、公爵令嬢の彼女なら、王族に相応しく、見た目も好評だろう。
「そのはずなんだがな……」
窓辺の椅子に腰をかけて、すっきりと晴れた青空を見上げた。
先ほどまて降っていた雨はすっかり止んで、綺麗な虹が橋を作っていた。
そこに僕も乗り込めば、この暗澹とした気分が幾分か晴れるのだろうか。
「これでいいはずなんだ」
自分に言い聞かせるように呟いた。
しかし言葉は空気に溶けて、跡形もなくなっていく。
まるで冬の日の雪のように。
……この国の第一王子として、僕は務めを果たさなければいけなかった。
父の書斎に呼ばれた五歳の僕は、歪むことのない現実を突きつけられた。
「アレン。お前には王子としての責務がある。それを全うする以外の人生はお前にはないと思え。いいな」
巨人を思わせる大柄の父……この国の国王様。
父の威圧的な口調と瞳に、幼い僕は震えながら頷く。
「わ、分かりました。頑張ります」
「うむ」
父は頷くと、そっと椅子を立ち上がり、僕の頭に手を置いた。
岩を広げたような、固く、しかしどこか冷たく気持ちの良い手。
心がむずがゆくなり、苦笑すると、父も微かに口角をあげた。
「アレン。お前は立派な王子になれよ。どの国のどの王子よりも立派に」
「はい……お父様」
遠慮がちにそう言った僕の心は、確かに温かいもので満たされていた。
数年が経ち、コハクという令嬢との婚約が決まった。
彼女はまだ九歳であったが、他の子供よりも賢く、僕の婚約者に選ばれたのだ。
初めての顔合わせの日、彼女は白い髪の間から、青い瞳をのぞかせていた。
まるで宝石のように美しく、ずっと見ていたいと思えるような瞳だった。
最初は上手く話せなかった僕達だが、時が経つにつれて、次第に話が弾むようになっていった。
喧嘩なんて一度もなくて、心が通じ合っているような、そんな気が僕はずっとしていた。
しかしその陰で、僕たちの婚約は静かに嘲笑の的となっていた。
王子の婚約者として伯爵令嬢が選ばれたことに不満を覚える人たちがいたらしくて、これはただの茶番だと世間では言われているらしい。
もちろんそんなことを言うのは一部の人間だけだろうが、僕は内心焦っていた。
王子として生きなければいけない僕は、もっと家柄の良い女性を婚約者にすべきなのではないだろうかと不安になった。
そんな時、エレノアと出会った。
彼女は僕達の婚約を非難する声を知っていて、自分を婚約者にしてくれるように頼み込んできた。
なんでも僕のことが子供のころから好きだったらしい。
悪魔の囁きにも思えたが、僕は彼女の提案を受け入れた。
アレンという一人の男ではなく、王子として。
ドン、ドン。
……扉がノックされた音に我に返る。
「アレン王子。視察のお時間でございます。馬車の準備が整いました」
「あ、あぁ……今いくよ」
僕は椅子から立ち上がると部屋を後にする。
僅かな後悔と罪悪感を胸に抱きながら。
「アレン王子。一緒にお買い物に行きませんかぁ? 私、新しいエメラルドの指が欲しくてぇ」
甘ったるいが、しつけの無さを思わせるような崩れた口調。
コハクとは違い、彼女には教養というものが微塵もないらしい。
うんざりした気分になりながらも、僕は平静を装う。
「すまないけれど、暫くしたら領地の視察に行かなくてはいけない。また今度にしよう」
「えぇ……そうですか……分かりました」
エレノアは残念そうに肩を落とすと、部屋を去っていった。
部屋の扉が開きっぱなしになっていて、外からひんやりとした空気が流れ込んでくる。
僕はため息を吐きながら椅子を立ち上がると、扉を閉めた。
「全く……」
エレノアを選んだのは、彼女が王子の妻として相応しいと思ったからだった。
コハクは教養こそあり頭も良いが身分が王族に比べて低かった。
しかし、公爵令嬢の彼女なら、王族に相応しく、見た目も好評だろう。
「そのはずなんだがな……」
窓辺の椅子に腰をかけて、すっきりと晴れた青空を見上げた。
先ほどまて降っていた雨はすっかり止んで、綺麗な虹が橋を作っていた。
そこに僕も乗り込めば、この暗澹とした気分が幾分か晴れるのだろうか。
「これでいいはずなんだ」
自分に言い聞かせるように呟いた。
しかし言葉は空気に溶けて、跡形もなくなっていく。
まるで冬の日の雪のように。
……この国の第一王子として、僕は務めを果たさなければいけなかった。
父の書斎に呼ばれた五歳の僕は、歪むことのない現実を突きつけられた。
「アレン。お前には王子としての責務がある。それを全うする以外の人生はお前にはないと思え。いいな」
巨人を思わせる大柄の父……この国の国王様。
父の威圧的な口調と瞳に、幼い僕は震えながら頷く。
「わ、分かりました。頑張ります」
「うむ」
父は頷くと、そっと椅子を立ち上がり、僕の頭に手を置いた。
岩を広げたような、固く、しかしどこか冷たく気持ちの良い手。
心がむずがゆくなり、苦笑すると、父も微かに口角をあげた。
「アレン。お前は立派な王子になれよ。どの国のどの王子よりも立派に」
「はい……お父様」
遠慮がちにそう言った僕の心は、確かに温かいもので満たされていた。
数年が経ち、コハクという令嬢との婚約が決まった。
彼女はまだ九歳であったが、他の子供よりも賢く、僕の婚約者に選ばれたのだ。
初めての顔合わせの日、彼女は白い髪の間から、青い瞳をのぞかせていた。
まるで宝石のように美しく、ずっと見ていたいと思えるような瞳だった。
最初は上手く話せなかった僕達だが、時が経つにつれて、次第に話が弾むようになっていった。
喧嘩なんて一度もなくて、心が通じ合っているような、そんな気が僕はずっとしていた。
しかしその陰で、僕たちの婚約は静かに嘲笑の的となっていた。
王子の婚約者として伯爵令嬢が選ばれたことに不満を覚える人たちがいたらしくて、これはただの茶番だと世間では言われているらしい。
もちろんそんなことを言うのは一部の人間だけだろうが、僕は内心焦っていた。
王子として生きなければいけない僕は、もっと家柄の良い女性を婚約者にすべきなのではないだろうかと不安になった。
そんな時、エレノアと出会った。
彼女は僕達の婚約を非難する声を知っていて、自分を婚約者にしてくれるように頼み込んできた。
なんでも僕のことが子供のころから好きだったらしい。
悪魔の囁きにも思えたが、僕は彼女の提案を受け入れた。
アレンという一人の男ではなく、王子として。
ドン、ドン。
……扉がノックされた音に我に返る。
「アレン王子。視察のお時間でございます。馬車の準備が整いました」
「あ、あぁ……今いくよ」
僕は椅子から立ち上がると部屋を後にする。
僅かな後悔と罪悪感を胸に抱きながら。
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