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完
しおりを挟むご主人様は気絶した侯爵2人を重ねてその上に胡座をかいていた。
「あまり血で汚れてないな」
拗ねたように言うご主人様に、私は小さく息を吐く。
「殿下がこの部屋を汚したくないって言ってたではありませんか。あまり汚すと、私がそこの護衛騎士さんに叱られます」
「そうだな。仕方ないか」
殿下は拍手をしながら私たちに近づいてきた。
「2人ともよくやってくれた。アリスの仕事を間近で見ることができて感動しているよ。我が騎士団にぜひ勧誘したいものだ」
「あげませんよ。…というか、ここまで手柄をあげたんです。アリスにディルス伯爵の爵位を返しては?」
「ああ、そうだな。ルウ・ディルスも死んでしまったし、ディルスを継げるのはアリスしかいないしな」
ん?
私がガイルの人間だと、殿下も知っていたのか。ご主人様にも知れていたし、不思議ではないのか。
「そうすれば、私がアリスと結婚しても文句は言われないでしょう。爵位の釣り合いはとれますし」
いやいや、ちょっと待ってほしい。
私が伯爵に?
「それは良い。ではアリス、君にディルス伯爵の地位を返そう」
ご主人様と殿下は楽しそうにキャッキャと話を進めているが、私は蚊帳の外だ。
いろいろな情報が入ってきて、私は混乱している!!
「ちょ、ちょっと待ってください。私はバイパー男爵家の使用人でメイドです。それ以上の地位は要りません」
私の声に一瞬だけあたりが静かになる。
ご主人様が私の前に跪き手をとってキスをし、上目遣いでこちらを射抜く瞳はひどく真剣で、何も言えない。
「私には君しかいない。私の後ろでなく、隣で支えてほしいんだ」
頭で整理がつかず、ご主人様がじっと見つめてくるのをただ眺めることしかできない。
えーっと、とにかく──
「それはご命令ですか?」
何とか絞り出した私の言葉に、ご主人様は目をまんまるにして、殿下は声を出して笑い、ガイルは呆れたように肩を落としため息をついていた。
ご主人様の眉間に皺が寄っていく。
どうやら私は返答を間違えたみたいだ。どうしよう。
「命令とかではなく、アリスの意志で答えてほしいんだが…嫌か?」
「嫌かどうかの問題ではありません。私はメイドです。今更ディルス伯爵家を継いで貴族になれるような身でもないです。悪いことたくさんしてきましたし」
私があたふたとご主人様に向かい合っていると、コツっと音がして殿下がこちらに近づいてきていたことに気がついた。
彼は楽しげにふわふわと笑っていて、その表情は妹である姫様にそっくりだ。
「アリスは私の為にかなりの働きをしてくれた。過去のことなどどうとでもできるし、私から褒美も用意したい。それが爵位の返還だ。王族からの善意を受け取らないというのか?」
それはもはや脅しでは…。だが、そう言われると断りづらい。
私がディルス伯爵になる、か。
父さまも母さまも民衆の為に動くのが、貴族の役目だと口癖のように言っていた。
税収で得た給与で特に贅沢もせず、領民からの意見に耳を傾けて出来うる限り対応していた父の背中は、子供ながらにとても大きく見えた。
「私は父さまのようにはなれないんです」
「ディルス伯爵領は屋敷の虐殺事件の後、国に返還されている。領地を治めろなんて言わない。ミハエルに嫁いで、今後も私の手足としてミハエルと共に働いてくれるとありがたいのだが」
俯く私を軽く覗き込みながら殿下は微笑む。
「私はアリスに使用人としてでなく、対等な立場として隣に立ってほしい」
ご主人様の、隣に。妻として。
そこまで考えてハッとする。
私が妻になるなら──
「そうすれば、ご主人様のお子をお世話できる…?」
呟いた声は静かな部屋に思いの外響いたのか、全員が目を丸くした。
すぐに殿下が吹き出し、静寂は破られたが。
「アリスはミハエルの子供の世話がしたかったのか!」
笑いすぎて涙まで拭っている。
ご主人様は混乱しているのか、頭上にはてなを沢山浮かべて呆然と立ち竦む。
私は何かおかしなことを言っただろうか。
「ご主人様のお子ですよ。絶対可愛いじゃないですか」
殿下は腹を抱えてさらに爆笑してガイルに寄りかかった。
バシバシと叩かれてもガイルはほとんど表情を変えずに殿下を受け止めている。
「血に興奮するサイコパスで、私の犬だと貴族から忌み嫌われているミハエルの子供が絶対に可愛いときたか! ミハエル、お前は良い女性を見つけたな」
こんな風に笑う人だったのか。ここには殿下が心を許した者しかいないとはいえ、意外だ。
ご主人様は苦虫を潰したような顔で、居心地が悪そうにしている。
笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら、殿下は私とご主人様を交互に見て、落ち着く為か深呼吸をし、背筋を伸ばす。
「とにかく、君たちはお似合いだ。もう何もかも面倒だし、王太子からの命令だ。さっさと結婚しろ」
王太子殿下直々の命令には逆らえない。
この翌日から、私は書類の山に追われた。
ディルス伯爵の地位を返還してもらう書類は提出したし、2人の侯爵についての報告書がこれだけで…えっと、あとはご主人様もといミハエル様との婚約の準備は──
廊下の隅にさらに埃が溜まっているのが視界に入る。
落ち着いて掃除もできない!
とりあえず今回の騒動の報告書は出来上がっているから王宮へ送るように手配しよう。
埃は今は見て見ぬ振りだ。
私が妻になったらその立場で使用人を数人雇ってやる。
そう決意して数日後には私はアリス・ディルス伯爵として、ミハエル様との婚約が王太子殿下からの命で正式に決まった。
噂好きの貴族たちの間では、一家全員のみならず使用人も惨殺されたディルス伯爵家の生き残りが突然現れたこともあり、その話で持ちきりだ。
好き勝手に書かれているであろう記事の載った新聞を、ミハエル様は眉間に皺を刻みながら眺めている。
「話が広がるのが早いな。本当に結婚式はしなくていいのか?」
雑務が落ち着き、執務室でおやつを用意し、紅茶をティーカップへ注いでいると、ミハエル様に声をかけられた。
そちらを一瞥すると、彼は未だ新聞から目を離しておらず、私は手元へ視線を戻す。
「わざわざ貴族たちの見せ物になるのは嫌です。ミハエル様がどうしてもというのなら、従いますが」
ミハエル様がクッキーをひとつ、齧った。
「アリスが嫌なら無理にしなくて良い。殿下の後ろ盾もあるし、他の貴族たちと繋がりなど必要ないからな」
新聞を机に投げ椅子の背もたれに体重をかける音が部屋に響く。
「それに、久しぶりにゆっくりできそうだしな。アリスと2人で屋敷でのんびりしたい」
ここ数日の忙しさに流石のミハエル様もお疲れのようで、天井をぼんやりと眺め始めた。
「では、私たちがもっとのんびりできて仕事に専念できるよう、使用人を雇いましょう」
私はさも今思いついたかのように、手を叩く。
人使いの荒い殿下のことだ。きっとまた忙しい日々が来る。
そうなった時、私は廊下の隅の埃を見てため息をつきたくないのだ。
ミハエル様はひとりの間、どうやってこの家を切り盛りしていたのかは謎だが。
私がきた時は埃まみれだったな…。
「そうだな…この家はもう君のものでもあるし、好きにするといい。だが、信用できる人物だけにしてくれ」
「それはもちろんです。ここは機密事項も多いですから。ウェズリ伯爵やガイルさんにも良い人がいないか相談してみます」
ソファへ座り、私も紅茶を啜る。我ながら丁度いい味と温度だと、ホッと息を吐く。
それと同時に、玄関から呼び鈴が鳴った。
私とミハエル様の目が据わる。
「「もう仕事の依頼か…」」
少しくらい休みと人手探しの時間くらいくれてもいいのではないですか、王太子殿下。
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