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8(過去)
しおりを挟む王太子の犬として最近噂になっているミハエル・バイパー男爵、か。
彼に粛清された貴族やお金持ちたちは、私たちの依頼主が多かった。
あまり、近づかない方がいいと思うけど…殺せという依頼が来たのなら仕方ない。
王太子に目をつけられて、男爵に殺されるかもしれないと怯えているどっかの貴族からの依頼だろう。
夜の男爵の屋敷は質素で、物音ひとつ聞こえず、人の気配が全く無い。
普通の貴族の屋敷というのは、使用人が数人いて、夜中でも人の気配があるものだが…少なくとも今まで仕事をこなした屋敷はそうだった。
外壁から中庭に生えていた木へと飛び移る。
植えられている低木や花は、あまり手入れが行き届いていなくて、雑草が所々、ぴょこぴょこと顔を出している。
まさか、使用人を雇っていないとか?
屋敷の方へと足を向けると、男がひとり、中庭の中心に立っていた。
月光が金色の髪に反射して、輝いているように見える。
ミハエル・バイパー男爵。聞いた特徴と一致しているから、間違いないだろう。
腰に下げた銃を構え、頭へと銃口を向ける。
集中するように、フッと息を吐くと、彼の瞳がこちらをまっすぐに見た…気がした。
引き金を引いたはずが、銃弾は地面にめり込んでいて、バイパー男爵の整った顔が眼前に広がる。
この人、速い──っ!?
スカートの中、太腿に隠したナイフを掴み、男の首へと振り上げるが、その手首はいとも簡単に掴まれ、後ろで捻られた。
痛みを感じる前に、全体重を前にかけ、木から落ち、前転するように着地する。
ナイフを持ち直す時には、男爵は既に私の前へ降り立っていた。
王太子の汚れ仕事をこなしているというのは、どうやら本当のことのようだ。
相手がどう動き始めるのか、神経を集中させる。
彼は得物は持っている様子がない。だが、初手で私の手から落とされた銃が、足元にある。
それを取るはず。
横へ飛べるように、つま先をわずかにジャリっと滑らせる。
男爵は、片頬を上げた。
「最近噂になってる黒い少女の殺し屋って、君だろう」
殺す前に、情報収集か。拷問は嫌だな…痛そうだし。
すぐに殺される感じではなさそうだ。だったら、先手必勝。
姿勢を低くし、地面を蹴る。男の懐に入り、銃の落ちている側へ滑り込み、脇腹へナイフを振ると同時に銃を取る。
男爵の背後から後頭部へ銃口を向けた。
一瞬の間に男爵の蹴りが銃を弾き飛ばし、思わず舌打ちをしてしまった。クルクルと飛んだ銃は、男の手に落ちる。
こんなに苦戦するのは初めてだ。
続けて仕事が上手くいかないなんて、ついてない。
掴んでこようとする腕から、後ろへ飛びすさり逃れるが、銃口が真っ直ぐにこちらを狙っていた。
「落ち着いてくれ、お嬢さん。私は話をしたいだけだ」
「私は依頼を受けてあなたを殺しに来ただけで、何も知らない。話すだけ無駄です」
「君を差し向けた人間なら大体検討がつく。そんなこと、どうでもいいんだ──うちの初めてのメイドになってくれないか」
…メイド? 何を言っているんだこの人は。
「可愛くて血飛沫とメイド服が似合いそうだ。私の理想すぎる」
ボソリと呟かれた言葉は、何やら変態じみている。
こちらへ大きな一歩で近づいてくるバイパー男爵から同じだけ後退り離れるが、彼はまた大股で一歩進んだ。
「私は君に絶対、危害は加えないし、嫌なこともしない。私の唯一のメイドとして使えてくれないか。欲しい物だって、なんでも揃えてあげよう」
「…私は依頼主の情報は全く知らされていない。罠にかけても、何も出てくることはないですよ」
そんな私にとって虫がいいことを、はいそうですかって、聞けるはずがない。
何かあるに決まってる。
「私はそんなことに興味はないと言ってるだろ。君に最低限の屋敷の管理と、私の身の回りの世話などを任せたい。あと、仕事を手伝ってほしい。それらをこなしてくれれば、好きなように生活していいし、必要な物や欲しい物、なんでも用意しよう」
「なんの裏もなく、そんな好条件を与える理由がわかりません」
「そんなの、君が使えると判断して、欲しいと思ったからだ」
バイパー男爵は招き入れるように軽く両手を広げ、ニコニコと笑っている。
悪意も、攻撃してくるような雰囲気も無い。
「…私にお部屋はいただけますか」
「もちろん。ふかふかのベッドもある」
そう言われて案内された使用人部屋は、今まで使っていた私の部屋の倍くらいはあった。
男爵が言った通りのふかふかの寝床に、手のひらを沈めて、わずかだが感激してしまった。
クローゼットを開けると、白いドレスやメイド服が詰め込んであって、首を傾げる。
この屋敷には、バイパー男爵しか住んでいる様子がないのに、これは一体?
「女性の衣装に血飛沫が飛ぶのを見るのが趣味なんだ。実物があった方が、よりリアルに想像することができるだろ」
いや、悪趣味がすぎる。
振り返ると思いの外間近に男爵がいて、背中にクローゼットがあたり、頬に彼の指が滑る。
目尻を赤らめて見つめられるが、殺意とは違う何かが彼の瞳の奥で燻っていて、背筋がヒヤリとした。
「早くこの白い肌が他人の血に染まるのを見てみたい。今の君もとても可愛いが、もっと可愛らしく、美しくなるだろうな」
「へ、へんたいだ…」
この日からミハエル・バイパーは、私のご主人様となった。
彼は無理難題を吹っかけてくることもなく、食事の用意やご主人様の身の回りの世話を最低限こなすだけで、ひどく可愛がられた。
手が足らず少し埃っぽかった屋敷を掃除していたら抱きつかれ、そんなことまでしてくれるなんて! と、撫で回され、夜に部屋へと戻ると、クローゼットの中身が増えていた。
私が日常を過ごしているだけで褒められ、頭を撫でてもらえるこの生活、居心地がいい。
そんな日々を過ごして数日経った頃、王宮から騎士が来た。
ガイルと名乗った彼は王太子殿下の護衛騎士で、殿下から仕事の依頼を持って来たようだった。
私にご主人様の暗殺を依頼した貴族を、まさか私が殺すことになるとは、思ってなかった。
「お、お前は、バイパー男爵を殺しに行ったんじゃないのか!? 裏切ったのか!」
血を流す脚を引きずりのたうち回る男を跨いで見下ろす。
えーっと、刑を執行する前にはきちんと罪状を述べるようにって、言われたのよね。
「野盗と手を組んでお金儲け、それに気づいた殿下がバイパー男爵を動かすと思い暗殺依頼…自分の尻拭いはご自分で行った方が、刑が軽く済んだのですよ? お馬鹿さんですね」
眉間に向けた銃の安全バーを、ことさらゆっくりと押し込むと、カチリと音がする。
「ひっ、やめ」
破裂音が部屋に響くと、私の頬に鮮血が散った。
近くのソファに座っていたご主人様がゆらりと立ち上がる。
初仕事は合格をもらえるかしら。
弾を使い切った小銃を肉塊の横へ放ると、ビシャリと雫が周りに飛び、私の白い靴下へ赤が染み込んだ。
黒髪を翻しご主人様へと向き合うと、腰を抱かれ、頬の血を塗り広げられた。
眼前には、熱のこもった緑の瞳。
目が逸らせない。
「思った通り、血に染まるアリスは美しい」
熱がまとわりつくような甘い雰囲気とご主人様の視線に、痛みを覚えた行為が脳裏に浮かんだ。
近づいてくるご主人様の唇を手のひらで遮る。
この人は、無理強いはしないはず…殺したくない。
「私、痛いことはしたくありません」
ご主人様はパチリと瞬いただけで、それ以上動くことはせず、私は少し安堵した。
しかし、彼の表情は怒りを含んでいって、背筋に悪寒が走る。
「無理矢理身体を開かれたのか? どこのどいつだ、可愛い君にトラウマを植え付けたのは」
「え、…あの」
「まあいい。後で調べればいいことだ」
何かを考える間もなく、ポスリとベッドへ落とされ、ご主人様の向こうには天井が見えた。
私の頬から肩へ、角張った手のひらが撫で降りていく。
「私に触られるのが嫌なら、突き飛ばせ。それ以上のことは今後しないと誓おう」
ご主人様が黒髪をひとふさ取り唇を寄せたのを、私は首を傾げながら見つめる。
「ご主人様に抱きしめられたり、頭を撫でてもらうのは心地良いですよ?」
あなたに触れられて嫌なんて、思ったことない。
この日は溶かして解すだけで、ご主人様は私の身体を無理に開こうとはしなくて、痛みは全くなく、ただただ、快楽を叩き込まれただけだった。
次の日もお腹の奥で熱が燻るほどに。
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