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しおりを挟むパーティーに招待されていた貴族のお金の流れや、屋敷へ出入りする人物の素性の調査。
そんなことに日々追われていたら、バイパー男爵家の屋敷の廊下隅には埃が薄らと見えてきて、私は書類の山と頭を抱えた。
もう1人くらい、使用人がいれば…。
そう思わずにはいられないが、ご主人様は私が居ればいいと、雇おうとしない。
殿下からの仕事が終わったら、大掃除決定ね。
いつもなら、調査や警告を終えた豚貴族の粛清だけで済むのだが、今回は人手が必要だったのだろう。なにせ、疑いのある貴族が多い上に、手を組んでいるかもしれないのだから。
国王陛下の体調が良くないのも、殿下が必死になる理由かもしれない。王位を継ぐ準備といったところか。
ウェズリ伯爵の所へ出かけたご主人様の書斎机に書類を置き、ひとつ息を吐く。
玄関の呼び鈴が鳴り、こんな時にここへ来るのは、彼しかいない。
赤い髪の仏頂面が思い浮かび、さらに深いため息が出て、玄関へと向かった。
「突然の訪問失礼する。新たな情報と任務を伝えに来た」
予想通りの来訪者ガイルを応接間へ案内する。
「本日はご主人様が不在なのですが、私がお伺いしてもよろしい内容ですか?」
座っているガイルの前にハーブティーを置くと、彼はカップを軽く揺らし、香りを広げた。
口をつけると、僅かに頬が緩んだように見えた。
「殿下からの言伝をバイパー男爵へ伝えてくれ。シールズ侯爵とジェルダム侯爵に絞って調査をしろとのことだ」
茶菓子として用意したクッキーを乗せた皿を出す手を一瞬止め、彼を見つめる。
「ちょうど、ご主人様もその話をまとめる為にウェズリ伯爵邸に行ってます。やはり2人は黒ですか」
ああ、と、頷きながら、ガイルはクッキーをひと口齧って、目を細めた。
「これは手作りじゃないのか」
ガイルの僅かに下がった眉尻から、残念そうな雰囲気が滲み出ていて、私は小首を傾げた。
「今は忙しくて…パティスリーから取り寄せたものです。お口に合いませんでしたか」
「君が作ったものの方がうまいな」
即答だ。
プロよりも、私の作ったクッキーの方が美味しいと? この人、私を目の敵にしていたのではなかったか。
思わずパチリと瞬きをするが、ガイルは私の驚きに気づかないまま、紅茶を飲んだ。
まあ、ご主人様以外の人が私の表情を読めた事なんてなかったし、今も私の表情筋は動いていないのだろう。
何と返せばいいのかわからない。
「ありがとう、ございます…?」
ガイルは疑問符を不思議に思ったのか、私を一瞥したが、すぐに紅茶の波紋へと視線を落とす。
「シールズ侯爵の娘、リタ嬢が茶会を開くらしい。殿下の妹君の侍女として潜入して、情報収集をアリスに頼みたいと、殿下からのお達しだ。だが…流石にこれはバイパー男爵の許可が必要か」
少し思案するように、ガイルは顎へ指を添えた。
「リタ嬢とは先日のパーティーで対面しました。私だと気付かれてはまずいのでは?」
彼女はご主人様に恋心を抱いているようで、恋人として紹介された私がかなり気にくわなかった様子だった。
流石に顔を覚えられていると思うのだけど。
「あの時とは君の雰囲気はかなり違うだろう。それに、侍女は君ひとりじゃないからな。あのご令嬢たちが気づくとは思えない」
甘やかされマナーもなっていない脳内お花畑のお嬢様達を思い出しながら、それもそうかと納得する。
私も鏡で見たあの日の自分は、まるで別人だと感じたし。
「もし気づかれ騒ぎを起こせば、茶会を主催したリタ嬢もタダでは済まないだろう。それも、王女が連れた侍女に文句をつけようものなら、余計にな」
王女を盾に、シールズ侯爵邸を探れということか。
「わかりました、ご主人様にお伝えいたします。あと、こちらはパーティーに招待されていた貴族たちの違反行為を証拠と共にまとめた資料ですので、殿下にお渡しください」
文庫本ほどの厚さにまとめた資料をガイルに渡すと、彼の眉根に皺が寄った。
多いなと、顔に書いてある。
「不要でしたら処分しますが?」
「いや、殿下の想定内だ。君はそれさえも察して、こうしてまとめてくれたんだろ?」
「そうですが…。あ、王太子殿下は既に把握済みの内容かもしれません」
よく考えればわかったことだ。
そもそも情報収集は王族である殿下の方が長けている。無駄な事をしてしまったのかも。
直に命じられたことではなかったから、私が裏を読みすぎてしまった?
ガイルが資料をパラパラとめくる。
「ジェルダム侯爵がなかなかに手強くてな。流石の殿下も他に手を回す余裕がなくて──これは、君ひとりで調べたのか?」
「そうですね。ご主人様は手一杯でしたので…」
ご主人様も、出来ればまとめたいのに時間がない! と嘆いていた為、手隙の時にやっておいたのだ。
「そうか…今回は調べを諦めようとしていた案件だったから、助かった。ありがとう」
再び私はひとつ瞬き、帰ろうと立ち上がったガイルの顔をまじまじと見つめた。
今日は小言や文句を言われていない。それどころか、感謝されてしまった。
「…俺の顔に何かついてるか?」
「あ、いえ。今日は小言がなかったなと思いまして」
私と共に玄関へと向かっていたガイルは歩みを止め、真っ直ぐに見つめてくる。
「今回は俺が何かを言える所は無かっただろ? 我々の預かり知らぬところで殺しでもしたのか?」
「無駄な殺生はするなと、ご主人様から言われています」
よく考えれば、彼はいつも殺しの後の汚さについて注意してきた。それが毎回だから、会う度に小言を言われているような気になっていたのかもしれない。
今日は心なしか、再び歩き出したガイルの眉間の皺も薄い。
血まみれの部屋は片付けが本当に大変なのかも…次からは辺りが汚れないように配慮しよう。
周りが汚れないよう、自分だけ血飛沫を浴びる方法って、あるだろうか…。
脳内で様々な殺し方を想定しつつガイルの背中を見送り、夕飯の支度し終えた頃に、ご主人は帰ってきた。
「ただいま、アリス」
いつものご主人様なら早々に抱きついてきて頬擦りしてくるのだが、今日は違った。
その後ろには後ろにウェズリ伯爵がいて、普段の態度との差に納得し、頭を下げる。
「お帰りなさいませ、ご主人様。ウェズリ伯爵、ようこそおいでくださいました」
「突然すみません。先日パーティーでお会いしたアリスさんが、バイパー男爵のメイドだと聞いたのですが…信じられなくて」
確認しに来たと。
「私がアリスで、この屋敷で唯一の使用人でございます」
ウェズリ伯爵の糸目が瞠る。
「化粧と衣装でこんなにも変わるのか…あの時は美しさが際立っていましたが、今はとても可愛らしい印象ですね」
ウェズリ伯爵は感心したように私を見つめ、私はご主人様に肩を掴まれた。
「そうでしょう。アリスはとても可愛い私のメイドです。あげませんよ」
笑顔から急に真顔になるご主人様に、私は少し肩を落とす。
誰も盗ろうとなんてしてません。私は貴方から離れようなんて思っていません。
屋敷に来られた客人に毎回それを言うのは、小っ恥ずかしいのでやめてほしいと何度も言っているのだが、一向に止める気配がない。
ご主人様が自慢げに鼻息をフンッと鳴らす様に、ウェズリ伯爵は苦笑いして、肩をすくめた。
「男爵からアリスさんを奪おうなど、考えただけでも殺されそうですね」
ご主人様は伯爵に私のことをどう話したのか…奥方もいないのに、使用人を異常に可愛がっているなど、周りに知られて良いことはないだろうに。
あまり言いふらさないように釘を刺しておくべきか。
ああ、そんなことを考えている場合ではなかった。殿下からの伝言を伝えなければ。
ウェズリ伯爵が訪問してくださったのは、報告の手間が省けて好都合だ。
我慢が効かなくなってきたのか、ぎゅうと抱きついてきて頬擦りをしてこようとするご主人様を制する為、私は2人に夕食をすすめることにした。
「王太子殿下から言伝がございます。ご夕食を用意してありますので、食べながらお聞き願えますか」
食堂へ2人を案内し、温め直した料理を並べきった所で、ガイルから聞いたことを報告する。
「やはり、シールズ侯爵とジェルダム侯爵か。…いくらアリスでも潜入は危なくないか? 王女殿下の侍女としてであっても、さすがに…」
「ご安心ください。潜入や殺しは私の本業です、ご主人様」
「そうだとしても! 血で汚れることもない、臨時とはいえ王女殿下の侍女になる仕事なんてさせたくない! 私のアリスなのに!!」
縋りつこうとしてくるご主人様の頭を片手で押さえながら、考え込んでいる様子のウェズリ伯爵を見る。
すぐに、伯爵は顔を上げた。
「…では、シールズ侯爵はお任せしてよろしいですか? 先代の父がジェルダム侯爵とは懇意にしてましたし、私はそちらを探ります」
「わかりました。お任せください」
私はご主人様を引き剥がして、ウェズリ伯爵に一礼する。
肩を落としながら席に戻ったご主人様は、食事を再開した。
一時的にでも、私が王太子殿下の妹君、姫様の侍女になるというのは嫌だと顔に出ているご主人様であるが、殿下からのお願いを断れる人ではない。
嫌々ながらも殿下へ了承の手紙を送っていた。
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