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4.貧乏女史からお姫様になった日
しおりを挟む数日寝込んだが、その間の記憶はしっかりある。
どうやらここは人間の国と魔界の境にある魔王城らしい。
シディルにつきっきりで看病されたし、魔女にされて花嫁認定されていることだって覚えているが…快復して頭が回っているのに、どれだけ考えても訳がわからない。
えっと、シディルは魔界を統べる魔王の息子さんで、魔王は好きになった女性に魔力を分け与えて魔女にして花嫁として迎え入れると? それが私?
なんで?
ふかふかベッドの上で脚を抱えて座り、膝へ額を擦り付けても、答えは出ない。
唸っていたら部屋の扉がバーンっと開かれて、驚きで飛び跳ねる。小柄な女性が黒いワンピースを翻しながら走り寄ってきた。
「体調はもう大丈夫? うちの息子が勝手してごめんなさいね」
ぎゅうぎゅうと胸に抱かれて苦しいが、すぐに離れてくれて頬を包まれ、可愛らしいお顔が目の前に広がった。
どうやらシディルのお母様、シェルフエールさんというらしい。
「急に魔女になったなんて言われて驚いたでしょう。シディルにどこまで教えてもらったのかしら」
瞳の色は違うけど、シディルそっくりの目は優しげに私を見つめてきて、ドギマギしながら答えていると、メイドさんたちがベッドサイドにお茶の準備をしてくれた。
彼女たちに礼を言って音も立てずに紅茶を啜るシェルフエールさんは、私の目には高貴な人のように映る。
メイドさんが私にもティーカップを渡してくれて、いい香りが鼻腔をくすぐり、ホッと息を吐いた。
「魔王は魔女に振られたら国を滅ぼしちゃうなんて、初めて知った時は、責任重大すぎてびっくりしてしまうわよね」
口に含んだばかりの紅茶を吹き出して、ギギギっと音がするかのようにシェルフエールさんの方を向くと、シディルに似た笑みで首を傾げていた。
それはすなわち、私が彼を拒んだら、国が滅びるってことですか?
私、またぶっ倒れそうです。
そんな私の様子に、シェルフエールさんはハッとして顔色を悪くする。
「もしかして、まだ知らなかった!? ごめんなさい、私ったら病み上がりの貴女になんてこと」
慌てて立ち上がってしまったシェルフエールさんに、こちらが悪いことをしたような気になってくる。
「私は大丈夫です。シェルフエールさん、落ち着いてください」
私の言葉は聞こえていないのか、狼狽えたまま、わなわなと震えてしまっている。
どうしたものか…。
「まさか、あの子ったら一方的に魔力を与えたの!? …両思いではなかったのね!?」
ふらついたシェルフエールさんをメイドさんたちが支えた。
あれだけ言い聞かせてきたのにと、何やら呟いていたが、急にこちらを振り向き、私の両手を握った。
「無理に好きになろうなんてしなくていいのよ。魔王が暴走したら勇者が倒しにきてくれるから、国が完全に滅びることなんてないの。安心して」
それは、安心していいのだろうか。
シェルフエールさんの瞳に影が落ちて、ドキリとする。
やはり、自分の子が倒されるというのは、母として想像もしたくないことだろう。それでも私を案じてくれている。
シディルは私のことを沢山助けてくれて、こんな優しい両親に囲まれて…私も、幸せになれるかな。
この人たちの家族に──
そんな未来を、望んでもいいのかな。
シェルフエールさんが握ってくれている手を強く握り返し、真っ直ぐに見つめる。
「私、シディルに嫁ぎます!」
私の言葉にシェルフエールさんは目を瞠って、固まった。無理はしなくていいと言ってくれるが、私は──
「恋愛とかはよくわからないけど、シディルのことは好ましく思っていますから、無理なんかじゃありません」
「それほんと?」
ギシリと後ろでベッドが沈んで、胸の下に腕が回される。背中があったかい。
何もないところからシディルが現れた?
驚きで硬直してる私に構わず、彼は肩口に顔を埋めてきて、髪がサラサラとくすぐったい。
「ねぇ、ほんとに僕の花嫁になってくれるの?」
表情はわからないが、シディルの声色が明るいのは確かだ。
あるはずのない犬耳が現れて、シディルがわんこに見えてきた。かわいくてつい、頭を撫でてしまった。
こんな可愛くてかっこいい人が私を求めている理由はよくわからないけど──
「私で、良ければ…」
ぱあっとシディルの頭上に花が舞い、これまたあるはずのない尻尾がふりふりと左右に揺れているような幻覚が見える。
「母さん、聞いた? フィンが僕の奥さんになってくれるって!!」
飛び跳ねながらシェルフエールさんに詰め寄る姿が子供っぽくて、思わず吹き出してしまいクスクスと笑っていたら、シディルに覗き込まれていた。
あ、私、失礼なことしちゃった?
それは杞憂だったみたいで、とろりとした視線で見つめられて、頬が熱くなる。
「笑った顔も可愛いね、フィン」
チュッと頬にキスをされて、私はボンっと顔が噴火した。
夜には完全に熱も下がり頭もスッキリして、猫足バスタブとやらにお湯を張ってもらい、浸かっているのだが、私はいつからお姫様になってしまったのか。
今までは暖かい日に水でさっと身体を清める程度だったのに、お風呂というものに入れる日が来るなんて想像もしてなかった。
シャンプーに、トリートメント…ボトルに書かれている文字はわかるが、何に使うものなのかがわからない。
ボディソープは身体を洗うものというのはなんとなくわかる。
バスタオルで簡単に身を隠し、脱衣所を覗くが誰もいないので、廊下へ繋がる扉から顔を出してキョロキョロと見回す。
広く長い廊下にも誰もいない。
「誰かいませんかー?」
「そんな格好で何してるの、フィン?」
びっくぅっと全身が跳ねる。
誰もいなかったはずの脱衣所にシディルが現れた! これも魔法なのか!?
「シディル!? ど、どこから」
ひょいとお尻の下へ腕を回され抱えられてしまいその不安定さに、慌ててシディルの頭を抱いた。
「転移魔法だよ。フィンが僕の名前を呼んでくれたら一瞬でどこにでも行けるから、いつでも呼んでね。あと、使用人を呼ぶならこの鈴を鳴らすと良いよ」
シディルが指差す脱衣所と浴室を隔てる扉の横に、呼鈴が置いてあった。
「じゃあ…メイドさんを」
呼鈴へ手を伸ばしたのに、シディルは私を抱えたまま浴室へと入ってしまう。
タイル床の上におろされて、腰を引き寄せられ見上げると、拗ねた表情のシディルがいた。
「僕がいるのに?」
「え、あ、でも、はだかだから…恥ずかしい」
あらわになっている私の肩を撫でる彼はきっちり服を着込んでいるのに、私はタオルひとつ。
赤くなっているであろう耳朶をやわやわといじられ、くすぐったさにキュッと目を瞑った。
「…何に困ってたかだけでも、教えてくれる?」
そう言いながらほっぺや首、腕や手を柔らかく揉み込むように触れないでほしい。
何が楽しいのか、ずっと微笑んでるし。
「シャンプーとかトリートメント? っていうの、どう使うのかわからなくて」
そっかと、シディルは指を鳴らす。
離れてくれたことにホッとしたのに、すぐに抱き上げられ湯船の中へ座らされると、透明だったお湯が乳白色になっていることに気づいた。
「これなら恥ずかしくないでしょ」
タオルを奪われても、お湯が身体を隠してくれているのでこれならと小さく頷くと、シディルはシャンプーと書かれたボトルから粘性のある液体を手に出していた。
「これは髪を洗うものだよ。トリートメントは、髪に艶を出すんだ」
私の後ろに移動したシディルを追うように首をのけぞらせると、私とは違う硬い指先が頭皮を揉み込み泡が立っていく。
気持ちいい。
トリートメントは髪に馴染ませるように指が動いて、マッサージされてるみたいでウトウトしてしまった。
シャワーというもので洗い流され、心地よさに身を任せていると、顳顬にキスをされた。
「身体は洗った?」
シディルの声に、ん、と返事をすると湯船から引っ張り出されて一気に覚醒し、慌てて身体を隠すが、ふんわりとした手触りのシャツワンピースを着ていた。
いつの間に…髪も乾いてる、し? サラッサラだ!! 触り心地が全然違う。
目を白黒させていたら、いつぞやと同じように髪を一房とられ毛先に口付けされた。
かっこいい。
「フィンが僕のお嫁さんになるって決めてくれたこの夜は、抱きしめて眠ってもいい?」
膝をついているシディルは上目遣いで、ルビーの瞳が少し不安げに揺れている。胸がきゅうっと締め付けられ、思わず抱きしめてしまった。
「よ、喜んで」
顔が良いって、罪では?
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