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1章

転校

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「ふふっ、ハル君。落ち着いて」

 慣れない制服を身に纏い、戸惑う俺に宇佐美が励ますように声をかける。

 榊さんの一週間の教育が終わり、俺はついに宇佐美の付き人として一緒に学校に登校する。転校などしたことの無かった俺は、はじめての経験に自然と体が忙しなく動いてしまう。

 一週間、付き人として教育してもらったが、正直、ほとんど付け焼き刃であることは当の本人の俺が一番理解している。なんせ、俺が行く学校には俺なんか比べものにならない、何年も付き人として教育されてきた人達がいるのだから。

「だっ、大丈夫だ、宇佐美。少しすれば落ち着くさ」

 たぶん。俺は忙しなく動く体を必死に押さえつけ、宇佐美の後に続いてリムジンに乗る。チラッとリムジンの中を見渡すと、リムジンのドライバーである榊さんと目が合う。

 榊さんは俺を一瞬見た後、目を逸らし、苦笑する。榊さんの今の心情を訳すと、「今でこんな様子なら、今後が心配じゃ」といったところだろうか。

 緊張でガチガチになっている俺と終始、楽しそうにしている宇佐美。対照的な2人を乗せ、リムジンは学校へと走り出す。



ーーーーーーーーーー



「到着いたしました、お嬢様」

「ええ、ご苦労ね。榊」

 榊さんの声が聞こえ、ついにこの時が来た、と俺は覚悟する。宇佐美の声を合図に、俺はリムジンの扉を開き、リムジンの外で跪き、宇佐美に手を差し出す。

「お手をどうぞ、お嬢様」

 付き人心得の一つ、【乗り物から降りる際は、先にドアを開け、手を差し出すべし】である。

 こっ、これであってるんだよな?

 不安そうに手を差し出す俺の手を、クスッと宇佐美は笑い、手を取る。

「ありがとう、ハル君」

 宇佐美がリムジンから完全に出たのを確認し、俺は完全に立ち上がる。宇佐美が向いている方向に俺も視線を向けると、そこには全国的にも有名なお金持ちの為の学校が悠然と聳え立っていた。

 【私立東凰学園しりつとうおうがくえん】。日本中の名家のご子息やご息女が必ずと言っていいほど、入学する学校である。その学費は年間一千万は下らない。

 成り上がりを果たした者達にとっては、金持ちの登竜門とも言われる場所である。入学したもの達は、コネを広げたり、良家から嫁をとるために日々、密かに学生同士で戦いを繰り広げているらしい。

 周囲を見渡せば、俺たち以外にも制服に身を包んだ学生達が一様に高級車から降車し、眼前に聳える重厚な校門を通り過ぎていく。

 あれ、何キロぐらいあるんだろう。100キロや200キロは下らなそうだけど……。

 俺が下らないことに考えを巡らしていると、宇佐美がゆっくりと歩き出す。宇佐美を追って、俺も一定の距離を保ちつつ、歩く。

 付き人心得の一つ、【主人と共に歩くときは、1歩下がって付き従うべし】である。

 俺たちが歩き出したのを確認し、俺たちが乗ってきたリムジンが遠ざかっていく。

「……もういいですね」

 宇佐美のすぐ後ろを歩いていると、不意に宇佐美が振り返り、俺の腕に自分の腕を絡め、体を寄せてくる。そのまま宇佐美と俺は、恋人のような格好で歩き出す。

「ふふっ、まるで私達恋人同士みたいじゃないですか?」

 宇佐美はイタズラが成功した子供のような顔をして、俺に嬉しそうに言う。

「おっ、おい宇佐美。俺は付き人だぞ! 何やってるんだ!? それに、こんなことしてたら周りに勘違いされるぞ!」

「ハル君は私と勘違いされるの……イヤ?」

 宇佐美は上目遣いで俺を見つめる。

 かっ、かわいい……! って、やってる場合じゃない!

 周囲からは痛いほど視線が注がれ、俺たちに視線を注ぐ人たちは一様にヒソヒソと話し出す。

(おい、宇佐美家の次期当主が男と腕を組んで歩いてるぞ)

(誰も落とせなかった氷の女王があんな男に……)

(宇佐美様の側から離れろッ、凡夫!)

 はじめは数人だった見物人も、今や登校に支障を来たすほどになっていた。

 しっ、視線が痛いッ! ていうか、宇佐美ってこの学校でそんなに有名人だったのか!?

「とっ、とにかく一旦離れてくれ!」

 その後、俺はなんとか宇佐美を説得し、腕を組んでのカップル登校だけは避けることができた。しかし、視線だけは絶え間なく注がれ、俺は新たな学校での初登校で大きく注目を浴びることになった。



ーーーーーーーーーー



 宇佐美を教室の前まで送り届け、俺は一旦別行動を取る。

 俺は中途半端な時期の転校生なので、まずは職員室へ来るように学校から通達が来ているのだ。校内は驚くほど綺麗に保たれており、新築の校舎と言われても違和感がない。

 話に聞く限りでは、東凰学園では、常に3つの校舎が準備されており、何年かごとに使う校舎を入れ替え、古くなった校舎を改築しているらしい。少し古くなっただけで校舎ごと改築するとは……。まさにお金持ちだけに許された学校と言えるだろう。

 俺は学校にある案内版を見ながら、なんとか職員室に辿り着く。

「あの~、今日転校することになってる周王春樹なんですけど~」

 俺は恐る恐る職員室のドアを開け、用件を言う。しばし、待っていると一人の教員が席を立ち、俺のところに来る。

「やぁやぁ、君が聞いていた転校生か。私は君が所属するA組の担任、相良涼真さがらりょうまだよ。これからよろしくね」

 俺の担任と名乗る相良先生は、愛想の良い笑顔を浮かべ、俺の手を取り、半ば無理矢理に握手をしてくる。

 ちょっと強引だけど……まぁ、悪い人ではないのかな?

「こちらこそ、よろしくおねがいします!」

 相良先生は俺の返事に満足そうに頷く。

「じゃあ、これからA組に一緒に行こう。俺が呼んだら、教室に入って自己紹介してくれればいいから」

 お金持ちだけが通う名門校って聞いてたからちょっと身構えてたけど、教師は案外ふつうなんだなぁ。

 俺は想像を良い意味で裏切られ、緊張が少し取れる。先生の後を追って歩いていると、やがて少し前にも見たA組の教室の前に着く。相良先生はここで待ってて! とジェスチャーで俺に伝えるとA組の教室に入っていく。

「はーい、おはよう。今からホームルームを始めるぞー。でも、その前に……今日からこのクラスに新しい仲間が増える。転校生の周王春樹君だ! 周王君、入ってきてくれ!」

 俺は先生に促されるまま、A組の教室に入る。教室に入ると、自然と俺に視線が集まる。教室というロケーションも手伝い、俺の脳裏に前の学校で向けられた悪意を、その情景を思い出し、フラッシュバックする。

 うっ……。ここ最近は、思い出すこともなくなっていたのに。

 胃の奥から吐き気が込み上げ、俺は口を押さえる。

 大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ。ここはあの学校じゃないんだ!

 俺の意思とは裏腹に、フラッシュバックした記憶は脳裏にこびりついて離れず、目の前の視界が揺れる。

 もはや、立っているかも座っているかも分からない歪んだ視界の中で、俺は宇佐美を見つける。

 不思議なことに宇佐美を見つけた途端、俺の吐き気が治まる。さっきまで歪んでいた視界も先程のことが嘘のようにはっきりと見える。

 さっきまであんなに吐き気がすごかったのに……。宇佐美……お前はいつも俺を救ってくれるな。お前は俺の……恩人だ! 宇佐美の為にも付き人としてしっかりしなきゃな!

 宇佐美のお陰で平常心を取り戻した俺は、姿勢を正し、自己紹介を始める。

「転校してきた周王春樹です。宇佐美杏さんの付き人として入学しました。迷惑をかけることもあるかも知れませんが、これからよろしくお願いします!」

 自己紹介を終え、俺は深く頭を下げる。教室に沈黙が訪れる。

 パチッ。

 音のする方へ視線を向けると、宇佐美が手を叩いていた。

 パチッ……。……パチパチッ。……パチパチパチパチパチパチパチッ。

 はじめはまばらだった拍手も、宇佐美の拍手を皮切りに教室中の人間が呼応するように拍手をするのだった。

「はいはーい、それじゃ周王君は……付き人だから宇佐美さんの横の席に座ってー」

「はい」

 先生が指を差した席に向かい、腰を下ろす。ホッと一息を吐く俺の右横で、微笑んでいる宇佐美に気が付く。教室では、相良先生が一人ずつ、出欠を取っている。

(宇佐美?)

 俺が不思議そうに宇佐美を見ていると、宇佐美は俺にだけ聞こえるような声で、

「よろしくね」

 と言い、とびきりの笑顔を浮かべるのだった。
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