壊れた王のアンビバレント

宵の月

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後日談

反則

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 「チェック」

 カーティスはゆったりと足を組んで、アルヴィナに盤面を渡した。必死に戦況を見つめても、もう逃げ道は一つしかない。しぶしぶ回避させてアルヴィナはため息をついた。
 返ってきた盤面を眺め、カーティスは不敵な笑みを浮かべる。拗ねているアルヴィナにニヤリと笑みを閃かせ、からかうように問いかけた。

 「いいのか?」
 「……兄様は意地悪です……」

 少しも手加減してもらえない盤面は、チェックメイト(詰み)でとどめすら刺してもらえない。チェック(王手の一手前)で追い詰められるのはもう何度目か。しょんぼりと肩を落として、もう散々蹂躙された無残な盤面を見つめた。

 「残念だな、アヴィー。そいつキングはもう助からない。」
 「………分かっています。」

 一人がけのソファーに頬杖をつき、瀕死のキングを悲しげに見つめるアルヴィナを眺める。
 カーティスの次の一手で、チェックメイト。勝敗はもう覆らない。小さく唇を尖らせる愛らしさを愛でながら、カーティスは尊大に顎を反らせた。

 「アヴィー、最初から素直に受け取るべきだったな?」

 肩を落としたアルヴィナに、カーティスが腕を広げた。立ち上がったアルヴィナは、素直にその腕の中に納まった。膝の上に抱き込むと、カーティスは言い聞かせるように囁いた。

 「諦めろ、アヴィー。私の妻として、ダンフィルの正妃として凱旋するんだ。私からのドレスを受け取れ。いいな?」
 「……兄様、私は……」

 すっぽりとカーティスに収まっているアルヴィナは、それでも未練がましく視線を巡らせた。
 新しくカーティスが誂えたドレス。その隣に並べられている、リーベンでのパレードでのシーフシルクのドレス。
 新しくこだわって用意したドレスよりも、情勢的にカタログ指定でしか選べなかった、ドレスを気にするアルヴィナに、カーティスはムッと眉根を寄せた。

 「………アルヴィナ、勝負はついた。まだ受け取らないつもりか?」
 「……違います。でも私は、兄様が準備してくださったとを知らなかったから……」

 どうしてかカーティスからのドレスを渋るアルヴィナに、カーティスは苛立ちを滲ませた。抱き締める腕に力がこもったのを感じて、アルヴィナはカーティスを見上げ小さく首を振った。

 「不満なのではありません。」
 「ではなぜそんな顔をする?花は喜んで受け取って、私からのドレスは受け取らないのか?」

 花?じっと見据えて来るカーティスに、アルヴィナは首を傾げた。

 「臣下からの励ましの花には、笑顔を際限なく振りまき、私からの贈り物には不満顔か?」
 「兄様。私はドレスが嬉しくないわけではありません。」
 「ではなぜ喜ばない。私のドレスは花より劣るとでも?」
 「違います!兄様からの贈り物はどんなものでも嬉しいです。ただ、あのドレスは特別で……」
 「特別?」

 怒りを隠そうともしないカーティスに、アルヴィナは困ったように眉尻を下げた。

 「……あのドレスは私にとって約束のドレスですから……」
 「……なに?」

 顔を顰めたカーティスに、ちゃんと伝わることを祈りながら口を開いた。

 「再会したばかりの兄様は私を憎んでいらした。そうでしょう?」
 「…………」
 「それなのに兄様はずっと前から用意してくださっていた。アイスブルーのシーフシルクのドレスを。」

 あの当時の王宮はどうだったのだろう。そんな僅かな手間をかけることさえ、本当は大変だったはずなのに。

 「……あの時の私は、偶然だと……ただ、嬉しい偶然なのだと、思っていました。」

 水で織り風を孕んだような美しいシルク。幸福に輝く母を思い出させる、憧れ続けた美しいドレス。

 「兄様は約束を果たしてくださっていた。私のための約束のシーフドレスです……とても特別な……だからもう一度、ちゃんと着たいのです……」

 今度は込められた真心に、相応しい気持ちで。憧れたドレスを今の幸せな気持ちでもう一度。
 潤む瞳で見上げてくるアルヴィナに、カーティスは息を止めて目を見開いた。思ってもいなかった理由に、カーティスはアルヴィナを凝視する。

 「アヴィー……」
 「……でも……」

 アルヴィナは手も足も出なかった盤面に振り返り、悲しげに視線を落としため息をついた。

 「兄様、どうしてもだめですか……?」

 チェスで負けたら新しいドレスを素直に着ること。その条件での勝負は、あと一手で勝敗が決まってしまう。
 
 「……全く……アヴィー、これは反則だ……」

 カーティスはアルヴィナの肩口に顔を埋め、深くため息を吐き出した。感情を立て直すのに、しばらくかかった。

 「に、兄様?ごめんなさい。我儘でしたか?」

 おろおろと困ったように、カーティスを伺うアルヴィナの顎を掬い上げる。取り戻した視線に視線を合わせる。

 「その理由はもっと早くに聞かせるべきだった。」

 苛立ちが消えた柔らかな声で、うろたえるアルヴィナに囁きかける。そんなカーティスにアルヴィナは瞬くと、不満げに眉根を寄せた。

 「………何度も言おうとしたのに、兄様が聞いてくださらなかったのではないですか……」
 「そうだったか?」
 「そうです。」
 「仕方がないだろう?」

 妖精の会の花は笑顔で受け取るのに、カーティスからのドレスは喜ばないのだから。期待していたのだ。選びぬいたドレスに、捧げられる花より喜ぶ姿を。

 「兄様、私は何度も……」
 「好きにしていい。」
 「……え?」

 ぷりぷりし始めたアルヴィナの頬に手を伸ばした。勝手に緩んだ口元は笑みを刻み、押し出される声に甘さが混じる。カーティスは盤面に手を伸ばし、自分のキングをその場に倒した。
 
 「アヴィー。お前の勝ちだ。」
 「……え?」

 きょとんと首を傾げるアルヴィナに、突き上げるような愛おしさがこみ上げる。

 「私のキングは倒れた。お前の勝ちだ。」

 驚いたように目を丸めたアルヴィナを引き寄せ、カーティスは額に口付けを落とす。

 「だからドレスはお前の好きにしていい。」
 「本当ですか……?」
 
 驚いたように確かめるアルヴィナに、カーティスはしっかりと頷いてみせた。

 「この先いくらでも着る機会があるからな。私の妻として、ダンフィルの唯一の妃として。どうしても着たいのならそうすればいい。」

 (あんなに不機嫌でいらしたのに……)

 チェス勝負までして受け取らせようとしたことが嘘のように、機嫌が良くなったカーティスにアルヴィナは首を傾げた。

 「本当にいいのですか?」
 「ああ。」
 「……ありがとうございます。」

 念入りに確かめてから、アルヴィナは素直に喜ぶことにした。あの日カーティスが用意してくれていた想いを、置き去りにしなくてすむ。それは素直に嬉しい。笑みをほころばせたアルヴィナに、カーティスは目を細めた。

 「あの、兄様。ダンフィルの体面もあることは分かっています。ですのでドレスには刺繍をしようと思っています。」
 「そうか。」
 「ひなげしにかすみ草。すみれとたんぽぽも。」

 思い出の花冠を彩っていた花々を思い出しながら、その名前を並べてアルヴィナは考えていた図案を話し出す。
 
 「兄様の髪の色と同じ糸を、実はもう用意しているのです。ふふっ。リーベンでは刺繍のお仕事もしていたので、自信があります。楽しみにしていてくださいね。」

 嬉しそうに胸を張るアルヴィナに、瞳の色を濃くしながらカーティスは唇を近づけた。話を続けようとする唇を、塞ぐようにしてカーティスが口付ける。
 
 「んっ……」

 重なった唇の柔らかさと、絡めた舌の甘さに理性が溶け始めるのを楽しみながら、カーティスはアルヴィナを見つめた。

 「……アヴィー、勝ちは勝ちでも、反則勝ちだと分かっているか?」

 蕩けるように自分を見上げ、きょとんとするアルヴィナをカーティスは抱き上げた。そのまま寝台に運びながら、カーティスは口角を上げた。

 「反則したからには罰則がある。」
 「反則……?私は反則なんて……んっ!!」

 とろんとした瞳で見つめてくるアルヴィナに、もう一度深く口付ける。そっと降ろした寝台がぎしりときしんだ。

 「いいや、アヴィー。お前は言い逃れが出来ないほどの反則を犯した。」

 ただ美しいだけではなく、その内面さえも身悶えるほどに愛らしい。新しいきらびやかなドレスを身に纏うより、拾いそこねた想いを大切にしようとする心映え。
 カーティスに何もかもどうでも良くさせるのは、反則以外の何物でもない。

 「兄様。私は……んっ……!」

 反論を唇で塞いで、滑らかな白い肌を辿る。

 「お前が味を占めて反則ばかりしないよう、罰則は厳しくすることにしよう。」

 アルヴィナの脚の間に割入りながら、カーティスは笑みを刻んだ。

 「あ……カーティス……」

 呼吸を弾ませて腕を伸ばしたアルヴィナに、肌を押し付ける。しなやかな肢体のラインに手のひらを滑らせながら、カーティスはアルヴィナにゆっくりと身を沈めた。
 濃く深く。ひどく甘い罰則は空が白むまで途切れることはなかった。

 


 
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