壊れた王のアンビバレント

宵の月

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アンビバレント1 ★

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 窓辺に立つアルヴィナは、小さく扉が開く音にも、振り返らず銀の光を落とす月を見上げていた。

 「……ノーラ?眠れないの。もう少しこのままでいさせて。」

 近づく足音は立ち止まらず、背後に差した影に振り向きかけたアルヴィナは、そのまま抱きすくめられた。

 「カーティス兄様……」
 「…………」

 何も言わないカーティスに、そのまま身体を預ける。ゆっくり安堵が広がるのを感じ、アルヴィナは不安だった心が凪ぐのを感じた。
 首元に剣を突きつけてきた腕は、毒に倒れた命を救ってくれた腕でもあった。肩口に額を乗せたカーティスは何も言わず、二人だけの部屋に揺蕩うような沈黙が流れた。

 「……シーフシルクも、亡命を手助けしたシルヴォロムに恩賞を与えてくださったことも、何も教えてくださらないのですね。」
 「…………」
 「……兄様の足跡を辿りました。出入国制限、ダンフィル平定、婚姻、キロレスへの輸出制限。
 まるでチェス・プロブレム詰めチェスのようでした。兄様はもう結末まで描いて進んでいるのでしょう?」

 父はいつも誇らしげに言っていた。カーティスは偉大な王になるだろうと。その言葉通り、すべてはカーティスが望んだように物事は進んでいた。そうまでして彼が最後に迎えることを望んだ結末は。

 「……私の、ためですか?聖文誓約を果たすためだったのですか……?……どうして何も言ってくださらなかったのですか?言って下されば……」

 背後から腰に回された手に手を重ね、アルヴィナは俯向いた。喉に感情がこごり固く喉を塞ぎ、息が苦しくなった。沈黙に祈るような声が溶けて混じる。

 「言ってどうなる?」

 カーティスは額を肩口に預けたまま、平坦な声で遮った。肩口から身を起こし、振り返らせたアルヴィナの瞳を捉えた。冴え冴えとしたカーティスの瞳の奥に、燃えるような激情がチラチラと揺らめいた。

 「返り血を浴びて屍の山を築き平定を急いだ。元凶と婚姻を交わし、幻覚にのたうちながら解毒薬を作らせた。
 キロレスへの切り札を備え、最低限の安全を確保した。あとは仕上げるだけにして、お前を迎えにいった。
 そう伝えて何になる?至上の愛の誓いに背き、自分を兄としか思わない女がその言葉に価値を見出すのか?
 私を待ってなどいなかった。リーベンの地で生き、死ぬことを選んだ女がその言葉に笑うのか?」

 言い募るほどに、目の前で鋭利に研ぎ澄まされていく瞳。その冷たさに、アルヴィナの唇が震える。

 「この世で最も崇高な誓いにお前が背いたときから、愛も理解も求めてなどいない。
 リーベンとダンフィル。強国二国の名の下に課した義務もお前は放棄した。」
 「兄様……違う……」
 「兄様か……。教えただろう?私がお前の兄だったことなど一度もない。初めて出会ったときから、私はお前を求め続ける男だ。
 お前のためだったかと聞いたな?そうだ。何もかもお前が忘れ去った聖文誓約を、全うするためだ。お前を妻に迎えるために……」 

 濃くなったアイスブルーに、アルヴィナは息を飲む。その瞳に宿る想いの激しさに深さに、怯えるようにアルヴィナの瞳が揺らぐ。

 「どれほど愛していたか、お前に分かるか?どれほど憎んでいるか、お前に分かるか?
 ままごとのような感情しか知らぬお前に、私の気持ちが分かるか?
 どれほど求めていたか、お前に分かるのか?」 

 凄絶な色を浮かべる瞳に、アルヴィナは震える唇を引き結んだ。

 「私の愛がお前に分かるのか?」
 「……兄様……」
 「私は、お前の兄などではない!!」

 激情に瞳を燃え上がらせ、カーティスはアルヴィナの口内を噛み付くように蹂躙した。熱い舌が口内を犯し、熱く昂ぶる呼吸が混じり合う。
 離された唇が銀糸を引き、絡み合った視線の先のアイスブルーは、泣き出しそうに眉根を寄せて揺れていた。

 「カーティス兄様の愛を望んでいるんだろう?生憎だがあいつは死んだ。
 その美貌で誰彼構わず誘惑し、快楽に身を踊らせるおまえの幻覚に殺された。お前がアイツを捨てたんだ。」
 「私は……」
 「中立派閥を取り込もうが、後始末をつけようが、なんの贖罪にもならない!そんなものでお前を許すことなどあり得ない!!
 お前は私の側にいればいいんだ!!生涯をかけて私に贖罪を捧げ続けるんだ!!」

 鋭く胸を射抜く刃に、アルヴィナは足を震わせながら、そっと伺うようにカーティスを見上げる。

 「……側に……?生涯……?」

 涙でぶれる視界を懸命に見つめ、アルヴィナはカーティスの表情を見定めようとした。

 「……お側においてくださるのですか……?」

 カーティスの揺れる瞳が、ゆっくりと見開かれた。

 「もう去れと言われるのかと……だって……私は陽だまりの笑みに心を高鳴らせていたのです……小さな春の王の隣に立つに相応しくありたいと願っていたのです……」

 両頬を挟み込むカーティスの手に手を重ね、アルヴィナはカーティスを見つめたまま、震える声を押し出した。

 「……後悔しなかった日は一度だってありません。ままごとのような想いでも、それを繰り返し思い起こして生きていたのです。
 私は兄様が大切じゃなかったわけじゃない……」

 雛菊がはみ出して、かすみ草がひしゃげた花冠。繰り返し夢に見た優しい思い出。

 「怖かった。生きたかった。家族が大切だった。どうしたらいいか分からなかった。
 ……でも逃げたかったわけじゃない……側を離れたかったわけじゃない……裏切りたかったわけじゃない……」

 ぽろぽろと伝う涙を拭うこともせず、ただアルヴィナはカーティスを見つめ続けた。
 カーティスの揺れる瞳が、アルヴィナを食い入るように見つめている。何一つ見逃さないと見開かれた視線を受け止め、アルヴィナは必死に言い募った。

 「裏切りへの憎悪しかないのだと……。セレイア妃への嫌がらせの道具でしかないのだと……。
 だから避妊をしました。私への憎しみが子供にまで向くことがないように。私への憎悪を私だけが受け止めるために。
 兄様の子を身籠るのがイヤだったわけではない。両親や陛下達のように、愛し愛されて授かりたかった……騙したかったわけじゃない。
 兄様との子をそんなふうに身籠りたくなかった。
 ……私は兄様が大切じゃない時など、一度だってなかった。ただの一度も。」

 過去から今に至るまで、優しくても冷たくても。アルヴィナを愛していても憎んでいても。大切ではなくなる瞬間は一度も訪れなかった。

「………私は……信じない……」

 揺らぐ瞳を惑うように険しくさせて、カーティスは唇を歪めた。

 「どれほど愛を囁こうとも、どれだけ謝罪を積み上げようとも、もう私はお前を信じない。
 愛の誓約にも妃の義務にも背を向けたお前の何を信じればいい?
 信じてもう一度砕かれたなら、もう私はお前を生かしておけない。生きてはいけない……」

 歯を食いしばり顔を歪め、言い募るほどにカーティスは激情に駆られたように、徐々に瞳を燃え上がらせる。アルヴィナは祈るように、カーティスを見つめた。

 「……愛しています。」
 「黙れ!!」
 「貴方に抱かれ、淡い想いは形を変えてしまった。堕落が見せた幻覚が、愛が憎しみを深めると私に教えた。」
 「黙れ!!二度と信じることはない!!」
 「美しいばかりの愛などないと今ならもう分かります。」
 「やめろ……アヴィー……」
 「私は貴方の苦しみを深めるのかもしれない。去れと言うなら去るしかない。
 でも、必ずお役に立ってみせます。私だってもう幼いばかりではないのです……。貴方の側にいたい。離れたくない……」
 
 アルヴィナの言葉にアイスブルーの瞳が大きく揺れて、静かに涙が伝って落ちる。

 「私を信じなくていいです。憎んでいても構いません。愛しています、カーティス。
 貴方の側で償い続けたい。今度は私が全てを賭けて。信じてくださるまで。どうか側にいることを許してください。側にいろと、もう一度言ってください……」

 懇願に縋るように見上げてくるアルヴィナに、カーティスは震える手を伸ばした。指先が触れた瞬間、強く引き寄せきつく抱きしめる。

 「……アヴィー……アヴィー!アヴィー!離すと思っていたのか?去ることを許すと思ったか?
 私の絶望を思い知るまで、どんなことがあってもお前が側を離れることなど許さない。
 お前が私の妃だ。私の妃なんだ……もう私を置いていく事は許さない……お前の命は私のものだ……」

 カーティスの言葉がゆっくりと染み込み、アルヴィナは抱きしめられた胸に縋った。

 「……離れません。もう二度と。何があっても……」

 月明かりが射し込んで、抱き合う二人の影を長く伸ばした。

 悪夢に断ち切られた淡い恋心は、罪悪感にすり替わった。その思いはある日突然、燃え上がる憎悪と激情に引き裂かれ貫かれた。
 自分を引き裂き貫いたものが何だったのか。浮かぶ疑問が答えを求め、空白をひとつひとつ埋めるたびに浮かび上がってきたのは、深淵から湧き上がるような憎悪。
 その源は深く深く根ざし、悪意と裏切りに傷つけられ歪んでもなお消えぬ、取り返しがつかないほど一人の男の心を縛る愛だった。


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