壊れた王のアンビバレント

宵の月

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不穏

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 閉ざされた執務室の扉の前で、リースが申し訳なさそうに俯向いた。

 「陛下はご多忙のため、お会いできません。」
 「そう……。」

 アルヴィナは静かに俯向いた。
 送文箱の短いメッセージは受け取ってくれても、カーティスと直接会うことはできなくなった。
 苛立ちを募らせ続けているように見えたカーティスは、一月が過ぎた頃に寝所へも訪れなくなった。

 「……お元気では、いらっしゃいますか?」
 「…………はい。」

 悲しげなアルヴィナに、リースは目を伏せたまま嘘をついた。会えないのなら、本当のことを伝えるほうが酷だと思った。

 (申し訳ありません……)

 静かに立ち去るアルヴィナに、リースは心の中で謝罪した。
 カーティスは夜も眠れず真っ青な顔で、頻繁に頭痛を起こすようになった。落ち着いていた症状は、前より悪化してキリアンまでも憔悴している。
 取り憑かれたように執務をこなし、時々窓の外をじっと見つめている。

 (もう何日目になるだろう……)

 ため息を吐き出し、固く閉ざされた扉を見つめる。王妃の差し押さえから、表面上は静かな王宮。ベルタング派閥の不穏な動きがある中で、カーティスの不調がリースの不安を煽った。

 (均衡はいつ崩れるか……)

 王宮に漂う肌を刺す張り詰めた空気は、粛清前の王宮に似ている気がした。
 カーティスの不調、アルヴィナとの深い溝。ようやく振払えそうだった悪夢は、最後の足掻きのようにしつこく不安の影を落としていた。


※※※※※


 エクルドから届く、中立家門の礼状に返事を書き終え羽ペンを置く。引き出しを開け、アルヴィナは聖文誓約を見つめた。
 知り得る限り情報を整理して、カーティスが辿った5年を何度もなぞった。

 (もし私だったら……)

 幾度も繰り返し考えた。

 もしも悪夢の中にカーティスに、置き去りにされたなら。悪夢を晴らす手段は粛清だったのか。日々愛する臣民の返り血の中で、立ち続けることはできただろうか。

 解毒薬のためとはいえ、自らを餌にして望まない婚姻を結んだだろうか。コラプションを飲み続けることが、あの幻覚に耐え続けることができただろうか。

 リーベンに自分を見捨てたカーティスを、迎えに行っただろうか。再会した時に何を思い、彼の裏切りに償いを求めずにいられただろうか。

 唯一愛だけを条件とする、聖文誓約を覚えていなかった事を許せるだろうか。

 いくつもの浮かぶ問いに、全てに答えは出ない。

 (……ノーラも連れて行くことを、許してくださるかしら……)

 寝所にさえ訪れがなくなった今、王宮を去る事を考えていた。カーティスの子を身籠ることで、王妃の権限が帰属される。
 ベルタングに対しての誓約でも、セレイアを王妃にするつもりはないからこそ、子を他に求めている。
 あれ程の確執があれば、それは当然なのかもしれなかった。

 (他国の王族になるのでしょうね……)

 カーティスに安らぎを与えられる王妃。悪夢にも堕落にも関わりがない他国の王族がふさわしく思えた。
 辛い記憶を刺激せず、傷付いたカーティスの慰めになれる人。

 (私では無理だわ……)

 カーティスの幻覚には、アルヴィナが関わっているという。あれ程の憎悪を沸かせる幻覚。その内容はどんなものなのだろう。

 (私はきっといるだけで毒になる……)

 療養しているという堕落を飲ませたセレイア。公主交代で資格がなくなった悪夢の元凶のヘレナ公女。憎悪を掻き立てるアルヴィナ。
 誰一人、カーティスの安らぎにはなり得ない。

 「兄様は、女性運が良くないのね……」

 おどけた呟きにも胸を覆う寂しさは消えず、ため息がこぼれ落ちた。
 コラプションで、無理やり結ばれた婚姻の解消が進む今なら、離縁はカーティスの大きな負い目にはならないはずだ。

 (早く、ここを去るべきよね……)

 痛み始めた胸に、アルヴィナは引き出しをそっと閉じた。それでも一度だけ、話したい。二度と覚悟のない選択をしないために。
 さよならさえ伝えられなかった、5年前の後悔をしないように。

 (どうせなら一掃したほうがいい……)

 魔石図鑑を引き寄せ、いくつかの項目を書き出した。
 別館の治療に多大な貢献をしたのは、ネロの医療文書だった。最高峰のログナークを所持する優秀な医術薬師は切り捨てるべきではない。

 (でも、国外でなら……)

 ダンフィルに贖罪しながら、ネロが生きていける道も切り開けるはず。
 便箋を引き寄せて、アルヴィナはウォロックに宛てて手紙を書き始めた。


※※※※※

 
 薄暗い屋敷の一室で、メナードは爪を噛みながら落ち着かなく歩き回る。

 「……ダリオン卿がお見えです。」

 執事からの来客の連絡に、メナードは満面の笑みを浮かべた。

 「ナイトメアからの報告をお届けに上がりました。」
 「待ちかねていたぞ!」
 
 渡された紙片に目を通し、アルヴィナが執務室に日参している情報に、唇を吊り上げた。

 「確か2日後には貴族会議があったな?」
 「はい。キロレスへの対応決議がなされるはずです。」
 「では明日だ。ナイトメア全員に伝えておけ。」

 会議に向け多くの貴族が王宮に来ているはず。混乱を起こすなら人は多いほどいい。
 紙片を渡すメナードにダリオンは頷き、伺うようにメナードを見上げた。

 「これで王妃への関心が戻るでしょうか?」
 「ああ……そうなる。心配ない。」
 
 安堵したように頭を下げて帰っていくダリオンに、メナードは冷笑を浮かべた。

 (そんなわけ無いだろ?)

 例えアルヴィナを消したとしても、カーティスはセレイアだけは王妃にすることはない。

 (バカは扱いやすい)

 ハイエナは所詮ハイエナ。金と権力への執着は人一倍強くても、自ら作り出す知性はない。這いつくばっておこぼれを待つばかり。
 旗色を気にして離反の機会を伺っているが、選別を終えたカーティスが見逃すわけがないことすら理解しない。
 
 (嘲笑われていることすら気付かない)

 右往左往と浅ましく踊る様を、カーティスは笑ってみているはずだ。

 「笑っていればいい。お前が一番大事にしているものを壊してやるよ。」

 仄暗い笑みをたたえ、目ばかりがギラギラ光るメナードに、執事は怯えたように顔を伏せた。
 
 
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