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慟哭と恭順
しおりを挟む別々の書籍や文書から、抜き出した情報を一枚の紙面に集めた。
物流の流れ、大量購入されている品。金銭の流れ、貴族たちの動き。他国情勢。
(どうして言ってくださらなかったのですか……?)
全てが決まっていたかのような、リーベンのパレード。
《カーティスから3年前に支払いを受けて、リーベン王宮で用意していた。カタログの指定付きでね。遅くなったけど、婚姻おめでとう。僕の従兄妹の幸せを願っているよ》
トゥーリの返信を握りしめ、アルヴィナは唇を震わせた。
(なぜこうまで性急に事を運ばれたのですか……?)
リーベンへの亡命直後から、発令した出入国制限。制限で逮捕者が出ているのはリーベン国境のみ。同時に軍事に動きがあれば、必ず値上がりする塩と鉄は、すでに亡命直後から上がり始めていた。その一年後から粛清は開始され、緻密に計画され効率化されいる。
(カーティス兄様……いつからだったのですか……?)
ナイトメアの動きが減り、それに合わせるようにカーティスはセレイアと婚姻。婚姻から莫大な婚姻維持費の吸い上げ。
その振り分け先は復興支援、リーベンの街道整備、白亜宮の改装と品格維持費。
(どうしてこんな事をされたのですか……?)
セレイアとの婚姻は、閨の訪問さえ金銭の条件付き。国政への参画権限も取り上げられている。
コラプションがあることを分かっていて、子を身籠る事を王妃への誓約とした。自分を餌にした捨て身の婚姻。
《フォーテルの保護の功績に報奨、伯爵への陞爵を受けたよ。ダンフィルの消耗品目の独占権も与えられた。
でもそんなものより君に会いたいよ。キロレスの公示解除と公主交代。万が一が君の身にあるかもとすごく不安だ。どんなことでも力になる。だから僕を頼ってほしい》
(側妃に迎えるのではなかったのですか?)
シルヴォロム家への手厚い報奨。何も教えてもらえていない、キロレス使節との会談の経過。
凍てついたアイスブルーの瞳はあれほど冷たく、冷ややかな声は震えるほど平坦なのに。
(カーティス兄様……)
手にとった聖文誓約に涙が溢れる。
《アヴィー、お前はきっと幸せな花嫁になる》
婚約したアルヴィナを抱き上げて、少し寂しげにとても嬉しげに笑ってくれた父。
婚姻にさえ滅多に立てられることのない誓いが、婚約で立てられていた。聖文誓約だったなんて思いもしなかった。
《アヴィー、あのね。殿下が、ずっと一緒に幸せに生きて行こうって、約束を入れたいんですって。聖文誓約っていうの。どうしたい?》
《ずっと一緒に?嬉しい!大好きな兄様とずっと一緒にいれるのね!》
《アヴィー約束してくれる?どんな時も僕の側にいるって》
《する!兄様とならずっと仲良く暮らせるもの!》
《ありがとう。僕達はずっと一緒だよ。必ず幸せにするからね!側にいてね。どんなに僕がアヴィーを大好きなのか、アヴィーがわかるまで。約束だよ。僕のアヴィー》
聖文誓約の記憶はなくても、幸せな記憶は残っている。
「兄様……カーティス兄様……」
もうカーティスはアルヴィナを見ない。名前も呼んでさえくれない。ひどく傷付いた表情を隠して無言で出ていった後ろ姿。
「恨んでいると……怒っているのだと思ったのです……それしかないと思っていたのです……」
覚悟のない選択にたくさんの悔いが残った。だから何も知らないままに、子を身籠ることなどできなかった。
王妃への閨の義務を果たしていた。キロレス公女を側妃に迎えると思っていた。
《陛下は変わったのではない。そうした月日を過ごした上で今の陛下になったのです》
思い出の欠片ばかり探していた。記憶の中のカーティスばかり探していた。
淡い初恋の思い出を追いかけ、心臓から取り出したままの熱と憎悪から目をそらしていた。それがどこから来るのか、考えもしなかった。
《アヴィー……どうか……》
あの夜の切実な縋るような声。変わったのではなく続いていた、今のカーティス。
「カーティス兄様……どうかお願いです。貴方の口から聞かせてほしいのです……」
憎悪でも怒りでもいい。二度と覚悟のない選択に後悔することがないように。カーティスの言葉で、カーティスの声で、カーティスの真実を知りたい。
「私にも伝えたいことがあるのです……」
カーティスがあまりにも大きな犠牲を払い、全てをかけて成し得たこと。その理由が聖文誓約にあるのだとしたら。
それに見合うほどのものではなくても、幼かった頃のアルヴィナから、今の自分となっても変わらないことが一つだけある。
「カーティス兄様……」
アルヴィナの慟哭に慰めはなく、拭われることのない涙がとめどなく頬を伝った。
※※※※※
目を通した文書に、すでに玉璽が押下されているのを見て、カーティスはゴリッと奥歯を鳴らした。
「エクルド、貴様の画策か?」
「いいえ?アルヴィナ様が立案されました。そして玉璽で裁可されたのは陛下です。」
氷点下まで冷え切ったような執務室で、エクルドは飄々と笑みを浮かべた。
「……中立派が寝返ったのはこのためか……」
「はい。コラプションによる、未だに残る毒性の解毒をすでにフォーテル別館にて開始しております。ネロ医師の医術文書が加わり、治療は順調です。
薬物の介入した婚姻の解消についても、別館での治療中に特別法7条を適応し手続きが進んでいます。」
「…………」
「ベルタングは前当主の没後は無能がイキりたっていましたからね。
手当たり次第婚姻や陥れるためにばら撒いた結果、名誉を気にする必要がないほど、同じ境遇の被害者を増やしすぎた。」
「…………」
「同じ境遇の者達がこれほどいることに、未来への悲観が薄れて経過も良好だそうです。
中立派閥は全家門が別館での治療を希望しています。アルヴィナ妃のお名前が、ご友人に決意させてからは増える一方です。」
怒りに瞳の色を険しくしたカーティスに、エクルドは挑戦的に笑みを浮かべた。
「解毒薬開発と特別拠出金、特別法の制定の功労が狂王の威厳を薄めてしまいました。お疲れでしょうが、生涯賢王として粛清の贖罪をなさる他なくなりましたね。」
エクルドはカーティスを、逆なでするように首を傾げた。
「それとも離婚推進の土壌が、できあがるのを恐れたのですかな?無理やり連れてきた妃は何年経っても、相変わらず妖精のような美しさですからね。」
「エクルド!!」
近衛騎士が震え上がるような怒気にも、エクルドは全く怯むことなく笑みを浮かべた。
「変わりませんな。カーティス殿下。ゲイルが泣きながら、溺愛する娘の8歳での婚約を許したのも納得です。」
「………っ!?」
虚をつかれたようにカーティスが目を見開き、エクルドは泣きそうに見える微笑みを浮かべた。
「大好きなアルヴィナ様のために、レティス王妃と共にクッキーを焼いていた。あの頃とお変わりなかったのですね。」
「なに、を……」
「不忠をお詫びいたします。ゲイルが示したログナークでの終息が最善だと信じていました。
ですが疲弊したダンフィルの民に、終わりの見えない長引く悪夢は耐えられなかった。堕落を強いられた者たちも、もう長くは保たなかったと知りました。
粛清なくして、ダンフィルの未来はなかった。私の不忠に心からのお詫びを……」
真摯な謝罪にカーティスは押し黙った。沈黙にぽつりと短く言葉を返した。
「………私怨だ。」
「ならばその私怨の犠牲となった民への贖罪をお命じください。我らフォーテル傘下の王権派閥。
恩義を賜った中立派閥は、揺るぎない忠誠で王家にお仕えいたします。」
「旗を翻すのではなかったのか?」
「翻す旗はアルヴィナ様が折ってしまわれました。」
「……余計な事を。」
俯向いたカーティスの怒気が失せ、キリアンはホッと息を吐き出した。その瞳は安堵で潤んでいた。
「ところで陛下。花冠にするのですか?クッキーにするのですか?」
「……なんのことだ?」
「プロポーズです。聞けばあまりにもひどい。翠蒼宮からコソコソ盗み見る暇があるなら、愛を乞う準備をなさる方が効率的です。手遅れになる前に。」
「………エクルド、貴様………」
呆気にとられたようにカーティスが絶句し、キリアンも顔色を変えた。
「……陛下の5年がそれほど重かったように、アルヴィナ様にも同じく5年の歳月があったのです。まだ幼く少女だった。」
「……アルヴィナからの愛など期待していない。私の子を身籠ればそれでいい……」
「そうですか。」
「……三度目は、ない……」
「アルヴィナ妃には、それほど疎まれるならと、離宮で静かに過ごすご意思があります。」
「…………」
「アルヴィナ妃は堕落の苦しみを知って、救済政策を取りまとめた。友人の、貴方の苦しみを和らげるために。貴方に旗が翻ることがないよう、ご自分の裏切りへの贖罪に。
アルヴィナ様がゲイルの娘であることをお忘れなく。」
聡明な知性は望みを実現するだけの力がある。忠節の礼を取り、エクルドは退室していった。
(……もう遅い……)
膨れ上がった憎悪はアルヴィナの涙を求めて荒れ狂う。顔を見たら自分を抑えきれなくなりそうだった。
裏切りの対価として、カーティスの子を。セレイアは必ず引きずり降ろす。
(その後は……)
血を流し続ける胸の痛みに歯を食いしばり、身を焦がす激情に唇を震わせた。
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